ハラスメント・ハラスメント ~仲の良かった幼馴染が、最近俺のことをハラスメント扱いしてくるんだが~
「行ってきまーす」
間延びした挨拶を親に放り投げ、家を出る。風は少し強いが、暖かくて春の陽気が心地よい。平和で穏やかな朝だ。
「ゆーくん、おはようー!」
そう、この少女さえ門のすぐ外で待っていなければ。
桜田舞。トレードマークは少し赤みがかったポニーテール。見た目だけは大変可愛らしい俺の幼馴染は、毎朝我が家の前で俺を待ち構えているのだ。無駄なあがきと知りつつ、早足で隣をすり抜けようと試みる。
「あー、無視したー! ねえ、ゆーくん、おはようは?」
俺よりも歩幅が狭い舞は、半ば小走りになりながらも俺に追いついてくる。制服の袖を握ってくる舞を振り払う訳にもいかず、俺はため息をついてペースを舞に合わせた。
「おはよ」
「おはよー! もう、あいさつはちゃんと返さないとダメなんだからね! そーいうの、モラハラって言うんだよ」
「いや、ちょっと違うだろ」
俺の何が気にくわないのか分からないが、この幼馴染は俺に対して、ことあるごとにハラスメント認定をしてくるのだ。そのうち「生きているだけでハラスメントだから!」とか言い出しかねない。
「もう、ゆーくんたら、また寝癖立ってるし、ネクタイも曲がってるし。そうやって不潔な見た目で外を歩くなんて、酷いハラスメントだよ!」
彼女は俺の後ろに回り込み、髪を撫でつけたりネクタイを整えたりしている。
「それは何ハラ……?」
「うーん? 不潔ハラスメントで、ふけハラ?」
もちろん舞の造語である。こんな感じで一日10個くらいのペースで新たなハラスメントを定義してゆくのが、舞という少女なのだった。
「これでよーし、さっきよりは見られるようになったぞ!」
俺の寝癖をやっつけた舞が満足げな笑みを浮かべている。
「身だしなみっていうけどさ」
前々から思っていたことを訊ねてみる。
「俺みたいな見た目のやつが、身だしなみに気を遣ったってしょうがなくない? 涼みたいなイケメンならともかく」
「えっ? 涼って、うちのりょーくん?」
舞は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。これでも絵になるんだから、美人ってずるいよな、と少し思う。
「ないないない。あのバカ兄貴がイケメンって、何の冗談?」
「いやいやいや。あいつ、女子からの人気すげえんだぞ。見た目だけじゃなくて中身まで爽やかなイケメンだからな」
「うわぁ、みんな見る目なさすぎでは? もっといい人いるって、絶対」
「まあ、妹だからこそ、兄のかっこよさとか見えないもんなのかもな」
俺、涼、舞の幼馴染3人組は、同じ高校に通っている。俺と涼が同級生で、舞が一つ下の学年だ。せっかく同じ学校なのに、3人で一緒に学校に行くことは滅多にない。バスケ部に所属している涼は毎日朝練があるからだ。
「まあ、あたし的にはそっちのが都合良いんだけどね」
「都合? 何が……?」
「っていうかさ!」
俺の疑問を遮るように、舞の口調が突然強くなる。
「『あいつは』って何かな? 見た目は良いのに中身が良くない人とか、心当たりがあったりするのかなぁ?」
舞が下から俺の目を覗き込んでくる。身体が近い。何かのはずみで触れてしまいそうだ。ほんのり甘い匂いがして、少しドキリとした。
「えっ? いやー、何を言ってるか分からないなー」
「ふーん? そー?」
俺の瞳をしばらくじっと見つめた後、少女はふっと笑った。
「まあ、いいや。そういうことにしといてあげようじゃないか」
「ははー、有り難き幸せ」
「で、何の話だっけ? イケメンじゃないから見た目に気を遣ってもしょーがないじゃんって話?」
「あ、うん、そう」
追及をやめて、すっと身体を離す舞。少しだけ残念な気分になる。
「あのね、ゆーくん!」
「はい」
「まあ、仮にゆーくんがかっこ良くなかったとしよっか。そしたら普通に考えてさ、余計頑張らないといけないくない? 見た目に気を遣わないブサイクが、気を遣うイケメンに勝てるわけがなくない?」
