私の日記
このシミ、全然きれいにならない。むしろこすればこするほど大きくなっていくような気がする。この白くて四角いスポンジを、もう何個黒く潰しているのだろう。
この十畳ほどの診療室の床は、毎日こすっても一向にきれいにならない。私も純粋に掃除しようとして始めたものの、なんだかこの作業が私の癖になりつつあって暇があれば床を磨いている。さすがに腰にきて、伸びをしていると午前十一時。もうそろそろ金丸さんが着く頃だ。
「ビーーーッ…ビィ」
入り口のチャイムをいい加減取り替えなければ。最近品のない雀のような鳴き方をする。
「さよちゃん、きたでえ」
「金丸さん、おはようございます。昨日の夜はえらい冷えましたねえ。」
この年になって「さよちゃん」と呼ぶ人なんて、この金丸さんくらいだ。今更、やめてくださいなんて言えないし、金丸さんなら別にいいと思っている。
「うぅん。もう年取ったらあかん。なんでも。新聞とってくれやあ。」
金丸さんは今年で数え九十六歳だ。体が横に大きくて、きっと若い頃は関取みたいに頼もしかったろうと思う。電動車椅子を巧みに操り、この整骨院まで週二日通ってきている。
「はい、ここ置いときますね。」
「はい、ありがとお。」
金丸さんの新聞は絶対スポーツ新聞。これは絶対。
私は、足を空気で圧縮する装置を金丸さんの足に装着しながら、
「金丸さん、お孫さん、今日家きてはんの?」
「孫ぉ?ええ、もうさよちゃんそんな年かいな。」
失礼な、私はまだ四十二だ。いくらんでも孫はないだろう。でもいいのだ。こんな調子で金丸さんと私の会話はいつもどこかで噛み合わないが、それでもいい。それがいい。ちょっとくらい私が変なこと言っても、金丸さんは気づかずにトンチンカンな返事をするんじゃないかと思う。
「金丸さん、今日は鍼しますか?」
「えぇ?」
「はーーりーー」
「ああ、今日はええわ。」
四十二歳、独身、整骨院経営
この肩書、人様には堂々と言えたものではないが(特に独身の部分)、自分では今の生活に満足している。親から引き継いだこの小さな整骨院で、長年の患者さんを診ているのは私にとって穏やかな毎日だし、苦に思うこともない。結婚して、夫と子供と暮らすということに憧れ、努力したことも過去あった。だがある日、何故、いずれ一緒に住んで生活をする相手を探すのに、普段の自分の生活感をひた隠し、着飾って出会いの場に行かねばならんのだ、と思い一切そういった場所に行くのを止めた。今となっては、そういう願望もかなり薄れて、自分の生活を維持していくことだけに満足している。親は残念がり、なにかと心配していたが、それも四十を過ぎたらぱたりとなくなった。その点、一つ上の姉は割り切っているものだ。建築学科を院まで進みそのまま建築事務所に長年勤務している姉は、とんでもない頑固者で神経質なタイプである。二つ下の妹は昔から根っからの末っ子で、世渡り上手である。子供が好きで、短大を卒業した後幼稚園に五年勤めたのち、商社勤めの男と結婚した。今では二児の母である。スバラシイ。両親も三人娘がいて、まさか末娘が最初に嫁ぐとは思っていなかったであろう。
整骨院の患者は、高齢のおじい、おばあがほとんどである。昔から私は高齢者と話すことは苦でなかった。たまに、グサリと来ることもある。患者さんが少しめんどくさそうに、でも嬉しそうに孫の話をするのを聞いていると、それと同じことが自分の両親にしてやれなかったことに娘としての恥ずかしさを感じる。
私は毎日ではないが気の向いた時だけ、書いている日記のようなものがある。夜寝付けない時、日曜日の午前中テレビが何にもない時、煮物に落とし蓋をして味が染みるのを待っている時、私は何の変哲もない大学ノートを開き、えんぴつで書くのだ。書く内容は、いつも小学校くらいの出来事を書く。
12月2日 くもり
今日はピアノに行くのに、くもっている。自転車を漕ぐのに寒いからお母さんがこれ着けていきって、耳当てとかマフラーとか私にいっぱいつけた。私はマフラーがプーさんやのに、耳当てがスーパーで買ったウサギの絵が書いてるやつで、なんか合ってないやん、と思ったけどそのまま出かけた。
ピアノの先生はいつも私の弾きたいって言った曲を教えてくれるし、私が失敗して黙ってても怒ったりせえへんから好き。でもその日は、足の指が霜焼けでものすごい痒くて、うまくペダルが踏まれへんかった。私は、先生にバレへんように右足で左足を掻いたりしてたけど、先生が、
「今日、大丈夫ですか?」
って優しく言ったから私はすごい恥ずかしくなって早く帰りたいと思った。帰る時、先生の前でちぐはぐなマフラーと耳当てをするのも恥ずかしかった。家帰ったら、先生に
「今日、大丈夫ですか?」
って言われたのは全部お母さんのせいやと思った。でも、寒かったやろおって、こたつにくるまってるお母さんを見たら恥ずかしかったことはちょっと忘れた。
12月14日 はれ
今日は学校の図書館に『はだしのゲン』を借りに行った。図書館にはほとんど誰もいない。私はマンガの棚のところに誰もいないのを確認すると、こっそり『はだしのゲン5』を抜いた。私はこのマンガを読んでるところを誰かに見られたくないなあと思う。『はだしのゲン』を読んでることは別に悪いことじゃないと思うけど、ウジ虫が出てくるとことか、友達にさよちゃんこんなん読んでるんやって思われんのが恥ずかしいなと思った。でも、わざわざ隠れてこのマンガを読んでる私もなんか嫌やなと思う。でもいつもどっかの巻が借りられてる。私と一緒でこっそり読んでる人がおるんやろうか。その人が、いっつもアホなことしてきてうっとうしい男子とかやったら、意外やなあと思った。
