ブロッケン
(1)
宵闇に飛行機は離陸した。
太陽を追いかけながら、茜に染まる他機の巨大な飛行機雲と交差する。
私の席は、乗務員用シートと対座する位置にあった。
下界は薄暗かったが、上昇して雲の上に出ると、まだ昼間の明るさがあった。
窓の外には穏やかな雲海が下に見え、巨大なオブジェのような積乱雲が聳える。
3ヶ月の北海道での出張を終え、ようやく帰ることができるの で身も心も緩んで
いた。
窓から下を見ると雲の上にブロッケンが見える。
ブロッケンとは、太陽の光が背後からさしこみ、影の側にある雲や霧に光が散乱
され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる現象のことだ。
ドイツのハルツ山脈にあるブロッケン山では、年に一回魔女が集まって魔女の饗
宴をする山と言われていて『ブロッケンの妖怪』として有名になった。
世界各国の山岳地帯で見られ、聖人の光背や仏などの後光はこのブロッケンでは
ないかと言われている。
もしかすると、山岳信仰はこの虹の輪の中の自分の影を、神と信じた素朴な人々
から始まったのかもしれない。
飛行機に何万回乗る人がいても、ブロッケンを見られる奴なんてそうはいない、
何故なら大抵寝ているからだ。
その光の輪っかの中に、ミニチュアのような飛行機の影が映っている。
急いでシャッターを切っていると、飲み物を配っていたキャビンアテンダントが
言った。
「うわぁ!めずらしいですね。ブロッケンなんて」
「そうですね、私も空から見たのは初めてです」
と言ってコーヒーを受け取る。
しばらくうたた寝をしていると、着陸のためにシートベルトを締めるようアナウ
ンスが流れた。
対座する乗務員用シートにキャビンアテンダントが座った。
見ると、先ほど声を掛けてくれた彼女だ。
(悪くないな)
そう思っていると、彼女の方から話しかけてきた。
「私、初めて見ました。何年か飛行機に乗っていたのに初めて。先輩から、たまに
見えることがあるけど、そういう人は稀だって聞いていました」
「きっと運がいいんですよ、あなたも私も。もし宜しければ、写真送りましょうか
?」
「うわぁ、嬉しい。いいんですか?」
すんなりと住所を聞くことが出来、なんだか不思議な気分になった。
(2)
手紙が来た。
野村朝絵と書いてあり、住所は東京都小平市と綺麗な字で書いてあった。
開封するとスミレのような甘い香りがする。
写真の礼が書いてあり、その後に友人と3人で山梨の温泉に行きたいが、良い所
があったら教えて欲しいとの内容だ。
私自身、温泉は好きで結構あちこちに行きはしたが、まだまだ網羅したと言える
程ではなかった。
本屋にいって『山梨の温泉』という本を買って来て、都会暮らしであろう彼女達
が喜びそうな場所を探す。
温泉好きには2種類あって、泉質を尊ぶ『泉質派』とロケーションこそ命だとい
う『景観派』がある。
両方備わればそれにこしたことはないが、そういう所はなかなかない。
若い女性3人ということ、そして都会に暮らしていることを考慮すれば、やはり
ロケーション重視だろうと勝手に決めつけ、そういう場所を3カ所ほど見繕って、
駅からのバスの順路や、タクシーを使った場合のおおよその料金を書いて封筒に入
れ、のり付けして封を閉じようとした瞬間、ふと手が止まった。
「休日がうまく合えば、私が運転手になりましょうか?」
と付け加えた。
602ccの29馬力しかないエンジンを目一杯ブン回して、シトロエン2CVは
苦しそうに急坂を登っていく。
屋根のキャンバスを開けた空には、椎や楓の紅葉が濃いブルーに映えて美しい。
その温泉は山の天辺にあり、単純泉ではあるが、そのあまりの開放的な光景で人
気があった。
ただ、あまりにも開放的すぎるため、過去にトラブルが何回かあり、そのため温
泉には珍しく女性はバスオルを巻いてもよいことになっていた。
けれども問題がひとつある、混浴なのだ。
混浴は、女性だと嫌がるかなとも思ったのだけど、それでもなお、ここは紹介せ
ずにおかない魅力的な温泉だった。
彼女達が入っている間、車で寝ていようと決めた。
「え、入らないんですか?」
「はあ、私、車で寝てますからゆっくり浸かってきてください」
「いいじゃないですか、私達バスタオルを巻いていますから」
まだ親しくもなっていない女性3人といきなり混浴というのは、いくら図々しい
私でも物怖じしてしまう。
願望として(何か展開があればいいな)という気持ちがあったのは確かなのだ
が、まさか本当にこういう事になるとは考えていなかったし、一緒に入るなど思っ
てもみなかった 。
そう思って辞退するのだが、彼女達にしてみれば(自分たちのために車まで出さ
せて)という想いがあるのだろう、なかなか引かない。
「それではご一緒させてもらいます」
なんだか謝っているような不思議な気分で脱衣場に入った。
平日だったせいか貸し切り状態で、普段はそんなに広いとは思われない湯船が妙
に広く感じる。
そういえば数年前の冬、入ろうと思ったら若い夫婦が先に入っていて、小一時間
震えながら外で待っていたことを思い出す。
彼女たちが楽しそうにおしゃべりをしているところから近くもなく遠くもない距
離で私は固まっていた。
「こっちに来ませんか」
朝絵が声をかけてきた。
固定していた視線をようやく動かし三人を見た。
朝絵は美しかった。
首筋から肩へのなだらかな曲線と、象牙色の肌は、周りの緑と調和して私の呼吸
を止めさせるのに十分だった。
(3)
再び手紙が来た。
素晴らしい温泉で友人二人も堪能したこと、おいしい食事御馳走様ということ、
案内までしてもらって感激したということ。
綺麗な女性三人に囲まれて頭がのぼせていたのかもしれない。
富士五湖を巡り、富士山の五合目まで連れて行き、温泉を出てからは名物のほう
とうのうまい店でご馳走し、土産物屋で地元ワインの高いやつを一本づつ持たせ、
宿泊する旅館まで送っていった。
結構な出費ではあったが「のぼせ」が麻酔がわりになっていたのか痛みは感じな
かった。
なんだか不思議だった。
一、二枚写真を送っただけなのにこの展開はなんだ、と。
手紙の最後に「無理に一緒に入らせてしまって、窮屈な思いをさせてごめんなさ
い」とあり、『モンゴル天空の歌声』と書かれたチケットが同封されていた。
タコメーターの針はレッドゾーンまでもう少しという位置をブルブルと上下して
いた。
500ccの古いオフロードバイクは、高速道路を走るようには出来ていない。
スピードはそれなりに出るが振動がひどすぎる。
彼女に会えると思うと、もう少しパワーに余裕のあるバイクだったら良かった
な、と思わずにはいられなかった。
ベルスタッフのツーリングジャケットとオフロードブーツに、ARAIのジェット
型のヘルメットを脇に抱える私と、ドレープのある白いワンピースにハイヒールの
朝絵。
どう見ても『美女と野獣」いや野獣ならまだいい、ピエロだ。
しかし、キャビンアテンダント姿の彼女とも、温泉に来たときのジーンズ姿の彼
女とも違う、社会の中での自分を知っている彼女は、着たきり雀でよしとするいつ
までたっても子供の私との対比を明確にして羞恥心を催させる。
私は電車やバスが嫌いだった。
渋滞で動けなくなる車も。
だからコンサートに誘われてもやはりバイクを引っ張り出したのだった。
ホーミーとよばれるその唱法にはびっくりさせられた。
浪花節のような地声と共鳴させた高音の響き(宇宙人と交信するとしたら、きっ
とこれだ)そう思わずにはいられない。
ふと横を見ると彼女は食い入るようにステージに集中している。
少しつき出た上唇を可愛いと思った。
食事が終わってコーヒーカップを持ったまま、今日の区切りを何時つけようかと
考える。
二人きりのせいか、この間よりずっと会話そのものが近づいた気がした。
「送って行きましょうか?」
思い切って言ってみる。
てっきり東京出身だと思っていたのだが、新潟生まれだと言う。
まったく訛りはなかった。考えてみれば仕事が仕事なのだから、訛りはなくて当
たり前だろう。
学生時代に、ダンスでインターハイに出場したこと(インター ハイにダンスがあ
るとは知らなかった)や、皆既日蝕の追っかけをしていることなど、私の知らない
世界を色々見ていた。
「バイクだけどいい?」
「うん、乗る乗る」
彼女にヘルメットを冠らせたかったが、それだとノーヘルの私が目に着いてしま
うので、背をかがめているように朝絵に注意してキックを踏みおろした。
もう一つヘルメットを持って来ればよかったとは思うが、そもそもこうなるとは
全く思ってもみなかったのだ。
今までも女性と付き合ったことはあったが、こんなになんの抵抗もなく進展した
ことはなかったし、朝絵はそれまでの女性たちとは何か違う感じがした。その違い
が何なのかはその時の私には分からなかった。
彼女の胸の膨らみを背中に感じながら「寒くない?」と、エンジンの音に負けな
いように大声で聞くと「すっごくいい気持ち」と風に負けない声で朝絵は答える。
途中、信号で止まった時に運悪く交番警官の乗った小さなバイクが後ろについ
た。
「おい、ヘルメット被らなきゃ駄目じゃないか!」
(やばい)と思った瞬間、信号は青に変った。
(125ccじゃ追いつけっこないさ、白バイでなくて良かった)
不遜な私はアクセルを思い切り開けた。
嬉しかった。もしこのバイクに羽が付いていたのなら、このまま天に上昇して行
きたいくらいに。
頭の中では『ダッタン人の踊り』のフレーズがが何度も何度も中毒患者のように
リフレインしていた。
(4)
山梨に来たのは仕事の都合だ。
調布にあった会社は貸しビルで、くたびれてはいたがそれでも月に数百万はかか
ったらしい。
近くにある取引先の銀行の支店長に、山梨だったら土地代も安いし社屋を建てた
らどうか、と、声をかけられ、うちの社長はまんまと話に乗せられた。いや、話に
乗せられたのは支店長の方だったかもしれない。うちはそんなに儲かっている会社
ではなかったのだから。
東京でなければ嫌だという数人が辞め、会社は山梨に移った。
私はどこでもよかった、アマゾンでもネパールでも、どんな所でも良かった。
それは積極的な意味ではなく、どこか諦観に似たものだったのかもしれない。
住み慣れると山梨は良い所だった。
山は近く、そう、山が近いのが私の願望を満たすだろうと思っていたのだ。ずっ
