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2 原罪的中二病罹患者純血種

 三ヶ月後の法施行日、それはすなわち俺ら文芸部最後の日とも取れた。つまり俺たちの部活動のリミットだ。


 小説を書きながら妄想をしないものはいない。どこかに理想や希望や夢を織り交ぜ、都合のいい記述や状況もまた創作する。それがなければ楽しく読める物語が成立しない。しかし、あと三ヶ月で俺たちの妄想はアウトプットもインプットも許されないものになる。


 そう、なるはずだった。


 法案可決からしばらくして、松田先生はやりきれないとばかりに学園を去った。誰にも告げることなく。そして我が文芸部には新たに暫定的な顧問があてがわれた。


 新しい顧問が来たとて、俺たちの明日に光明が見える訳ではない。実質廃部は決まったようなものなのだ。だがまず、俺たちはその招かれざる裁定者が訪れるまでにいくつかの準備をしなければならなかった。


 隣町の高校から赴任してきた新顧問の吉原美奈子先生は国語の教諭。完熟食べごろ、売り切り御免の三十四歳独身、かつてはマドンナと呼ばれていたそうだが、今でもその艶姿は衰えていないと俺は思う。


 部室に現れた彼女の開口一番はこうだ。


「――あら、意外にあっさりしてるのね?」


 俺と桐生部長は心せず視線を交わしあっていた。


 学園側は法律で決まったことには逆らうわけにはいかないと、法施行までの間に部室の整理を命じてくる。顧問の監督下といえど、部活動という合法的な隠れ蓑として文芸部が使用され、違法行為の巣窟になることを恐れていた。よって部の存続ができたとしても、いままで備品として置かれていた想像創作媒体に類する書物は没収され、学園管理下の元厳重に施錠された倉庫に保管されることとなる。


 桐生先輩は事前にそういった動きを察知し、俺たちに片付けを急ぐように促していた。かつてここにあった俺たちの備品たからものは桐生先輩の自宅の押し入れに全て保管されている。今本棚に並んでいるのはもともと図書室にあった古本や、所持していても問題のないレベルの古典文学や古典ファンタジーであり、ライトノベルなどという言葉が生まれる以前の作品ばかりだった。


「ええ、まあ。僕らは生み出す側の人種であって、既存の作品を読み貪る側に陥って創作性を損なうわけにはいきませんから、そういった戒めのために極力備品はおかないんです」


 毅然とした態度で挑んだ。顧問が美人教師だからといって心を許し鼻の下を伸ばすほど俺たちは惚けてはいない、という証明として。


 だが吉原女史は肩をゆすって笑う。所謂巨乳と呼ばれる胸部の脂肪の塊がそれと同期して揺れた。


「堅苦しいのね。まず部の存続を求めるならば『有害図書ファンタジー』に該当するものだけは、部室から片付けるように言われたんだけど、これなら必要なさそうね?」吉原先生は部室の本棚を覗き込み、つつと人差し指で背表紙をなぞり、感心したような吐息を漏らした。


 そして俺たちは耳を疑った。

 

「え……部の存続が、可能なんですか……じゃあ俺たちは今までどおり?」


「ええ、条件つきではあるけどね」


 彼女は赴任早々、文芸部が廃部の危機にさらされていると知るやいなや、若き文芸の才能を無碍に摘み取るような行為は教育者として恥ずべきだと、職員会議の場で我が部の存続を強く訴えかけたのだという。


「全ての想像を奪うことなんて所詮は無理な話なのよ。だから政府もそこは譲歩して、規制対象となり得る想像創作媒体を千二百項目にも及ぶ規制対象描写表現に抵触するか否かによって裁可を下すというガイドラインを設けたのよ。線引きは難しいものだけどそこは私の校閲ひとつとも言えるわ、先任の松田先生はこのことご存知ではなかったのかしら?」


「あ、松田先生は社会科の教師だったので、校閲なんかはぜんぜん……あの先生、どういうことですか、それって?」


 俺が問い詰めると、彼女は一瞬表情を固めボソリとつぶやいた。


「――え? なんですか」


「あ、ううん、なんでもないわ」彼女は取り繕うように笑顔を見せたが、俺の耳にははっきりと刻まれていた。妖艶な声色で専任の松田先生のことを「……まあ、不勉強な豚ね」と詰ったのを。


 それはともかく、吉原女史の描く部活動存続のための道程はおおよそこのようなものだ。


 顧問教師がガイドラインに沿った検閲を行い、その作品を政府主幹の公募に投稿、一次ラインを通過した時点で教師は保護監督者の権限が得られるという制度なのだという。


 制度的にそれだけで俺たちの創作活動のすべてが保証されるわけではないが、少なくともこの部活内だけでなら創造創作媒体の所持は認められることになる。


 では肝心のアウトプット、つまり執筆に関して言うと、有資格者の彼女のお墨付きであれば一般公募に限り応募することができる。つまり俺たちの生殺与奪権を握っているのはこの巨乳女史、生かすも殺すも彼女次第というわけだ。


 彼女が文芸部顧問として着任してから、毎日のように俺たちは顔を合わせ侃々諤々の話し合いを重ねた。それによると彼女は俺たちの活動や趣味に関しては可能な限り寛容に受け止めてくれる姿勢を見せてくれている。自分の監督下であれば部の存続は充分可能だと証明してみせるとまでいい、俺たちを励ましてくれた。


 一見その大人の女性の艶やかな目元は、まだ男として十分な自信を蓄えられていない俺たちを気後れさせるが、彼女は彼女なりに精一杯俺たちに寄り添おうと努力してくれているのが判る。国語の教師故、文章の乱れを指摘することもあるだろうが、それも時代の流れだと柔軟に受け止められなければいけないとまで語っている。


