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【序章】父はかく語りき②

 現在、レニーメディ伯爵家の資金源は、主に植物と魔法に関する研究の成果から成り立っている。

 代々植物を操る魔法を得意とし、一時には王城の庭園の管理責任者に抜擢されたこともあり、その功績から今でも王族からの信頼は暑い。おかげでその道では少々名の知れた一族である。


 当代のクリムは、根っからの研究者体質だったこともあり、代々続けてきた仕事とはまた別に魔法の力を借りた植物の品種改良なども行っている。病気に強い苗や大きな果実を付ける種、気温に左右されない花など、クリムが新たに改良したものは多岐に渡る。


 そのため家の庭は大半がクリムの研究を目的として造られていた。大規模な温室も整然と並ぶ花壇も訪れた者を楽しませるような一般的な貴族の庭とはかけ離れた仕様をしている。

 薔薇やダリアなど知名度の高い花もあるが、その近くには文字を書き込んだ札が一緒に立てられており、明らかに観賞用ではないことが伺えた。またある所には、四方八方に伸びた平行脈の葉の植物がお世辞にも綺麗だとは呼べない状態で放置されている。こちらも近くに札が確認できることから、何かしらの研究対象なのだろう。


 貴族の庭としては華やかさに欠けたそれを横目に、むしろ好都合だとジャンは屋敷へ続く石畳を歩きながら不敵に微笑んだ。

 後ろから静かに着いてくる息子の警戒心を解くには、飾り気のない庭の方が丁度良い。


 カミルにはクリムに娘がいることは話していない。自分で蒔いた種とはいえ、息子の警戒が強い今、場合によってはここに来る前に逃げられる可能性も考慮してのことだった。

 単純に婚約者決め云々の話がなくても、カミルにはクリムと良い関係を作ってもらいたいとジャンは考えていた。


 クリムは仕事や趣味の関係であまり社交界には顔を出さないこともあり、伯爵の位を持ってはいても他の貴族からの知名度は低い。優秀な研究者であることも然りである。

 黙々と自分のやりたいことをやっていたらいつの間にかそれが仕事として成り立っていたと語る彼の言う通り、クリムにとって興味を追究することが何よりも優先すべき事で、出世や名声は二の次なのだ。

 勿体ないという輩もいるだろう。ジャンも宰相という国の中枢まで昇り詰めた人間であり、その考えも理解できる。しかし同時にこうも思う。世俗に囚われないというのはその分自由を生み出す。時には当たり前と思っていた概念を覆す力さえ与えるのではないのかと。


 ついそんな気にさせてしまうクリムの存在は、王城に勤務する非妥協的な貴族たちよりもずっとカミルに良い影響を与えてくれるだろうと期待しているのだ。


 そんな父親の思惑など知らない息子の様子を窺えば、珍しい植物が気になるのか時たま右に左にと視線を動かしている。基本可愛げのない息子でも、クリムのことに興味を示してくれるのは素直に嬉しい。


「庭の植物はクリムが他国から持ち帰ったものも数多くあるらしい。後で詳しく見せてもらうといい」


 見られていることに気が付いていなかったカミルは、一瞬ジャンと同じ紫色の瞳を見開いたが、すぐに一言「はい」と返事をした。


 が、ジャンにはその返事の半分も聞こえなかった。


 同時に正面の扉が勢い良く音を立てて開いたからである。

 間髪容れずに、ふわふわとしたものが屋敷の中から飛び出してくる。


「ミシュアお嬢様!」


 予想外の展開に驚いたのは、目の前に立つ案内役の従者も同じだったらしい。慌てた様子でこの屋敷の主の娘ーーミシュアに叫んだ。


 しかしミシュアは止まることなくそのまま軽い足取りで玄関先の階段を降り、ジャンの目の前までやってきた。

 入り口まで走って来たのか、白い頬がピンク色に上気し肩で息をしている。


「ジルカニエ公爵様、ようこそいらっしゃいました!」


 ミシュアはちょこんとドレスの裾を摘むと、拙いながらに淑女の挨拶をした。


「こんにちは、ミシュア」


 突然の登場には驚かされたものの、ジャンは慣れた仕草でボーラーハットを脱ぎミシュアの目線に合わせ挨拶をする。彼女の頭を優しく撫でれば、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。