と登山をやっていたから。
この環境に慣れたためか、たまに東京に出ると、その雑踏に目眩がしそうにな
る。
私は二十八歳になった。
朝絵は国内線に乗務している。
休みの予定をあらかじめ教えてくれたので、どこに行って何をするかを考えるの
が私の役目になっていた。
コンサートのあったあの日、朝絵を後ろに乗せて彼女のマンションの前でエンジ
ンを止めた時、朝絵は言った。
「今からバイクで高速を走るのは大変でしょう?よかったら泊まっていきません
か?」
4歳年下の朝絵は、見掛けよりもずっと大人に見え、絶えず私の思考の数歩前を
行く。おたおたと狼狽している自分が情けない。
玉川上水の、ケヤキの枝がさしかかるように建っているそのマンションは、大き
くはないが品があって可愛らしかった。
収入も悪くはないのだろう、大学に入るという時に、母親がたまには自分が来て
世話をするからと2LDKを借りてくれたという。
私の住む6畳一間のアパートとは月とスッポンだ。
私の仲間は皆、汚く狭いアパートに住んでいた。なかには3畳というのもあっ
た。
そこにイーゼルと絵の具が散らばり、キャンバスに占領されていない少しの空間
が彼の寝床だった。
そして、いつもテレピン油の匂いがしたのを思い出す。
幾ら何でもと思い辞退すると「じゃあお茶だけでも」と言われ「それじゃお茶だ
け」と、自分に確認するかのように言うと部屋に入った。
若い女の子の部屋に有りがちな、色の反乱はそこには無く、グレーとベージュで
品良く纏められていて、シンプルに置かれた調度品も嫌みがなく、すっきりと溶け
込んでいる。
朝絵はマイセンのカップに紅茶を入れると「お茶飲んだらお風呂に入れば」と言
う。
部屋に入ってから彼女の言葉から他人が消えた。
(ええっ!)なんだかズルズルと引きずられているような気がした。
「いや、これ飲んだら帰るよ」
「だってもう遅いし、明日の朝早く出れば会社間に合うでしょ?」
たしかにそうだ、9時に会社に着くためなら6時に出れば十分間に合う。
でもそういうことではなかった。
何故だか自分の方が子供であるような、つまらぬプライドが訳の分からない抵抗
をさせる。けれども心の底では負けたがっている自分もいて(どうなっても知らな
いぞ)などと無責任な方向へ舵を切りたがっている心が見える。
風呂に浸かりながら彼女が何を思っているのか考えて見たが、そういう自分を小
さく感じる。
風呂からあがるとテーブルに向かって本を読む彼女の後ろ姿があった。
その後ろ姿を見たとき、何かが弾けた。
私は彼女の肩を包むように抱きながら腕をクロスさせると、ふたつのふくらみを両
手で覆い隠した。彼女の白い手は、私の手の甲をギュっと押さえて腕に体重をあず
けてきた。
鼻から血が吹き出した、裏拳が見えなかった。
もう五人も相手をしている。
下段蹴りを何発ももらって足がいうことをきかない。
うちの流派の昇段試合は、壁の前に立ち、下がれない状況で十人と組手をする。
首から下は当て有りで顔面は寸止めということになってはいるが、誤って入ってし
まうのは日常茶飯事だ。
3級から始まって黒帯までの十人と組手をして、そこそこ戦えれば黒帯をもらえる
が、私は帯の色など、どうでもよかった。
ただ身体を動かしたかった。
青春は登山だったが、仲間が次々と逝き、もうこれ以上仲間の死を見たくないと山
から足を洗った。
しかし酷使していた身体を遊ばせていると、なんとも落ち着かずに電話帳でこの道
場を探したのだった。
「テクニックは見せるもんじゃない!」
師範の怒号のような叱咤が飛ぶ。
基本通りに身体を動かそうとしていたからだ。基本は重要だが、乱取りになったら
自由に身体が動かせなければならない。
「相手はこの流派と同じ技で来るとは限らないんだ、その瞬間にその場、その時に
どんぴしゃりの動きが出来なければ、それは死を意味する」
師範はよくそう言った。
「テクニックを見せるということは相手に鎧を着せることだ、鎧を着せてはいけな
い、油断させなくてはいけない、心は構えても身体は構えてはいけない、テクニッ
クを見せたらおしまいだ」
今時、こんな物騒で実戦的なことを言う道場主はめずらしい。
大人には『健康のため美容のため』と、子供には『礼儀作法と逞しい身体、いじ
められない強い意志をつくるため』とでもコマーシャルしたほうが道場生は増える
のに、と、プレハブで出来た掘建て小屋のような道場の天井のシミを見て思った。
茶帯をなんとか凌いで、黒帯にかわったとたん、いい突きを水月に
もらって、口から胃液を吐きながら床の上にカブトムシの幼虫のように丸くなっ
た。
(5)
「どうしたの喧嘩?」
ヘルメットの下の痣を見て、朝絵は驚いて言った。
空手のことは話していない。
師範は「武道をやっているなどと自慢げに言うやつほど弱い奴だ。死ぬまで黙っ
ているものだ、刀は常日頃よく研いでおいて一生鞘から抜かないのが本当の名人達
人というものだ」としょっちゅう言っていた。
そしてどうしても抜かざるを得ない状況になったら「躊躇なく切れ」とも。
朝絵のために買って来たヘルメットは思ったより大きかった。
万が一のことを考えてフルフェイスにしたのだが、両手で回すとかぶったまま半
分ほど回ってしまう、回しながら彼女は「ブカブカだよ」と言ってシールドの中で
嬉しそうに笑った。
青梅街道から飯能を抜けて堂平天文台を目指す。
朝絵と付き合いはじめて半年が経とうとしていた。
天気はいい、秋の風は少し冷たくはあるが、背中にある彼女の体温が私を暖めて
くれる。
天文台は変っていなかった。
芝生に並んで座りながら、朝絵の作ってきてくれたサンドイッチを黙々とほおば
っている。
「私、モンゴルに行くんだ」
沈黙を怖がるように朝絵は言った。
「モンゴル?」
「うん、数年後だけどね、皆既日食を見に」
「モンゴルって国を知っておきたかったから音楽も聞いて
おこうと思ったの」
「あのコンサートはそれだったのか」
「前に両親と一緒に行ったインドで初めて見たの、太陽が月に
隠れるとコロナだけが見えて、ダイヤモンドリングって言う
んだけど、それは例えようのない感動で涙が出ちゃった」
「日食かぁ.......」
日食よりもモンゴルの草原や、あの喉歌ホーミーの方に興味があった。
あれを草原の風に吹かれながら、コンサートで見た馬頭琴というチェロの元祖み
たいなやつの伴奏で聞いたらいいだろうなと。
宮沢湖を周って早い夕食を食べ帰路についた。
朝絵は少し疲れたのか、私の背にもたれかかってきたので、ハンドルを握る腕に
その重みがかかった。
後ろからなにやら爆音が聞こえてくる。
バックミラーを覗く...........暴走族だ。
脳裏に数年前の事件が思い起こされた。
恋人同士の乗った車を暴走族が取り囲み、男は十数人に暴行をうけて重傷を負い、
女は男の目の前で陵辱され、数ヶ月あと自殺した。
私はハンドルを切ると脇道にすべりこんだ。
バックミラーを覗くと、暴走族の集団は何も無かったかのように街道をひた走っ
て行く。
胸を撫で下ろした瞬間、グォーという集合管のけたたましい音が聞こえた。
2台が群れから離れて向かって来る。
一瞬にして血の気が引いた。
「しっかり掴まってろ!」
怒鳴るとアクセルを開ける。
この道は細く、どこへつながるのかも分からない、メーターの針は100kmを
越えようとしていた。
バックミラーでチラチラ確認する、2人、後ろのやつは棒のような物を持って
いる。
追いつかれたらだめだ、並走しながらこちらのバイクの前輪にあの棒を突っ込
む気だ。その瞬間にバイクもろともふっ飛ばされる。
道はなんだか狭くなってきている、スピードのための錯覚ではない。
族のバイクは4気筒400ccのようだ、排気量ではこちらの方が大きいが、パ
ワーでは向こうの方が断然上回る。
ジワジワと距離が縮まる。
夕暮れのぼんやりした風景に白い直線が視界を横切る。
それがコンクリートで出来た護岸だと分かるのに数秒かかった。
川、行き止まり........脇道を探す.....無い。
ブレーキをかけ後輪をすべらせ180度向きを変えてバイクを止めた。
族は20mの距離をとって止め、降りて走って来る。
「逃げろ!」
朝絵は恐怖のためか私から離れようとしない。
「逃げるんだ、邪魔になる!」
そう言って突き飛ばした。
(6)
朝絵はようやく私から離れると力なく走り始めた。
背が高く、ジーンズをはいて縦縞の大リーグのシャツを着た痩せた男と、頭を昔
流行ったGIカットのように角刈りにして真っ赤なトレーナーを着たがっしりした
男。
二人は二手に分かれて、GIカットは私の方に、大リーグは朝絵を追う。
二人して私にかかってくると思っていた。
(俺はなんて間抜けだ、彼女の足では逃げ切れない)
私に向かって走って来たGIカットは口を奇妙に歪めると、手にした鉄パイプを私
の頭に振りおろした。
(動け俺の身体!)
叱咤のような祈りのような声が頭の中を閃光のように走った。
左斜め前に身体をすべらせ鉄パイプをよけるとGIカットの側面に体当たりをし
た。
倒れたGIカットから鉄パイプをもぎ取り川へ投げる。
奴は興奮と屈辱で顔を真っ赤にしながら立ち上がると回し蹴りを放ってきた。
前進しながら左外腕刀で蹴りを受け、もう一度体当たりを見舞った。
片足だったGIは凄い勢いですっ飛んだ。
怒りと泣き顔の混ざった顔をしながら起き上がると、無茶苦茶に顔面を突いてく
る。右腕で突きを受け流し、そのまま右手刀を右膝を抜重しながら相手の頸動脈に
叩き込んだ。
頸動脈に強い力を加えると落ちる(失神する)ことはセオリーとして知ってはい
たが、危険すぎて試合でも使うことは許されていない。
GIカットはもう起きてこなかった。
「朝絵!!」
川の周りの畑の中に農家が使っているらしい納屋があった。
(あそこだ)私はわき上がる怒りとともに走った。
大リーグは朝絵にのしかかりブルゾンを脱がすとブラウスを引き裂いていた。
奴は走って来る私に気づくと立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
大リーグはニヤリと笑い、バタフライナイフをポケットから出すと、シャリシャ
リ回しながら近づいて来る。
私は後ずさって奴を小屋から出した。
(やるしかない!やるしかないが、俺が刺されたら朝絵はどうなる?)