「うぐっ……」
ぐさりと、胸に何かの刺さる音が聞こえた。
「……って言っても、あんまりイケメンになられすぎても困っちゃうかぁ。ハラスメントにならない程度の清潔さがあれば良いよ!」
そういって彼女は破顔する。これはもはやフォローなのかどうかすらよく分からない。昔は仲良しだったのに、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
「ねえ、舞ってやっぱ俺のこと嫌い?」
「はぁ? 何言ってんの?」
機嫌良さそうだった声音が、急に冷たくなった。大げさに頭を振りながら、舞はこれみよがしにため息をついた。
「そーゆーこと言うんだぁ。あーもう嫌だ嫌だ、ゆーくんたら、モラハラ彼氏だぁ」
「モラハラって……いや、それ他人に聞かれたらまじで問題になるやつなんだが」
「うるさいなぁ。じゃあ、ゆーくんが普通の彼氏だぁ」
「いや、そもそも彼氏じゃねぇよ」
そんな馬鹿な会話を交しながら、今日も2人通学路を歩いた。
昇降口で一旦舞と別れ、靴を履きかえる。それから合流した舞は、手に一通の封筒を持っていた。
「聞いて下さい悠先輩、またラブレター・ハラスメントですよ」
「だから、何にでも『ハラスメント』つけんのやめろよ。勇気出して書いた人がさすがに可哀想だろ」
舞は一応後輩なので、学校では敬語を使ってくる。少しよそよそしい響きに感じてしまうが、仕方ない。
「そんな勇気、いらないですよ。だってどーせ喋ったこともない先輩とかですよ? 受けるわけないじゃないですかぁ。毎回持って帰って読まずにシュレッダーに突っ込まなきゃいけない私の身にもなれって話ですよね」
読まないんかい。せめて読むだけでもしてやれよ。
「でもさ、もしかしたらそれ書いたの、舞の好きな人かも知れないだろ?」
「いやぁ、それはないんですよー、残念ながら」
「そっかー『残念ながら』かぁ」
「……悠先輩、何にやついてるんですか? ニヤけハラスメントですか?」
「いや、好きな人いるんだなって思って」
「あっ、えっ? ちょ、ちょっと、何でそうなんの? 何か証拠でもあん……ですか?」
舞の頬が一気に朱に染まった。動揺の余り、珍しくタメ口がまざってしまっているし、取り落としたラブレターを踏みつけていることにすら気づいていないようだ。名も知らぬ差出人さんのために、俺は神に祈ってやることにした。
「だってさ、好きな人いなかったら、『いませんよ、好きな人なんて』って言いそうじゃん。『残念ながら』ってことは、もらえたら嬉しい人がいるってことかなって思って」
「そ、それは確かに、一理ありますね……でもでも、それは間接証拠というか? 証拠として弱いんじゃないですか? 嫌疑不十分の不起訴処分じゃないですか? 『疑わしきは被告人の利益に』じゃないですか?」
「あーうん、俺も断定はできないなって思ってた」
「ですよね? そうですよね?」
俺の言葉を聞いて、舞の顔がぱぁっと明るくなる。目の輝きがいつもより数段眩しい。
「ただ、今の態度で確信したけどね」
「あ……あうっ……」
今度は舞の表情が急に固まった。口をパクパクさせて、声にならない声を絞り出そうとしている。こんな風に表情の豊かな舞を見ると、可愛いらしさが際だって感じられる。彼女に落とせない相手なんて、果たしてどこにいるんだろうか。
「もうっ! 悠先輩のバカ! ラブハラスメントっ! スクールハラスメントっ!」
叫ぶように捨て台詞を残し、脱兎の如く逃げる舞。それを微笑ましく眺めていると、ぽんと肩に手が置かれた。
振り返ると、にっこりと微笑む担任。
「ちょっと生徒指導室で話をしようか」
舞の捨てゼリフを聞きつけた担任によって、ホームルームが始まるまでの時間みっちり事情聴取されることになったのだった。
「ていうかさ、舞ってクラスに友だちいないの?」
昼休み、俺の机で一緒に弁当箱を広げながら、気になっていたことを聞いてみる。舞が作ってきてくれる弁当は、いつも涙が出そうなほど美味しい。