12月23日 はれ
ななみたちとはちょっと前まですごい仲良しで、学校でもいつも一緒やった。やけど、体育のバスケの試合の時、私ななみの足踏んでもうて、すぐにごめんって言ったけど聞こえてへんかったみたい。その後ずっと話しかけても、ななみと周りの子には無視されてる。私は、休み時間いつもやったらななみたちと外に遊びに行くのに、自分だけ教室で座ってるのをみんなに見られんのがものすごい嫌やったし、恥ずかしかった。でも、他にどうしたら良いんか分からんからずうっと、教室におった。
違う日に、次の時間音楽やからピアニカもってみんなで教室から音楽室に移動する時、私だけ担任の平山先生に呼ばれた。私だけ呼ばれてみんなこっち見たから、私はピアニカが入ってるバッグをギュッっとにぎった。そのピアニカのバッグは一年生の時お母さんが作ってくれたバッグやけど、持ち手のところが短すぎ。ちょっと長めで持つ時肩からかけるのがかっこええのに、こんなに短かったら手でぶら下げて持つしかない。無性にこたつにくるまってるお母さんに会いたくなった。平山先生は、
「最近、休み時間外で遊ばんの?」
と私に聞いた。私はなにも言えずに、ピアニカの持ち手ばっかり見てた。平山先生は長いこと私の前に座っていっぱい質問してたけど、私は一つの質問にしか答えなかった。
「だれに嫌なことされてんの?」
「ななみたち。」
でも、答えた後にこんなん言ったら、ななみたちが怒られるんかな、ってそればっかり考えて、そんなこと考えている私ってなんか嫌やなって思った。
その日帰ったら、お母さんが二階の部屋においでって呼んでいる。私はそこでギクっとして、なんかお母さんにバレたんちゃうか、と思った。
「さよ、最近、公園遊びに行かへんなあ。」
「うん。」
「なんか、学校で辛いことあったん?」
私は、そこで初めて悲しくなって自分は嫌やと感じてたんやと気づいて涙がいっぱい出た。同時に仲良しやったななみたちにそんなことをされているのが、お母さんに知られるのがとても恥ずかしいと思った。でも、先に泣いたら、お母さんには全部話さなあかんと思って、話した。お母さんは私が話している最中、そおかあ、と何度も言って、ちょっと泣いていた。でも私はお母さんが泣いているのは、見ないようにしてあげた。最後に平山先生には言わんといてや、と念を押すと、
「うん、言わへん。」
とだけお母さんは言った。
いつから、いつからそんな恥ずかしいと思うことがなくなっただろう。幼い頃の恥ずかしいと感じた出来事だけを私が鮮明に覚えているだけなのだろうか。でもいつしか、恥ずかしいと思っていることが恥ずかしい、と思うようになった。私の穏やかな日常に、過度な羞恥心は邪魔なだけだった。意図してそれを排除しようとしているわけではなかったが、いつしか「恥ずかしい」という本能に近い感情を押し隠していたのかもしれない。
今となっては、日記に書いている幼い頃の記憶は私にとって、ただの記憶の一部になっているが、当時は恥ずかしい思いをするのがなにより嫌だったし、なるべく避けて過ごしてきた。
でも、最近思う。「恥ずかしい」と思うことで、私の喜怒哀楽その他もろもろの感情の起伏が激しくなるのではないかと思う。恥ずかしいと思うと、反射的にその感情の原因を隠そうとしたり無くそうとしたりするが、それも全部取り込んでしまえればいいと思う。
「ピピピッピピピッ」
十五分たって、金丸さんの電気治療が終わる。
「金丸さーん、電気外しますよー。」
「…フゴっっ」
金丸さんはこの電気治療でいつも居眠りする。十五分だけなのだが、いつもいびきまでかいている。金丸さんを見ていると、年寄りが眠れなくなるなんてのは嘘だと思ってしまう。
鍼治療も既に終わっているので、金丸さんはうつ伏せから起き上がり、ずらしているズボンとオムツをせっせと直す。私も手伝う。金丸さんはたくましい。オムツを履いていたって、阪神が勝ったときには元気よくスポーツ新聞をバッサバッサするし、シャツのボタンを掛け違えていても、その大きな体で大きないびきをかく。恥ずかしいなんて感情は乗り越えていて、我が道をゆくと言う感じだ。私もそうなりたい。私の穏やかな生活の中で、気付かぬ間に失われている感情を取り戻したい。そして、なんのそのと、えんやこらと乗り越えて行けるようになりたい。
私は、日記に幼い頃の事ばかり書くのはやめようと思った。今。今のことを書けばいいではないか。悔しかったこと。どうにもならなくて諦めたこと。他人には隠しておきたいこと。両親に思うこと。恥ずかしいと思ったこと!
所詮日記、されど日記なのだ。私が私のために吐き出してまた吸収する。私は今の日常が表面上変わらないとしても、明日から日記を書くのがとても楽しみになった。
1月4日はれ
いい加減本当に入り口のチャイムを変えなくては。もう死にかけの雀だ。
今日は金丸さんが、私のことを「かよ」と呼んだ。
それは、妹です!!