「刃物を持った相手に素手で立ち向かおうなんざ馬鹿のすることだ」師範がよく言
っていた言葉が頭に浮かぶ。
納屋の外に錆びた自転車が立てかけてあるのが目に入った、それを掴むと頭の上
まで差し上げて大リーグに投げつけた。
奴は「アッ!」と言って自転車を受けながら倒れた。
「刃物を持った相手には両手でないと防げないものを投げる」これも師範の言葉
だ。
間髪入れずに全体重かけて奴の膝を踏みつけてナイフを蹴った。
膝をやられると立って追いかけることが出来なくなるし、こちらにとっても必用
以上に相手に危害を加えなくてすむからだ。
けれども私は頭に血が昇っていた。
(こんなやつらに、こんなやつらに)
朝絵を陵辱されそうになったことが理性を吹っ飛ばした。
反攻のしにくい頭側に立つと膝を抱えて呻いているその顔面の上に膝を落とそう
とした。
寝ている状態の顔面を攻撃することは、立っている時と違い衝撃を逃がすことが
出来ないので文字通り必殺だ。
(殺人者、人殺し)という声が頭に浮かび、かろうじて思いとどまった。
族のバイクからキーを抜き川に投げると、泣いている朝絵にブルゾンを着せ、街
道を暴走族と反対の方向へと走らせた。
朝絵はまだヘルメットの中で泣いていた。
無言のままアクセルを開ける。
エンジンのルルルルルというリズミカルな音だけが二人の重い沈黙を救ってい
た。
出張が入った。
「どこ行くの?」
「和歌山」
「何するの?」
そういえばあまり仕事の事を話したことがないのに気づいた。
「ある町の民族資料館にレリーフを作っているんだ」
ホールの壁面に竪穴住居跡をコンクリートで作っている。
今回はそれに着色をする予定だった。
「何時帰ってくるの?」
「終わったら」
近頃の朝絵は疑問符のつく言葉が多くなった。
そしてそれにひとつひとつ説明するのが億劫になっている自分がいる。
ロングのワンボックスにコンプレッサーやガン、養生ビニールや塗料やシンナー
の缶を満載して高速道路をひた走る。
スピードなんて出やしない。でも嫌いではなかった、トム.スコットやキース.ジ
ャレットのテープをひたすら繰り返して聞きながら脱力した格好で運転していると
あれこれ考え事が浮かんでくる。
仕事のこと、朝絵のこと、将来のこと。
いつもそうだ、結論なんてありはしない、だからといって頭から外すことはもっ
と出来なかった。
仕事は順調にいった、唯一、遺構の周りの地面の色で悩んだ。
館長が「こうしたらどうだろう」と、思ったことを言ってくれたが、あまりあて
にしなかった。いつも役所には悩まされていたからだ。
前にこんなことがあった。
とある有名建築家が、ある県の小学校を設計した。そこの校庭にモニュメントを
造ることになり、デザインを何パターンか描いて役所に打ち合わせに行った。
モダンで幾何学的な設計の校舎だったので、それに合わせてシンプルな抽象形態
のデザインにした。
その若い担当者は気に入ってくれたようで、盛んに校舎とのマッチングを褒めて
くれる。
そこに課長という歳のいった、いかにもお役人という感じの人が何気なく顔を出
して来てこう言った。
「これじゃなんだか分からんじゃないか、例えばだ。男の子と女の子が並んで立っ
ていてだ、女の子は手に花を持っている、男の子は、そうさな、左手にグローブを
はめて右手は空を指差している.........そうそう、女の子の肩に鳩が停まっているっ
てのはどうだ? そして銘版には希望........夢でもいいな、字はやっぱり校長に書い
てもらわんとな」
自問自答して悦にいっていた。
その館長の助言は的を得ていた。
さすがに長年たずさわった人だと尊敬した。その部分の色は私がどう頭を悩ませ
ても分からなかったからだ。
三日間で仕事を終え、旅館で朝食をとってから帰路についた。
一人きりの運転と仕事の疲れもあってか、眠気がさしてくる。
運転しながら会社に対しての不満が頭をもたげてきた。
(徹夜してのデザイン、そしてそのまま打ち合わせに行かせる。そのうち事故が起
きるぞ。 大体、この距離を一人はないだろ、しかもワンボックスで)
突然真っ暗になりとんでもないドシャ降りになった。
ワイパーを最速にしても前が見えないので歩くような速度に落とし、ヘッドラン
プを着けた。
しばらく降り続けると雨はあがり、闇が遠ざかると目の前にグロテスクなほどぶ
っとい虹が現れた。
名神高速を運転中にすぅっと意識が飛んだ、あっ、と目を開けると中央分離帯が
目の前にあった。危ないと思いサービスエリアで仮眠をとることにする。
夢に朝絵が出てきた。
どこか知らない丘の上に立っている。回りは西日を受けて赤く、空だけが妙に
暗い。
朝絵の白い男物のダンガリーシャツは、西日のためか朱色に染まっていて、その
顔は少し悲しそうだったが、無理をして笑顔をつくろうとしていた。
(7)
携帯が鳴った。朝絵からだ。
風邪を引いて寝ているという。
「でも、こなくていいよ、うつすと悪いから」とも。
(こなくていいなら電話もしないだろう)苦笑しながら少し意地悪な気持ちになっ
て「お母さんは?」と言ってみる。
「もう歳だし、風邪をひく度に東京まで呼べないわよ」
怒ったような口ぶりだ。
残業を断り中央道を飛ばした。
朝絵とつき合い始めて3年目の秋の夕暮れ、私は30歳になっていた。
おかゆを作って食べさせると少女のようにあ~んと口を開ける。
何度かスプーンを運んだ時、私は思わず吹き出してしまった。
「なによ」と怒ったふりをした朝絵も一緒になって笑う。
額に手を当てると思ったよりも熱がある。
「医者、呼ぼうか?」
「知らないおじさんに触られるのはいや」
「知っているおじさんならいいのか?」
朝絵は少し恥ずかしそうな顔をして小さく「うん」と言った。
私はベッドにもぐり込むと朝絵の頭を強く抱いた。
「うつるよ」
「いいさ」
「風邪が治ったら俺の友達のところへコーヒーを飲みにドライブに行こう」
「ドライブって山の方?」
「いや、海の方」
その友人は荻窪で喫茶店をしていた。
私は近くに越したはずの弟のアパートを探していたのだが、なかなか見つからず
に一服しようと入ったのだった。
小さく小洒落ていて、店舗の作りを見て(良いとこのお坊ちゃんが趣味でやって
いる)と思う。
7人座れば一杯のカウンターと、6人掛けの丸テーブルだけの小さな喫茶店だっ
た。
常連ばかりで、コーヒー1杯で3時間も粘る最悪の客達だったが、それだけこの
店とマスターを愛していたとも言える。
しかしやがて経営は行き詰まり、友人は店をたたむと大手コーヒー会社に就職し
た。
けれども採算重視のそのやりかたは、コーヒーの味にこだわる彼には苦痛以外の
何ものでもなく、辞表を出すと借金をして焙煎の窯を買い、千葉に民家を借りて豆
の販売を始めた。
多趣味だった彼は、その全てを捨て去り、田畑を借り米や野菜を作り、テレビも
無いほぼ自給自足と言っていい生活を奥さんとまだ小さかった一人娘の3人で始め
たのだった。
(俺には出来ないな)
そう思いながら、朝絵を見るとすうすうと寝息をたてている。
額にうっすらと汗をかいていたので、拭いてやろうとタオルを取るためベッドから
起きようとしたが、彼女の腕が私の腕に抱きついていて離れない。
諦めて横になって天井を見ていると、色々な想念がグルグル回り、私の頭はなか
なか眠りにつこうとはしなかった。
ゴミゴミした都心を抜け、ようやく海の見える所まで来たのは気持ち良かった
が、この2cvという車は建て付けが悪くあちこちからすきま風が入ってくる。幌も
破けて小さな穴が空いていた。
おまけに暖房もあまり効いてはくれなかったが、朝絵は子供のように嬉しそうだ
った。
「いつも空から見てるだろ」
「空から見る海も素敵だけど、空からじゃこういう三角の波って見られないもの」
「波?」
世界の海に波はいくつあるのだろう。
風や大気や月の満ち欠けによって瞬間
瞬間誕生しては滅していく。
深海魚達はそれを知らずに一生を終える。
変幻自在という言葉が一番ふさわしいと思った。
変幻自在であって、そしてひとつだと。
千葉も、もうこれ以上南下出来ないところまでくると、橋を渡って川沿いを上流
に向かって遡る。
東京ではまだコートの襟を立てているというのに、目の覚めるような菜の花の黄
色が川べりに何処までも続いていて、そこには古い桜の木も延々と連なっていた。
あとふた月もすればずいぶん賑やかになることだろう。
30分程行くと川に小さな橋がかかっていた。
(ここだったな)
橋を渡って、軽自動車でなければ通れないような古い民家に挟まれた狭い道を登
る。2cvは小さい車ではあったが、軽自動車よりは車幅がある。脱輪しないかとヒ
ヤヒヤしながら通過した。
もみあげから顎まで続く髭もじゃのなかの優しい目が2匹の犬と2匹の猫とで迎
えてくれた。
高森は私より6歳年上だ。
彼も山屋であり、厳冬期の北アルプス唐松岳を6人のパーティーで一緒にやった
仲だった。
その山行は数十年ぶりの大雪に体が埋まる深さの中、長い長いラッセルを強いら
れ、体力の限りを尽くした末に撤退したが、その年の5月に二人だけで再び登り山
頂に立つことが出来た。
彼がやっていた喫茶店の名前も「やまや」だった。
娘の舞ちゃんは恥ずかしそうに高森の足にしがみついていた。
朝絵を見ると初めて会うにもかかわらず「おねえちゃんだ!」 と言って朝絵の手
を掴み家のなかに引っ張って行った。
その民家は外から見る限りはしっかりとしているが、室内は傷みが激しく、彼が
手を入れている最中だった。去年来た時もやはりどこかしら直していた。
奥さんも笑顔で向かえてくれたが、生活苦のためだろうか笑顔に陰りが見える。
「早速で悪いけど飲ませてもらえないかな」
ここに来る楽しみは彼等家族に会えるというのは勿論だが、彼が選んだ豆を、彼
が焙煎して、彼が挽いて、彼が落としてくれるコーヒーを飲むことが出来るという
ことだ。
高森はコーヒーのために家族以外のものをすべて捨て去った。
縁側の自然光の下でコーヒー豆を一粒づつ選別する。そして駄目だという豆をポ
ーンポーンと庭に捨てる。
それも半端な量ではなかった。
私は心配になって聞く。
「そんなに捨てたら採算が会わないだろう」
「いいんだよ決めたんだ、妥協しないって。 ほらこの豆、色が少し違うだろ?これ
は死んだ豆なんだ。コーヒー会社にいた時に、死んだ豆をはじこうとしたら、上司
に怒られたんだ、こんな豆でも焙煎しちまえば分からないって。利益を考えろっ
て。
嫌で嫌でしょうがなかったよ。そんときに思ったんだ、妥協しないぞって。金な
んかいらない、生きていければそれでいいって」
そう言って優しく微笑んだ。
「コーヒーの究極は深入りにある」というのが彼の長年の経験から生まれた信念
だ。
トロリとした粘度をもってそれでいて甘い。
「おいしい!こんなの飲んだことない」
朝絵が驚いた。
皆同様の反応するのを見てきたのだろう、舞ちゃんは当然だよといわんばかり
の顔で自慢げにニッコリ笑う。
夕食は畑で取れた野菜と、彼が自然農法で作った米を八分搗にして炊いた飯だ
った。
こういう生活は一見流行の先端のようにも見えるが、そういうものとは根底か
ら違った。
