表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

【序章】父はかく語りき③

 ——正直、子どもの扱いなんて分からない。


 カミルは人間関係の構築が上手いとは自分自身でも思っていなかった。

 人徳があるとすれば、悔しいがやはり父親であるジャンの才知によるものが大きい。

 無口なのも自覚しているし、目付きが悪いのも鏡を見れば一目瞭然。基本他人にも無関心だ。特にプライベートでは何をどう話したらいいのか分からない。子供は尚更対応に困る。


(泣かれても俺のせいじゃないからな)


 ちらりとため息混じりに反らしていた視線をミシュアに向ける。

 自分を棚に上げ彼女だけを子供と呼ぶのは違うと言われるだろうが、思い立ったこと全てを行動に移すほどカミルは幼稚ではないつもりだ。彼女がまだその範疇から出ていないだけで、カミルからすれば十分ミシュアは子供だった。


 だから困る。アズベルク家の事情も知るはずがないのだから。


 最近の両親は何を考えているのか、夜会以外でもやたらとカミルと年頃の令嬢を会わせようと奮闘している。こちらが辟易していてもおかまいなしだ。


 彼らの言いなりになればきっと良くないことが起こる。第六感でそう感じ取ったカミルは平穏を守るため、今日まで幾度となく巧妙な罠を掻い潜ってきた。

 特に父は逃げるカミルに対抗するようにあの手この手と色々な策を模索しているようで、今日も誘いに乗るべきか迷ったのだ。


 しかし伯爵とは一度会ってみたいと思っていたこともあって、最終的には着いて行くことにした。最悪の場合も想定していたはずなのに、自分の考えは甘かったと言える。


「オリエンスは花が開く時が一番綺麗なんです」

「そうか」


 自分でも笑ってしまうほど、愛想のない返事。

 カミルが楽しくない相手だと分かれば連れて行くことを諦めてくれるかもしれないと、体裁を保つことを早々に辞める。

 ほぼ素を晒しながら適当に受け答えをしていると、屋敷の裏手にある建物にたどり着いた。


「ここはお父様からもらった私の秘密基地です!」


『秘密基地』という単語は絵本か何かで読んだのか、得意げに胸を貼るミシュアは金色の瞳を更に輝かせた。


 彼女の父親が植物の専門家だから流石と言うべきか。

 表にあった温室より小振りなそれは、それでもカミルが立派だと感じるには十分な建造物だった。


 三角形のガラスが幾何学模様のように幾重にも連なった半円球(ドーム)。特殊なガラスなのか反射する光は色も様々で、差し詰め虹色の輝き(ファイア)を纏った巨大なダイヤモンドが鎮座しているような全景だ。


 植物独特の甘い香りに引き寄せられるまま足を踏み入れれば、ひんやりとした空気が肌を撫でた。視界に影が射し、反射的に仰ぎ見た壮観な光景に思わず息が漏れる。


 影を作っていたのは、天井の内壁に無数に絡まり生い茂った蔓植物だった。青々とした葉の隙間から点々と差し込む光は柔らかく、室内に木漏れ日を与えている。


 花壇は中央を囲むかたちで配置され、色とりどりの春の花が咲き誇っていた。カミルが分かるだけでも、ヒヤシンス、チューリップ、ラナンキュラスとそれこそ表で無造作に扱われている花壇よりずっと綺麗に管理されている。

 花壇の間々には常緑樹が植えられ、公園にある小道のように石畳が続いていた。室内が涼しく感じられたのは温室全体に水路が設けてあるおかげだろう。


 そんな緑が与える静寂は耳に心地よく、二人分の歩幅の違う靴音だけが室内に響く。

 先を行くミシュアのペースに合わせて中央に進むと、白い丸テーブルとクッションの乗ったカウチソファが一対置かれていた。その頭上は蔓が少ないのか、舞台のスポットライトのように光が差し込んでいる。散りばめた宝石の色を放つそれは教会のステンドグラスを彷彿とさせる神聖さがあった。


