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ボクの名前はレイです。
ボクには、殺したい人がいます。
あれは、数週間ぐらい前のことだったと思います。
自分の住んでいた街から凡六キロ離れた場所に位置する山の高台で、ボクは身投げしました。
――自殺です。即死でした。
原因は、学校での“イジメ”でした。
なんてことのない、ごくありふれた理由です。
理不尽な事故や病気で亡くした恋人の後追いだとか、親のカタキである誰かを殺して自分も……などといった大それた大義名分の元、こうした行為に及んでいるわけではありません。
ただの“イジメ”です。
ボクの何が悪かったのか……ということは、実はいまいちよく分かっていないのですが、おそらく彼らの憂さ晴らしの標的としてたまたま自分が選ばれただけなのだと思っていました。
そういう不幸な偶然というのは誰しも巡り巡ってくるものですし、実際ボクが“イジメ”を受ける前からも標的となっていた人たちは大勢いて、その時はボクもみんなと同じ一人の傍観者でした。
まさか自分がそうなるとは夢にも思いませんでしたが、きっかけもとても些細なことでした。
普段から他人の悪口を言っては悦に浸っているハイエナ連中に、ある日いつも一緒にいる仲の良い友達のことをトイレで揶揄われました。
ボクはその時……ただ苦笑いを浮かべることしかできませんでした。
無論腹立たしい気持ちはありました。ですが、その場で感情任せに反抗して彼らを敵に回したら後々厄介なことになりそうだという思いが先行したのです。
……しかし、彼らはボクのその反応がなぜか気に食わなかったらしく、その翌日からボクは“イジメ”の標的となりました。
お得意の陰口を皮切りに、不自然に持ち物が紛失したり、一旦席を離れて戻ってきてみたら財布の中のお金が少し無くなっていたりなど……よくある話ですが、行為は日に日にエスカレートしていき、終いには学校裏でカツアゲされ、堂々とお金を強奪されるようになりました。
彼らは、まるでオモチャを買ってもらった子供のように、“ボク”という新しいサンドバッグの誕生を喜んでいるようでした。
エスカレートしたのは、ボクが彼らに対して何も言わなかったからだと今は思います。
ボクは彼らに、それらの“イジメ”行為について特に何も言いませんでした。
口で言っても無駄だということは、これまでの彼らの行動を傍から見ていれば十分に確信を得る根拠になるからです。
常日頃から頻繁に問題を起こしている彼らは、よく大人に呼び出されてこっ酷く叱られていました。時には大人であろう人物が同伴している光景も見たことがありました。
しかし……誰に何を言われ、無理矢理頭を押さえつけるような怒号を浴びせられたところで、その大人たちが背を向けた途端大きく舌を出してせせら笑う――。
彼らには、まるで耳というものがありませんでした。
ボクは、これまでずっと、その光景の一部始終を傍から見てきました。
誰かが傷付き、犠牲になる姿を見てきました。
それでもボクは……言葉を発しない“空気”の一部として風景に溶け込んだままでした。
……だからなんだとも思いました。ボクがこうしてイジメられたのは。
“あの時、あの子にこんな言葉をかけていれば”――。“あの時、あの子に手を差し伸べていたら”――。
“そうすれば……もしかしたら、あの子を助けられたのではないか”。
…………。
本当に今更ではありますが、イジメられて初めてそんな後悔の念に駆られました。
そうして苦悩している自分を、ボクは心底気持ち悪いと思いました。
平時は無知で凡庸な村人を演じているにも拘らず、いざ自分が主役として舞台に立たされた途端同情の念が湧き上がる――これほどまでに自己愛に溺れた偽善者だったのか、と。
けれど、ボクといつも一緒にいる友達は、決してボクみたいな人間ではありませんでした。
“ボクがイジメられている”という事実が段々と周囲に視覚化され始めてきた頃、その友達は何度も心配の声をかけてきてくれました。
なんて優しい人なんだと思いました。
村人を装うなり空気のベールを纏って風景の一部に混ざり込むなりして、かつてボクがそうしてきたように、ナリを潜めることなど造作もないはずでした。
だがしかし、その友達はわざわざボクと同じ舞台まで上がってきてくれました。さらには、ボクと同じ役を務めようとまでしてくれました。
あぁ、なんて優しいんだ……と。
こんなボクでも、こんな良い友達に巡り会えることができるんだ、と新鮮な驚きがありました。
――でも。
その何物にも代え難い優しさに、ボクは抱き締めて甘えるわけでもなく……。
手を伸ばして掴むわけでもなく……。
いつでも、薄ら笑いを浮かべることがせいぜいでした。
そして、その何物にも代え難い優しさが、“ボク”という人間をさらに嫌いなものにさせました。
“飛び降り自殺”――という言葉を最初に知ったのは、確か学校の道徳の授業で“いのちの大切さ”について学んだ時だったような気がします。
テレビのニュースなどで時折、自分と似通った年頃の学生がそうしているのを見たこともありました。
あの時は確かに他人事でしたが、ふとテレビから視線を外して自分の細い手首を見た時、『いつか自分もああなるんじゃないのかな……』ということは薄々感じていました。
ボクが高台にやって来たのは、いよいよ夜が更けた頃でした。
高台は、普段はあまり人気のない山の中腹にあり、その友達と自転車で訪れてはよく遊んでいた場所でもありました。
その日は自転車を使わず、徒歩で訪れました。
せめて最期ぐらいは、ゆっくりと人生を歩きたいと思ったからです。
お腹は随分と満たされていました。
最後の晩餐……と言うほどそんなに良いものではありませんが、とにかく最後に食べた母親の手料理は“魚の照り焼き”でした。ボクの大好物、というわけではありません。
ですが、これ以上ないぐらい美味しかった。人生における最高の一時でした。
――高台には、“立入禁止”の意味を込めたであろう柵があります。
その先に、ボクの住んでいる街を一望できる素晴らしい景観と、翼を持たないボクたちには悍ましい世界があります。
死ぬことを決意し、遺書まで書いて来てみたものの、いざ柵を越えて現世と冥界の狭間に立った時は、さすがに足が竦みました。
――いや、これは見て見ぬ振りをし続けてきたボクに対する神様からの罰なんだ。きっとそうなんだ。そうであるに違いない。
そうして何か別の人に責任転嫁しようとする自分にも吐き気がしました。
だから、ボクはイジメられたんだとも思いました。
ですが後悔はありませんでした。
むしろ当時は、そこまで来ることのできた自分の勇気に褒誉さえしていました。
「――――ッ!」
呼吸を整え。
境界線をほんの一歩踏み越えるだけで――。――あとは本当に……とても楽なものでした。
いつの意識か定かではありませんが、何気ない一歩でも、それを踏み出すことがどれだけ難しいことなのかを、ボクは知りました。
……これは、あとから知ったことなのですが、ボクを最初に見つけたのは彼女だったようです。
両親がボクの不在に気付き、心配して連絡したことでやって来たのか……。
それとも、何か胸騒ぎでもしてやって来てくれたのか……。
いぜれにせよ、本当に優しい人でした……。