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猟犬か、狼か

「はあっ?」


 斜め上すぎる質問に、私は甲高い声を上げた。エリアスの眉が少し震える。

 九十九里つくもりさんは構わず続けた。


「もうお察しだと思いますが、エリアスは吸血鬼です。ただし、基本的に人間の血は吸いません。彼だけでなく、ほとんどの真っ当な吸血鬼は人を襲わないんですよ」

「えっ……だって、年に何人も襲われて……今夜だって……」

「そういう個体は異端なんです。彼らの吸血行動は、本来彼らの社会の中で完結している」


 私は軽く衝撃を受けた。その言葉を信じるならば今までの認識が百八十度引っ繰り返ってしまう事実だ。吸血鬼という呼称の適格性すら怪しくなってくるじゃないか。

 エリアスは網の上の肉を引っ繰り返しながら、


「生命活動に必要不可欠な行為じゃない。おまえたちが酒を飲んだり煙草を吸ったりするようなものだ。吸いたくなったら下の者から吸う。人間なんか襲うのは雑魚だ」


 と、素っ気なく言い捨てる。


「下の者……?」

「彼らの社会では、持って生まれた能力の差で順列が決まるんだそうです。そのヒエラルキーは絶対で……もう文化というより生物としての習性でしょうね。吸血行動のベクトルもその順列に従います」


 彼は最上位に近い『支配種』だそうです、と、九十九里さんはサラリと付け足した。

 当の本人は相変わらずラム肉をモグモグやっている。塩で食べているのは大蒜にんにくのきいたタレを避けるためか。火の通った肉がよっぽど美味いらしい。


「サル山のサルと同じだな。しかも共食いしてる」


 日下くさかくんは悪態をつき、網の上から食べ頃のラム肉をさらった。


冬馬とうま、それは俺の肉だ。返せ」

「おまえの名前が書いてあんのかよ」


 小学生みたいないさかいは放っておいて、環希たまきさんがフォローを入れた。


「エリーはね、あちら側からの追跡者だったのよ。こっちにやって来て悪さをする……彼の言葉で言えば雑魚吸血鬼を、支配種の責任において始末するのが役目なの」

「追跡者……」


 私は額を掻いた。極端に単純化して整理すると、人間を襲う吸血鬼は犯罪者、エリアスはそれを追う警察官……いや処刑人か。だとしたら彼とSCの目的は近いわけだが、だからといってミミズクの姿でオフィスに住みつくものだろうか。

 九十九里さんは私に向き直った。


「彼らにとって吸血行動は一種のマウンティングの意味もあるんです。吸った方は吸われた方に対して強烈な影響力を与え、精神操作と言えるほど一方的な支配関係を結べます。だからこそ、順列に逆行する吸血はタブーとされるわけですが……」


 当然ながら初めて聞く話だったけれど、内容よりも九十九里さんの博識さに驚いた。なんでそんなに詳しいんだ……って、そうか、ネタ元がここにいる。

 私はエリアスをちらりと見た。彼が訂正を入れないので、事実なのだろう。


「つまり吸血鬼には、血を吸った相手を従わせる能力と、吸われた相手に従う習性の両方が備わっていると考えて下さい。ただし、一部の強い個体に限っては人間に対しても同様の力が行使できますから、注意が必要ですが」


 今度は九十九里さんがエリアスを一瞥する。一部の強い個体、の部分にアクセントがあったのは、彼がそれだ、の意味だと思う。

 丁寧に講釈してくれるのはありがたいが、意味は理解できても全然ピンとこない話だ。鉄の順列があって、しかも血を吸われた相手に絶対服従だなんてサル山よりもひどいな――そんな感想くらいしか抱けない。


