第11話 ルルリラ・スターチス
「グロリア様、グロリア様。」
聞き覚えのある声にグロリアは目を開いた。どうやらあのまま眠ってしまっていたようだ。
「お待たせしてしまったようですね。アステール様と何かありましたか?」
「あ…あぁ…悪い、寝てたみたいだ…。」
大きく伸びをしてライトを見る。アステールはまだ帰っていないようだ。
「…兄貴の……いや、ジョセフィーヌの様子を見るんだって出て行ったきりだ。その後は知らねぇけど、まだ帰ってねぇのか。」
「…ジョセフィーヌを?そうですか。しかしあまり長時間出歩くのは、城の者達に見つかってしまう恐れが…いえ、それが分からないアステール様ではないが…。」
口に手を当てブツブツと呟くライトを、首を傾げて見るグロリア。扉を叩く音が、ライトの思考を遮った。ルルリラと共に部屋へ足を踏み入れたのは、アステールだった。
「アス…グロリア様!どちらへ…!」
駆け寄ったライトを、ルルリラが手を伸ばし遮る。
「ライト様、事情を説明していただきましょうか。」
低いルルリラの声に、グロリアは息を呑んだ。普段あれほどおっとりとしているルルリラとは比べ物にならない程の冷たさだ。グロリアの正面に案内されたアステールの背後に立つルルリラ。そんなルルリラに全ての経緯を語るのは骨が折れる作業だった。何せ、人間が入れ替わるなどあり得ない事だったのだから。
「…成る程。到底信じがたい現象ですが…事情は分かりました。」
「ルルリラには本来なら今から説明をする筈でしたが、何があったのです?」
「私がアステール様のお部屋へ向かう途中、アマル様を避けるようにお部屋へと向かう人影を見かけ、声を掛けたのがきっかけですわ。あの動き方の癖、何処かで見た事があると思いましたの。それに昨日のドレスを選んでいる時のアステール様のお言葉…自分で言うのはなんですが、私、昔から勘は良い方なのですわ。」
そう微笑んだルルリラは、いつもの見慣れたルルリラだった。
ルルリラは城の使用人でありながら、隣国の男に恋に落ち子供を身籠り、あまつさえ城を抜け出そうとした。それがバレた事によって、毒を飲んで自害する事を求められた。その事を聞き付け不当に進入した男はその場で捕らえられてしまう。その男を助け出す為離れの部屋に幽閉されていたルルリラは脱出を試みる。二階の高さの窓から飛び降りた衝撃で腹部を強打。その場で気を失ったルルリラを、当時11歳だったアステールが発見した。一命を取り留めたが、お腹の子は既に動かなくなっていた。
「起きた?幽閉中の筈の…ルルリラさん。医者からは暫く安静にするようにとの事だよ。全く、無茶をしたみたいだね。…残念ながら…お腹の子は亡くなっていたよ。」
「……私だけが…残ってしまったのですね…。」
「…それは違う。彼はまだ無事だ。」
虚ろな目で俯いていたルルリラが顔を上げた。泣きそうな顔でアステールを見つめる。
「大丈夫。殺させないから。」
そう言って部屋を出て行ったアステール。鍵のかかる音が聞こえ、足音が遠ざかった。
頻繁に城下町へ抜け出していたアステールは、貧富の差から死んでいく者を多く目の当たりにした。城に居れば知る事のない国の事情を知ったアステールは、国の形や王族の姿に不信感を抱くようになっていた。しかし、子供に出来る事はなく、矛盾した心に悩む日々を繰り返していた。
父が居る筈の執務室へ向かう。声を掛ける使用人の声が届かない程、アステールは真剣だった。
「あぁ、彼はもう帰国を許された身ではない。行き場のない人間だ。情報を引き出し次第殺せ。」
「父様…いえ国王陛下、その件について、お話があります。」
ノックもせずに部屋に入るアステールに、国王陛下と呼ばれた男、ウシュックは持っていた筆ペンを静かに置いた。
「これはこれはアステール様、国王陛下はお忙しいのですよ、勝手は困ります。」
そばに控えていたウシュックの秘書がアステールを部屋の扉へ戻るよう促す。その手を払ったアステールは机を挟んだウシュックの正面へ向かう。
「僕は今までずっと考えていました。この国の事。どうすればみんなが幸せになれるか。…今の貴方は間違っている。」
「何を言い出すのかと思ったら、誰の入れ知恵だ?新たな事を知ると直ぐ熱くなる。子供だな。そしてアステール、皆が幸せになるなど、不可能だ。」
低い声で返すウシュック。そんなウシュックを見て、握りしめた拳に汗が滲むのが分かった。
「戦争で勝ったこの国は、王族こそ裕福にはなったが下町で暮らす人々の生活は変わらないままだ。いや、貧困差は開いている。貴方の取り決めた徴兵と税金の所為だ。下町は病が流行り、なんの支援もなく徴兵を受けたものの家族は僕ら王族を憎んでいる。そして武器を持った者達は皆処刑。負の連鎖だ。だけど、他国との会合の際にはそれを全て隠し通す。…その姿に心底恐怖を感じた。僕はこの現状を見て尚王族でありたくはない!こんな国なら潰れてしまえとさえ思う。貴方だって分かっている筈だ…!」
「お前は何も見えていない。目先の利益ばかり見ているようではそれこそ国を潰すぞ。馬鹿な夢を見ていないで、アマルを見習って勉学武術に励みなさい。」
「…規則を破ったら、処刑。それがこの国のルール。なら…僕も殺すんだよね?僕は今から地下牢に囚われているルルリラの旦那さんを解放してくる。ハッタリなんかじゃないよ。ルルリラも殺させない。毒薬を飲まそうとするならそれは僕が飲む。直接殺すのなら僕も後を追って死ぬ。」
アステールの真剣な言葉に、ウシュックは拳を握った。