02:あやかしの世界
「嫁……って、ちょっと待ってください……!」
彼の容姿に目を奪われていた私は、遅れて言葉の意味を理解する。
絵本の世界の王子様のようだとは思ったけれど、いざ初対面でそんなことを言われては、戸惑うのも無理はないだろう。
なぜ、出会い頭に求婚されているのだろうか? そもそも、この人は一体誰なのだろうか?
「あの、ここはどこなんですか?」
そうして私は、ようやく周囲の異変にも気がついた。
神社の中にいたはずが、どういうわけだか見知らぬ森の中にいたのだ。移動をしたつもりはないのに、鳥居も神社も無くなっている。
唯一、元いた場所と同じに見えるのは、神社にもあった大樹だった。
太い幹には注連縄が巻きつけられていて、その周囲は肉眼では端が見えないほどの、巨大な湖に囲まれている。
ただし、ここにある大樹は真夏だというのに、満開の桜を咲かせていた。
(そういえば、蒸し暑さもない……どうして?)
空も見えないほど木々に覆われているせいかと考えたけれど、湿度まで変わるはずがない。
光も差し込んでいないというのに、この場所は暗さを思わせないのが不思議だ。
懐かしさすら感じさせるような、温かくて優しい空間。
「ここは妖都。俺はこの世界の王・白緑だ」
「妖都……? 王……?」
「妖都はあやかしの棲む世界。お前は俺の力でここに招き入れたんだ」
「あやかしって……あなたが何を言っているのか、私には……」
「キュン」
白緑と名乗る彼の言葉の意味がわからず、疑問符を浮かべる私の手元で、タヌキが小さく鳴く。
「そいつは豆狸だ。臆病で力の弱いあやかしだが、人にはよく懐く」
このタヌキの存在だけなら、私はからかわれているのだと思ったかもしれない。
けれど、白緑さんはどう考えても人ならざる者の姿をしている。だって、明らかに人間のものではない耳と尻尾を生やしているのだから。
もしかすると、最先端の技術を使った何かなのかもしれないけれど。
「どうして、私を招いたんですか?」
仮に、彼の言うことが本当だったとして。私をこの妖都に呼ぶ理由は何なのだろうか?
「この世界に、人間との繋がりが不足しているからですよ」
「えっ?」
私の疑問に答えたのは、頭上から降ってきた声だった。
驚いてそちらを見上げると、真っ黒な羽根が風に乗って舞い落ちていくのが見える。
それを追うように、白緑さんの隣に音もなく人影が降り立つ。手にした柄の長い錫杖が、動きに合わせて耳障りの良い音を鳴らした。
「朱、来たのか」
「あなたが急に飛び出していくので、手が必要かと思ったんですよ」
「必要なら言う。まあ、丁度いいか」
朱と呼ばれたその男性は、顔の上半分を覆う天狗のお面を被っている。左耳には、朱色の飾り房をつけた耳飾りが揺れていた。
背の高い真っ赤な下駄に、髪色と同じ真っ黒な翼を生やしたその姿は、やはり白緑と同じく人間には見えない。
(というか、この人……空を飛んできた……?)
