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特種害獣

 昨年の七月、大学四年生だった私は、第一志望の大手都市銀行から採用内定を勝ち取った。

 二年生の春頃から企業研究を始め、各種のセミナーに出席し、OB訪問を重ね、採用活動が解禁されてからはいち早くエントリーシートを提出し――人一倍努力をしてきた自負はあるので、当然の結果だと思った。一日も早く経済的に自立することこそが私の目標で、そもそも奨学金を受けてまで大学に進学したのだって、少しでも安定した収入のよい職に就きたいがためだった。

 内定通知を受け取った後も実に順調だった。内定者懇談会に参加して他の学生と仲良くなったり、事前の研修会のレポートを人事の人に褒められたり――大学の方は卒業単位はほとんど取得済みだったから、卒論だけ落とさないように頑張ればよかった。少しだけ贅沢をして、友達とオーストラリア旅行に行ったりもした。


 多少浮つきながらも、四月からの新社会人生活に希望を膨らませていた私は、しかし、今年の二月にどん底に突き落とされた。


「それはまたどうして? 内定先の経営が悪化したとか?」

「いいえ、そうではなくて……」


 少し言い淀んだ後、正直に打ち明けようと決めた。嘘を吐き通せなくもなかったが、まあアルバイトの選考だから、という気楽さが口を軽くした。


 急遽内定先の本社に呼び出された私を、険しい顔をした人事担当者が待ち構えていた。会議室での面談には部長クラスの管理職も同席していた。

 蓮村はすむらさん、どうして呼び出されたか分かりますか、と始まり――。


「私の履歴に詐称があると指摘を受けました。『賞罰なし』と記載していたのですが、実はあの、高校時代に一度だけ、その、補導歴があってですね……内定先にそれを突き止められてしまいまして」


 固い企業だったから、たぶん内定者全員の素行を調査会社に洗わせたのだと思う。もちろん警察からそんな情報が漏れるはずはない。近所の人か、当時の友人が口を滑らせたのだろう。

 私の弁明は聞いてもらえなかった。困るんだよ、銀行は信用が第一なんだよ、行員の中に瑕疵のある人間がいては顧客が不安になるだろう、しかもこんないかがわしい――彼らは補導の理由まで調べていたらしい。

 ご家庭の事情で苦労しているのは分かるが、だからってこれはね――父親くらいの年齢の人事部長は、苦虫を噛み潰したような表情の中に、確かに蔑んだ色を見せた。


「どうして警察のお世話になったりしたのか、訊いてもよろしいですか?」


 九十九里つくもりさんはごく穏やかに尋ねる。責めたり軽蔑したりする様子はない。


「……援助交際です」

「なるほど」

「言い訳するつもりはありませんが、未遂です。後にも先にもそういうことはありません」


 結局、内定取消通知書を渡され、基本給一ヶ月分の損害賠償と引き換えに異議申し立てはしないという念書をその場で書かされた。賠償金は即日に口座へ入金されていた。


「やっぱり……採用には問題ありますかね?」


 私は恐る恐る尋ねた。九十九里さんは軽く首を振る。


「いえ、まったく。地検送致されていなければ前科には当たりませんし、そもそも、未成年時の犯罪については履歴書に記載しなくて構わないんですよ」

「はい……後でネットで調べて知りました。でもあの時は頭が真っ白で、言われるままサインをしてしまったんです。賠償金も受け取ってしまいましたし……」


 それに、正当性を主張して入行したところで、すでに上から偏向の目で見られている状態では私の将来は暗いだろう。冷静に考えると妥当な判断だったと思えるが、あの場で強く弁明できなかったのが情けなく、学生だと舐められたのが悔しい。同時に大人のやり口をいうものを垣間見て恐ろしくもあった。

 九十九里さんは長い指で顎を撫でつつ、なかなか悪辣ですねえと呟いた。


「もっと賠償金取れましたよ――それと……うちでは主に内勤になりますが、たまに雑用もお願いするかもしれません。パソコンは普通に使えますか?」


 内定切りの話題はそれきりになった。

 私は心底ほっとして、でもさすがに正社員の面接ではこんなにざっくばらんには話せないよなあと思った。今後の就職活動に備えて、当たり障りのない受け答えを考えておかなくてはならない。