「えーと……吸血鬼の習性は分かりました。でも私は人間ですよ。何で私が彼の血を飲んだことになるんですか?」


 どうにも焦点の定まらない会話に、私は焦れて尋ねた。九十九里さんは声を潜めて、


「人間の中にもいるんですよ――吸血鬼の従属習性を発現させる能力の持ち主が」


 と、はっきりした口調で言う。

 何と返してよいのか戸惑う私の前で、エリアスは小さく溜息をついた。諦めの混じった、人間臭い所作である。


「一千万人に一人だとか聞いている。能力というより特異体質だな。その人間に血を与えたら、俺たちは否応なく支配される。まるで呪いだ――おまえのことだよ」


 ライトグリーンの両眼が、初めて私を正面から捕えた。ミミズクのエリーと対面した時と同じ圧迫感を覚えて、胸がざわめいた。肉食動物の目だ。


 吸血鬼に噛みついて逆に呪いをかけるなんて、そんな無茶苦茶な特異体質……しかもそれが私だと言われている。有り得ないと一笑に付すには、九十九里さんもエリアスも真面目だった。

 嫌な汗と禍々しい既視感が、同時にじわりと湧いた。

 私はエリアスを知っている。会ったことがある。その感覚が真実なら、あの時しかない。


 私が黙り込んでしまったので、環希さんが話を少し脇道に逸らせた。若干楽しそうに、


「私たちがエリーと出会った時……ええと八年前かしら、彼は特異体質の人間にその呪いを掛けられて、強制的に鳥の姿に変えられてた。自分の意志では元に戻れず、あちら側に帰還することも許されないって。可哀想だから助けてあげたの」

「人の足元を見てえげつない取り引きをしたくせに」

「正当な対価を貰ってるだけよ。私たちはあなたを保護する。あなたはその力をもって吸血鬼の出現タイミングを予知し、捕獲作業をサポートする。悪くない条件だわ」


 環希さんはほんのり頬を赤くしていたが、酔っ払っているふうはなかった。雄弁なのは元からの気質だ。おかげでSCの企業秘密が分かった。どういった原理で可能なのかは知らないが、第二接触の時期を正確に予測できるのはエリアスの功績だったのだ。


「もともと吸血鬼を狩りに来てたんだから、そんなに立場はブレてないでしょ」

「全然違う。俺の役目はクズどもを殺すことだ。捕獲なんてヌルすぎる」


 エリアスの口ぶりは同胞に向けられたものとは思えないほど冷たく、厳しかった。彼の個性なのか、吸血鬼全体がそうなのか。


 九十九里さんは箸を置いて、改めて私に質問した。


「もう一度訊きます、蓮村はすむらさん。エリアスに噛みついて、少量でも血を飲んだ覚えはありませんか?」

「……たぶん、あります」


 今度はそう答えざるを得なかった。

 みんな口をつぐんだ。驚いているというより、何かが腹に落ちたような納得の表情。

 網で脂が弾ける音がやけに大きく聞こえる中、追加の肉とマッコリが運ばれてきた。


「皆さん、デザートのアイスは?」


 少し韓国語訛りのある女将さんの問いに対し、


「私はチョコがいい」

「僕は抹茶を」

「俺、イチゴ」

「柚子」


 四人は平然とオーダーする。空気に押されて、私はバニラを注文した。

 女将さんが厨房に戻ると、日下くんは肉を網に並べながら皮肉っぽく笑った。


「つまりこいつはSCで蓮村に出会ってから、ずっとチャンスを狙ってたわけだ。殺して呪いを無効化しようと」

「わ、私を殺せば呪いは解けるの?」

「意識さえなくなれば解ける。今でも、おまえが眠っている間は解放されている。だから徹夜をされると非常に迷惑だ」


 エリアスは淡々と答えた。私の睡眠時間は毎晩人の姿に戻れていたということか。

 今夜の捕獲作業中、日下くんがまだかと呟いたのは、まだ人の形に戻らないのかという意味だったのか。彼はエリアスが解放されて本来の力を発揮するのを待っていたのだ。張本人の私はすぐ傍で目を見開いていたわけだけど。

