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負け組

作者: 舞茸

 俺には親友がいる。そして俺はその親友のことが大嫌いだ。だが俺は未だに何食わぬ顔をしてそいつと付き合いを続けている。ただ単に関係を壊すのが疲れるからだ。俺がそのくらいには嘘つきで卑怯なやつなのはわかっている。


 秋山は高校時代からの同級生で、同じラグビー部の仲間だった。その頃から俺は万事中途半端で、あいつは凄いやつだった。ラグビーにしても、俺は平凡なプレイヤーで、あいつは県選抜のエースだった。高校を卒業して俺は指定校推薦で都内の私大に入った。俺の学力にしては分不相応な大学だったが、コツコツ成績を稼ぐみたいなことは得意だったのが幸いした。秋山は別の大学からラグビーの推薦オファーが来ていたので、ここで俺と秋山の人生は分岐するはずだった。みんな秋山はラグビーの強豪校であるその大学に行くと思っていた。俺は自分の大学と秋山の大学の学力を比較して、内心ほくそ笑んでいたが、あいつは部活を引退してから自力で勉強して俺と同じ大学の法学部に入学した。俺より偏差値の高い学部だった。


「よう」


「うっす」


 毎週月曜日、大学の二時限目が終わると、俺と秋山は自然と校舎一階のラウンジに集合し、キャンパス近くのファミレスに向かう。なぜこんな習慣ができてしまったのか。どちらからともなく言い出して、毎週の恒例になっていた。ファミレスに向かう道すがら秋山の姿を見ていつも思う。全身ユニクロのオヤジくさいコーデ、気の使わない髪型、若干猫背で歩く癖、なまじスタイルがいいだけに、見ているとなんとなくイライラする。


「ああー、どうやったらモテるんだろうな、クソ」


 ファミレスに入っても、飯を待つ間、秋山はそんなことばかり言ってメロンソーダのグラスをストローで掻き回している。


「モテない訳ないだろ、ラグビー部のレギュラーで、勉強も出来てさ」


 俺はそんな秋山の態度を見るたび不快感と嗜虐心の入り混じった気持ちになってウズウズしながらも、適当なことを言って秋山をおだててやる。すると秋山は、


「中途半端にスポーツなんかできてもモテないんだって。どうせ女は俺みたいな根暗が一番嫌いなんだから」


 などと卑屈な笑みを浮かべて毎度聞いたようなことを言う。まったくこんなウジウジした性格のやつが全国屈指のラガーマンだなんて信じられない。こんな性格なら友達も少なそうなものだが、SNSを見る限り、秋山は周りから嫌われているわけではなく、それどころかむしろいつも人の輪の中心にいる。どうやらラグビーの実力者のくせに自虐キャラというのが、周囲には新鮮に見えて、みんな秋山を構いたくなるらしい。それに秋山の場合、持ち前の卑屈さはあながち弱点というだけではなかった。


「そんなにモテないんなら服装とか気使ってみれば? それだけで大分違うだろ」


 俺はいじっていたスマホを脇に置き、秋山にそう言ってやった。もちろん、こんなことは何回も秋山に言っている。その度に秋山はどこか嬉しそうにしながら、


「いや意味ないって、やった上でモテないんだから。この間だってさあ……」


 と新しく仕入れた自分の失敗談を面白おかしく語り始める。秋山は性格上、自分の自虐エピソードで人を笑わせるのが嬉しくて仕方がないらしかった。自分の弱みを受け入れてくれるようで嬉しいのだろうか。そういう見え透いた部分を見ると、可愛げのあるヤツだと思うときもある。秋山の話は一度聞いたことがあったがよくできたエピソードなので、初めて聞いたふりをして笑ってやった。そのあと女への愚痴、女にモテる男への愚痴、世の中への愚痴、と秋山の講談は続く。俺はくだらないと思いつつも黙ってそれを聞いてやる。そうして一通りの流れが終わると、毎度秋山はテーブルにコップを強く置き、


「見てろよ、そのうち世の中に俺の凄さを分からせてやる」


 と目をギラギラさせながら負け組ぶって呟くのだ。俺はそんな秋山の姿を見るたびに興ざめした気分になり、さっさと流れを別の話に切り替えるのだった。


「授業長引いちゃった」


 遅れてきた三人目が、到着するなり無造作に上着を脱いで俺の横の席に座り、あたりに一瞬甘い香りが漂った。俺は椎名のために席を少し詰めてやった。到着した椎名が一つ息をつくと、秋山がそこからわずかに視線を逸らす。女と向き合うと途端にいつもの調子が出なくなる。俺はそんな秋山の情けない姿を見るのが好きだった。


 椎名は俺や秋山と同じ高校の出身で、俺と同じ経済学部の生徒だった。大学では同じ高校の出身者が少ないこともあり、高三の時俺と同じクラスだった縁から、気づくと月曜日に集まるメンバーの中に入っていた。