 採用されたら、私はこれまで九十九里さんが一手にこなしていた事務作業の一部を引き継ぐことになるらしい。データ入力が主で、あとは総務や経理。何でも、全体の業務量が増えてきて九十九里さんの手が回らなくなったそうだ。おまけに彼は外出も多く、オフィスで電話番をしてくれるだけでも助かると言われた。


「でも残業はありませんのでご安心を」

「さっきお会いした方が暇だとおっしゃってましたけど……」

「ああ、日下くさかですね。彼はある意味専門職で、繁閑の差が激しいんです。当NPOの事業内容は、あまり詳しくご存じないですよね?」


 専門職……ああ見えて彼、手に職を持っているのだろうか。釈然としない私を見て、九十九里さんは苦笑した。


「彼は『捕獲員キャプター』、主な活動は特種害獣駆除です」

「特種害獣……?」

「世間的には吸血鬼と呼ばれていますね」


 その名称を耳にした途端、私の全身の筋肉が強張った。血流が停止して、同時に胃と腸を冷たい手で掴まれる感覚。

 私にとっては、特別な意味を持つ存在の名前だった。





 その存在がいつから確認されていたのか定かではない。

 本邦における最古の記録は奈良時代だが、イラクで出土したバビロニアの粘土板にも記述があるというので、有史以前から人間の世界に入り込んでいたのは間違いないだろう。

 吸血鬼とは、呼称の通り人間の血液を摂取する生物である。その姿は人間とほとんど変わらず、それでいて身体能力は人間を遥かに凌駕する。夜の闇から現れ、町や里でヒトを襲ってはまた闇へと消えてゆく。

 襲われた被害者は、その後決まってある()()症状を発症する。そのため、日本では吸血鬼は近代に入るまで疫神の一種として恐れられたり、地方によっては土地神と同等に信仰されてきた。


 吸血鬼が神でも妖怪でもなく、熊や狼と同じくヒトを襲うケモノであると認識されたのは、明治に入ってからだ。

 彼らの出現地域と行動が分析され、太陽光が最大の弱点であると判明すると、国を挙げての駆除が始まった。夜の間に捕えられ、朝の陽光に晒されて炭化した吸血鬼の死骸を、私は大学図書館の報道写真集で見た覚えがある。

 それでも吸血鬼を完全に撲滅することは叶わなかった。それらの巣が突き止められなかったからである。

 吸血鬼たちは出現頻度を減らしつつも、今に至るまで常に一定数の犠牲者を出し続けていた。何しろ、捕獲した個体にGPS発信機を埋め込んで解放しても、途中で信号が消失してしまうのだ。最新の研究では、この宇宙とは異なる世界から渡って来ているのではないかというSFめいた仮説まで唱えられている。


 現代でも全国で年間三百件ほどの人的被害が発生しており、死に至る場合もある。

 被害のほとんどが大都市部に集中しているのは、それだけ餌となる人間が多いからだろう。人工の光が夜の闇を侵食して、向こう側から魔物を呼び寄せるのだ――などというもっともらしい俗説もネットでは囁かれているのだが。


 恥ずかしながら、私はこれまで吸血鬼退治は政府か自治体がやっているのだと思っていた。何かあった場合に通報するのは警察の窓口だから、専門の部署があるのだと。まさか民間のNPO法人が請け負っていたなんて。


「もともとはね、全国各地のフリーの捕獲者が別々に仕事をしていたんですよ。でも事案の発生件数自体が少ないので、専業ではビジネスになりにくかったんです」


 九十九里さんはパンフレットを見せながら私に説明してくれた。

 確かにスズメバチの被害なんかは年間で数千件というから、吸血鬼の出現頻度は僅少と言える。しかし熊や猪の駆除とは必要とされるスキルが異なるため、捕獲者は本業の傍ら、自治体の要請で有事の際だけ駆り出されるのが普通だったそうだ。

