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厄災の声

 私が退職の意志を告げても、九十九里つくもりさんは驚いた様子を見せなかった。


「お気持ちはお察しします。こんな状況、普通じゃないですよ。まともな人間なら逃げ出して当然です」


 深く肯いて理解を示した後、


「その上で言いますが、彼ならば、むしろ視界に入れておいた方が安全ですよ。蓮村はすむらさんが眠っている間、彼は自由です。今まで辿り着かなかったのは、単に居場所が分からなかったからだと思います」


 淡々とした物言いだったが、首筋がぞわっとした。

 少し前に見た悪夢を思い出す。確かSCの面接を受けた日の夜だった。しでかしたことの責任は取ってもらうぞ――耳元でそんな声が聞こえた。あれは夢ではなく現実だったのかもしれない。

 なぜ住んでいる所を知られたのか――馬鹿馬鹿しいほど単純な話だ。SCのオフィスには私の履歴書がある。

 放し飼いにした飼い主の責任じゃないかと恨めしかったが、九十九里さんは平然としている。


「退職なさるのなら、転居をお勧めしますよ。こちらの責任として費用は負担させて頂きます。これからずっと眠らないわけにもいかないでしょうしね。それでもエリアスが居所を突き止めたら、僕に抑えられるかどうか……」

「何だか脅されてるみたい……」

「蓮村さんが負けず嫌いなのは知っていますからね」


 九十九里さんは悪意の欠片もない笑みを浮かべた。それから急に真顔になって、


「実際のところ、エリアスが怖いのならば見張っておいた方がいい。見たでしょう。彼は蓮村さんには決して逆らえないんです。鳥以外の姿でもあなたが命じた通りに変身しますし、何も悪さはできない――あなたのような特異体質を、彼らは『厄災の声(ボイスオブカラミティ)』と呼ぶそうです。怖がっているのは向こうの方なんですよ」


 などと、かなり楽観的なことを言ってくれる。

 一生あいつの影に怯えて逃げ回るか、あるいは自ら踏み込んでいくか。私が決めなければならない。


 でも、待てよ。私はふいに思い至った。困ってるのはSCも同じなんだ。

 八年前からの呪い――なぜミミズクなのかは知らないが、あの姿に変えられて力を制限されていたからこそ、エリアスはSCと取り引きをした。環希たまきさんや九十九里さんの指示に従って協力していたのは、寄る辺のないこの世界で単独で生きていくのは困難だったからだろう。

 今夜、吸血鬼に襲われた私は助けを求めた。決してエリアスに向けた叫びではなかったが、その言葉で以前の呪いは解除されたらしい。

 今の彼は命令待ちのいわばスタンバイ状態。逆に言うと、私が何か命令したり制限したりしない限り、思う存分自由に振る舞えるというわけだ。自分の世界に戻れないにしても、これまでみたいに大人しく言うことを聞くだろうか。


「エリアスをコントロールできる存在が、これからのSCにとって必須というわけですね」


 ずばり訊くと、九十九里さんは率直に認めた。


「蓮村さんは鋭いな……お恥ずかしい話、その通りです。そもそも、環希さんがSCを設立したのはエリアスの能力の利用を思いついたからで、彼を失うと事業運営に支障を来します」


 吸血鬼を使って吸血鬼を捕獲するとは、ずいぶん大胆かつ厚かましい発想だ。でも実際問題、SCが機能しなくなるとそのぶん被害者の救済が難しくなる。ここで私が逃げたら、SCスタッフだけでなく彼らまで見捨てることになるのだ。

 自分を犠牲にして他人に尽くすなんて、私はそんな犠牲的精神の持ち主ではない。けれど、本来防げたはずの悲劇を見過ごすとしたら――。

 葛藤を見透かしたように、九十九里さんは付け足した。


「もちろん、僕もこのままでいいとは思っていません。呪い……という言い方はしたくないな、蓮村さんとエリアスの繋がりを断ち切って、支配権を解除する方法を探してみます」

「そんなことできるんですか!?」

「確約はできませんけれど、職業柄、伝手つてはあるんですよ」


 私は不躾なほどジロジロと九十九里さんを見詰めたが、出まかせを口にしているようには見えなかった。爽やかな容姿と弁舌に騙されている可能性もある――が、気持ちは彼の提案に傾きかけていた。

 抜け目のない人だ、と感心した。自分の要求をきっちり開示した上で、最終的には相手に選択させる。そして後出しでフォロー案まで。最初に解除する方法を探すと言われたら、たぶん私は実現性の不確かなその提案に縋って、問題と対峙しようとはしなかっただろう。


「できますかね……私に」

「蓮村さんにしかできないことです」


 すとんと何かが心に落ちた。感情的な部分で、物凄くすっきりした。

 うまいこと言い包められた気もするが、不愉快ではなかった。つけられた鎖の正体が判明した今、猟犬がいつ狼に変貌するか分かったものではない。SCは何としても私を引き止めたいはず――そう考えると、持ちつ持たれつ、これは対等な取引だ。