例えようもないが、敢えていうなら木刀と真剣の差と言ったらおおよそ指し示
しているかもしれない。
彼の優しい微笑みには何ものかと葛藤しぬいた凄みが漂っていた。
(8)
「白瀬、散歩に行かないか」
夕食のあとに高森に誘われた。
外にでると星がきれいだった。
いくら暖かい南房総最南端とはいっても2月の夜はさすがに冷える。
「遠くから来てくれたのに碌なものも出せなくてすまないな」
高森がボソリと言う。
「そんなことないさ、とてもうまかったよ」
川沿いの田んぼの脇道を歩きながらタバコに火を着けた。
「男は夢食って生きて行けるからなぁ」
何気なく口をついて出た言葉だったが、言ってから(嫌みに取られたかな)と思
った。
「ああ、でも女房と娘は現実のなかで生きているからなぁ、今は本当に崖っぷち
さ、どこかで俺のために可哀想なことをさせているのかと思うと、たまに結婚した
のは間違いだったのかと考えることもあるよ」
何かを言おうとして口をつぐんだ。
何を言っても(それは違う)という意味になりそうだったから。
(男は夢食って生きて行ける)と言いながら、俺は食う夢を持っているのかと自問
した。
耳のなかでキーンという音が聞こえるほど静かな夜だった。
10代のおわりから20代の前半、毎日暗い半地下のアパートで、私はキャンバ
スに向かって救いのない絵ばかり描いてはつぶしていた。
救いのないその絵は私そのもので、その絵と私とには薄紙1枚 の齟齬もなく、そ
れはそれで純粋ではあったけれども、今想うと精神の崩壊と引き換えの綱引きのよ
うなものだったのかもしれない。
その暗い淵を覗いていた私の心臓を揉みしだく一冊の本と出会った。
童話という形態をとってはいたが、私には古の人々が見たブロッケンの『それ』
に替わるものだった。
朝から晩まで水道の水を飲みながら読みまくった。
自ら書き出すのに時間はかからなかった。
狂ったように書いたそれは、絵と同じように私という意味で純粋だった。
(もう一度狂ってみたい)そう思う。
(あの時は生きていた)そう、生きていたのだ。私にも「食える夢」があるように
思える。
その時、ふっ、と子供の頃の光景が暖かい風のように吹いた。
どしゃ降りだった。
その斜面はすこし木は生えているが、もし落ちてその数本のどれかに引っかから
なければ、命はないかもしれない。兄と私はその狭い山道を雷鳴に追われながら走
った。
半ズボンとランニングはグッショリ濡れて重かった。
「風呂が沸いてるから早くはいんな、風邪ひくから」
母の声に兄と私は飛び込むように風呂に入る。
何故こんなに早い時刻に風呂が沸いているかなど、 考える暇もないほど身体は冷
えきっていた。
人心地つけたので、たてつけの悪くなった窓をガラガラ開けると雨上がりの清々
しい風がはいってきて、遠くの黒々とした林には霞がかかり、西日を浴びて明暗の
不思議なコントラストを見せている。
霞の中から虫たちが飛びだす。
虫たちは羽の色ごとに整列すると上昇をはじめた。
その七色の帯は途切れることなく高み高みへと飛んで行くのだった。
レンタカーのトラックを借りて来た。
車もバイクも売り払った。高森と同じように。
とにかく生きるのに必要最低限のもの以外はすべて処分したつもりだ。
それでも結構な荷物になり、シートをかぶせてロープを掛けた荷は、まるで雲を
積んでいるようだ。
アパートの鍵を不動産屋に返しエンジンをかけて走り出すと、なんだか少し生ま
れかわったような気がする。
引っ越さなくても出来るはずだし、実はその方がずっと難しく真実だったのかも
しれないが、すべてのものをボルガ川の船曳人夫達のように引きずるだけの体力は
私にはなかった。
高森の家から帰って来た頃から何かが変ったような気がする。
彼のところに行ったのは初めてではなかったのに、何故こういう気持ちになった
のだろう。
高森は、空いている民家の持ち主の所へ一緒に行って借りられるか、借りられる
なら幾らかと交渉してくれた。
持ち主は喜んで、「このまま朽ちるのを待つより住んでもらったほうが有り難い
から幾らでも良い」と言ってくれ、結局いまのアパートのほぼ半額になった。
高森の家の3分の2くらいの大きさだったが、一人で住むには十分すぎるほど広
い。
私は高森に憧れていたのかもしれない。娑婆世界を生きて行くのに最も必要でな
いものに賭けている姿に。
(9)
何でもやった。
道路工事から漁師の手伝い、食堂の皿洗い。
とにかく身体を使う仕事ならなんでも。
肉体労働を神聖なものと思う、その中からしか純粋は生まれてこないとも。
そして夜になると狂ったように書いた。
『狂った果実』という歌や小説はあったが、『狂った童話』では誰も子供に読ませ
ようとはしないだろうと一人笑った。
いや、童話はなにも子供だけの専有物ではない、表現としてのひとつの形態にす
ぎない。私の心臓を鷲掴みにした本はそういうものだった。
ある日、泥のように疲れて帰って来て玄関を開けると、上がり框にどかっと横に
なった。
食事を作る気力すらわいてこない。
扇風機を友人にやってしまったことを今になって悔やんだが、あの時はそれすら
(生きていくのに不要な物)だと思ったのだから仕方がない。
35度の炎天下の熱は、身体のなかをいつまでも対流して出て行く気配を見せな
かった。
(起きて書くんだ、くそ馬鹿!何のためにここへ来たんだ)
冷たい床の感触になかなか起きることの出来ない自分に叱咤していた時、玄関の
磨りガラスに人影が映った。
戸を開けると朝絵が青白い顔で立っていた。
台所の隣の八畳の部屋に座らせて麦茶をふたつ卓袱台に置くと、私も座る。
お互い無言のまま時間だけが過ぎた。
「暑いだろこの部屋、扇風機も無いんだ、虫が入るけど開けるね、風が涼しくなっ
てきただろうから」
朝絵は沈黙している。
雨戸を開けると気持ちの良い風が入ってきた。
沈黙が続き、いたたまれなくなった私はゴクゴクと音を立てて麦茶を飲んだ。
「なぜ黙っていなくなったの?」
外からは虫の声が聞こえる。
玄関の戸を開けて朝絵を見た時から、いや、引っ越すことを思い立った時からそ
れに対する答えを探していたが、彼女を納得させるような便利な言葉は私の狭い頭
の中のどこを探してもありはしなかった。
「高森さんに口止めしなければならないほど私のこと嫌いになったの?.......な
ぜ?」
一番正直なことを言おうと思った。
「心に決めたことが崩れていきそうだったんだ」
高森に民家を借りる相談をしたとき、「一緒に住むんだろう?」と聞かれた。
「いや一人で住む」と答えると、彼はただ一言「そうか」とうなずいた。
「黙っててくれ」と頼むと「うん」と返事はしたが、高森の性格を思うと、朝絵に
聞かれたら素直に教えるつもりだったのだろう。
そしてそれは私に対する無言の非難だったのかもしれない。
「やりたいことがあるんだ」
「それをするためには私は邪魔なの?」
「いやそうじゃない、好きだから困るんだ」
説明できない自分がもどかしい。
「何をするの?」
「笑うなよ、童話を書いてるんだ」
少しの間をおいて彼女は「だったら私、挿絵を描く!」と急に嬉しそうな表情に
なって言う。
びっくりした、何を突然と思った。
「私、今の仕事やめる、やめてあなたの書いたお話に絵をつける!」
「そんなに簡単なことじゃないよ、それに今の仕事、もったいないじゃないか、な
ぜそんな良い環境を捨てて貧乏暮らしをしたいと思うんだ」
「それはあなたが今していることと、何も変わりないと思うわ」
そう言われればその通りだ、ただ私と『それ』の対象が違うだけで。
夜が更けるまで話は続いた。
(いままで朝絵とこんなに真剣に 長い時間話したことはなかったな)
悔いのようなものを感じていた。
しかし、いくら話をしても結論らしきものは出てこなかった。
見つめている対象が違えば、その角度も違うのだから。
朝絵のために布団を敷き、私は寝袋を押入れから引っ張り出してもぐり込む。
この寝袋が私の決意の表れでもあるかのように。
横になりながらも話は終わらなかった。
お互いに天井を見ながら話していたが、疲れていたのだろう、彼女の口の回り方
が段々遅くなり言葉の輪郭がぼやけてきた。
「い.....しょ.......に」と言って静かになった。
天井から朝絵に視線を向けると、頬に涙が光っていた。
昔は囲炉裏があったのだろう黒く煤けた梁や柱に朝の白い光がさしこんだ。
「今日は景色の良いところに行こう!」
わざと元気よく言う。
外に出ようと思った、この部屋の中では息がつまる、清涼な空気の中でなら、何
かが変るかもしれないと思った。
アルバイト先に休ませてくれと電話を入れる。
「人手がなくて困っているっていうのに」
受話器の向こうの迷惑そうな顔が見えるようだった。
(10)
30分ほど国道を行くと、左に折れ、バスは蛇行しながら山道を登って行き、谷
を見下ろす県立自然公園の駐車場に着いた。
平日のためか、おそらくハイカー達の車だろう、広い駐車場には3台しか停まっ
ていなかった。
標高は500mくらいしか違わないのに下界と違う爽やかな風が吹いている。
どちらともなく歩き始めた。
(またこの話を続けなければならないのか)
重い気持ちになりながら。
「決めたんだ、今は集中したいんだ」
「その今って、いつまで続くの?」
いつまで続くのか、いや続けられるのか、それは私にも分からなかった。ただ、
一切のものを断絶してカッパドキアの修行僧のように突き詰めてみたかった。
「食べたり仕事したり好きになったり悩んだり、人並みのことはしたけれど、いつ
も自分が自分じゃなかった気がするんだ。ようやく身を捨てられるものが見つかっ
たんだ」
前は二人で歩く時、横に並んで歩いていたが、今、朝絵は私の影のように後ろを
歩いている。
「見ているとあなたはいまにも壊れそう、手助けがしたいの、ただそれだけ......」
その言葉の語尾はか細く消えてゆく。
私は無言でいた。
もうこれ以上語るべき言葉は尽きたと思った。
環境を変えれば何かが変ると今までずっと思って来た。けれども自分自信が変ら
なければ環境は変らないということが、いや、自分が変った瞬間にすべてのものが
回転していくのだとようやく気づいた。
そして一人の人間の願望すら叶えてやれない自分という船のあまりに小さなこと
も。
朝絵ももう何も言わなかった。
長い間一言もなく歩いた、目的地もないまま。目の眩むような高さの谷に架か
る、鉄製の赤いアーチ橋の上を歩いていた。
深い谷間の底には糸のような川の流れが見え、山々を重ねた遥か向こうに逆三形
の青い海が小さく見える。
私は止めどない思考をループしていた。
「ねえ、見て!」
はしゃいだような彼女の声に、はっと振り返ると、朝絵は欄干の上に立っていて
子供のように得意そうな笑顔をつくっていた。
「あっ、危ない、何をするんだ!」
「ねえみて.....」
もう一度小さく言うと、その笑顔は少しずつ悲しみの表情に変り、泣き顔にな
り、木こりが最後の斧を入れた時のようにゆっくりと谷の方向に傾いていった。
落ちるというより遠ざかって行くように見えた。
彼女のスカートがスローモーションのようにゆっくりとはためく、落ちて行く証
明の様に。
(なぜ!)