 文字表記媒体の衰退を少しでも防げるならばと、先生個人としてはSFだろうがファンタジーだろうが概ね許容できるものだと評価していると、俺たちには思えた。


 彼女は文芸を愛しているのだ。


 たったの一週間で俺たち男の子は篭絡された。そして共に部活動の存続を目指そうと意気投合していた。


「君たちは知っているかしら? ファンタジーは今に始まった事ではないのよ。古くは紀元前八世紀、ホメロスの『オデュッセイア』、『イーリアス』。文字として成立した物語が『ギルガメッシュ叙事詩』、いいえ、そもそも神話などすべて想像の産物よ。文学の歴史はファンタジーより始まったと言っても過言ではない。月渡航を扱った『竹取物語』、ルキアノスの『本当の話』とてSFよ。そういう意味では小説の体を成す最古期の物語とする源氏物語なんてハーレムラブコメの元祖といっていいわね」


 俺たちはその読んだことも聞いたこともない物語の概要に興味深く耳を傾けていた。しかし少し離れた席で本を読んでいた桐生部長がたまらず声をあげた。


「はン、ホメロスですって? いくらなんでも遡りすぎやしませんか、先生? 現代のサブカルチャー界で通用するとは思えませんね、我々に二次創作でもしろと?」桐生部長は同じ女性という感情的なものもあるのだろう。端々で反発の意思を示していた。


「当局は歴史的資料価値のある古典文学に関しての規制は敷いていないのよ。だからといってそれらを文学の至高とするつもりはないわ。けどもガイドラインとして参考にはなるという話よ。うまくやれるに越したことはないでしょう?」こともなげに吉原先生は部長の弁舌を躱す。


 確かにそうだ。政府が許可する作品に寄り添う形であれば、俺たちが想像創作媒体に携わることを咎められることはない、という詭弁が成立する。吉原先生は俺たちにひとつの可能性を暗に示しているのだ。


 彼女は行政を狡猾に欺く女狐か、それとも俺たちを懐柔し隙あらば食おうと考える女豹か。とはいえゼロよりも一の可能性に賭けてみるより他はあるまい。部長も含め俺たちにはほかに選ぶべき道がないのだ。


 そんな桐生部長は肩をこわばらせ、奥歯をギリと噛み締め、搾り出すように俺たちに視線を投げつける。対して吉原先生は動じることなく余裕の笑みをたたえ、彼女に無言圧力サイレントプレッシャーをかけ続けている。


「くっ……いいのかお前ら。お前らの大好きな緑の髪とかピンクの髪はNGワードだ。特に木ノ下、車に撥ねられて異世界転生するのもアウトだぞ。それに小山田、『きゃぴるん!』とか意味不明な擬音も使用禁止だ。三条、お前もだ、社会を倒錯に陥れる環境設定は人心を惑わす害悪として規制される。そういったものは現実社会を知る成人でなければ記述してはいけない。古典文学はひとつの既成規定化された世界だ。偏ったイデオロギーの中で萌芽した文学だ、お前たちの世界はそんなに狭いものなのか? この世界をひっくり返し驚愕の奈落へ突き落とすという気概を自ら放棄するのか?」


「部長……俺たちは何も――」


「黙れ国重! お前は、お前も……!」


 結局、桐生洋子は俺にはなにも告げなかった。いや、感極まりそれ以上言えなかったのだ。


 安易に監理側の人間の甘言を信じるものではないと、吉原先生に尻尾を振る俺たちに対し警鐘を鳴らしたつもりだっただろうが、活きのいい高校一年生の俺たちはこのマドンナの登場に正直心がときめいていた。


 部長はいずれ年齢を十八に迎え解禁できる身である。選挙権だって獲得する。どちらに付くかなどと言いたくはないが、彼女が俺たちの同志たる部長としての求心力を失うには十分な条件だろう。


 彼女はこの問答以降、部室ではすっかりその存在感を潜めてしまい、やがて時期的な問題も重なり、部長の座を俺に譲り、退部を決めた。


 自称天性のBL作家。男性経験皆無かつ男性器を知らずして謎穴を駆使し、滔々と男性同士の目合まぐわいを赤裸々に書き連ねる天才、稀代の腐女子、超々腐人、それが桐生洋子である。


 一部の同人誌では重版が期待されているほどの実力の持ち主で、カテゴリーは違えど俺たちが彼女を先輩と称えるにはそれなりの理由があったのだ。


 だが、彼女はこの先、俺たちと苦悩を分かち合う立場にはなりえない。彼女は大学に進学し、そこでまた文芸部の星となるだろう。ファンタジー法案が施行されたあとの世界で最も重篤な原罪的オリジン・オブ中二病罹患者・ファンタスティック純血種・ピュアブラッドとして、ラノベ界で期待の星となるだろう。


「桐生先輩、俺たちはあなたのことを尊敬しています。そしてこれからも応援しています。ですが俺たちのことはどうか心配しないでください! 大丈夫です、先輩が守ったこの文芸部、絶対潰したりはしません」


 この言葉に彼女は悲しい目を一瞬俺たちに向け、一人暗い廊下へと駆け出していってしまった。


 新部長として俺はこの部を引退する彼女へのはなむけのつもりで言ったのだ。嘘ではない、あなたは今まで十分すぎるほど頑張ったんだ。こんなところで立ち止まっている場合じゃない。俺たちに構っている場合じゃないんだ。


 俺たちにとっても新たな文芸部の幕開けだ。俺たちは俺たちでこの苦難を乗り越えてみせる。そしてあなたに、桐生洋子に必ず追いついてみせると心に誓った。



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