 そんな旧来然としたシステムを刷新したのが、このSC。


「同業者同士で情報を共有して、協力し合った方が効率的でしょう。対象の出現パターンや行動様式も詳しく分析できます。それで五年前にこのNPO法人が設立されたんです。現在、全国の支部に五十名ほどの正会員がいます」

「九十九里さんも捕獲作業をなさるんですか?」

「昔はね。今はお手伝い程度です。日下くんは優秀ですから」


 たった一人で吸血鬼を捕まえられるものなのだろうか。それともよその支部と共同作戦なのかな。


 話を聞いて、私はリアクションに困った。大変なお仕事ですね勉強になりました、と頭を下げればよかったのだろうが、表情が強張るのを隠せなかった。

 皮肉だった。知らず知らず、自分にとって深く因縁のある世界に足を踏み入れいていたなんて。逃げた方がいいか? また――とんでもない悲運を招いてしまうかもしれない。


「と言っても、今回の募集は内勤です。危険はありません。ご心配ですか?」


 私が黙りこくっていたので、九十九里さんは気遣わしげに尋ねる。私は慌てて首を振った。


「いえ! 採用して頂けたら精一杯頑張ります」


 迷いはなかった。事業運営に係わるわけではないのだ。あくまで末端のアルバイトスタッフとして粛々と作業するだけ。危険などない。

 九十九里さんはにっこりと笑った。


「蓮村さんのようなしっかりした方に来てもらえると、こちらも助かりますよ。僕としてはぜひ採用したいのですが、この後責任者に会って頂きたいんです」


 社交辞令だとしても明るい口調は嬉しかった。彼は腕時計を見て、


「じきに出社するはずなんですが……」


 それを合図のように、玄関のドアが勢いよく開いた。

 同時に、はっくしょん、と派手なクシャミの音が聞こえる。


「まったくあの藪医者! 予防注射したのに全然効かないじゃないの!」


 悪態をつきながら入って来たのは、背の高い女性だった。

 アイスブルーのワンピースに白いジャケット、リボンのついたクラッチバッグ――フェミニンで華やかな装いに相応しい美人である。二重の大きな目は睫毛が濃く、やや厚い唇はピンクのグロスリップで艶めいている。艶々した長いウェーブヘア、優しい丸顔と相まって、年は三十前くらいだが、どことなくフランス人形を思わせる美貌だった。

 ただし今は、小作りな鼻を真っ赤にしてしきりと鼻水を啜り上げている。よく見ると目元も赤かった。


 九十九里さんは立ち上がって、時刻のずれた挨拶をした。


「おはようございます、環希たまきさん。今日は花粉が凄いみたいですね」

「凄いってもんじゃないわよ。もう即死よ即死! 何であなたも日下くんも平気なの? アレルギー注射受けたのに、さっぱり効きやしないわ」

「接種が遅すぎたんですよ。症状が出始めてから受診したでしょう。毎年のことなんだから早く行けばいいのに」

「忙しかったんだから仕方がないじゃない。マスクある? 早く空気清浄機つけて!」

「もうつけてますよ。マスクは先日箱買いしたので、すぐにお出しします」


 賑やかなやり取りに呆然としていると、その女性と目が合った。白目が充血していても、大きな黒い瞳は鋭く私を射る。ちょっと戸惑ってしまうくらい物怖じのない視線だった。初対面の人間に遠慮する必要のない立場の人なのかな、と感じた。


「その子、アルバイトの?」

「ええ、蓮村はすむら きぬさんです。ちょうど面接が終わりまして……環希さんの方でご異存がなければ、雇い入れを」

「じゃ、向こうで話を聞きます」


 彼女はもうひとつクシャミをして、ハンカチで鼻を拭いながら奥へ進んだ。

 おはよう、コーヒー入れてちょうだい、の言葉とともにペチンと音が鳴ったのは、また居眠り中の彼を叩いて行ったのかもしれない。

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