息が止まった。
どんどん小さくなり、点のような白い水しぶきだけが巨大な空間の中心を指すよ
うに見えた。
泳ぐような目で谷に降りることの出来そうな道を探す。
そんなものはありはしなかった。
急斜面の森を転げるようにくぐり抜け、急峻な崖を蜘蛛のように降りられたとし
ても、一体どれだけの時間がかかるだろう。
(間に合わない)
私は欄干に登り、そして蹴った。
耳に感じるヒューという風切り音が唯一心の救いになった。
(朝絵も今この流れる景色を見たんだ)
一滴の雨は川となり、海となり、雲となり、光のベクトルによ
って虹となり、宇宙の塵によって形成され、育成され、やがて
朽ち果て、青い海と青い空は水平線の彼方で透明に解け合う。
(11)
暗闇から目覚めると、水の中を深く深くどこまでも潜って行くような気がした。
それは母の子宮のなかで羊水に浸かっているような、不思議な懐かしさがあった。
水とはいえ、高所からの落下の衝撃は凄まじく、一瞬失神していたようだ。
急いで水面に出ようともがいたが、頭のなかの速度と現実のそれが噛み合ってい
ないようにもどかしい。
右腕に激痛が走る、動かそうとしたが動かない。
どうやら折れたらしい。落ちたときの角度が悪かったのだろう。
ただ深い淵だったことに少し希望を持てた。
(これなら生きているかもしれない)
しかし、流れは速く、浅くなるにしたがって波は渦を巻き、大小の岩に急流を叩
きつけている。
流れに足を取られて真っすぐ立っていられない。
下流を見ると、数十メートルほど先の小さな岩に白いものが引っかかっていて、
いまにも流されて行きそうに揺らいでいた。
這いつくばうような格好で、岩に当たらないように流れに乗って近づこうとする
が、一向に距離が縮まらない。
頭は半分水面から出ているが、相当岩に打ちつけられたのか、動きといえば波に
揺られて上下しているだけだ。
ようやくたどり着くと脇に左手を入れて抱きかかえ、腰まである波に逆らうよう
に引きずると、とたんに水深が深くなり流される。
そんなことを繰り返してやっとのことで岸に這いあがった。
ずいぶん水を飲んではいたが、呼吸はあった。
寝かせて横向きにし水を吐かせてから、伸ばした私の腿の上に朝絵の頭を乗せ、
冷えないように身体を抱いた。
しばらくすると目を開いて私を見た。
私の心の中を覗くかのように静かな目で見ている。
その視線に動揺しながらも、それを悟られまいと私も朝絵の目を見つめ、頭を撫
でた。
左のふくらはぎが内出血しているのか紫色をしていた。
立たせようとすると苦痛に顔をゆがめる。骨折しているようだ。
(バス道路まで登らなければ)朝絵を背負うと、傾斜の緩いところを探して登り
始めた。
右腕が利かないので「落ちないようにしがみついてろ」と言うと「うん」と小さ
く、でもどこか甘えるように頷き、ぎゅっと腕に力が入るのを感じた。
楽な斜面ではない、二人して転げ落ちれば、河原は岩ばかりなのでただではすま
ない。
足を置く一歩一歩を慎重に選んだ。
「ごめんね......重くて」
背中から、か細くそう言う。
「ほんとに重いよな、なんキロだったっけ?」 わざと茶化す。
「女性にそれを聞くの?」
少し元気そうに言う。
「42キロ」
「そうか..........42キロか..........」
冬期岩壁登攀のために1週間の有休をとり、谷川岳に籠る準備をしていた時のこ
とが思い浮かんだ。
食事はお湯を注いで食べる味気ないジフィーズ(乾燥調理米)のみ。
歯磨きがわりに数枚のガム、衣類、寝袋、テント、それと登攀用のメタルシャフ
トのピッケル、ハンマー、カラビナ、ハーケン、コンロ、などの金属類、それにザ
イルやシュリンゲ(細引き)、燃料、そして足に履くアイゼンなど、最低限必用な
ものに絞り、食料なども包装紙を剥がしたりしてグラム単位まで軽量化する。
それら全てをパッキングして秤に載せると針は42キロを指して止まった。
その山行では、岩壁を登攀中に60年ぶりと言われる寒波が襲来し、気温はマイ
ナス30度を過ぎて、なお下がっていった。
ようやく縦走路にたどり着いた時には体力の限界をこえ、猛烈な突風にツェルト
(簡易テント)も張れず、布団のように被ってやり過ごそうとしたが、朝まで耐え
きれなかった仲間二人が凍死した。
息は切れて、頭からは水なのか汗なのか分からないが、留まることなく顔に首に
滴り落ちる。
(右手の無い男と左足の無い女か.......二人合わせて一人前だな)
心のなかで苦笑した。
その時唐突に(二人で歩む道はないのか?)という声が聞こえた気がした。
一人でやることをやるのが今の自分にとって必要なことなんだ、と、周りを拒絶
していた頑なな心が、吹雪の後の温かな日差しに溶かされていくような不思議な感
覚を覚えた。
朝絵を抱いている時でも心のどこかに隙間を感じ、その隙間が何なのかは分から
なかったが、今初めてひとつになれたような気がしていた。
(背中に感じる体温は私自身なのだ)と。
バス道路にようやく登り着くと、車が通りかかるのを待つ。
太陽が沈みはじめ急激に気温が下がってきて、ぐっしょり濡れた身体が冷えてき
た。
道路脇に胡座をかくと、その上に足に負担を掛けないよう座らせ、小刻みに震え
て小動物のように丸くなった朝絵を、折れていない方の左腕で宝物のように抱きし
めた。
(12)
今までアルバイトをやっていた会社に骨折のため当分休ませてくれと電話を入れ
た。
「ああ、もう来なくていいから」そう断られた。
病院でギプスはしてもらったが遊んではいられなかった。
貯金を切り崩しながらの生活は時限爆弾のようだ。ぐずぐずしていればいずれ爆
発する。
前にやったハウスミカンの選別ならできるかもしれないと電話をかけてみた。
「片腕じゃあ仕事にならんだろう」ハウスの主人はそう言った。
「出来高払いならいかがでしょうか」くらいついた。
それなら、ということでそれからしばらく世話になった。
数ヶ月が経ち、ようやく骨もくっつき無理をしなければ普通に仕事ができるよう
になった。
ある日曜日、朝食を食べていると、ラジオから嫌なニュースが聞こえてきた。
高校生数人が一人の同級生をリンチの上殺してしまったという
凄惨な内容だ。その殺し方も残酷極まりない。
(なんだか多いなこういうの.....)
このラジオは朝絵が買ってくれたものだ。
前から思ったことははっきり言う彼女ではあったが、あの一件以来、その傾向に
拍車がかかってきた。
「ものを書く人間が社会を知らなきゃだめでしょう?」
私の家にテレビがないのを揶揄して言った。
「こんど私、買って来るから」
「そんな金ない」
「私が出すから」
「怠惰製造機はいらないよ」
朝絵は笑った。
「じゃあラジオにするわ」
何が出来るか、これから先どうなるかも分からなかったが、朝絵と歩いて行こう
と、歩いて行きたいと思っていた。
住んでいる場所は遠くなったが、心の距離は以前と比べものにならないほど近く
なった気がする。
(いずれは二人してここに住むことになるかもしれない)
そんなことを思って家の周りを歩いてみた。
この民家の庭には柿や金柑や大きな金木犀などの木があり、敷地の回りはウバメ
ガシの生け垣に囲われていた。
けれども何年も刈り込まれてなくて、茫々のありさまだったので、綺麗にしてや
ろうと道具置き場から以前住んでいた人が置いて行ったであろう錆びた刈り込み鋏
をひっぱり出し、刃がつくまで30分ほど研いだ。
職人が刈るようなわけにはいかず、四苦八苦しながらも段々要領が分かって来
て、少しづつテンポが上がる。
下校途中の小学生が5.6人歩いて来た。
「わっ、面白そう」
「ねえ、蓑虫いない?いたらちょうだい」
「なんで葉っぱ切るの~」
興味津々のようだ。
その中の一人が「可哀想だよ、生きているのに」と言う。
「生きているのに、なんで切っちゃうの?」
「可哀想じゃないか、命は尊いんだよ」としつこく繰り返す。
なんだか自分がひどく悪人になったような気がする。
ただ、「命は尊い」というオウム返しのような言葉に背筋にうすら寒いものを感
じて、その子供にこう聞いてみた。
「君、肉好きかい?」
「うん、好きだよ」
「どんなのが?」
「ハンバーグ」
「ハンバーグの肉ってなに?」
「う~んと豚とか牛」
「そうか、豚とか牛を君は食べているんだ、野菜も好き?」
「うん、好きだよ、ジャガイモとホウレンソウ。ピーマンはだめだけどね、おかあ
さんが食べろ食べろってうるさいんだ」
「じゃあ、ジャガイモやホウレンソウと、今切っているこの葉っぱはどう違う
の?」
「だってこの葉っぱは食べられないじゃないか」と言うと、急に黙りこくって何か
を考え始めたようなので「気をつけて帰るんだよ」と言って作業を続けた。
(この子達が予備軍にならなければ良いが)
そんなことを思いながら刈り込み鋏を動かした。
カブの音が聞こえ、郵便配達が私の姿を認めると小包を持って走って来て渡して
くれた。
送り先は東京都小平市と書いてあり朝絵の名前がある。
包装紙を開けてみるとボール紙に挟まれた1枚の絵があらわれた。
『麦の穂と水の精』という話を書いて、これに挿絵をつけてみてくれという手紙と
原稿を朝絵に送ってあった。
「足が治るまで長期休暇を取ってるからちょうどいいわ」
そう言っていた。
「生活は大丈夫なのか」
「会社大きいから大丈夫よこのくらい」
「そうじゃない、歩けなくて生活ができるかってこと」
「まだギプスはつけてるけど、もう松葉杖はいらないわ、それにおかあさん来てる
し」
彼女が美大を出ていたのは知っていた。
初めて聞いた時には、(美大出て、なんでキャビンアテンダントに?)と思った
ものだ。
絵の上には1枚のトレーシングペーパーが掛かっていた。
その薄紙をめくろうとして一瞬躊躇する、(この絵次第でこれからの歩み方が違
ってくる)そう思うと少しの緊張があった。
(13)
麦は黄緑と濃い緑で上弦の月の弓の位置に湾曲を描いていて、水の精は逆に下弦
の月の位置に明るい白とバイオレット、それに少しの緑色が混ざり、肌は恥じらう
ような赤みのかかったベージュで、白と黄色のグラデーションを中心に光のうずを
巻いていた。
パステルで描かれた1枚の絵は以前に見た、彼女のカリキュラムのなかの油絵と
はあきらかに違っていて、いいようのない覚悟を感じさせた。
収入は日雇いのアルバイトがほとんどだったので、いくら切り詰めてもカツカツ
の状況なのだが、かといってもっと金を稼ごうとは思わない。
とりあえず命を繋げられれば良いと。
清貧という言葉があるが、あれは負け惜しみではなく、余計なものを剥いでいっ
た時にしか見えてこないものがあるのだ、ということを感じていた。
けれども貧しくなるにつれて魂までも貧しくなっていってしまうのが世の常なの
かもしれない。
貧しいなかで魂を研ぎすますのには強靭な生命力が不可欠だと思う。
何作も書いては朝絵に原稿を送って挿絵を描かせたが、枚数を重ねるほどに技術
は深まり、最近では私の脳裏に浮かぶ映像をそのままプリントしたのかと思う程、
同調していた。
そしてパステルという画材は私の文体に無くてはならないものになっていった。
公募にも出さなければ出版社への持ち込みなどは一切しなかった。
毎日毎日推敲を重ね、贅肉を極限まで削ぎ落とし完全にエッセンスとなるまでに
は私自身の精神の贅肉を削ぎ落としてしまわねばならないと思った。
それは何時果てるとも分からない、他からは伺い知ることの出来ない辛く苦しい
戦いだった。
原稿に向かう手がふと止まる時、朝絵を想う。
彼女の泣いた顔、困った顔、怒った顔、笑った顔、それを想う時だけ一時の安息
を得ることが出来る。
けれどもこの状態は彼女にとってどうなのか、私のために犠牲を強いているだけで
はないのかという観念に苛まれる。それは離れているということから来るのかもし
れない。
足も治り、フライトの都合が合えば週末には来てくれるのだが、日曜日の夕方に帰
って行く彼女の後ろ姿に言いようのない寂しさを覚えた。
(そばに居れば、一緒に、いつも)
想いは強くなるばかりだった。
土曜日の夕方朝絵が来た。
部屋に入ると、棒立ちになり「なにこれ!」あまりの散らかりように呆然として
いる。
「まあ、座れよ」と言ったみたが、「こんなんじゃ座れない」と掃除を始めた。
山梨のアパートにいた頃は、朝絵の来る前に必ず大掃除をして、いかにも(いつ
も綺麗にしている自分)を演出していたが、今は書くことに夢中で、そこまで気が
回らなかった。
1時間もかけて掃除が終わると、持って来た材料で料理を作り出した。
作りながら、この一週間何を食べたのかとこと細かに聞いてくる。
それじゃあタンパク質が足りないだの塩分を取り過ぎだのと、栄養士のようなこ
とを言った。
ポトフとサラダと固くて重いドイツパン、そして赤ワイン。
そういえば酒は久しぶりに口にする。
自炊をしていたが、口に入ればなんでもいいと、栄養などまったく気にせずなん
でもぶち込んだ雑炊のようなものばかり食べていたので、コンソメの利いたポトフ
はうまかったし、口に含くむと鼻から抜けるワインの香りもたまらなかった。
高森の焙煎したコーヒーを入れると、日頃の話などをする。
「たまに乗客がお酒を飲みすぎて酔っ払うんだけど、本当に嫌」
「ふうん、どんな風に」
「コーヒーって言うからコーヒーを持って行くと、俺が頼んだのは紅茶だって言っ
たり、お尻を触ったり」
キャビンアテンダントもバーのホステスもあまり変らないな、と思う。
「そんな時はどうするの?」
「無視できるならそうしたいけど、それでもお客様でしょ、あんまり強いこともい
えないし、どうにも酷いときは男性の乗務員に注意してもらうの..........疲れるよ...