「分かりました。やるだけやってみます。危険手当、つきますよね?」


 私の了承を確信していたように、九十九里さんはにっこりと微笑んで、もちろんですと答えた。





 店に戻ると、三人はのんきにアイスクリームを食べていた。


「どう? きぬちゃん、落ち着いた?」


 環希さんは明るい口調で尋ねる。九十九里さんの交渉力を信頼しているらしい。そのいつも通りの態度のおかげで、私は気まずい思いをせずに席に戻れたのだけど。


「ご心配おかけしました――エリアス」


 溶けかけたバニラアイスを前に、私はエリアスを正面から見据えた。怖いくらいに整った面貌は迫力があるが、腹に力を籠めた。


「あんたのこと思い出したわ。右手を見せて」


 命令というほど気合いを入れた言葉ではなかったが、彼はスプーンを置いて右掌を突き出した。

 大理石でできているような乳白色の綺麗な手――しかし、その親指の付け根に奇妙な傷痕があった。破線で描かれた赤黒い弧は、人間の……というか私の歯型である。


「呪いが解けるまで消えない。酷い目に遭わされた」


 エリアスは不愉快そうに眉根を寄せた。八年も前の傷だというのに治癒には程遠く、まるで昨日噛まれたみたいに新鮮な状態だった。


「正当防衛よ。あの時、私を噛もうとしたでしょ?」

「見たものを忘れさせるために、やむを得ず」

「吸血鬼を殺したところを?」

「そうだ」

「私はどんな命令をしたの?」

「それも忘れたのか!?」


 彼は呆れ返ったように語尾を上げた。実際、あの時は逃げるのに必死でよく覚えていないのだ。


「おまえはだだ、消えろ、と――抽象的な拒絶は最悪の効果があるんだ。俺は否応なく非力な姿に変わり、おまえの意識が保たれている間は元に戻れなくなった。今夜おまえが助けを求めるまで」

「だからって、何でまたミミズクなんかに……」

「知らん。このイメージが飛んできたんだ。直前に何か見なかったか?」

「あ」


 鞄につけていたフクロウのマスコット! お気に入りの丸くて可愛い。


「フクロウとミミズクは違う……」

「どうでもいい」 


 エリアスが吐き捨てると、九十九里さんがぷっと噴き出した。それから咳払いをして、続きをどうぞと言うように手を差し出す。

 私は自分のジョッキを取った。すっかりぬるくなったビールを一息に飲み干す。不味い、が、勢いはついた。


「さっき私を殺すと言ったよね」

「そうしなければ呪いは解けない」


 ライトグリーンの目に、何ら罪悪感はなさそうだった。気持ちがいいくらい正直、かつ、自己中。

 日下くさかくんが殺気立った目でエリアスを睨み、環希さんは面白そうに身を乗り出し、九十九里さんは平気な顔でお冷を飲んでいる。私はふうと息をついた。


「それは私も困るから、妥協しない?」

「妥協?」

「あんたが人の姿で力を発揮することに制限はかけない。そのかわりあんたは今まで通りSCに協力してほしいの。不本意かもしれないけれど、九十九里さんが呪いを解除する方法を調べてくれるそうだから、それまでの我慢よ」


 エリアスは不審感たっぷりの眼差しで九十九里さんを射る。毛ほども信用していない様子。


「どうせ俺に拒否権はないんだろう? おまえはその気になれば命令できる」

「エリアスの意志で決めてほしい」

「じゃあ断る」

「ハムスターになりたい?」

「このクソ女っ……」

「私だってね、ほんとはこんなめんどくせぇ真似したくないの! 日下くんにあんたの頭ブチ抜いてもらった方がよっぽど手っ取り早いし後腐れもない。それでも歩み寄ろうとしてんのよ!」


 私はテーブルをどんと叩いた。皿やコップが振動する。

 自分でも交渉下手だなと思ったが、ここは何としても最適な距離感を構築しなければ。好き勝手させてしまうと収拾がつかない。でも、支配権があるからと大上段に構えていては寝込みを襲われる。


「私を襲うと言うんなら好きにすればいい。でもしくじれば、次の瞬間にあんたを蚊に変えて叩き潰してやるわ。そのリスクを負う? 譲歩する?」

「蚊……」

「腹括りなさいエリアス!」


 こんな奴、蚊だ、ハムスターだ、狼なんかじゃない――私は怯みそうになる自分に言い聞かせながら、彼を睨みつけた。主導権は譲れない。もし反抗すれば、提案を命令に切り替えて思い知らせてやるつもりだった。

 それに、ほんの少しだけ希望的要因もあった。私の睡眠中は解放されるにも拘わらず、彼はこれまで誰も傷つけていない。なりふり構わず狡猾に立ち回れば、たとえば人間を襲いまくって手下を増やして、もっと早く私を探し出すことだってできたはずなのだ。

 追跡者とやらの立場ゆえに縛りがあるのかもしれないが、残忍な手段は取らない男だ、と私は確信していた。


 エリアスは緑の目を細めた。初めて遭遇した奇妙な生き物の正体を探るように。訝しげに、でも少し興味深げに。


「……まったく腹の立つ『厄災の声』だ」


 私を受け入れる気配は全然なかった。でも目下の敵ではないと認定されたのか、剣呑な空気だけは消えた。野生動物とはそういうものかもしれない。

 私は素早く身を乗り出して彼の手を取った。私が印をつけた、冷たい手だ。


「契約成立。よろしく」


 焼き網の上で結ばれた強引な握手を、エリアスは振り解かなかった。若干、引いているふうでもあった。


「でかしたわ絹ちゃん。これでSCは安泰ね!」


 環希さんは率直な感想を口した。

 私は乾いた笑いを浮かべる。急にお腹が空いてきた。網の上には何も残っておらず、私の取り皿の肉は冷え切っていた。


「石焼ビビンバ注文してもいいですか?」


 みんな頭おかしい――日下くんがぼそりと呟いた。

次話で第二夜終了です。

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