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羊飼いのセレネイド ~狼と狩人は闇夜に踊る~  作者: 橘 塔子
第三夜 箱の中身と誘惑者
25/73

バースデイ・サプライズ

 私のSOSが保険だったと知った日下くさかくんは、当然ながら烈火のごとく怒った。


「自分からついて行っといて他人を巻き込むな! てか、こんな奴にホイホイついてくんじゃねえ!」


 メッセージを受信した時、東欧の捕獲団体とネット通話していたとかで、彼はまだオフィスにいたらしい。九十九里つくもりさんに連絡を入れつつ、社用車で急行してくれたのだ。

 ああ、本当に申し訳ないことをしてしまった。

 私がひたすら謝り倒すと、彼は意外とすぐに冷静になった。九十九里さんに「蓮村はすむらの無事を確認。緊急性なし。詳細は明日」と報告を送ってから、私を車に乗せる。


「で、何なんだよマジで。事情を話せよ」


 助手席に乗り込んだ私は、そう訊かれた時には腹を括っていた。こんな深夜に呼び出して迷惑をかけてしまったのだ。何でもない、で済む話ではないと分かっている。

 ちなみにエリアスはとっくにミミズクの姿に化け、後部座席で毛繕いなど始めている。当事者のくせに説明も弁解もする気はないらしい。まあ、もとより頼りにはしていない。

 言葉にしないと伝わらない――さっき彼に言われたことを胸の中で反芻し、私は不機嫌そうな日下くんの横顔を見詰めた。


「行きたい所があるの。迷惑ついでにお願いできない?」


 彼の返事を待たずに、カーナビにある住所を入力した。


 それから、私は日下くんに話した。家族全員の遺体を見つけたあの夜の出来事を。

 日下くんは車を運転しながら、黙って話を聞いてくれた。たぶん彼も新聞やテレビで聞き覚えのある事件だと思う。娘一人を残して一家が惨殺され、その犯人も現場で自殺。当時はずいぶんセンセーショナルに報道された。しかし彼は、時折相槌を打つだけで言葉を挟もうとしなかった。


 警察の捜査で分かった状況は、こうだ。


 玄関のチャイムを聞いた弟の麻人あさとは、私が帰って来たと信じて疑わなかった。お姉ちゃんを待とうねと、ケーキと海老フライをお預けされていたのだ。母がインターホンを取る前に麻人は玄関に走る。そして何のためらいもなくドアのロックを開けた。お姉ちゃん遅すぎだよとか何とか、悪態をついていたかもしれない。

 だが、ドアの向こうに立っていたのは見知らぬ男だった。

 凶器は刃渡り二十センチのサバイバルナイフ。麻人は左胸をひと突きされて、それが致命傷になった。


 悲鳴を聞いて母が駆けつけてくる。麻人を胸に庇った母を、男は背中から刺した。母の体には、肺まで達する傷が二つ残っていた。


 父はどう反応しただろう。何をしてると怒鳴ったか、母と息子の名を呼んだか。

 廊下の壁に飛び散った血飛沫は、父と男が揉み合った跡だった。男は自分も負傷しながらついに父を押し倒し、リビングの戸口の所で父を刺した。馬乗りになって、首や胸や腹や、合計十三箇所も。


 父が動かなくなると、男はダイニングへ行って、ケーキのクリームをひと舐めしたらしい。そしてそこで自らの頸動脈を掻き切った。

 その間わずか五分――私が交番で事情を聞かれている間に、私の家は地獄に変わっていた。


「父の会社のもと従業員だったの」


 私は赤信号を見詰めて言った。日下くんもハンドルに手を掛けたまま正面を向いている。深夜でも交通量の多い交差点で、対向車のライトが眩しかった。


「その年の四月に入社して、十一月に解雇された人。大手ゼネコン出身だったんだけど、あんまり仕事ができなかったんだって。資格に見合う業務がこなせないとか、担当した顧客から苦情がきたとか……うち、小さな事務所だったからじっくり教育する余裕がなくて、申し訳ないけど解雇手当を多めに払って辞めてもらったって、父が言ってた」

「逆恨みか」


 信号が青に変わり、日下くんがアクセルを踏む。私は肯いた。


 容疑者のその男は、クビを言い渡された時ずいぶん父に食い下がったらしい。リストラされた後職を転々としてきたが、ここでなら実力が発揮できるはずなんだ。子供が生まれたばかりだ。辞めさせないでくれ――と。発揮できていないから辞めさせられる事実、そして家庭事情を鑑みて数ヶ月様子を見てきた父の配慮は、まったく認識できていないようだった。