....私ね、今とっても楽しいことがあるんだけど、何だか分かる?」
「なんだろう、酒飲んでる時とか、風呂に入っている時とか?」
「本当に鈍感ね。あなたが送ってきた原稿を絵にしてる時よ、すっごい楽しい。生
きてるって感じがするの」
「ああ、絵を見ると分かるよ」
本当にそうだ、朝絵の絵には生気があり歓びがあった、けれどもそこには隠して
も隠しきれない、薄い陰のようなものも。
「私ね、やっぱり仕事辞めようかなと思ってるんだ........」
それは今はじめて聞く言葉ではなかった。
前々から何度も言っていた。
「だったら辞めろよ」と私に言わせようとするかのように。
(辞めて俺のところに来い)という想いはあったが、今の収入ではとても二人で生
活できない。
それにもしも二人で生活を始めるのであれば、それなりの形を取らなければと
も。
当人達だけが良ければそれですむ問題ではない、朝絵の両親はどう言うだろう
か。
会ってもいない話してもいない朝絵の両親のことを思うと、心が重くなるのを感
じた。
外では涼しげな声で虫が鳴いている。
風呂に入った。
「なあ、こないか?」
声をかけてみる。返事はない。
今迄二人だけで風呂に入ったことはなかったし、なんとなく気後れして、そうし
たいとも思わなかった。
けれども今夜はなんだかそう言ってみたかったのだ。
恥ずかしがってこないだろうと思っていたが、がらりとガラスの引き戸が開く
と、暗に相違してすんなりと入って来た。
朝絵の身体を明るい所で見るのは、知り合ったばかりの露天風呂以来だったが、
あの時はバスタオルで巻かれていたし、彼女の友人もいて、自分の所在すらわから
ないほど固まっていた。
一緒に寝るときにはいつも灯りを消していたし 。
そのままの彼女の身体は、はっとするほど美しく均整がとれている。
「むこう向けよ、背中洗ってやるから」
湯船に浸かりながら背中を流す、ふとタオルを持つ手を止めると、その背中に
「ありがとう」と言った。
絵を描いてくれていることに対する礼ではない。
飯を食わせてもらった礼でもない。
一言では言い表せない、朝絵の存在そのもののようなものに、彼女と巡り会わ
せてくれた何かに対して感謝するように。
朝絵は身体を反転させると、黙ったまま私の頭を赤ん坊のように抱き、私の顔を
乳房に押し付けた。
暖かい夢のなかに虹がかかる。
蜻蛉の飛行曲線をカメレオンの長い舌は包めとり、
岩のなかの羊歯は胞子を虹に蒔く。
きらきらと反射しながら光の粒子は終わりなき世界を落下する。
(14)
ここ数ヶ月、配管工事のアルバイトをやっている。
下水道管埋設工事のための杭を打っていた。
この杭に測量して水平に板を打ち、そこからの深さを書き込む。
これを丁張りといい、これから深さ幾ら幾らと掘削していく。
監督の木村がレベル(水準器)を覗いている。
2週間ほど前のこと、木村に「白瀬、考えてくれたか?」と聞かれた。
前から私の仕事ぶりを買ってくれていて、アルバイトではなく社員にならないか
と言われていたが、拘束されるのは嫌だと思い、口を濁していた。
けれども朝絵とのことを考えるとアルバイトのままではいけないとも思う。
アルバイトのままで彼女の両親に(娘さんをくれ)と言っても(ああそうです
か)とはいかないだろう。
何を指して真っ当というかは色々だろうが、会社員であるということは、世間一
般では少なくともそのひとつにはなるだろう。
(つまらない真っ当だ..........)
だが世間ではその「真っ当」が必要なのだ。
「よろしくお願いします」と頭を下げた。
朝絵にこのことを話すと、多少は喜んでくれるかと思ったのだが、浮かない顔の
まま「そう」とだけ言った。
彼女の父の野村隆三は、新潟の郊外にある中学校の校長をしていて、あと数年で
定年退職を迎えるという。
「私、小さい頃身体が弱かったでしょう。兄弟3人の末っ子ということもあってお
父さんにはすごく可愛がられていたの、だから私には苦労をさせたくないって、結
婚する相手は自分と同じような教師か、固い仕事でそこそこ裕福な人でなければ...
.....なんてしょっちゅう言っていたの。あなたはどれにも当てはまらないわね」
そう言って苦笑いを浮かべた。
彼女も不安なのだ、私以上に。
けれどもそんなことばかり言ってはいられない、動かなければならない時には動
かねば。
一週間前、朝絵に(二人で挨拶に行きたい)と新潟の両親に連絡をさせた。
明後日の土曜日に新潟に行く、それを思うと胃がひくひくと震えた。
「バックホー(掘削機)こねえなあ」
一番若い井崎がイライラしながら言う。
「大体うちみたいな小さな会社が、欲張って仕事取り過ぎなんだよ、いくら班分け
して現場で振り割ったって、もともとの人数が少ないんだから。そのうえ工期はど
こもぎりぎりだし.......白瀬さんどう思います?」
仕事では私より先輩なのだが、年上だからと、何かと私を立ててくれる
「まあ、従業員を食べさせるのに必死なんじゃないかな社長も。この不景気な時に
仕事が有るだけでも有り難いと思わなくっちゃね」
正直に答えたつもりだったが、井崎の望んだ答えではなかったらしく、少し口を
尖らせていた。
たしかに工期は一日と待ってはくれず、今の仕事も今日中に掘削を終えてしまわ
なければ、後に皺寄せがいって大変なことになりそうだった。
ようやくダンプに積まれたバックホーがやって来た。
井崎はダンプが止まるのももどかしいように荷台に飛び乗るとバックホーに座り
エンジンをかけた。
私は後ろのアオリを開け、2枚のアルミ製の重い足場をダンプの荷台に掛ける
と、足場の横で井崎にOKの合図をする。
バックホーは動きだし、傾斜のきつい足場にキャタピラを載せ下り始めた。
片側の足場がズズッとキャタピラに押されたので「ストップ!」と井崎に声を掛
けたのだが、井崎は笑いながら「大丈夫、大丈夫」と言って止まろうとしない。
キャタピラが前に進もうとする分だけ、足場も地面を掻いていく。
「止まれ!!」
次の瞬間、ダンプに辛うじてひっ掛かっていた足場がガリッという音とともに外
れ、ガランッ!と音がするとバックホーは傾き、井崎が転げ落ちるのが見えた。
そして重さ数トンのその重機は、象が倒れる時の様に私の身体に被いかぶさって
きた。
(15)
「目をそらすな!」
山岳会のリーダー佐竹が怒鳴る。
小田急線大井松田からバスで40分の所、丹沢山塊のふもとにそのゲレンデはあ
った。
高さ40メートル位の一枚岩で、東京や神奈川からの交通の便も良いため、土日
ともなるとあちこちから山屋たちが集まり、色とりどりのザイルで岩はカラフルな
滝のようになった。
となりのグループのトップを登っていた男が、浮き石に足を乗せたのだろう、小
さな石がカンコンとバウンドしながら落ちてきた。
男は「らーく!」(落石の意)と叫んだ。
うちのグループに新しく入った女の子がセカンドを登攀していたが、落石を怖が
って亀のように首を縮め目を閉じた。
それを見ていたリーダーが目をそらすなと怒鳴ったのだった。
落石はオーバーハング(庇状の岩)でないかぎり必ずバウンドして、どこへ落ち
て来るのか予想がつかない。
だからぎりぎりまでその石を見ていて、自分に当たりそうなら最後の最後に避け
る。
首を左右に振るのに1秒とかからない、その1秒を見ていなかったがために頭に
直撃することもあるのだ。
ドウッと地響きがした。
私は立っていた。
バックホーが落ちて来る瞬間、最短距離で逃げられる空間を目で追い、運転席と
アームの付け根の空間に飛んで避けることが出来た。
何でもないときの一歩は、それこそ何でもなく踏み出せる。
子供の頃ガードレールの上をよく歩ったが、もしあのガードレールが10メート
ルの高みにあったら、あのように歩けただろうか。
空手道場で護身術を習っていた時のことを思い出す。
竹刀で襲いかかって来る相手に対する体捌きを練習していた時のこと、ある道場
生がその竹刀を左腕で受けると、右の突きで反撃しようとした、その時「待てっ
!」と師範が叫んだ。
「それが竹刀でなくて真剣だったらどうする。お前は左腕を断ち切られたうえに、
その勢いで肩からバッサリとやられている、刃物は体の変更で捌かなければだめ
だ。ただ、いくら真剣と言っても、触れさえしなければ切られはしないのだ。
大きな岩が頭上に落ちて来たとしても、そこにいなければ何事も無い。『そこにい
ない』ということが実は極意なんだ」
師範の言葉が頭に浮かび、心の底から感謝の念が湧いた。
(あの練習の日々がなかったら俺は.......)と。
ふと我に返ると目で井崎を探した。
運転席とキャタピラの間に足が見えた。
血はどんどんと流れてその面積を広げていき、乾いた赤土に吸われながらも生気
を奪う象徴のように大きな血溜まりとなっていった。
井崎の葬儀のため、新潟行きは1週間ずらしてもらった。
朝絵は事故のためと正直に言ったらしい。
彼女の母親は「そんな危険な仕事をしているの」と不安気だったという。
他の重機を運んで来て、井崎の上にのしかかるバックホーをどける迄に1時間ほ
どもかかっただろうか、なんども井崎の名を呼んだ。
状況的には生きている可能性はゼロに等しかったが、少し足が動いたように見え
たので、たとえ満足でない身体になったとしても、生きていてさえくれればと願わ
ずにはいられなかった。
しかし、バックホーをどけて現れた彼の姿は、一分の期待すらも打ち砕く残酷な
ものだった。
私も、もしパニックに固まって一歩を動くことが出来なかったなら、同じように
なっていたかと思うと、背筋が凍り付く思いがした。
警察の事情聴取に答えはしたが、何を言ったのかも覚えていない。
ついさっきまで笑っていたのに、今は見るも無惨に変った姿を見ると、人間の命
とは何かと考えずにはいられない。
救急車は回転灯も点けずに静かに帰っていった。
葬儀は翌日の午後の2時から始まった。
線香の香りが漂うなかで僧侶の読経が続く。
まだ若く見える井崎の母は、ずっと泣き続けていて目が腫れているし、父親は青
ざめて下を向いたまま顔を上げようとはしなかった。
もしも来世というものがあるのなら、楽しい人生を送らせてやりたいと思う。
浮いた噂を聞かなかったから、可愛い女性と一緒になって、赤ん坊と3人並んだ
嬉しそうな姿を見たかった。
(16)
新潟への列車の中、二人は沈黙していた。
井崎の突然の死は、色々な意味で車内を暗くしている。
私は朝絵の両親のことを考えていた。
私が両親の立場だったとしても、決して満面の笑みでもって私を迎えようとはな
いであろう。
ともあれ誠意を尽くして頭を下げるしかないのだと。
広い田畑を海とするならば、島のように家々が固まっている一角に朝絵の実家は
あった。
豪邸と呼ぶにやぶさかでないその和風建築は、古くはあったが威厳を保ってい
る。
風避けのために高い生け垣に囲われていて、門をくぐると左手に池があり、睡蓮
がその葉を浮かべ大きな鯉がさやさやと回遊している。