 柄にもなく感銘を受けていたカミルの前を進む、お転婆そうな娘とこの部屋の静謐(せいひつ)な雰囲気は似ても似つかない。


(いや、そうでもないか)


 まだ年端もいかない少女とはいえ異性を観察するのは気が引けたが、カミルは改めてミシュアをその目で捉える。


 綺麗と呼ぶには落ち着きがなく、どちらかと言えば外で遊ぶことを好みそうな少女。衣装も年相応の明るい色合いの物で、可愛らしいという表現が似合うだろう。

 しかしそれだけで片付けてしまうには言葉が足りない気がするのだ。

 初めて彼女を見た時、確かに令嬢らしからぬ登場の仕方には驚いた。だがそれより目に止まったのはミシュアの持つ色だった。


 足を踏み出す度にふわふわと揺れる髪は、夜空に浮かぶ月と同じ白銀をしている。

 ここに来る前、カミルを穴が空きそうなほど見上げていた瞳は後ろに立った今は見えないが、琥珀(アンバー)を埋め込んだような深みのある金色だった。髪も目も彼女以外でこの色を持った人物をカミルは知らない。

 そんな希有な存在だから、神秘的という言葉が意外でもなんでもなく似合ってしまうのかもしれない。


「カミルさま、これがオリエンスです」


 まさか自分が観察されているとは露知らず、ミシュアはテーブルの上に置いてある植木鉢を両手に抱えた。


 まだ蕾のオリエンスは確かに彼女が言った通り、花弁は紫色をしており先端に近くなるほど濃く、グラデーションになっている。葉は深緑の複葉。一見するとその姿は牡丹(パエオニア)に似ているが、驚いたのはその大きさで、開花したら自分の掌以上の花が咲きそうだ。


 子供の相手は苦手だが、未知のことを学ぶのは好きだ。知らないことへの好奇心が顔を出し、あっという間にカミルの中の天秤を傾けていく。


「語源は異国の言葉の《東から昇るもの》という意味か?」

「はい。夜空から昇る太陽に似ているからその名前が付いたってお父さまが言ってました」


 お気に入りの花に興味を持ってくれたことが余程嬉しいのかミシュアは意気揚々と答えた。


「花が咲くととってもきれいなんです。見ていてくださいね!」


 鉢を抱えたミシュアは、クリムに似た気の良い笑顔を向けると今度はオリエンスに向かってにっこりと笑いかける。


「オリエンスの精霊さん、お願いします。あなたのきれいな花をこの方に見せてあげてください」


 開花の魔法だ。カミルは直感でそう悟った。

 緑の力を持つ魔法使いが習得することができる初歩的な魔法のひとつだ。


 しかしそれよりも、カミルはわざわざ花に向かって話しかけているミシュアに驚いてしまった。


「魔法で必要な魔力は与えられているだろう? 敢えて言葉をかける必要性はないんじゃないのか?」


 無意識に眉間に皺が寄っていることにカミル自身気が付いていない。ミシュアくらいの少女、いや少年でも竦み上がりそうな鋭い視線に、彼女はきょとんとした表情を浮かべる。


「他の魔法使いの方は、精霊さんに話しかけないのですか?」

「話しかけるも何も見えないものにどう話かける」

「お父さまは魔法を使う時いつも話かけてます」

「……ああ」


 そう言えばジャンがクリムの話をする際、決まって精霊のことが話題に上がっていた気がする。優秀な研究者であり、同時に精霊オタクだと。

 王都を留守にするのは大抵精霊関係のことが多く、終に年単位で姿を見せなくなった彼を心配していたのがまだ記憶に新しい。


 そんな精霊オタクの娘なのだから、父親の影響を真っ向から受けていても何ら不思議はないのかもしれない。


「確かに魔法に頼るこの国では精霊は大切な存在だと思うが、話しかける行為は俺には分からない」

「見えないからですか?」


 金色の瞳を向け見上げてくるミシュアを一瞥する。


「まぁ、そうだ」


 精霊の存在や魔法の原理は、この国では知らぬ者はいないほど当たり前のことである。けれど実際には『精霊』と『魔法』は切り離されている。人々にとって、目に映らぬ『精霊』とは『非現実』で、慣れ親しんだ『魔法』とは『現実』なのだ。クリムのようにその存在に夢を抱く者もいるが、大抵は知識として存在するだけで、それ以上でもそれ以下でもない。寧ろ、下手をすれば話しかける人間の方が変人扱いを受ける。夢見がちな少女の冗談だと思われればまだいい方である。