 先日初めて会った幼馴染みの娘は、すっかりジャンに懐いていた。

 元々人見知りをしない質なのか、ミシュアは大柄な体躯のジャンにも怯えることはせず、彼が父親の友達と知ると否や、ジャンが帰るまでずっと二人の思い出話を聴いていたのだ。今日のこともクリムに聞いてから楽しみにしていたらしい。


「公爵様、またお父様のお話お聞きしたいです」


 ぴょんぴょんと跳ねる姿は、友人の娘とはいえ実に可愛らしいと思う。

 特にミシュアの場合は、その容姿のせいもあるのかもしれない。


 目を引くのは何と言ってもその瞳と髪の色だろう。琥珀(アンバー)を彷彿とさせる金色の瞳と月光のような白銀の髪。どちらもこの国では珍しい色で、外交で他所の国へ赴くことの多いジャンでさえ、見た事がない。

 どこか神聖な雰囲気のある少女は、最近クリムと王都に来るまで貴族らしい生活はしていなかったこともあり、他の貴族令嬢と比べても表情豊かで天真爛漫だ。


「こら、ミシュア。そんなに走っちゃ危ないだろう」

「クリム」

「お父さま!」


 遅れて玄関から出てきた屋敷の主は、白いシャツに明るい茶色のベストと同色のトラウザーズとラフな格好で現れた。


「慌てなくても公爵は逃げたりしないのに。すまない。驚いただろう?」

「構わない。子どもはこれくらい元気な方がいい」

「ありがとう。でも、君の後ろで状況が掴めないでいる子がいるよ」


 笑うクリムの台詞で振り返れば、予想通り不機嫌さを露にして立っているカミルと目が合った。鋭い視線が何を言いたいかは一目瞭然である。「騙したな」だとか「令嬢がいるなんて聞いてない」だとか「まだ諦めてなかったのか」だとか。恐らく、間違いなく、そういった意図のある視線だ。

 丸っきり嘘ではないにしろ、ミシュアのことを話に上げていなかったのは事実である。カミルはこの状況で帰るような礼儀知らずではないはずだが、このまま黙って従う性格でもない。


 ジャンはどうしたものかと思案しながら、あたかもカミルの様子に気が付いていないと言わんばかりの笑顔を自らに貼り付けた。


「カミル、この男がレニーメディ伯爵だ。魔法の知識は王城の魔法使いに匹敵するくらい詳しい奴だ。きっと学べることも多いだろう」

「ジャンってばそんな話を盛って……。王城勤めの魔法使いたちは国家試験に合格した優秀な人たちばかりで一介の伯爵の僕とは比べものにならないよ。それこそ優秀だって聞いてるカミルくんの役に立つとは思えないな」


 すかさず口を挟むクリムには、どうやら息子に良い印象を与えようと話を誇張したと思われたらしい。

 確かにそんな思惑がなかったとは言えなくもないが、クリムがそこまで謙遜するほどジャンの中でクリムの評価は低くはない。抗議の目線を送れば、困り顔になりながらもクリムは察してくれたようだ。


「うーん……でも、そうだね。植物に関しては人よりちょっと詳しいかな? 僕の知識が未来のジルカニエ公爵の役に立つなら喜んで手を貸すよ」


 よろしくね、とカミルに向かって握手を求める。カミルも大人しくその手を取った。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 相変わらず表情は硬いが、いくら父親とのいざこざがあるとは言えここで事を荒立てるのは得策ではないことくらい理解しているのだろう。


 そもそもカミルはいくら無愛想とはいえど、自分から無駄な揉め事を起こすタイプではなく、ジャンたちが許嫁の話を持ち出さなければ、レニーメディ家の子どもが娘であったとしてもここまで警戒する可能性は低かったに違いないのだ。


 もっと早くにクリムに娘がいると知っていれば、他の令嬢にカミルを引き合わせることもなかっただろうに。後悔先に立たずとは正にこのことだ。


 内心どうにか仲良くなってほしいと拝むジャンの眼前には、にこりともしないカミルの姿がある。

 クリムはそんなカミルに微笑みつつ、いつの間にか自身の後ろに隠れてしまった娘を見下ろした。


「さっきは驚かせてしまったと思うけど、この子は僕の娘のミシュア。ちょっとお転婆なところがあるけど、優しい子だから仲良くしてくれると嬉しいな」

「お父さま?」


 カミルが何か言う前に、ミシュアが父親の服の裾を引っ張る。


「ミシュア、この子はカミルくん。ジルカニエ公爵の息子さんだよ」


 ジャン以外の客人に緊張している娘を安心させるようにクリムは優しく諭すように言った。


 すると、やはり人見知りをしない性格らしいミシュアは、恐怖や羞恥といった感情より、興味や好奇心といった感情の方が優位に立つようで、小さな歩幅でカミルの前までやってくると、じぃっと彼を見上げた。

