3 吉原・マドンナ・美奈子
「前に言っていた政府のガイドライン審査コンテストまであと二ヶ月。それまでに私は君たちの作品に目を通さなくちゃいけないわけだけど、進捗はどうかしら?」着任から一か月程経ったある日、吉原・マドンナ・美奈子先生は俺たちにそう告げた。
だがここで俺たち三人は佳境に立っていた。完全なスランプだった。部室の備品であり参考書籍としていた各種の有害図書群は、今桐生先輩の自宅に厳重に保管されている。今はおいそれとそれらを閲覧できる状態にはない。
俺たちは書けなかった。自身の身の内にあると思っていた執筆への渇望は、所詮外部刺激による実体のないホログラフィーのようなものだったのだ。何かのコピー、その言い方が適当でなければリスペクト、あるいはオマージュ。オリジナルがあって初めて俺たちの作品は成り立っていたのだ。二次創作は崇高なる創作への侮辱だと高らかに謳っていた俺たちも所詮はオリジナルではなかったのだ。
「どうせ俺たちの作品は有害図書扱いになりますよ、そんなものを今更……」三条は諦め口調で肩をすぼませる。
「あら、あらあらあら? 男の子が勝負する前に負けを認めるのかしら? 三条君の得意分野は確かSFだったわよね」
「ええ、まあ……」と、三条は覗き込むように瞳を見つめてくる吉原先生から目を背ける。
「SFは未来への夢、私たち人類はその全てではなくとも、かつてSFと呼ばれていた世界を実現しているのよ。あなたの夢を描くのよ、実践科学に基づいた深い考察と緻密な描写、今は実現不可能と思われたとしても、それ即ち荒唐無稽と断ずるには至らないわ」
「……深い考察と緻密な描写……考察と描写……」
三条ははたと気づいたように、おもむろにノートパソコンを開きキーボードを叩きはじめた。
「先生、僕はダメです、異世界ファンタジーなんてどこをどう切り取ったとしても創造創作媒体のガイドラインに引っかかってしまいますよぉ」木の下は泣きそうな声で机に突っ伏した。
「ファンタジーは世界の人々に夢を与えるのよ。しかしそれと同時に異世界人もまた人であるという普遍性に私達は感動を覚えるわ。彼らの容姿に関しての表現規制はあれど、彼らの世界そのものを創作することは禁忌に触れない。なぜならそれもまた我々人類が歩んできた道なのだから。神も怪物もいなかったと誰が証明できるかしら? 魔法はあったかもしれない。事実、過去の文献にはそれに類する記述が多く残されているのよ」
「いなかった訳じゃない……いたかもしれない? いや、あったかもしれない?」
「大切なのは説得力よ」
「わ、わかりました……僕、頑張ってみます!」
木の下は鼻息を荒げ鞄をひっつかむと、図書室の方へと駆けていった。
「俺には妹なんていないんだ……」顔を俯けて股間に両手を挟んでいじける小山田がいた。
「現代劇において家族コミュニケーションを描いた秀作は山ほどあるわよ。家族の絆、愛と感動、離別、和解、小山田君はまだ若いからそれほど多くを経験していないかもしれない――けど、今の君の気持、もし妹がいたらどんな風に接するだろうか、何を話しかけるだろうか、十六歳のフレッシュな感覚は今の君そのものなのよ。本当の気持ちは今そこにあるもの、思うように書き連ねなさい。オープンマインドよ」
「僕が思うように、望むように?」
「そう、愛溢れる家族の姿を思い浮かべるのよ」
小山田はさっきまでとはまるで逆に、体を反り起こし、感無量といった今までの彼にはない、さわやかな表情で天井、いや、その先のはるか彼方の青雲を仰ぎ見ていた。
「先生はあなたたちが真摯に文芸に情熱を注いでいることを信じたい。法律は国が決めたことだから仕方ないけど、今のあなたたちの最高のパフォーマンスを対外的に示すのよ、思い切り書きなさい――国重君はだいじょうぶ?」
「これって僕たちを試すってことですよね? 傾向と対策ってやつですか」桐生部長の“甘言に惑わされるな”という言葉を思い出しながら、俺は大きなため息をつき、さも不機嫌にみえる顔をつくって彼女に差し向ける。
彼女はテーブルに肘をつき頬杖をつくと、艶かしく腰をひねり、もったいぶった。まるで誘うかのように。
「意地悪な言い方だけどね。つまりはそう。あなたたちの書いた作品がガイドラインに引っかからなければ学園もこれ以上手出しはできない。それとも自分が世の中を不幸にするような作品を書いていると思って?」
俺は部長としてではなく、一人の物書きとして迷わず言い放つ。
「いえ、僕たちは自分の書きたいことを文章にしたためて、物語として表現しているに過ぎません。僕たちは真摯に小説とただ向き合いたいだけなんです。身の内にある思いを発露したい、ただそれだけなんですよ」
それに対し吉原・マドンナ先生は微笑み、そして不敵でどこか淫猥な視線を皆に向けている。
「国重君……本当に小説を愛しているのね」
そう言われることには嬉しさも感じるが、少し恥ずかしかった。
「なら、大丈夫よ。きっと。私はあなたたちを信じるわ」
「ええ、まあ……先生がそうおっしゃるのなら……」俺は原稿用紙に視線を戻しながら照れを隠す。
「でも、さすが部長ね。期待しているわ!」
立ち上がりざまに吉原先生は俺の肩にそっと手を添えて、ポンと叩いた。踵を返しタイトスカートの腰をやや振りながら、部室を出てゆく。
俺は戦慄する。傍らの消しゴムを手に取る際、彼女が図書準備室の引き戸を締めるその瞬間、頬の横で手を軽く振る美奈子の微笑みに。いや、そうではない。その直後に指を折りピースサインを作ってウィンクする彼女は、哀れな戦士を鼓舞し救済の手を差し伸べる戦乙女だった。
俺と三人の部員はこの聖母のような寛容さと、攻略不能と思える艶容なるオーラを纏う女神への賛美として、冬休みを目一杯使い、それぞれ渾身の一作を書き上げた。身の内にある思いのたけをすべて原稿へと落とし込んだのだ。
法案可決から三ヶ月、冬休みが明け法施行を来週に控えた今日まで、俺たちはできる限りの反対運動を行い、今の自身の全てをかけた執筆活動を行った。
あのまま何もしていなければ、今後該当年齢の俺たちは空想ファンタジー小説を執筆することも、妄想系のラノベを所持することも、萌え系アニメを視聴することも、SF漫画を読むことも、禁止されてただ立ちすくみ終わるはずだった。
俺たちの活動が、俺たちの思いが理解され認められたならば、この部の存続はおろか、俺たちは今の想像創作のスタイルを貫けるのだ。
ガイドラインの禁忌項目にはすべて目を通し、推敲の際、抵触事項を削除していった。
ただ、これは闘いだ。コンテストで落選するのとはわけが違う。部の存続をかけたこのコンテストの敗北がもたらすものは廃部と断筆である。いままで一般公募だろうがウェブ小説賞だろうが、俺たちの中で一次選考すら通過した奴はいない。正直自信があるとはいいがたい。
だが俺の中にはこの流れに身を投じようとしている自身に疑問を感じていた。いや、はっきりと疑問と言える何かがあったわけではない。思考の綻びといっていいだろうか、あるいは掌に刺さったコンマ一ミリにも満たない棘のようなものかもしれない。