 現実主義のカミルにとってもそれは例外ではない。


「でも、見えなくても声は届きます!」


 断定的に言い切ったミシュアはカミルの反らした眼前に勢い良く飛び込んで来た。魔力を受けて仄かに光る鉢を受け取れと言わんばかりに突き出してくる。

 仕方なくそれを貰い受けるとずっしりとした重みの中に彼女が与えた魔力を感じた。同時に何故だか「瞬きせずにちゃんと見てなさい!」と花に眼を飛ばされているような気がしたのは、空想的な親子に早くも当てられたからだろうか。自分らしくない考えに思わず苦笑する。


 その間にもオリエンスは徐々にその姿を変えていて、ゆっくりと広がる花弁は一枚一枚が豪奢なドレスの裾のようだった。牡丹(パエオニア)に似ていると思ったのも強ち間違いではないようで、何枚も折り重なった花弁はやはりよく似ている。

 オリエンスは最後の花弁を今まで以上に、まるで両手に包んだ宝物を零すことのないようにゆっくり、ゆっくりと開いていった。


(光……?)


 中から何か現れると思った瞬間、花弁の隙間から微かに灯りが溢れた。ミシュアが与えた魔力の光とは違う、光の球体のようなものが花の上に浮き上がる。

 夜空から昇る太陽。ミシュアがそう言っていた意味を理解した。


 そこにあったのは、正しく『紫色の夜空に浮かぶ太陽を抱えた花』だった。


「きれいですよね」


 小さく頷く。それがカミルの今の精一杯だった。

 内心珍しい性質を持つ花にとても興味がある。けれど同意を求めるミシュアに対して、素直な感想を口にできるのであれば親にあれほどの守勢はとらないし、とっくの昔に和解している。偏屈な性格は想像以上に根深いのだ。


 そんな両親ですら見逃してしまいそうな同意にも、ミシュアは嬉しそうに微笑み、近くにあったテーブルに積まれた書物の中から一冊の分厚い本を引っ張り出して来た。カミルは手に持っていた鉢を元あった場所に置かせてもらい、招かれるまま本を覗く。見出しや細かく描写された絵図を見る限りそれはどうやら植物図鑑らしい。開かれているページはオリエンスのことが書かれているようで、開花した後の絵もしっかりと載っている。

 要するにオリエンスについて彼女なりに説明しようとしてくれているようだ。

 だが、そのページを開いたミシュアは暫く逡巡した後、細い首をこてりと俯かせた。


「……読めないのか」

「うう」


 小さな呻き声を上げ、小柄な体を更に縮こませるミシュアは端から見れば小動物のようだ。


「別に落ち込むことじゃないだろう」


 さっきまでの元気が嘘のように鳴りを潜め、露骨に気を落としてしまった少女を見ていると、どうにも落ち着かない気持ちに駆られる。

 両親に無理矢理引き合わされた令嬢が機嫌を損ねても、慰める気などこれっぽっちも起きなかったというのに。

 それは単にミシュアの落胆がカミルの気持ちとは関係ないところにあるからに他ならなかった。


 これまでに会った令嬢たちは、カミルに過度な期待を寄せているところがあった。その期待に応えられなかった時、静かに去ってくれる令嬢ならいい。しかし誰もが皆そうではない。自分とカミルの気持ちが同じでないと知るや否や、受け入れられないと言ってくる。こちらの気持ちを無視して自分の主張ばかりを通そうとする虚栄や打算のある令嬢たちは、カミルの中で何よりも面倒臭く回避したい対象だった。


