襲撃前
村に戻ったのは、正午過ぎだった。薬草は無事に確保。依頼されていた分、ちょうどである。街を出る前は、他にも自分用の薬草も調達しようと思っていたが、ギリアムの話を聞いては、そんな気も消えてしまった。
予定より早く戻れたので、メイとジークムントは、村の広場で食事をとることにした。
メイにはネリーお手製のサンドイッチ。ジークムントには焼き魚である。
父と同じように、ネリーもまた料理上手だ。野菜と、少しばかりの肉が挟まれたサンドイッチは、嫌な話を吹き飛ばしてくれるくらいに美味しい。
ジークムントも、焼き魚を食べて、美味い美味い、と喜んでいる。ネリーは猫用の食事も、お手のものらしい。
昼食を平らげると、気が緩んできた。怖い話も、頭から飛んでいった。
うららかな午後。太陽の光を存分に浴びながら、メイはしばらく広場で、何もない時間を楽しんだ。
ふと見ると、ジークムントも丸くなっていた。そっと撫でると、黒い毛がメイの手に陽の温かさを返してきた。陽の光を、存分に吸い込んでいるようだ。
あまりにも安らいでしまい、眠たくなってきた。
これがねぐらなら迷わず寝てしまうのだが、あいにくと今は仕事の最中である。眠気を追い払いながら、メイは軽く腕を伸ばした。
「ふわあ」
大きなあくびが出てしまった。慌てて口元を抑える。ちょっとばかり、油断しすぎていたようだ。
「ジーク、帰ろっか」
黒い塊になりかけていた相棒を、軽く叩く。
「んー? もう行くのかあ?」
「うん。ジークだって、いつもの部屋の方がいいでしょ?」
「ああ。ま、そうだな」
猫らしい伸びをして、ジークムントが立ち上がる。とん、と跳ねると、定位置であるメイの右肩へと乗った。
ジークムントは、成猫ながら、重さを感じさせない。メイの小さな肩に乗られても、全く苦にならない。
体が大きい分、頬に毛皮が当たってチクチクとすることは多いが、メイはもう慣れてしまった。
薬草を入れた袋を背負って、歩き出す。帰りも荷馬車を捕まえられると助かる。村の入り口に、丁度良い馬車は来ていないだろうか。
ささやかな幸運を祈りながら歩いていると、次第に周りの雰囲気が変わってきた。家々の間を、村男たちが駆け回っていた。何やら叫ぶと、扉を勢いよく閉めている。
「どうしたんだろ?」
尋常ならざる雰囲気だった。
「ねえ、ジーク? 何があったんだと……」
思う? と聞こうとすると、ジークムントの姿がなかった。
「あれっ? あれれっ!?」
あたりを見回しても、黒猫の姿がない。
「ジーク!? どこにいったの!」
周囲の雰囲気と、相棒の消失で、不安感が一気に膨れ上がる。
どうしたらいいのか、分からない。どこへともなく逃げ出したくなるが、逃げ込める場所など思いつかなかった。
そこへ、ギリアムがやって来た。とにかく慌てた様子で、メイを見つけると、駆け寄ってきた。
「メイ! 無事だったか」
「え? ぶじ……?」
ギリアムは何を言っているのか。メイは、理解するのに時間を要した。
「無事って……、何があったんです?」
恐る恐る尋ねる。すると、ギリアムは答える暇も惜しいとばかりに、メイを抱えて走り出した。
「ぎ、ギリアムさん!?」
「話は後だ。とりあえず、俺の家に来い!」
「え? ええっ!?」
元冒険者らしい健脚で、ギリアムは村の中央近い自宅へと走った。
「マーシー! メイを頼む!」
飛び込むように、家に入る。メイは乱暴に放り出されて、尻もちをついてしまった。
「来ていたの、メイ! あなた、外の騒ぎはいったい……」
メイを支えながら、メイと同じ疑問を、妻のマーシーが投げかける。
ギリアムは神妙な顔で、重々しく言った。
「盗賊団が来る」
「え……?」
マーシーの顔から、血の気が引いた。
メイも、漠然と抱えていた不安が爆発して、泣きそうになる。
「いいか、絶対に家から出るな。今、俺と他の奴らでバリケードを作ってる。村の連中に声をかけて、出られる男たちを全員出すつもりだ」
「ギリアムさん、なんで村に盗賊なんか!?」
メイは、当然すぎる疑問をぶつけた。
この村には、金目のものなど無い。いぜいが牧場に牛が数頭いるくらい。畑はまだ収穫時期を迎えていないし、盗賊が奪えるものなど、何もない。
「朝方通った、行商人の一行を追ってるみたいだ。村を狙ったものではないが、通り過ぎるだけでも何をされるか分からん。あいつらは、気まぐれで人を殺すくらい、平気でやるからな」
ギリアムは息を飲み、
「狙いがあの団体さんだとしても、小遣い稼ぎに、女子供をさらうなんてこともある。今はとにかく、隠れていろ。マーシー、メイはまだ子供だが、法術が使える。意味は分かるな?」
「……えぇ、大丈夫。メイはちゃんと守るわ」
子供、さらに法術師となると、良い値で売れる。奴隷市では、格好の商品だ。
メイは、マーシーにしがみついた。が、そこで、
「あ、ぎ、ギリアムさん、ジークがいないの!」
姿を消した、相棒を思い出した。
「ジークムントが……? あいつ、メイを放ってどこに……」
「ね、猫だから大丈夫だと思うけど、見つけたらお願い! 助けて!」
「ああ、大丈夫、任せておけ!」
ギリアムは、返事もそこそこに飛び出していった。冒険者を経験しているギリアムが、ああも慌てなければならない盗賊団とは、どれほどだろう。
「メイ、大丈夫よ。私が守ってあげるから」
怯え、震えるメイを実の娘の様に、マーシーは抱きしめてくれた。
メイは、自分が子供にすぎないと、改めて思う。法術が使えるといっても、簡単なケガを治すのがせいぜい。治癒が得意なんていっても、その程度だ。
実家だった、王都の屋敷を思い出す。四つ上の姉は、とても優れた法術師だった。メイよりもずっと上手く、それでいて華麗に法術を操っていた。
自分も姉のように力があればよかったのに。そうだったら、怯えて震える前に、村の人たちを助けてあげられたのに。
抱きしめてくれるマーシーに、思いっきり抱きつく。
「ジーク……」
あの生意気な黒猫も、無事であって欲しいと願う。きっと、今は危険を感じてどこかに隠れているのだと思いたい。
ジークムントがいても、盗賊には太刀打ちできない。自分のような三流以下の法術師のサーヴァントでは、人に爪を立てることもできないだろう。
だからせめて、無事で、と。またあの生意気な黒猫に会えるよう、メイはひたすらに祈った。