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ヴァンパイア・テイマー

 ゴールデンウィークが明けた五月の初旬、私は自分のデスクで役所に提出する書類を作成していた。

 前回の特種害獣捕獲作業について、結果と被害状況、必要経費を纏めたものだ。九十九里つくもりさんに指示されて、時間はかかったが過去の控えを見ながら何とか仕上げることができた。


「確認をお願いします」


 九十九里さんに持って行くと、彼はありがとうと言って受け取った。もうクールビズ期間に入っている会社もあるけれど、彼はきちんとネクタイを締めている。スタイルがいいので細身のベストがまったく暑苦しく見えない。


「……はい、結構です。環希たまきさんの押印をもらってきますね」


 よっしゃ、と私は内心で快哉を叫んだ。たかが報告書なのだが、こなせる仕事が増えたと思うと嬉しい。

 社会に出るって、結局そういうことなのだ。初めから何もかも一人前になんかできない。地味で小さな業務でも、任せられた仕事をひとつずつ確実に仕上げよう。どんな職場にいたってきっとそれは同じ――今やっていることは決して無駄にならないはずだ。


 前向きに考えながら席に戻ると、隣では日下くさかくんがでろーんとデスクに突っ伏している。さっきまでパソコンをカタカタやっていたのに、もう電池切れか。長めの髪が降りかかる横顔は実に気怠そうで、捕獲作業中の精悍さなんて欠片もなかった。


「日下くん、野菜ジュース飲む?」


 そう尋ねて椅子の背を叩いた時、あっこら、という九十九里さんの声が聞こえた。役員室のドアを開けると同時に、中からあいつが飛び出してきたらしい。

 エリーは天井近くを旋回して、滑らかに着地した。日下くんの頭の上に。


「この下等生物……」


 踏みつけられた日下くんは勢いよく身を起こし、再び飛び上がったエリーを捕まえようとした。エリーはひらりと身をかわして、今度は私の肩に止まった。


「これ……昼間なのに大丈夫なんですか?」


 結構な重みに耐えつつ九十九里さんに訊くと、


「変身後の姿なら日光を浴びても平気なんだそうです。便利ですよね」

「眠れないみたいなのよ。腹減ったって鳴いてうるさいから、しばらくそっちで遊んでやって」


 ドアの向こうから顔を出した環希さんがそう指示する。九十九里さんは何か言おうとしたが、まあいいかと思い直したように肯いて役員室に入って、ドアを閉めてしまった。仕事の邪魔なんだろう。


 八年前にかけた『厄災の声』の呪いは取り消したので、もう彼はミミズクの姿から解放されている。昼間は別の動物に化けるとか、人の形のまま地下で寝てるとか、選択肢はあるはずなのに、なぜか彼は相変わらずミミズク状態をキープしている。意外と気に入っているのではないかと思う、たぶん。


「慣れって怖いよねえ……」


 私は肩の上の黒い鳥に話しかけた。

 艶々した黒い風切り羽の下は、同色のふわふわダウン百パーセント。エリーはグゥグゥと鳴きながら体を摺り寄せてきた。何というあざとさ! 分かっていても、猛禽類好きの私はつい顔が緩んでしまう。

 日下くんはシャーペンでエリーをつつきながら、


「騙されんなよ、蓮村はすむら。こいつ中身は人食い狼だかんな」


 と警告する。エリーはガーッとくちばしを開いて威嚇した。この二人、仕事では協力関係にあるはずなんだけど、反りが合わないことこの上ない。

 日下くんはそこら辺にあった書類や資料をデスクの端に積み上げて、バリケードを作ってしまった。自分の領分には入って来るなと言いたいのだ。あとは無視して昼寝を再開する。

 私は溜息をついて、エリーに言った。


「ご機嫌取ろうとしたって駄目だからね。懐柔されないわよ」


 するとエリーはデスクの上に飛び降りて、パソコンの前に立った。

 文書ソフトが開かれたモニターを確認するように見上げた後、勢いよくキーボードをつつき始める。迷いのないリズミカルな動きは、あの玩具……水飲み鳥みたいだった。


『あゆみよる』


 モニターに入力された言葉。エリーは首を百八十度近く回して、得意げに私を見る。

 なるほどこれで会話できるのか。環希さんが仕込んだのかな、と感心した。


「……そうね、長い付き合いになりそうだし、歩み寄るべきよね。でもまだあんたのことを信用したわけじゃないの。あんただってまだ私をよく知らないでしょ?」


 そう答えると、エリーは続けてキーボードを押した。


『おれはしっている おまえはおれのちをのんだから つながっている つよくかんじたこと ねがったこと きょうゆうしている あのときから』


 だから助かったんだろうが――数日前に焼肉屋で言われた言葉を思い出した。

 彼は知っているのだ、あの後私に起こったことを。

 不思議な気分だった。この八年間私が抱え続けてきた記憶は、感情は、私ひとりだけのものだと思っていた。悲しみも寂しさも――憎しみも、他人とは分かち合えないし、それが当然だと疑いもしなかった。けれどまさか、離れた場所で同じ気持ちを味わっていた存在がいたなんて。


『おまえは いちども たすけをもとめなかったが』


 エリーは緑の瞳でじっと私を見て、それからまた百八十度首を戻した。あとは素知らぬ顔で毛繕いをしている。私に対する同情も憐憫もなかった。人間の世界の出来事になど興味がないのかもしれない。飄々とした風情がかえってありがたい。