「コイツは朱、天狗のあやかしだ。俺の付き人みたいなものだな」
「天狗……ということは、白緑さんは……狐?」
「正解」
九尾の狐というやつなのだろうかと安易な考えだけど、どうやら本当にそうらしい。他に思い当たらなかったというのもあるのだけれど。
楽しそうに口角を持ち上げる白緑さんは、無遠慮に私の方へと顔を近づけてきた。
「だからお前を嫁に迎えたい、依織」
「嫁って……どうしてそうなるんですか?」
「白緑様、説明を省きすぎです」
思わずのけ反りそうになったが、朱さんが着物の襟元を引っ張って白緑さんを引き離してくれる。彼の方がまだ、話が通じる相手なのかもしれない。
白緑さんは不服そうな顔をしていたものの、説明は必要だと判断したのだろう。朱さんの邪魔をするようなことはしなかった。
「妖都は、人間との結びつきが必要不可欠な世界です。その結びつきを強めるべく、白緑様が王として人間の伴侶を迎える時期が来ています」
「その相手として、俺がお前を選んだ。……というのは、まあ建前だな」
「建前?」
「近頃は、あの神社に人間が寄り付かなくなってしまった。一時的にでも構わないから、縁繋ぎを担う人間を必要としているというのが本音だ」
白緑さんの言うことには、私にも思い当たる節があった。
妖隠しのことが噂になって、神社へ足を運ぶ人間は確かに少なくなっていると聞く。
私があの場所を訪れたのは噂を確かめるためだったけど、白緑さんたちにとっては、思いがけないチャンスだったのだろうか?
「無理強いはしない。だが、お前さえ良かったら、仮の婚約者として力を貸してくれないか?」
「仮の婚約者、ですか?」
「この世界は人間を必要としてる。嫌になったら元の世界に戻してやるから、それまで人助け……もとい、あやかし助けに協力してほしい。仕事だとでも思ってくれたらいい」
「あやかし助け……」
現実離れした話ではあるものの、彼らを前にしたら真実なのだと受け入れざるを得ないだろう。
狐に化かされているのかもしれないけれど、彼らは悪いあやかしには見えない。
どのみち、私にはすぐに元の世界に帰らなければならない理由もないのだ。そもそも、妖隠しを望んで来たのだから。
それに、私のことを必要としてくれている。その事実が嬉しかった。
「……夏休みの間だけでもいいなら」
「もちろん、それだけでも助かる」
私が頷くと、白緑さんは嬉しそうな顔をする。大人びた人だけど、笑うと少しだけ幼く見える気がした。
話がまとまると、白緑さんは私の手元から取り上げた豆狸をそっと地面に下ろす。
どうしてそんなことをするのだろうか? 豆狸を追っていた視線を持ち上げた私は、思わず悲鳴を上げそうになってしまう。
「あの、白緑さ……!?」
「じっとしてろ、契約の証だ」
「え……えっ、ちょっと待っ……!」
端正な顔がすぐ目の前まで迫ってきて、硬直してしまった私は反射的に強く目を瞑る。
恋人どころか友人すらいない人生だったのだ。男性に対する免疫なんて、限りなくゼロに等しい。そんな私に、この距離では呼吸をすることすらままならない。
キスされるかと思ったのだけど、次に感じたのは首元の小さな熱だった。
「よし、これでいい。紋様がついたぞ」
「え……?」
そっと目を開けてみると、すでに白緑さんは私から離れている。
湖の方へと身を寄せて、首筋を確認してみると、そこには薄い桃色の山茶花のような紋様が刻まれているのが見えた。
「紋様は王の婚約者にのみ刻まれる、仮契約の証。その紋様を通じて、縁繋ぎのための力の供給が行われます。正式な契りを交わさなければ、時間経過で自然と消えていくので安心してください」
「それがある間は、他のあやかしに横取りされることもない。俺の婚約者だってひと目でわかる印だな」
「あやかしって、こんなこともできるんですね」
試しに指先で触れてみても、痛みも違和感もない。どうやら、タトゥーのようなものとは違うようだ。
あやかしは、人間にはない不思議な力を持っているのだろう。
空だって飛べるのだから、どんな力を持っていたとしても不思議ではないのかもしれないけれど。
「……もしかして、他のことを期待したか?」
「っ、してません!!」
意地の悪い問い掛けに、私は瞬間的に熱を持った頬を隠すように背を向ける。
キスされるかもしれないと思ったことは事実だけど。いきなりあんな距離まで迫られたら、勘違いだってするものだろうと思うのに。
約束した以上は力を貸すけれど、この意地悪な人は少しだけ苦手かもしれない。
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