 並んだ二人には頭二つ分ほどの身長差があり、カミルの方が威圧的に映る絵図のはずなのだが、何故だかそうは見えない。


 あからさまに子どもは苦手ですと言わんばかりにただただ仁王立ちしている息子は、幼い少女に穴の空くほど見つめられ、一言も言葉を発しないままその目を見つめ返している。

 今までジャンが引き合わせた娘たちと違って、明確な欲や怯えのないミシュアを無下にすることもできないが、だからといって最良の行動も思いつかないといったところだろうか。


 そしてまた、子どもの興味とは花から花へ飛ぶ蝶のように忙しない。


「カミルさまの瞳、公爵さまと同じ色でとってもきれいですね。オリエンスの花みたいです!」

「オリエンス?」


 聞いたことのない花の名前にやっと言葉を発したカミルの下では、瞳を輝かせて両手を広げるミシュアがいる。その興味はすっかりカミルに移ったようだった。


 この状況に喜んだのは言うまでもなくジャンである。あわよくば、二人を仲良くさせたいと考えていても、互いに興味を持ってもらわなければ進む話も進まないということだ。

 ミシュアが興味を示してくれればこちらも策が講じやすくなるというもの。


 そうこうしているうちにミシュアがカミルの手を両手で掴む。もちろんそれに一番驚いたのはカミルで、ジャンを捉えた目は助けを乞うものだった。しかし助けるという選択肢がジャンにあるわけがなく、万遍の笑みで返せば、苦虫を噛み潰したような表情で睨まれた。対し、この期に及んでそんなものが利くわけがないだろうと嘲笑を浮かべる。更に本気で睨まれても無視を決め込んだ。


 時間にしてたった数秒の、表情のやり取りだけの親子喧嘩に気が付いたのは、恐らく事情を知っているクリムだけだろう。

 無邪気な少女は両手でしっかりカミルの手を掴み、離す気配はない。


「オリエンスは異国のお花でカミルさまたちの瞳と同じで紫色をしてるんです。ね、お父さま、カミルさまに見せてあげてもいいですか?」


 クリムには許可をとるつもりらしいが、ミシュアの体勢は今すぐにでもカミルを連れて行かんとする勢いだ。


「いや、俺は……!」


 流石に焦ったカミルが掴まれた方の腕を引こうとする。


「嫌ですか?」

「うっ」


 傍から見てもしょんぼりとしてしまったミシュアに、カミルは再び石のように固まった。動くのはまずいと判断したのか、中途半端な姿勢のまま視線だけが彼方此方に彷徨っている。


 あれだけ令嬢に対して容赦のなかった息子が、年端もいかない少女に根負けし、動揺している姿を見るのは新鮮でつい口角が上がってしまう。ここに妻がいたら、間違いなく同じかそれ以上に驚き、面白がったはずだ。


 そんな意地の悪い両親から産まれてしまったカミルには申し訳ないと思いつつも、このままミシュアの勢いに丸め込まれてしまえ! 親を欺こうとした罪は重いんだぞ。それを思い知れ。と叫ぶ、何とも大人げない心情に蓋をすることは諦めた。この笑顔が地獄に突き落とす悪魔のようだと言われようとも結構。


 そして、渋るかと思ったクリムもあっさりミシュアの願いを聞き入れた。

 こちらの事情を知っていて協力してくれているのか、はたまた単に娘のお願いに弱いのか(嬉しそうにするミシュアをこれまた嬉しそうに眺めるクリムがいるので理由は恐らく後者)は定かではないが、それからは連れて行かれる本人の意思関係なく話は進んだ。

 あれよあれよと言う間に引っ張られていく息子を見送り、同じく娘を見送ったクリムに振り返る。


「さて、面倒くさいのがいなくなったところで、俺たちは二人が戻って来るまでまた昔話でもするか」


 後々絶対に勃発するであろう親子喧嘩のことは今は忘れることにしよう。

 軽快に笑ったジャンに、クリムはやはり困ったように微笑むのだった。

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