「余計なお世話です。パーソナルハラスメントです」
「お、おう、そうか……」
軽く口を尖らせる舞。機嫌を損ねてしまったらしい。
「それとも何ですか? 悠先輩は私が来て、嬉しくないんですか?」
「いや、そ、それはもちろん嬉しいよ! お弁当美味しいし!」
「お弁当だけなんですね、嬉しいの……そっか、そうだよね、お弁当がなければ、私なんて――」
「違う! そうじゃなくて! 今のはその……ちょっと照れただけで」
しょんぼりと肩を落とす舞が見ていられなくて、慌てて言葉を付け足す。
「もちろん、毎日舞が来てくれて、話ができるのも、その……嬉しいよ」
「そ、そうですか……」
照れくさくて顔から火が出そうだ。最後の方は小声になってしまったが、舞はしっかり聞き取ってくれたらしい。
「わ、私も……悠先輩とお話するの、楽しいです」
「おう……」
舞もほのかに赤らんだ顔で、もじもじしながら俯いて言う。上目遣いっぽくこちらを見つめる少女の艶やかさは、見慣れた幼馴染とは別人のようで、思わず息を呑む。
「痛っ」
突然、頬に何かが当たった感触があった。勉強していた誰かのシャー芯が、たまたま折れて飛んでしまったようた。一緒に消しカスが飛んできたのも、たまたまだろう。
なんとなく気まずくて、黙々と弁当を食べる。卵焼き美味ぇ……じゃなかった、先輩としてこのいたたまれない空気を変えなければ。えーっと、話題、話題……
「あ、そういえば、今朝な」
「――忘れて下さい」
「えっ?」
「今日の朝は、何もありませんでした。良いですね?」
「あ、はい」
再び訪れた沈黙。コンビーフのサラダ美味ぇ……じゃなくて、好きな人のことを詮索したのは、いささかデリカシーに欠けていたのかも知れない。いかに幼馴染といえど、秘密にしておきたいことくらいはあるだろう。小学生の頃ならいざ知らず、高校生にもなればなおさらだ。
よし、これ以上詮索はしないことにしよう。顔だけめちゃくちゃ可愛いのに中身は気難しくて、だけど本当は優しくて繊細な、年下の幼馴染の恋路にエールだけ送ってやればいい。
「頑張れよ」
プライバシーに配慮して、舞の耳元に口を寄せて小声で囁く。
「お前なら誰だって落とせるさ。応援してる」
「えっ?」
驚かせるつもりはなかったのだが、舞は動揺したのか箸を取り落としてしまった。机の上に横たわる2本の箸を拾うでもなく、何やら張り詰めたような面持ちでじっと見つめている。しばらくして、彼女はふぅ、と大きくため息をついた。
「ゆーくんって、ほんと、どんハラだよね」
「どんハラ? 何ハラスメント?」
「知らない」
「いや、知らないってなんだよ」
「だからそういうとこだって」
もう一度大きく嘆息した幼馴染は、呆れたように口を開く。
「ドン引きするほどハラスメント、の略ってことにしておきます」
「お、おう……ごめんな」
「別に良いですよ。悠先輩がそういう人って知ってますから。ごちそうさまでした」
それだけ言うと舞は、食べ終わったお弁当箱を片付けて教室から出て行ってしまった。
残された俺は、結局何にドン引きされたのか分からず、首を傾げるのだった。
* * *
校門のソメイヨシノが、艶やかな緑色に征服されていました。昨日見たときに残っていた最後の一輪は、今日のうちに散ってしまったようです。
生い茂る新緑をぼんやりと眺めていると、校舎の方からゆーくんが歩いてきました。ゆーくんは私の彼氏です――ごめんなさい嘘です見栄張りました。今はまだ、ただの幼馴染です。
「あ、ゆーくん、こんなところで奇遇だね! 一緒に帰ろ!」
「奇遇って明らかに待ち伏せしてたじゃねえか」
「違うもん。この世の無常について思いを馳せてたところにゆーくんが来たんだもん」
こんなやりとりを交わしてから、並んで歩き始めます。私たち、いつもこうして2人で登校して、2人でお弁当食べて、2人で下校するんです。これって実質付き合ってると思うんですが、どうなんでしょう?