 私は間を空けずに提案した。


「じゃあ私、二度と命令はしません。それでもう無関係でしょ?」


 私が犠牲にならなくて済む唯一の解決法だと思った。アルバイトも辞めよう。これ以上係わらない方がいい。

 だが、日下くんは笑みを深くした。過分に意地悪な笑顔である。


「そうはいかない。蓮村が意図しなくても呪いは残る――首輪をつけられた犬みたいにな。解けない限り、こいつは自分の世界から出禁食らったままだ」

「だったら……どうすればいいのよ?」

「簡単だ。こいつを殺処分しちまえばいい。隙あらば獲物をネコババして食っちまう馬鹿猟犬なんだ。蓮村だっていずれまた狙われるぜ?」

「否定はしない。が、その前にまずおまえだ冬馬」

「箸で人を指すな!」


 またもや小競り合いが始まって、九十九里さんは顔を顰めた。


「君たち、いい加減に……」

「いい加減にして!」


 彼より先に私が大声を出した。

 知らず知らず入り込んでしまった因縁の罠に、恐怖を感じるより憤りが勝った。


「どうしろっていうのよ! いきなり巻き込まれて訳分かんないわよ! 好きで……好きでこんなやつに噛みついたんじゃないわ。そのせいであの時私は……!」


 そのせいであの時私は、家に帰れなかったから。

 家に帰っていれば。

 あの時、家では。


 考えてはいけない、思い出してはいけない領域に、自分が踏み込もうとしているのが分かった。吸血鬼に襲われた時より、エリアスに絞め殺されかけた時より、もっと黒々とした恐怖がそこまで迫っている。体の中で心臓の音が鳴り響き、頭が割れそうに痛かった。

 ひどく冷淡な声がそれを断ち切った。


「だから、助かったんだろうが」


 血色も表情もない顔が、私を凝視していた。なぜ知っているのか疑問を抱く前に、混乱する思考に止めを刺されたような気がした。

 私は堪らなくなって立ち上がり、バッグも上着も持たずに店を飛び出した。

 




 深夜二時を過ぎた商店街は、昼間の賑やかさが嘘のような静けさだった。

 終電の時刻も過ぎているので、駅から帰ってくる酔っ払いの姿さえもない。等間隔に設置された常夜灯の下、素っ気なく並んだシャッターの鈍色は寂しく、まるで人間がすべて死に絶えた世界みたいだった。


 焼肉屋の座敷から飛び出してきた私は、花屋のシャッターの前で呼吸を整えた。突っかけていたパンプスに足を入れ直し、腕を擦る。薄手のニット一枚では寒かった。

 口の中にまたあの味が甦ってきた。錆臭く塩辛い、何とも言えず不快な味。落ち着け、今度のはただの記憶だ――私は目を閉じて自分に言い聞かせた。


 好きでやったわけじゃない。悪いのはあっちじゃないか。なんでこんな、私が動揺しなくちゃいけないんだ!?

 ほんの五十メートルをダッシュしただけなのに。動悸がいつまでも治まらなかった。そればかりか呼吸まで苦しくなってきて、私はシャッターに凭れた。


「……蓮村さん、大丈夫ですか?」


 名前を呼ばれて顔を上げると、九十九里さんがいた。手に私の上着を持っている。嬉しさと気恥ずかしさと苛立ちと、私は複雑な気分になった。

 自分が酷い顔をしているのが分かっていたから、肯くのが精一杯だった。上着を手渡され、袖を通すと、いくぶん体が温かくなった。


「……巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。怖かったでしょう」


 九十九里さんが少し目を逸らしてくれているのがありがたかった。


「いえ……勝手に現場に飛び込んだ私の不注意です。助けて頂いてありがとうございました」

「お礼を言うのはこちらの方ですよ。あんな状況なのに、蓮村さんが果敢に対応してくれて本当に助かりました。エリアスが本気で暴れると、正直二人がかりでも歯が立ちません」


 彼が心底困ったような口調で言うので、内容は笑い事じゃないのに、私はちょっとだけ和んでしまった。とにもかくにも、会話をしたことで徐々に気持ちが落ち着いてきた。

 私は髪の毛を撫でつけて、九十九里さんに向き合った。


「彼との経緯、お話した方がいいですか?」

「いえそれは……蓮村さんのご自由に。あなたがエリアスの支配権を握っていることさえはっきりすれば十分です」


 彼は彼らしい配慮で無理に聞き出そうとはしなかったが、私の脳裏には自ずと記憶が甦った。

 私の日常が永久に変わってしまった、あの夜の記憶が。 

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