『私』
ありがたい事に続きを読んでみたいとのお声を頂いたので、短編版を膨らませた+他者視点などをちょいちょいと更新していきたい所存。
がったんごっとんと舌を噛みそうな馬車の中、私は溜息を吐きます。お母様は私が溜息を吐くと辛気臭いと仰って、脇腹を擽りにきたものです。私はいつも、その内に何だか楽しくなってけらけらと笑って……。
ああいけませんね、もう戻れない日々を懐かしむのはいけないことではありませんが、今に限っては超前向き思考の私といえど悲しくなってきてしまいます。
私はこの揺れが止まった時、大貴族の当主の妾となっているのですから。
少なくない金銭と引き換えに私を売った父には禿げる呪いを掛けておきましたが、後ろ向きな思考はこの辺りで打ち止めにしておくべきでしょう。
思い返せば、転機はお母様の死だったように思います。
父はまあ、天性の屑でしたが、お母様だけがその手綱を握れていました。我が家はお母様を中心に回っていたのです。父は私や弟を愛してはいませんでしたが、お母様の事は大好きで。
我が家の心温まる一例を挙げてみましょうか。私はそれはそれは賢い子供だったので、父のへそくりを見つけに見つけ、お母様から『へそくり狩人』の異名を戴いたりもしたものです。父は母の手前私を怒れず、いい気味でした!
……あれ?もしや父はそれらを根に持ってこんな仕打ちを?可愛らしい悪戯みたいなものだと割り切って欲しかったです、みみっちいですね。
ごほん!まあとにかく、なのでお母様が亡くなった時の嘆きようは凄まじいものでした。
それこそ、わんわん泣きじゃくっていた私と弟が驚いて泣き止むくらい。
そして、そう、そこから我が家は絵に描いたような転落っぷりを見せました。
それまでも父はお母様の目を盗んで、ちょくちょく家のお金を着服してはお母様に締め上げられていたのですが、お母様が亡くなると大っぴらに使い込むようになりました。
父は主に賭博場で散財していまして……え?何故知っているのかですか?それは勿論、私の冴えた閃きで変装して尾行したのです!ふふん!
……ただ今でも解せないのが、賭博場の入口で止められたのですよね。変装は完璧だった筈なのに。「ガキはもう寝る時間だろ?帰んな」って。私は口紅、弟はつけ髭で乗り込んだのですが、何がいけなかったのやら。きっとあの番人は並外れた洞察力の持ち主ですね。只者ではないでしょう。
何故話は脱線してしまうのでしょう……。
ともかく、当然お金は使えば無くなるので……父は私に目を付けました。跡取りたる弟と違い、婚約者もまだ決まっておらず、売ったらすぐに大金に化ける私を。
全く我が父ながらお馬鹿ですよね、ちょっと頭が弱いですがそれを差し引いて余りある可愛さを持つ娘、つまり私の事ですが、普通は手放しませんよ?
因みに、我が国では人身売買は中々重たい罪になります。それ故に妾なのでしょうが……大貴族で、わざわざうちのような木っ端貴族相手に、お金を払ってまで妾が欲しいって嫌な予感しかしませんよ?
私、どうなるんですかね?
件の大貴族様のお屋敷に到着すると、私の少ない荷物をどさどさ降ろして馬車はさっさと道を引き返して行きました。
……うちにもまだ馬車を用意するだけの余裕があったんだーなんて思っていましたが、御者は知らない人でしたし多分あれ、借り物ですね。そんなに必死に見栄を張らなくても……と父の涙ぐましい努力に同情、はこれっぽっちも覚えませんが。父ならば見栄を張るのを諦めた時点で、恥など無く迎えを寄越せとのたまうでしょうし、そうしたら先方に申し訳なさ過ぎるのでこれで良かったのでしょう……。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは家令のセバスと申します」
「あ、わ、私はアンジュと申します!よろしくお願いします!」
はわー……大貴族だと家令なんているのですね!背筋がぴしっと伸びた素敵なおじ様ですよ!
セバスさんはにこりと微笑むと何かを言いかけ……そして私は妖精と出逢いました。
「貴女が旦那様の新しい……」
ふわふわでありながら艶やかな月光を紡いだような銀髪、しかしその美しい髪ですら、その顔を引き立てるものでしかありません。荒れの一つも見られない陶器のような肌は触り心地を確かめたくなる程柔らかそうで、深窓のお姫様みたい。薔薇色の頬、すっと通った小ぶりな鼻、可憐な唇は淡く色付いて。形の良い眉の下にはけぶるような銀色の睫毛に囲まれた、少し潤んだ青玉の如き瞳が私を射抜き、如実に感情を伝えます。すなわち『気に入らない』と……って、え?私、何か粗相をしでかしてしまったのでしょうか?この妖精さんにはまだ何も……はっ!?まさかこの心の中のやや気色の悪い感想を口に出してしまった……!?
ええい仕切り直し、仕切り直しです!
「旦那様?ええと、貴女様は……」
「この家の当主の、妻ですわ」
なるほど、どうやら私の心の声を傍受した訳ではなく、『妾』の存在が気に入らなかったのですね。ふう!一安心!
……ん?妻?
「お、奥様でしたか!」
こんな美しい奥様がいらっしゃるのに妾を買ったのですか!?大貴族の考える事ってつくづく意味が分かりません……!
「奥様……。ふ、ふん。そうだけれど何か文句でも?」
奥様、少し嬉しそうです。突然の可愛いの暴力に、私は白目を剥きそうになるのをぐっと堪えて奥様の顔を凝視しました。
駄目です、思いの丈を吐き出さねば爆発してしまう……!や、優しい表現にしてこの喜びを発信せねば!
「いえ、私が思い描いていた妖精さんが実体化したのかと思いました!こんなに美しい方と同じお屋敷に住めるって凄いです!」
少し早口になってしまいましたが、叫んでもいないし声も震えていないし、満点な回答だったのでは!?
しかし奥様はぽかんとなさった後、溜息をついてしまいました。
な、何故……。
「……気が削がれましたわ」
踵を返す奥様。私はなんとはなしに呟きました。
「何ですか、あの妖精さんの如き佳人は……」
「そう思われますか」
うっひゃあ!
あ、セバスさんいらしたのですね。あまりに気配が無いのでもういらっしゃらないかと。
「はい!あんな方が奥様とは、私は当分の運を使い果たしましたね!」
「アンジュ様」
おっと、熱い想いが漏れてしまいましたかね?
内心焦った私とは裏腹に、セバスさんは何だか悲しそうに微笑みます。
「シャルロッテ様と、どうか……仲良くしてください」
「シャルロッテ様?」
「奥様の事ですよ」
「勿論ですとも!」
こうして、旦那様をそっちのけに、私は奥様と仲良くなろうと奮闘し始めたのです。
次回は奥様視点になります。