 その点ミシュアは、貴族社会がどんなものかを知らない。カミルに抱く感情は、子供らしく遊び相手に求めるそれと一緒で、落ち込んでいるのもカミルが原因ではなく、ミシュア自身の問題なのだ。


 そんな彼女から自分は家の事情で逃げようとしている。

 一回り以上も年下の女の子相手に何を一体怖がっているんだろうか。


(馬鹿馬鹿しい)


 もう両親がどう思おうが関係ない。カミルは己の意思のままに行動することにした。

 落ち込むミシュアの手から図鑑を自分の方へ半ば強引に引き寄せる。そこに記載されている文字を目で追えば、彼女が読めなくても誰も責めたりはしないのは明らかだ。


「この言葉はこの国の公用語――普段使ってる言葉じゃないんだから、お前が読めなくても当然だ」


 本に使用されている言語はウィクトリアで常用されているものとは異なるものだった。

 幸いウィクトリアの近隣にある国の言葉で、カミルには読むことができた。


「で、でも、お父さまには何度も読んでもらっているんです」


 それでも悔しさを滲ませ、小動物のままでいるミシュア。

 下手したらカミルが帰った後もずっと落ち込んでいそうな様子に、どうしたものかと普段は働かせない方向へ頭を回転せる。


「――なら、一緒に読むか?」


 他に慰める方法が思いつかず、気が付くとそんなことを口走っていた。


「ここのページくらいなら分からないところは教えてやる。その、礼だ。珍しい花を見せてもらった」


 慣れない行動が妙にこそばゆい。

 誤摩化すように、奪ってしまった本をミシュアにも見えるようテーブルに置き直し、カウチソファにさっさと腰を下ろす。


「でもカミルさまはお客さまで、勉強を教えてもらうなんて」

「俺はこの本の文字は読めるが、オリエンスのことはここに来るまで知らなかった。だからお前が教えてくれると助かる。一方的に教えてもらうことが気になるなら、一緒に勉強してると思えばいい」

「いっしょに、べんきょう……」


 目を瞬かせ、カミルの言ったことをそっくりそのまま呟いたミシュアは、白磁色の肌を朱色に染めると恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。かと思えば、何もない場所をじっと見つめて押し黙る。


「どうかしたのか?」

「あっ、いえ! 何にもいない……じゃなくて、何でもないです! あの勉強! カミルさまがよければいっしょにしたいです!」


 何故か急にあたふたとし始めたミシュアは、滑り込むように隣へ座った。怪訝そうなカミルの視線を物ともせず、拳を握りこちらを見上げる様子はすっかり覇気を取り戻している。

 ミシュアの心情を何が動かしたのかは正直不明だが、落ち込んでいられるよりはずっとマシだ。それに彼女の不思議な言動に一言一句突っ込んでいたら切りがないことはこの短時間で学んだことだった。


「ではよろしくお願いします!」



 それからの時間はあっという間だった。

 隣に行儀良く座り直したミシュアに言葉を教えながら、カミルはオリエンスや、気が付けばページを捲り、他の見知らぬ植物についても一緒に勉強していた。決して優しくないであろう物言いにもしっかり耳を傾けてくれるミシュアは理解が早く、教えることも苦ではなかった。カミルも今日だけで随分植物に関する知識が増えた。


 そうして二人の即席勉強会は夕方に従者が呼びに来るまで続く。

 喜びが顔面に溢れまくっているジャンには呆れたが、ただこうして誰かと一緒に過ごすのも悪くない――その日カミルは少しだけ、確かにそう思った。

プロットを大幅に修正した都合上、前回からかなり間が空いてしまいました……!

少し謎多めに、なんちゃってミステリーな物語になればと考えてます。

当初入れようと思っていた幼馴染みとのやり取りもそのまま入れていく予定です。

次は今回より早い更新になるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いします〜!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