 後で知ったところによると、彼が解雇されてすぐに、彼の妻は子供を連れて出て行ったそうだ。プライドばかり高くて仕事が長続きしない夫に愛想を尽かしたのかもしれない。


 何もかも失った彼は恨みの矛先を私の父に向け、そして凶行に及んだ。サバイバルナイフの他にも二本の包丁が現場から見つかった。最初から家族全員を皆殺しにするつもりだったのだろう。

 あの男は完全に一線を越えてしまった。


「私だけが助かったのよ。あそこにいなかった私だけが……」


 もし私があの場にいたら、と考える。

 少なくとも、夜間の訪問者に対して無防備に麻人が飛び出していくことはなかっただろう。インターホンで母が異変に気づき、ドアを開けずに警察に連絡していたかもしれない。

 エリアスのせいじゃない――悪いのは真っ直ぐ帰らなかった私だ。くだらない意地を張って、弟の誕生日を蔑ろにした私だ。


「さっきのアパートに住んでたのは?」


 日下くんは平坦な声で訊く。車は幹線道路を外れて寝静まった住宅街へと入って行った。


「容疑者の奥さんと、お子さん。ずっと私に謝罪の手紙を送ってくれてた」

「張本人が死んだから、家族を憎いと思ったのか?」

「そうじゃない。確かに事件直後はね、恨んだ。あんたが見捨てたから旦那がキレたんだろって。でも加害者の身内って叩かれるじゃない? それを見て、ああ彼女も被害者なんだなって……思ってたんだけど」


 マスコミからの執拗な取材攻勢に神経をすり減らしたのか、世間からの敵意に耐えられなくなったのか、事件から一ヶ月が過ぎて、彼女はある週刊誌のインタビューに答えた。


 ――夫は蓮村社長から仕事上で酷いパワハラを受けていました。いわれのない叱責や理不尽な罵倒を浴びせられ続け、挙句に正当な理由もなく解雇されました。夫は精神を病み、社長に復讐を企てたのだと思います。


 これで世間の風向きが変わった。ちょうどパワハラやセクハラが社会問題になってきた時期でもある。父は、社員を使い潰すブラック企業の事業主というレッテルを貼られた。

 もちろん殺人は許されない犯罪だが――という保険のような枕詞をつけて、犯人をそこまで追い込んだ被害者にも責任があったのではないかなどと、ワイドショーのコメンテーターは語った。ネットの世界ではもっと直接的に非難された。

 本当のところは分からない。警察の捜査でそんな動機を示す証拠は出なかったし、他の社員の証言からも伺えなかった。何より、私の父は優しく公正で、口達者な母に言い負かされても笑って流せる鷹揚さを持っていた。部下を苛めるような人間ではないと信じている。


 だけど、その降って湧いたようなバッシングは私を打ちのめした。

 家族全員を失って日常を壊されて、ただ茫然と立ち竦んでいた私に反論する気力などなかった。摂食障害を患い痩せこけて生理も止まり、ただただ引き籠って過ごした。医師やカウンセラーの助力でどうにか復調した時、移り気な世間はすでに事件を忘れていた。


 その後、私は何年も道に迷った。中高一貫校で進学に苦労しなかったのは幸運だったが、変わらない環境の中で私はもがいていた。生活が荒れ、援助交際未遂で補導されたのもこの頃の話だ。

 それでも、生きていくために私は努力した。すぐ傍で見守り、信じて支えて愛してくれた安奈あんな叔母さんのおかげで、人生を自分の手に取り戻す勇気が湧いた。


 家族を奪ったあいつだけは一生許すことはできないだろう。でも、家族を誹謗したあの人は情状を酌量してやってもいいと思い始めた。私にとっての真実と、あの人にとっての真実は違うのだと自分に言い聞かせて、怨嗟の気持ちを断ち切るつもりだった。


「あの人ね、未だに私に謝罪の手紙をくれるの。あなたのご家族に対して酷いことを言ってごめんなさいって。酷いことだって自覚あったんだね……」


 私は自分の腕を擦った。パジャマにパーカー、もちろん顔はすっぴんで、よく考えると恥ずかしい格好をしている。夜でよかったなと、チラリと考えた。


「謝らなくていいのに。真実だと信じて話したのなら、謝る必要ないのに……何度も何度もごめんなさいって、まるで自己満足みたいに謝るもんだから、そのうち私……」

「憎んでいいんだと思ったんだな」

「……うん」


 両親と弟の死、事実無根の悪評、私を足止めした吸血鬼、そして約束を守らなかった自分自身――全部の憤りがごちゃまぜになって、今生きている彼女に向かった。自分でも理不尽だと分かっているその思いを、私は箱に閉じ籠めていた。


 目的地周辺です――カーナビの機械的な声が告げる。

 日下くんは道路の左端に停車した。私がドアを開けると、エリーが肩に乗ってきた。

次話で第三夜終了です。

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