良く手入れされた赤松が天蓋のように園路を被い、つつじや石楠花、つわ蕗など
が立派な庭石の間に配置されていて、住まう人間の知性を象徴しているかのよう
だ。
玄関で挨拶し、座敷に通された。
朝絵と母俊子はよく似ている。
私と朝絵は正座して並んで座った。
欄間の彫り物の見事さや、一間半はあろうかという欅の座卓などに圧倒されてい
ると、母親が茶と上品な練り切りを出して対面して座る。
一呼吸置いてから父親の隆三が二階から降りて来て俊子の横に座った。
「白瀬達夫と申します。宜しくお願いいたします」
少しの間を置いて「野村です」と隆三が言う。
沈黙を作っては駄目だと思い、見事な庭のことや周りの風景のことなどを話題に
話し始めた途端「用件から先に」と言われ、気を使ったつもりが、出鼻をくじかれ
た。
居住まいを正すと「お嬢さんと結婚させてください」と言って畳に額が着く迄深
くお辞儀をし、そのままの姿勢で隆三の言葉を待つ。
ありきたりな言葉だとは思ったが、出鼻をくじかれたうえで他に何が言えただろ
う。世間話でお互いに砕けてから、などと考えていた自分の短慮を恥じていた。
しばし無言でいた隆三は「頭を上げなさい」と言うと、ぽつりと話し始めた。
「朝絵が君の事を好きになったのなら私は何も言うことはない。ただ男として責任
は持ってもらいたい、人ひとりと一緒になるということにね。朝絵を幸せにしてや
ってくれとは言わない、それは朝絵にも責任のあることだから君一人に責任は押し
付けられないだろう。一緒に生きるということは同じ屋根の下に同じ布団で寝ると
いうことではない、君の人生と娘の人生を掛け合わせるということだ。
プラスならばプラスにマイナスならばマイナスに倍加するということになる。お
互いプラスになるように頑張って、悔いのない人生を歩いて行ってもらいたい」
そこまで一気に言うと隆三はお茶を飲んだ。
私は安堵に緊張の糸が緩むのを感じたが、母俊子の次の言葉に再び緊張した。
「あなた、危険な仕事なさっているんでしょう?私、それが怖いの。童話をかいて
いらっしゃると聞いたけど、それでは生計は立てられないのかしら」
「はい、まだ何処にも出したことはないし、今のところその予定もありません。自
分に自信が出る迄は、ただ書き続けようと思っています」
「朝絵に悲しい思いだけはさせないでくださいね、正直言うと出来れば安定した仕
事の方なら良いと思っていました。でも主人の言う通り朝絵が好きになったのだか
ら..........」
オブラートに包まれてはいたが、あきらかに不満気であった。
朝絵は一言も口を挟まずに黙っていた。
泊まっていくように言われたが、仕事の予定があるので、と柔らかく断った。
このプレッシャーのなかで泊まらせてもらうほどの胆力は私にはなかった。
帰りの列車の中、安堵したのか朝絵は私の肩に頭をもたれて軽い寝息を立ててい
る。
私は(未来についての責任を持てるだけの何かを持っているのだろうか)と物思
いに耽った。
列車は暗闇を行く、その闇と私の闇との間に隔たりはない。
ただ夜が明けるのを待つ。
明けてくれる朝はあるのだろうか、それは古代の神にそうしたように、私自身が
踊らなければ太陽は昇ってこないのだと肝に銘じた。
(17)
朝絵は勤めていた航空会社を辞めた。
正直に言えば、今の私の倍近い彼女の収入があれば、私は何もせず童話を書いて
いても食わせてもらえたかもしれない。
世間で言う所の『ヒモ』というやつだ。
しかし私はそれを望んでいなかったし、朝絵は貧しくなったとしても、絵を描く
生活を望んでいた。というかそういう生活に憧れていたのかもしれない。
小平のマンションから一切の荷物を運んだのだが、それは私の引っ越ししたとき
の倍の量があった。
持ち物を分別して、極力不要な物は処分するように言ったのだが、時間を掛けて
迷った末に「これ持って行く」と言うのだった。
余暇を旅行に費やしていた朝絵の荷物は、世界各国の一流品が多く、地味でみす
ぼらしい千葉の借家に花が咲いたようだった。
引越が終わった翌日、婚姻届を持って二人で役所に向かう。
バスで20分の距離なのだが、今日は歩いて行くことにした。
歩くという行為で式の代用とするかのように........ 。
本当は地味でもよいから世間並みに式と披露宴はやろうと考えていたが、朝絵は
「これからは世間の流れと別世界に行くのだから、何も世間に合わせる必用はない
わ」と式を否定するばかりか、いつの間にか近所のスーパーマーケットのパートの
仕事まで決めていた。
女性というものの、現実に対する身の処し方の凄さに圧倒されるような頼もしさ
を感じていた。
私も結婚式などというものにはまったく感心がなかったが、朝絵の両親には彼女
の花嫁衣装を見せてやりたいと思った。
そういうことでしか『何かの証』を見せる方法はないと思っていたから。
「私が結婚するって言ったらね、同僚はどっかの御曹司か大企業のエリートサラリ
ーマンが相手だと思ったみたい。だからね、文筆家よって言ったの、嘘じゃないで
しょ? 新婚旅行はどこに行くのって聞くからモンゴルって答えておいたわ」
「例の皆既日蝕かい?」
「よく覚えていたわね、そう今年なの。私の最後の贅沢として一緒に行ってくれな
い?」
モンゴルの草原を見てみたいと思う。
納得するものが書けない忸怩たる気持ちが晴れそうな気がした。
アスファルトの国道を避けて、前に高森と夜の散歩をした、川と田畑の間の細い
草の道を歩いている。川沿いは黄色い絨毯の様に菜の花が咲き、川は透き通って水
底の石ころの上を小魚が泳ぐ。
気温は低いのだが太陽の光が強く、コートも着ずセーターだけで出たのだが丁度
いい。
歩きながら朝絵が手を出す。私はその手を握った。
最初は柔らかだったが、言葉が止まってからは強く握って来た。
手をつないで歩くなんて何年ぶりだろう、33歳の男には少し気恥ずかしく思い
もしたが、なんだか嬉しかった。
一緒になれた歓びと、未来に対する得体の知れない不安との中に私はいた。
(18)
仕事から帰ると原稿用紙に向かう。
『狂えるもの』が見つかった日からそのパターンは変らない。
ただひとつ変ったことといえば、振り返ればそこに朝絵が居るということだ。
惑わされるものも、悩ませるものもなくなり、純粋に自分と向き合うだけの、単
調といえば単調で真剣といえばこれ以上なく真剣な毎日だったが、朝絵がそばに居
てくれるということが、どれほど空気を柔らかく変えただろう。
自分では平静のつもりでいたのだが、鏡に映る顔は狂犬の目をした私で、神経質
そうな痩せた頬と尖った顎、頭はボサボサで髭は生やし放題、酷いものだった。
(こんな形相で子供を喜ばせるものなど書けるわけないだろう)
何度そう自分をなじっただろう。
今は穏やかとまでは言えなくとも、そこそこ真っ当そうに見える自分がいる。
シャツも2、3日は当たり前に着続けていたが、風呂から上がるとそこには洗い
立てのシャツが洗濯機の上の籠の中にあった。
そんなことが妙に嬉しくて、有り難くて、でもそれを言うと「私は家政婦じゃな
い」などと怒られそうな気もして、少し笑いそうになる。
書いては推敲を繰り返し、10作目に掛かろうかとしていた。
「ねえ、そろそろ公募に出してみたら?」
「まだ早いよ」
「もしかして落とされるのが怖いんじゃないの」
朝絵は思ったことをズバリと言う。私自身はそんなことを考えたこともなかった
が、言われてみれば否定できないものをどこかに感じ黙っていた。
「いいじゃない落とされたって。それで今、自分の居る位置が見えるのよ。自分が
どこにいるのかが分かれば、進む方向も見えて来るんじゃない?」
私は、ともあれ納得できる作品が出来るまでは、どこにも出すまいと思ってい
た。けれども書けば書く程、未熟さや不完全さを思い知らされる。そしてそれは言
葉の選択の甘さや、煮詰め方の足りなさということでは無いことに気づき始めてい
た。要するに私自身が未熟であり、不完全なのだと悟った。
であるならば、朝絵の言う通り、現在の未熟な私の書いた未熟な作品が、どの辺
りにあるのかを確かめるのも悪くはないかと思う。
「出してみるか」
いままで書いた中で一番出来の良いと思っていた『風に揺れる黄色いバナナと波
に浮かぶ青いカメ』を日本童話大賞に送った。
朝絵がCDを買って来た。
これにはモンゴルからトゥバ、アルタイまでの、喉歌や民謡、器楽演奏が入って
いて何回聞いても飽きることがなく、彼女のミニコンポで繰り返し聞いている。
「また同じの聞くの?よほど気に入ったのね」
「ああ、なんだろう、民謡は日本のとそっくりだし、ホーミーやホーメイの地声は
浪花節にそっくりだし、やはりモンゴロイドのルーツなのかなと思うよね、特にこ
のカイっていう低音で歌うやつ、英雄叙事詩を歌ったものらしいけど、最高にいい
よ」
「気に入ってくれて良かったわ。私にとって、今度のモンゴル旅行、最後の贅沢な
んて言ったけど、何だかとても貴重な気がするの。新婚旅行だからとかって意味
じゃなく。 だから行く前から帰って来るまでを大事にしたいと思って...」
私も同じ気持ちだった。
それを言葉にするのは難しいが、ブロッケンが因となり、風と一体となり、そし
て太陽と月とのドラマを見に行く。
全ては、水と空気と光との連鎖反応から起きて、そこに帰り行くような気がす
る。
仕事の合間にホーミーの練習をしてみる。
はじめて朝絵と一緒に東京のステージで聞いた時には、これは人間業ではないと
思った。
同時に二つの声、というか地声を共鳴させてもうひとつの音を作り出す、驚異と
しか言えない唱法だ。
でも同じ人間のやることなのだから、出来ない訳はないと思う。
ア~とかオ~とかやっていると、朝絵が洗濯物をたたみながら「外でやらないで
ね、アブナイ人がいると思われるから」そう言って笑っている。
そんなことをひと月も続けただろうか、イからウに声を変えようとした時、頭の
中、というか頭蓋骨が振動したような気がして、微かな共鳴音がした。
見はるかす緑の草原で、ホーミーを歌っている。
我ながらすごくいい感じだと思いながらあたりを見回すが、広い草原には私以外
誰もいない。
朝絵を呼んでも、その声は風の音にかき消され、草原の草は枯れて赤茶色とな
り、地球ではないどこか違う惑星のような気がしてきて、広大な宇宙の果ての小さ
な惑星に一人取り残されたような、荒涼とした気持ちに沈んだ。
(朝絵だけは手離してはいけない)
そう思って、声を限りに叫んだ。
「朝絵!!」
大声に驚いた朝絵は私の肩を揺らすと「どうしたの?」と声をかける。
夢と現実の世界がごちゃ混ぜとなり、少しの間呆然としていたが、朝絵が写し身
でないことを悟ると、彼女の身体を力一杯抱きしめ、その体温を感じてようやく安
堵する。
夢がもし現実ならば、それは耐えられないほどの焦燥感となって、私自身を滅ぼ
すだろうと震える。
朝絵は私の身体に回した手で、いつまでも背中を撫でていてくれた。