「あ、弁当ありがとな!」
そういってゆーくんは、私にお弁当箱を返してくれます。そういえば、昼休みに回収して帰るの忘れてました……って、あれ?
「舞何にやけてんの? にやけハラスメント?」
「それがハラスメントじゃないんだなぁ。私はにやけてても可愛いから、ハラスメントにならないんだよ!」
「それ、自分で言うなよ」
「ふーん。可愛いことは否定しないんだ?」
黙り込んでしまいました。ゆーくんは嘘が嫌いなので、都合が悪くなるとこうやって口を閉ざすんです。
「……で、なんでにやけてんの?」
「だってゆーくん、お弁当箱返しに来なかったってことは、一緒に帰るつもりだったってことでしょ? 何だかんだ言って私と帰りたかったんだー?」
「いや、それは……毎日一緒に帰るから、どうせ今日もいるだろうと思って。最悪持って帰って、家で洗って届けに行けばいいし」
うーん、言ってることには一理あります。ですが、目がきょろきょろと泳いでいるのを、私は見逃しません。これは、必死に言い訳を考えてるときのゆーくんです。まったく、ツンデレさんですね。
もごもごと言い訳を続けるゆーくんから、空になったお弁当箱を受け取りました。
「っていうか、やっぱり自分で洗って届けに行くよ。さすがに申し訳ないから……」
「大丈夫だってば! どーせ洗うのりょーくんだし!」
「……そっか、なら良いか」
本当は私が洗うのですが、それは内緒です。ゆーくんのお弁当箱を洗いながら新婚生活の妄想をしているなんて、さすがに言えません。
「ほんとにいつも、弁当ありがとな」
「えへへ、どーいたしまして! 毎日300円のカレーうどん食べるよりは、良いでしょ?」
「そりゃあな。もうあの頃には戻りたくない」
あまりに悲惨な食生活を見て、お弁当を作ってくることを提案したのは、1ヶ月程前のことでした。初めは遠慮していたゆーくんでしたが、
「こんな食生活、見てるこっちまで不健康になるんだよ! 不健康ハラスメントだよ!」
と強弁したら、受け入れてくれました。ゆーくんは優しいので、「私が見てられないの!」という体をとると、大抵のことは聞いてくれるのです。
「もう、私がいなきゃ戻れない身体になっちゃったんだね!」
そろそろ告白してくれないものでしょうか。
「いやそこまでは言ってねえよ」
「素直に認めればいいのにー」
ゆーくんはやっぱりツンデレさんです。
「ねえ、ゆーくん」
私の家の前で向かい合ったゆーくんは、夕日が逆光になっていつもよりかっこよく見えます。
別れ際に私は、ちょっと昼休みの話題を蒸し返してみることにしました。
「どんハラの意味分かった?」
「それが、全然分からなくて……」
「まあ、期待はしてなかったけどね」
それが分からないからどんハラなんですもん。
「でも、罰ゲームがいると思うの」
そう言って、私は人指し指と親指で丸を作ります。
「お、おう」
文句を言う様子もないので、丸めた指をゆーくんのおでこに近づけます。すると、ゆーくんは目を瞑りました。
周りには誰もいません。ゆーくんは無防備に目を瞑っていて、唇はちょっと背を伸ばせば届くところにあります。これは千載一遇の、セクハラのチャンスです。
私は、逡巡して、逡巡して、逡巡して……
……結局指で、ゆーくんのおでこを弾きました。ちょっと怖じ気いちゃいました。
「痛ぇ」
幼馴染はそんな私の気も知らず、能天気なうめき声をあげています。能天気ハラスメントです。うめき声ハラスメントです。
「はぁ」
ため息が出ます。ゆーくんに対してというより、勇気が出せなかった自分に対して。
だけどいつか絶対に、こっちからセクハラをしかけます。どうにかして、ゆーくんを振り向かせてみせます。だから――
「覚悟しててね、ゆーくん」
そう言う私に、ゆーくんは、困った顔で「おう」と返事をするのでした。
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