1話 始まりの日
ズボンの右ポケットに入れていた携帯電話がバイブレーションを伴って着信を告げてくる。
「囚人ナンバー001、先程の一般市民との接触の意図は?」
「別に何もねぇよ」
「勝手な行動をするな。自信の置かれている状況をしっかりと自覚するんだな」
なんの返事もせずに通話終了ボタンを押す。俺には一般市民と会話することの権利さえも剥奪されている。
その理由。今日で丁度3年が経った。
この街の大きな交差点で約300人を一撃で殺した罪。本来ならば世間に公表され、死刑は逃れられないだろう。
しかし政府はその処置を下さなかった。一撃で300人の命を奪える兵器として飼うことにしたのだ。
俺を利用したい。それ以外にも思惑はあるのだろうが、やつらは口にしていない。
この世界は壊れている。
足を踏み入れなければ殺人などとは無縁の人生を送るのが大半の人間だ。それに該当する人間がほとんどなのは言うまでもない。
壊れたのはその世界を維持するためだ。
人の道から外れ錬金術に手を出したもの。人体解剖の末に魔力なるものや霊力なるものを見つけ出したもの。神に魅入られた魔女としてその天命を永遠のものとしたもの。
それらは人間の枠などとうに抜け出し、魑魅魍魎の枠さえも壊し、世界に跋扈した。
枠の破壊によって引き起こされた大災害。かつて日本が壊滅まで追い込まれた、百鬼夜行。
その世界のバグと言ってもいい出来事を経験してから政府はその力を求め始めた。
それが魔法師と呼ばれる化け物や、霊覚者と呼ばれる人外である。
かの有名な陰陽師、安倍晴明。
彼が霊覚者であり、魔法師である未知存在であり、未だ存命であるなど誰が知っているだろうか。
未知存在とは化け物共のための魔法師や霊覚者という枠さえも逸脱した、文字通り未知の存在である。
お察しの方もいるだろうが、人の道をはずれた者など大概が腐れ外道である。
話は急に変わる。
俺が外出の許可を得た理由は俺が捕まる原因となった3年前の事件の場所に黙祷を捧げに行きたいと言ったからだ。1年前も2年前も外出の許可は降りなかった。
それほど政府は俺の存在を恐れており、身体検査に忙しくしていたのだ。
学校を覗いたのは本当に意図はない。ただ件の交差点へ向かう途中にあっただけなのだ。
「六華、お前にどう会えばいいんだろうな」
交差点へ近づくにつれて焦燥に駆られた3年前の心が疼き始める。後悔はしていない。300人の命が無駄になったとは思っていない。
それでも、大事なものをこの手で失ったのは悲しいことだ。
この路地裏を抜ければ交差点だ。そう思った時だった。
再び着信音がなった。
「囚人ナンバー001。お前の刑期は終了した。この世に別れを告げ、旅立つがいい」
「そろそろだろうと思ってたよ。お前ら、結局俺の体を調べ尽くしても分からなかったんだろ? お前達に未知存在は作れない」
「001、お前と交わす言葉はこちらにはない。014と017が処刑人だ。生き残るなどという妄想はしないことをオススメする」
俺を捕まえた政府はその後2人の霊覚者を捕まえたと聞いている。つまり、004以降は政府が作り出した新参者だ。
「お前らじゃあの街を潰すのは無理だ。やめといた方が身のためだ」
政府の目標を無理だと断言して通話を切る。路地の入口と出口に1人ずつ男が現れた。
周りに人の気配は無くなっている。人払いくらいは済ませてくれたようだ。
この路地は俺が捕まる前に立ち寄った場所だ。
右手で道の脇に置いてあったゴミ箱を開け、ひっくり返す。ゴミが散らかり、正面の男は嫌な顔をした。
「少し警戒が足りないんじゃないか?」
「俺達は強い。お前のような小僧に負けるような力量では無いのでな」
適当に会話しながらゴミ箱の仕掛けを外す。ただの二重底だが、こんなゴミ箱にそんな仕掛けが施されているなど誰も思いはしない。
取り出した物を右手首に装着する。片手で装着するのは不便だが、慣れてしまえば割と簡単だ。
『認識装置稼働、合致しました』
「悪いが、俺にはやることがあるんでな。死んで、道を開けてもらうぞ!」
「ふん、どういきがったところで首輪が付いている限り何も出来はしない」
「ああ、これの事か?」
命令に従わなかったら電流が流れて一気に仮死状態にされるんだったか?
まぁ霊力接続装置を装着した時点で無意味だけどな。
俺は無造作に右手で首輪を握りつぶす。
3年ぶりの外気に触れ、生きた感触を思い出す。
「なっ! 貴様どうやって!?」
「見ただろ? 握りつぶしたんだよ」
「そんな馬鹿な! 人間じゃない!!」
「何言ってるんだ? お前達だって人間をやめて霊覚者になったんだろ」
「霊覚者? ってなんの事だ? 俺達は強盗殺人犯が逃げたからと報告を受けただけ」
瞳には怯えが現れている。嘘を言っているわけではなさそうだ。
どういうことだ? こいつらは囮で、本物は何処にいる?
霊覚者には大まかに分けると2つのタイプがいる。霊を使役する使役型と、霊と同調する憑依型だ。
014と017がこの場にいないとなると、二人とも使役型なのか?
「余所見のし過ぎではないか?」
「ッ!? お前は霊覚者か!!」
「そうだとも、あいつは一般の警官だがな」
背後から衝撃が走ったが、意識を手放すような無様は晒さなくて済んだ。咄嗟に前に飛んだのが幸をそうした様だ。
「001、特殊投影型だったな。どんな能力を行使するかは知らないが、使わせる間もなく終わらせてやる」
「へへ、やれるもんならやってみな」
さっき貰った打撃は確かに重く、強かったが、殴ることに特化した霊と同調しているならばもっと強くなっているはずだ。
ならば、こいつは盾役か。使役型と組まれると厄介だな。
「やれ、014」
ぶシュッ。
右腕から力が抜ける。拳を握ろうとしても腕は動いてくれない。
「そ、狙撃手、か?」
「冥土の土産に教えてやろう。私は皮膚の硬さを強化し、彼女は視力を強化した。ただそれだけなのだよ」
ーーはは、俺も鈍ったなぁ
それは声にはならなかったが、力を引き出す引き金にはなった。
特殊投影型。
1度だけ起きた奇跡の同調。
その奇跡の時間を現在の体に投影する特殊な霊覚者。
世界に2つと無い、自分自身と同調する能力だ。
その牙が、幻の左腕を生み出し、目の前の敵へと向けられた。
『自己投影を開始します。肉体の崩壊まで残り1000秒』