土の中の微生物の見る夢は、
光を浴びて蒸散する一枚の葉の葉脈を辿り、
クラストした雪原の上を飛ぶ青い燐光の蛍は
その明滅のために自らの命を縮める。
(19)
数ヶ月が経ち、待ちわびていたが、通知はこなかった。
入選したものだけに連絡が行き、そうでない他の何百という作品の原稿は焼却さ
れて終わりとなる。
仕事をしていても(受賞する訳ないよな)と自ら否定しておきながら(でも、も
しかすると)という一縷の望みも捨てきれてはいなかった。
「だめだったみたいね」
夕食の時に朝絵が言う。
「最初っから1発で賞を取る人なんていないわよ」
「ああ」
「落ち込んでる?」
「うん、まあ、でも全国から何百と応募があるわけだからな、そんなに簡単な訳に
はいかないよね」
そう口にしてみて、それはその通りだったのだが、私にとっては渾身の一作だっ
たし、朝絵もこの作品のために何枚も絵を描き直した。
今の二人の持てる力を出し切った作品だったのだから、朝絵にとっても辛くない
はずはない。
「まっ、諦めないでいこうぜ!」
そんな男口調で彼女は私の背中をポンと叩いてその場を終わらせると、食器を片
付けてから、二つ用意したバッグの荷造りを始める。
流石に手慣れていて隙のないパッキングだ。
私は海外旅行の経験が無かったので、数日前にパスポートを取りに行っていて、
小学生の遠足の前日のようにどこかウキウキしていたのだが、通知の無かったこと
が、その高揚感を打ち消した。
朝絵に暗い顔は見せたく無かったので、つとめて平静な振りをしていたつもりだ
が、正直に言えばそうとう落胆している。
その暗い気持ちをこの旅行で払拭できたら、と思いもするが、突きつけられた現
実は暗くて重い未来の序章のような気がしていた。
北京を経由して、モンゴルの首都ウランバートルへと、ジェット機は飛ぶ。
見渡す限り雲海は続き、地表を見せようとはしない。
『モンゴル皆既日蝕ツアー』の添乗員も、天候についてはあまりはっきりしたこと
を言わなかった。
天空のドラマの成否は天候次第であることは勿論だが、客商売であるツアー会社
にとって、不吉なことを言うのはタブーなのだろう。
ボヤント.オハー空港に着陸し機外に出ると猛烈に寒く、ザックからダウンを出し
て着込む。
国際空港という割にはターミナルは思った程大きくはなく、免税店を見ても、タ
バコと酒、そして民芸品くらいしか置いていない。
日本製マイクロバスに乗ってホテルに向かう。
共産主義時代の質素な建物のなかに、外国資本と思われる立派な建築物が混じ
り、バスの中からもこの国が過渡期にあることが分かる。
モンゴルの英雄の名を冠したそのホテルは、古びた感じの町並みの中では大層立
派に見え、暖房もシャワーも満足のいくものだ。
しかし、初めて来たのにこの懐かしさはなんだろう。
町をゆく人々の顔は日本人に似ているが、モンゴロイドなのだから当然だ。
ただ、顔がどことなく童顔で手足が長く、背が高い人が多い気がする。
そして、ロシア系の血が混ざっているらしい顔もちらほら見え、乾燥した大陸性
気候と相まって、モンゴルに来たのだという感慨を湧かせる。
その懐かしさは子供達の笑顔にあるのかもしれない。
今の日本の子供には見られない屈託の無い顔、表情。心の底に隠れていたもの
が、草原から流れてくるのであろう枯れ草のような香りに反応して表出したのだろ
うか、何故だか涙が出そうになる。
翌朝朝食を取ると、モンゴル北部標高1600メートルの高地ダルハンにバスで
向かう、草原が続く、果てしなく。
4時間ほどでダルハンに着き、予定のホテルへと連れて行かれるが、ウランバー
トルのホテルと違い古びていて外壁もくすんでいる。
部屋に入ると、まずシャワーが出るかチェックする、出ないこともあると聞いた
からだ。
夕食の時に、ホテルのレストランに備え付けられた小さなステージで、ホーミー
や馬頭琴などのショーが行われたが、初めて朝絵と見たときのような感動は無かっ
た。
いや、芸そのものは素晴しいといっても過言ではない、彼等は観光客が来ると、
いつもと同じようにこのステージに立つのだろう。その慣れてしまった場末の匂い
が客席に伝わって来て、新鮮さを感じさせないのだ。
朝絵は寒い寒いを繰り返す。このホテルの暖房はあまり効いてくれない。ツイン
の部屋ではあったが、その晩はシングルベッドで抱き合ったまま寝た。
明日はいよいよ皆既日食が見られるという興奮と、(女々しいぞ)と思いながら
も、公募に落ちたショックがまだ尾を引いているのとで、なかなか寝付くことが出
来なかった。
バスがたどり着いたそこは大草原のまっただ中だった。
ゲルと呼ばれる木とフェルトで作られた移動式住居が何張りも立てられ、色とり
どりのテントも設営されていた。
世界中から私達と同じ目的を持った人々が集まってきたのだ。
少し前まではただの草原であっただろう場所が、ちょっとした村のようになって
いる。
『モンゴル皆既日蝕ツアー』の一行は添乗員に先導され、ひとつのゲルに入った。
中はオレンジ色で統一され、外からは伺い知れない程美しい。
スーターツァオという塩味のミルクティーと固いパンが出され、皆既日食が始ま
る時間まで休憩するとのこと。
私は朝絵と一緒にゲルを出た。じっとしているのが惜しい気がしたからだ。
一体どれだけの人が集まっているのだろう。
皆、思い思いの場所に三脚を立て、天体望遠鏡やカメラなどをセッティングして
いる。
(モンゴルまで来て雑踏の中にいるなんて馬鹿みたいじゃないか)ふと(ここは自
分たちのいる場所ではないな)という思いにかられて辺りを見渡すと、女性の腰の
ような柔らかなラインを描く丘が目に入る。
目測で標高差150~200メートルといったところか。
(あそこまで歩いたら、どれくらいかかるだろう?)
「あの丘から見たいね」というと、朝絵も「賛成」と答える。
添乗員にそのことを話すと、笑顔を作ってはいたが、困った表情を覆い隠すこと
は出来なかった。
「まあ、どうせ今晩はこのゲルに泊まりますので、時間的には問題ありませんが、
万が一、遭難でもされたら大変ですので、出来れば皆さんと一緒にここでご覧にな
りませんか?」
「すぐそこの小高い丘じゃないですか。遭難なんてしませんよ。それに何かあれば
声が届く距離だし、迷惑の掛かるようなことはしませんから」
そう言って押し切った。
水とパンと合羽をウエストバッグに詰めて歩き出した。
すぐそこに見えた丘は思った程近くはなく、歩けば歩く程、遠ざかって行くよう
だった。
(終)
その頃、千葉の自宅では電話が延々と家主を呼び続けていた。
「うっかりではすまんぞ!」 編集長は怒鳴った。
何百と集まる作品を編集部員で手分けして下読みし、10作品 まで絞り込んだ
後、仮製本してから、名を成している大家達に読んでもらって受賞作品を決める。
その仮製本の段階でどうした訳か、名前が入れ違っていたのだ。
「まあ、紙上に発表していなかったのが不幸中の幸いだ。先生方には自宅まで伺っ
て私が謝っておく。君は何が何でも受賞者を掴まえて記者会見に間に合わせろ。分
かったな」
日本童話大賞の新人賞を『金の孔雀賞』といい、童話の世界の登竜門であり、こ
こから有名作家が何人も出ている。
その最後の10作品に絞り込まれた中に『白瀬達夫』と『広瀬達也』がいた。
担当していた若い編集部員は、連日の徹夜に朦朧としていたのだろう。その二人
の名前を入れ違えていた。
4日後の記者会見までに、白瀬を掴まえなければと何度も電話を入れていたが、
一向にその繋がらず、焦りは増すばかりだった。
丘は草原の中で遠近感を狂わせ、思ったより時間を食ったが、ようやく登り始め
ることが出来た。
登りながら見上げると、薄暗くたれ込めた雲は朝から動こうとはしない。
(日蝕の間だけでもどいていてくれよ)
そう祈らずにはいられない。これ以上、つきに見離されてはたまらないと思う。
(つき?)一瞬でもそう思った自分を恥じる。
(実力が無いだけじゃないか)公募と日蝕がごっちゃになって頭の中を巡りながら
も、足は黙々と丘の頂上を目指していた。
頂上から360度を見渡すと、ゲルのある『観測村』の方角は空が明るくなって
きてはいるが、山の裏側の空は、重油を燃やした時の黒い煙のような雲が重く渦を
巻いていた。
日蝕まであとわずかだが時間があったので、ポットに入れて来たスーターツァオ
を啜る。
「何か不思議ね」
「うん?」
「こうやって二人でモンゴルの草原にいるってことが」
「ああ、不思議なような気もするけど、なんだか決まっていたような気もするよ」
「運命論者ね」
「いや、そういうんじゃなくて........そうだなあ、こんな夢を見たことがある。何
故だか分からないけど、手に拳銃を持っているんだ。怖かったよ人を撃つんじゃな
いかと思って。それが、暴発なのかなんなのか分からないけれど、いきなりドン
ッ!って撃っちゃったんだ。そのドンと同時に地震で家がドンッて揺れて、それで
飛び起きたんだけど、その二つのドンは偶然では無いという確信のようなものがあ
った。 物事って、何か原因が起こった時点で何らかの結果を示唆しているんじゃ
ないだろうか。たとえば俺の前の席に君が座ったこととか」
「それ違うんじゃない。キャビンアテンダントがあそこに座るのを分かっていてあ
の席予約したんじゃないの?」
「まあ、そうだとしても、君以外の人だったらこうはならなかったと思うよ。でも
あの席を狙ってた訳じゃないけどね」
下界の動きが騒がしくなった。時計を見ると日蝕の時間だ。天体望遠鏡は持って
いなかったし、カメラはゲルに置いて来た。
添乗員がサービスでくれた『日蝕グラス』という、ボール紙の枠に、銀色のペラ
ペラのビニールが貼られている眼鏡を掛けると、風景がぼんやりと歪んで見えた。
けれども雲が邪魔をして太陽そのものが見えない。
ただ、あたりが日の落ちるよりも早いスピードで暗くなり、やがて宵闇のように
なり、ふたたび明るくなってきた。
それはドラマチックではあったが、日蝕そのものは雲が薄くなった瞬間、太陽に
月が重なったのが微かに見えただけだった。
下界の落胆している様子が手に取るようにわかる。
皮肉なことに皆既日食が終わった途端、雲が風に流され始めて太陽が顔を見せ
た。
一陣の風が起こって朝絵の被っていた帽子を飛ばした。
それを拾おうと振り向いた朝絵は「あっ」と声を上げた。
その声に振り返ると、黒い雲に七色の巨大な輪があった。
風に蠢くそのスクリーンは輪のなかに二つの影を写している。
手を振るとその影も手を振る。
朝絵の肩を抱くと、輪の中の二つの影も肩を抱いて寄り添った。
雲は風に流され段々薄くなってブロッケンと共に消えて行ったが、私と朝絵はそ
のままずっと抱き合っていた。
虫たちは太陽をコンパスの針に見立てて輪を描く。
空の水分と光を受けて、透明な羽は七色に発光し
一瞬の命と引き換えに天空に輝く。
はるかな水の源流と天末線の交差する世界に再び帰って行くために。
完