29:崩壊の足音
「注連縄が溶け出してる……!? どうして、藍白の攻撃では、あんな風になるほどじゃなかったのに……!」
私が紫黒さんたちに攫われる前、目にした注連縄はしっかりとした形をしていた。炎の攻撃を受けても、少し焦げつく程度だったのに。
桜の散った大樹に巻き付く注連縄は赤く染まり、もはや原形を留めてはいない。
「白緑様の力が、かつてないほどに弱まってしまったからでしょう」
「そんな……」
あの注連縄は、白緑の妖力によって保たれている。
紫土くんの傷の治療に多くの妖力を使った上、戦いでもかなり消耗しているはずだ。それがこんな形で影響するなんて。
「門が開き始めてるわ……! 今からでも、注連縄を作り直すことはできないの……!?」
「できないことはないが、一時しのぎだ。それに新たな注連縄を作るには、俺の力をすべて解放することになる」
「それって、白緑が力を使い果たしたらどうなるの?」
「俺は消滅して、藍白が次の王になる」
「っ、そんな……そんなのダメ!! 兄様を消滅なんかさせない!!」
注連縄が壊されて、門が開こうとしている。こうなってしまってはもう、崩壊を止める手段は限られているのだろう。
けれど、引き換えの手段が白緑の命だというのなら、賛成できるはずがない。その方法が一時しのぎであるというなら、なおさらだ。
「門が開きます……!」
注連縄が完全に消えてしまった大樹の根っこの部分が、ミシミシと音を立てながら左右に大きく開いていく。
その向こうに、私の見慣れた世界が広がっているのが見える。
「まずい、妖魔たちが向こうの世界に行こうとしてる……!」
門が開かれるや否や、近くに潜んでいた妖魔がその中に向かって飛び込んでいく。
それを止めたのは紫土くんの鎖鎌だけれど、また別の方向から妖魔がやってきては門を潜り抜けようとする。
人間の世界に足を踏み入れた妖魔は、人間の魂を食らうことを目的としている。力を手に入れるために。
開いた門の向こうには大量の餌があることを、妖魔たちは知っているのだ。
「アンタたち、勝手に出ていいなんて言ってないでしょ……!!」
「俺の招いたことだ、尻拭いはする」
淡紅に続いて紫黒さんも、妖魔を食い止めるために動き出してくれる。
大鎌から放たれる強烈な風は、門を目指す妖魔の列を一網打尽にしてくれる。敵として対峙した時には手強い相手だったけれど、味方だとこうも頼もしいとは。
けれど、これは時間稼ぎにしかならないことは私にもわかる。
門を閉じることができない以上、彼らの妖力が尽きれば、妖魔の流出を防ぐ者がいなくなってしまうのだから。
「兄様の力を使う以外に、門を塞ぐ方法は無いの?」
「注連縄を失った以上、それを作り直さなければ同じことの繰り返しになる。だが、注連縄を作れるのは王だけだ。……俺はお前に、生贄のようなことはさせたくない」
「わたしだって、兄様を犠牲にするなんて絶対に嫌!!」
妹に王の座を引き継がせたくない白緑と、兄を失いたくない藍白。
どちらの気持ちもわかるからこそ、別の手段があるのならそれを選択したいというのに。注連縄でなければ、あの門を塞ぐことができない。
(別の方法……何か、誰も犠牲にしなくて済む方法は……)
その時ふと、私の脳裏に浮かんだのは、大樹の前に立つ白花さんの姿だった。
二つの世界を分断するために、門を開いた彼女。そこに抜け道があるんじゃないだろうか?
「朱さん、白花さんがやろうとしていたことって何だったんですか?」
「え……? 白花様は、自らの力を使って二つの世界を分断しようと……」
「分断することができれば、妖都が暴走することはなくなる。そうなれば、王も犠牲にならずに済むんじゃないんですか?」
「それは……」
白花さんは、悲しみの連鎖を断ち切ろうとしていると言っていた。
悲しみの連鎖とは、王を犠牲にして保たれる、この世界の仕組みのことを示しているのだろう。
その役割を子どもたちに引き継がせないために、白花さんは二つの世界を分断する方法を探していたのだ。そして、その手段を見つけたからこそ、あの日門を開いた。
自分が犠牲になるような方法なのだとすれば、子どもたちに何も言い残さず決行するのは不自然だ。死の間際まで、妖都の未来を気遣えるひとだというのに。
「確かに、そうかもしれません。分断するためには、門を開く必要があった。……しかし、オレも詳しい方法は聞かされていないんです」
あと少しでヒントを見つけられる気がするのに、肝心の手段がわからない。
こうしている間にも、紫土くんたちは妖魔を流出させないために必死に戦ってくれている。無駄にしている時間は無いというのに。
「……母は、記録をつける習慣があった」
「え?」
「確証はないが、それほど重要な情報を残していないとは思えない。屋敷に戻るぞ」
何かに気がついたらしい白緑は、足早に屋敷の方へ向かっていく。この場に戦う彼らを残していくのは忍びないけれど、留まっていても事態は好転しないのだ。
庭先で何事かと困惑している真紅さんと緋色さんを素通りして、建物の中へ土足のまま上がり込む。汚れてしまうけれど、緊急事態なので許してほしい。
白緑の後に続いて屋敷の奥へ進んでいくと、突き当たりの襖の前で立ち止まる。
一呼吸置いてから、白緑はその部屋の中へと足を進めた。
「ここは……」
「母様の部屋。……なにも変わってない」
「当時のままにしてある。俺も、立ち入るのは久々だがな。その棚の書物を探してくれ、何か記録があるはずだ」
自分たちを置いて消えてしまったと思っていた、母親の部屋。今、白緑たちがどんな思いでこの場に立っているのかは、私にはわからない。
綺麗に整頓された和室の一角は、壁一面が本棚のような造りになっている。
そこには膨大な数の本が残されていて、その一部に記録用の書物を収めているらしい。
人の物を勝手に覗き見るのは気が引けたけれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
手近な一冊を開いてみると、丁寧な文字が書き連ねられている。見たことのない文字だけれど、どうしてだかスラスラと読むことができるのは、白緑の力なのだろうか?
そこには、白花さんが王になってからの出来事や、旦那さんとの出会い、産まれた子どもたちに関することが記されていた。
「……母様、こんなものを書いていたのね」
「お前は書き物をしている最中でも、すぐに外に出たがっていたからな」
「っ……わたしは、兄様と遊びたかっただけ」
母との思い出を懐かしむ二人にとっても、ここは大切な場所であるはずだ。このまま門を閉じることができなければ、この場所だって無くなってしまう。
せっかく和解することができたというのに、そんなことは絶対にあってはならない。
私とは違う。この部屋には、二人が愛されていた証が詰まっているのだから。
筆跡や書物の並べ方を見ても、白花さんは几帳面な人だったのだろう。だとすれば、書物は時系列順に置かれているはずだ。
そう考えて比較的新しい場所に置かれた書物を開いた時、私は気になる文字の並びを見つける。
「あ……これ!」
そこには、『子どもたちに、この役割を引き継がせずに済むかもしれない』と書かれていたのだ。
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