「エリー、あんたさ、ずっと鳥でいなさいよ」

『かるがるしくくちにするな のろわれる』

「うっせえよ、私語は慎めよ」


 私の声とキーボードの音が安眠を妨げたのだろう、バリケードの上から日下くんが顔を出してクレームをつけた。昼寝してる人に言われたくない。

 エリーがキーボードを叩く。


『ばか とうま ばか しね』


 日下くんが腕を伸ばし、書類が崩れ、エリーが羽ばたいた時――玄関のインターホンが来客を告げた。





 三人の客は私たちに深々と頭を下げた。


「この度は大変お世話になりました。皆さんには感謝してもしきれません」


 正確には、お辞儀をしたのは二人だけ。二十代の夫婦だった。三歳の娘は母親と手を繋ぎ、くりくりした目で辺りを見回している。

 連休前にSCが仕留めた吸血鬼の被害者たちだった。

 捕獲した生体から速やかに抗生剤が作られ、奥さんも娘さんも一回の投与ですっかり回復したのだという。今日はご主人ともどもそのお礼を言いに来てくれて、高級菓子折りまで頂いてしまった。


「ご丁寧にありがとうございます。でも、これが私たちの仕事ですから、どうぞお気遣いなく」


 役員室で彼らと対面した環希さんは、謙遜を感じさせない穏やかな口調でそう言った。彼女の傍らには九十九里さんが同席し、私と日下くんはソファの後ろに立っている。

 ご主人は細長い顔を何度も振って、私たちを順番に見た。普通のサラリーマンだというから、今日はわざわざ仕事を休んだのだろう。


「いえ本当に、皆さんが二度目で捕まえてくれたおかげでです。時間が経てば経つほど治療に時間がかかると医者から聞きまして……逃がしていたら今頃どうなっていたことか……」


 彼はソファの隣にちょこんと座った娘さんの手を握り締めた。奥さんもその横で口元を押さえている。

 ごく普通の、どこにでもいるような家族の姿だった。きっと彼らが獲物に選ばれたのに意味なんてないのだ。たまたま、運が悪かっただけ。運が悪かっただけで、彼らの幸せは永久に失われるところだった。


 よかったな、と私は素直に思った。こんなふうに普通の人の普通の暮らしを守るのがシェパーズ・クルーク(羊飼いの杖)の存在意義なら、結構いい仕事じゃないか。

 日下くんの様子を窺うと、愛想の悪いその横顔が心なしか解れているようだった。


「害獣は取り除きましたが、ご不安なようでしたらカウンセラーをご紹介します。どうぞ遠慮なくご連絡を」


 九十九里さんはそう説明して名刺を渡した。奥さんの方が何度も肯いている。あんな目に遭ったのだ。身体的に回復したとはいえ、しばらくはメンタル面のサポートが必要だろう。特に、幼い娘さんの気持ちが心配だった。

 しかし当の娘さんは、部屋の隅を指して甲高い声を上げたのだった。


「とりさん!」


 ポールの上で置物になり切っていたエリーがびくっと震える。娘さんはソファから飛び降りてポールに駆け寄った。

 ご主人が止めようとすると、


「ああ、いいんですよ、こいつは大人しくて人懐っこいですから心配ありません。ほら、撫でてみる?」


 日下くんはわざとらしくそう言って、強引にエリーの脚を掴んだ。エリーは助けを求めるみたいに私を見たが、サービスよ我慢しなさい、としか言えなかった。


「噛まない?」

「噛まないよ。なあ、エリー」

「可愛い……猫みたい!」

「嘴には触っちゃ駄目だ。ここ、頭んとこ撫でてみ」


 日下くんの腕に止まったエリーを娘さんは恐る恐る触っていたが、相手が抵抗しないと知ると手加減がなくなって、終いにはむぎゅーっと抱き締めた。

 エリーはもう悟ったようにだらんと翼を広げている。ライトグリーンの目だけが日下くんを睨みつけていたが、彼はそっぽを向いている。エリーにとっては社会性を学ぶいい機会かもしれない。


 後で大喧嘩になるなと想像がついたけれど、環希さんも九十九里さんも笑っているので、まあ、大丈夫だろうと思う。娘さんが嬉しそうにしていることが何よりだった。

 そして、エリーへの嫌がらせ半分とはいえ日下くんが子供の扱いが上手いと知って、少し意外だった。





 いつの間にか、私はすっかりSCに馴染んでいた。

 エリアスというかなりコントロールの難しい因子のせいで、他の誰でもない私がここにいる理由ができたからかもしれない。不安はあったが、悪い気はしなかった。


 日は明るく、草は豊かで、羊たちは平穏だ。杖を抱えた羊飼いたちの歌も楽しい。

 再就職を焦らずとも、しばらくこの職場で頑張ってみてもいいかなと思い始めていた。


 昼の日差しの中では夜の闇など忘れている。真夏の陽光を浴びながら冬の底冷えは思い出せない。私はすっかり油断していた。

 日が落ちればすぐさま狼が現れ、それを追い払う羊飼いたちも様々な事情を抱えていることを、私はこの後知ることになるのだが。





第二夜 了

次回の更新は年明けになる予定です。

しばらくお待ち下さいませ。

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