「聞いてよ、さっき授業でさあ……」


 だいたい三人になると、中心になって話すのは椎名だった。そしてたいてい聞き役になるのは俺だった。椎名のとりとめのない話が続く間、秋山は話を聞くともなくどこか斜めの方を向いていて、時々思い出したように話に茶々を入れる。椎名は人に対して壁がないので、自然に楽しげなリアクションをする。場がふわっと盛り上がり、にやにやしながらまた秋山は少し斜めを向く。また椎名が話し始めて俺が聞く。たまに秋山の方に話題が向くが、秋山はすぐに卑屈なことや冗談を言って会話にオチをつけるので、そのときは盛り上がるが話自体はあまり転がらない。結局また椎名と俺が話すのが中心になり、秋山はまた澄ました顔をして斜めを向く。俺にはそんな秋山の心の臆病さが手に取るようにわかる。


「じゃ俺、そろそろ授業だから行くわ」


「おう」


「またね」


 いつも店から一番先に出るのは秋山だった。経済学部の俺と椎名は、昼休みのあとが空きコマなのだが、秋山は三限に刑法の授業があるのだった。秋山がいなくなると椎名はそれまで秋山が座っていた俺の正面の席に座り直す。今までの態度がどこか弛緩し、テーブルにだらんともたれかかって、コップについた水滴を見つめだす。リラックスしている証拠なのだろうと俺は思う。椎名は一つ溜息をついて言う。


「あー、進路どうすべきかな」


 またその話か、と思いながらも俺は、「教師って言ってなかった?」と聞いてやる。


「そのつもりだったんだけど、別に私子ども好きじゃないしさ。本気で教員目指してる子と争って勝てる気もしないし。やっぱ普通に就職すべきなのかな……」


 未だ三年生の秋だというのに、もう俺たちには就職活動の時期が迫っていた。


「佐藤はどうすんの?」


椎名は上目遣いで俺に聞いてくる。俺はすでに決まった答えを繰り返す。


「大学職員目指しつつ、適当にいろんな企業受けるよ」


「そっか、親大学職員だもんね」


「うん。まあ安定してるし受かったら文句ないだろ」俺は自分の話を適当に切り上げて、椎名に話を振った。「椎名は普通に就職って、どこ受けるつもりなの?」


「それはまあ、わかんないけど」


 椎名は遠い目をして会話を途切れさせた。俺はしばらく何も言わずに放っておいた。そうして椎名はしばらく沈黙したあと、努めてなんでもなさそうに口を開いた。


「秋山君は凄いよね。ラグビーも頑張ってるし、将来の夢もあるし。私らとは大違いだよ」


 俺は少し嫌な気分になったが、それを顔には出さなかった。そしてその不快感を覆い隠すため、あえてその話題に乗ってやった。


「まああいつは例外だよ。あんだけラグビーもやりながら司法試験も受けるなんて、並みの人間じゃできない」


 秋山は大学卒業後、法科大学院に進学して弁護士を目指す予定らしかった。椎名は俺の言葉を聞くと、ますます肩を落として深く溜息をついた。最近ずっとこの調子だった。大方誰かに慰めて欲しいのだろう。俺は少し微笑んで椎名の肩を叩いた。


「あいつが特殊なだけだよ。俺たちも俺たちなりに頑張ってるし、胸張っていいはずだろ」


「そうだよね」


「そうだよ」


「私たち普通だよね」


「普通だよ」


「秋山君みたいな人の方が特殊なんだもんね」


「そう」


 俺が根拠もなく断言してやると、椎名は安心したように溜息をつき、


「私たち仲間だね」と俺に下から笑いかけた。


 それから二か月ほどした頃には、俺と椎名は自然と二人きりで会うことが多くなっていた。一緒にご飯を食べに行ったり、目的もなく公園を散歩したり、好きな映画を見に行ったりした。一回だけ家に泊まったこともあったが、椎名は次の日の朝、何事もなかったようにケロッとしていた。


 それでも相変わらず三人での会合は続いていた。椎名がファミレスに来るまでの間、秋山は相変わらず俺に自虐を披露し続けた。秋山が女に関するアドバイスを求めてくるので、俺は色々教えてやった。どうせ秋山にはアドバイスを受け入れるつもりなどないことは知っていたが、あの秋山に上から物を教えるというのはそれなりに気分がよかった。アドバイスにかこつけてそれとなく女性遍歴をほのめかすのも、悪い気分ではなかった。秋山は頻りに俺の話やアドバイスに感心し、それを噛みしめて悔しがり、「今に見てろ」を始めた。だいたいそのあとで椎名が遅れてファミレスにやってくる。だが俺は秋山のいるところで椎名との話はしなかったし、椎名も俺の話はしなかった。


 冬になるとラグビーの大会が始まり、校内新聞の一面に秋山の写真とその大会での活躍が載った。司法試験を目指して勉学に力を入れていることも記事には取り上げられていた。


 その時期になっても俺たちは毎週集まっていた。変わったことといえば、秋山の「今に見てろ」が「今に大会で優勝してやるから見てろ」と具体的な目標に変化したことぐらいだった。相変わらず秋山は俺から女の話を聞きたがり、それをわざわざ噛みしめて自分から打ちひしがれ、怒りのエネルギーに転換する作業を繰り返していた。そうして溜め込んだパワーを爆発させて秋山は大会で得点を重ね続け、全国優勝の目標に近づき、さらには睡眠時間を削って法律の勉強にも打ち込み続けた。


 その間、俺は何をしていた? ぼちぼち就活して、最小限の努力で単位を取って、たまに友達と遊んで女とも寝た。椎名も似たようなものだった。二人でいるときにはお互い異性と寝た話も普通にした。


 ファミレスに集まったあと、秋山が一番に授業で抜ける。すると椎名は溜息をついて、きまっていなくなった秋山の話をした。俺は不快に思いながらも、その話に相槌を打ってやった。そうして散々秋山を称えて溜息をついたあと、最後に「私たち仲間だね」の恒例行事で椎名の話は終わる。とはいえその頃には椎名も教師を目指す方針を固めたらしく、本格的に採用試験の勉強へとりかかっていた。


 十二月のはじめ頃、いつもの通り秋山とファミレスで向かい合うと、秋山はいつになく落ち込んだ様子だった。そして落ち込んでいるだけでなく、どこか様子がおかしかった。妙に沈黙を恐れていて、まるで俺が喋りだすのを怖がっているような感じがした。


「聞いてくれよ。また女に振られてさあ……」


 秋山はこちらが質問してもいないのに、勝手に具体的なエピソードを話しだす。内容は一回デートしただけの女をホテルに誘ったら連絡が途絶えたという偽悪的なものだったが、秋山がこのことで落ち込んでいるわけではないことは明らかだった。だが俺は具体的なことを秋山に聞かなかった。そしてその日、椎名は来なかった。


 その週の土曜日、ショッピングモール内にある映画館へ、椎名と約束していたアクション映画を見に行った。映画を見たあと外に出ると、街路樹がクリスマス前仕様にライトアップされていた。寒かったので缶コーヒーを買って、ベンチに座って二人でイルミネーションを眺めた。その日一日なんとなく沈んでいてよそよそしかったので予想はしていたのだが、そこで椎名は一つ白い息を吐いて言った。


「秋山君に告白したんだ」


「そっか、どうだった?」


「断られた」


 それを聞いて、俺はしばらく黙った。コーヒーを一口飲んだ。今こそ言うべきことを言い出すときではないか。秋山なんて追いかけても不幸になるだけだ。あいつは特殊なんだよ。その点俺たちは分かり合える仲間だろ。だから……


「ありがとね。今日は楽しかった」


 だが俺が口を開きかけたのと同時に、椎名は何かを打ち消すように立ち上がった。


「私、教員試験頑張るよ」椎名はそう言ってニコッと笑った。


 そのあとまた他愛の無いことを話して、駅で別れた。俺は家の近くの小さな公園までとぼとぼ歩いてきて立ち止まり、なんとなくスマホを取り出して自分でもよく分からないまま秋山に連絡していた。十五分後、秋山はラグビーボールを持って公園にやってきた。


「久しぶりにパスでもするか」


 そんなことを言って無邪気に笑っている秋山が憎かった。俺はその問いかけには答えずにまっすぐ秋山へ歩み寄った。秋山は一瞬驚いた顔をし、そのあとで真面目な顔になった。俺は秋山と向かい合ってしばらく発すべき言葉を探した。だが結局それは見つからず、ただ憎さだけが募った。俺は右手の拳を握り、秋山の顔を殴った。秋山は顔を押さえて地面に這いつくばった。そんな秋山の様子を見て、さらに俺の中で怒りが沸き上がった。


「なんで今避けなかったんだよ。避けれただろ」


 秋山は答えなかった。さっき秋山が一瞬俺の拳をよけようとして止めたのが、俺にははっきりわかっていた。こいつの考えることなんて何でもわかる。恥ずかしくなるくらい幼稚で、見え透いていて醜い。やり返せば俺なんてボコボコにできるのにこいつはそれをやろうとしない。


「またそうやって負け組ぶるのかよ。殴られた屈辱でオナニーするのかよ。お前は本当に卑怯者だ。全部持ってるくせに、何も持ってないみたいな顔しやがって……本当は俺のことずっと馬鹿にしてるってはっきり言ってみろよ」


 秋山は何も答えなかった。俺は言ってしまったあとで自分の感情をどうすればいいかわからなくなり、秋山を置いて公園から走り去った。秋山は追ってこなかった。下宿のそばの小川沿いの道は、人通りも少なく真っ暗だった。俺は小さな橋の欄干に突っ伏して興奮する心を落ち着かせた。こんなに自己嫌悪に駆られたのは人生で初めての経験だった。


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