幸福の味がする
目の前にドドン、と皿が置かれる。思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。
皿の上には、甘辛く味付けされた人参グラッセがツヤツヤと輝き、ホクホクに揚がったポテトフライが湯気を立てている。その横にはこんもりと盛られたマッシュポテトが。
その中でもひときわ輝いているのは、良い具合に焼き目がついたハンバーグ。
デミグラスソースで飾られたそれをナイフで切れば、じゅわりと肉汁が溢れる。
一口大に切ったハンパーグにたっぷりソースをつけて、ぱくり。口に含んだ瞬間、口いっぱいに肉の味が広がった。
嚙み締めるたびに、口の中に幸せの味が溶けてゆく。
わたしは思わず、フォークを握り締めた手を突き上げた。
「比呂さん、サイコー!!」
「ははは。弥生さんは相変わらず、美味しそうに食べるねえ」
「だって比呂さんのごはん、とっても美味しいんだもの!」
わたしが比呂さんのごはんがいかに美味しいかを語ると、彼は顔を赤らめたまま黙々と食事を始めた。眼の前でそんな姿を見せられると、余計にいじりたくなってしまう。
わたしはそんなところが好きで、比呂さんと結婚したんだから。
比呂さんは、専業主夫だ。
仕事が大好きで、バリバリ仕事に専念したいというわたしの気持ちを尊重して家庭に入ってくれた。
くせっ毛にタレ目、黒縁眼鏡が似合う自慢の旦那さんは、わたしなんかよりも家庭的だ。むしろ性別が逆なほうが、すべて円満にことが運んだんじゃないか、ってくらいには家庭的。
わたしは、ぽかぽかして優しい比呂さんが大好きだ。
今日のごはんも、さいっこーに美味しいしね!
大変だった仕事の後に、毎回出てくるほかほかごはん。
そして、比呂さんにめいっぱい甘える幸せな時間。
これがあるから、わたしは仕事で頑張れる。
食べ終わると、わたしと比呂さんは大抵一緒のソファに座ってテレビを見る。
わたしがべたべたするのを、比呂さんは苦笑しながらも許してくれるのだ。
冬場は特に、ベタベタが増える。わたし寒がりだから。
「ねーねーひーろさんー。土曜日空くからーどっか行かない?」
「あ、そうなんだ。珍しいね」
「そうなのー。あ、比呂さんのお弁当持って、ピクニックとかは? わたしも手伝うし」
「よし、そうしようか」
お互いに顔を見合わせて、にこにこ。
そんな約束をすれば、仕事へのやる気も上がる。
春先のぽかぽかした気候はピクニックにうってつけだし、今から楽しみになってきた!!
比呂さんにぎゅーっと抱き着きながら燃えていたら、いつの間にか眠ってしまうのも、もはや日常だった。
***
「……ウソでしょー」
だけど楽しみにしていた土曜日は、予想していなかったものによって邪魔された。
「うわー。雨降ってるね」
「なんで、土曜日に限って……」
がっくりとうなだれるわたしに、比呂さんはぽんぽんと頭を撫でてくれる。だけど楽しみにしていた分、落ち込みもかなり大きかった。
比呂さんは困ったように眉をハの字にしている。
……いけない。そんな顔させたくて、ピクニックしようって言ったわけじゃないのに。
わたしはなけなしの元気を振り絞って、にっこりと笑った。
「うん、仕方ないよね。それに、ピクニックはまたできるし! 今日はおうちでゆっくりしようか、比呂さん。あ、そうだ! 映画借りてこようよ! で、ポテチ買って、コーラ買ってー、ビール買ってー。お昼はわたしが作るから、比呂さんはゆっくりして。ね?」
「……うん、そうだね。車出していこうか。弥生さんの料理、久々だなー」
「比呂さんのと比べたら、ほんと下手だから……期待しないでね」
そんな会話をしながら、わたしたちは着替えて駐車場に向かった。
映画を借りてきて、食料を買って帰ってきたら、もういい時間になっていた。
これならお昼を先に食べちゃったほうがいいかな。
車だったからか、かなりたくさん買い込んでしまった。
それを比呂さんと一緒に運びながら、我が家に戻る。マンションの六階にある我が家は、二人で暮らすには快適なくらいの広さがあった。
……そういえばこの家も、比呂さんが見つけてきてくれたんだっけ。
ふと思い出し、申し訳なくなる。比呂さんにはいつも、頼ってばかりだ。
家のことなんて、全部比呂さんに任せてるし。
悶々とした気持ちを抱えたまま、家に入った。そして早速台所に立つ。
作ろうと思ったのは、比呂さんが好きなオムライスだ。
ピーマン、人参、玉ねぎをみじん切りにして炒めて、鶏肉を入れる。そしてあっためた冷凍ごはんを合わせて、ケチャップを混ぜればチキンライスは出来上がりだ。
うん、チキンライスは難なくできたんだけど……
「……問題はたまごだよね」
比呂さんが好きなのは、ふわふわの半熟オムレツ。それを上に乗っけて、ナイフで割るのだ。
でもわたしにはそういう高等技術はできない。
でも、比呂さんが喜ぶ顔見たいし……
そんなアホみたいな理由で挑戦したふわふわ半熟オムレツ作りは、見事失敗に終わった。
「やっぱりできないー!」
フライパンの上に鎮座する、堅焼きなオムレツ。このまま食べる分には美味しいけど、チキンライスに乗っけるのは絶対にこれじゃないと思う。
思わず頭を抱えていると、ひょっこりと比呂さんが現れた。
「弥生さん、どうしたの?」
「……オムレツが、半熟とろとろのオムレツができなくて」
「ああ。難しいからねー」
比呂さんはそう言いながら、エプロンを装備して手際良くたまごを三つ割っていく。そしてそこに牛乳と塩を混ぜた。
ぎゅ、牛乳……
比呂さんは「本当は生クリームの方がいいんだけどねー」なんて言いながら、フライパンを熱してバターを溶かす。バターといい香りが広がった。
そこに卵液を入れると、じゅわ! っといい音がする。
菜箸で適度にかぎ混ぜふわふわにしたところで、比呂さんは少し焼いてから「えい!」とフライパンを揺すった。リズムよく柄を叩き、たまごを端に寄せていく。
そして見事にオムレツの形になったそれを、わたしが盛っておいたチキンライスに乗っけた。
ナイフで真ん中を切れば、それは見事にとろけてチキンライスを覆っていく。
黄金色のそれは、わたしには輝いて見えた。
「おお……!!」
「弥生さんのは、僕が食べるね」
「えっ。だ、だめだよ! わたしのオムレツはわたしが食べる!」
「えー。弥生さんが作ったものが食べたいなー僕」
「こんなもの食べても美味しくないよ!?」
なんやかんや言い争いを続けた結果。
わたしが作ったオムライスもどきは、比呂さんの胃袋の中におさまってしまった。
つ、つらい……
お昼の後は、借りてきた映画を見る。
ポテチにコーラ、さらにはビールを装備し、テレビの前に陣取る。
借りてきたのはラブロマンス系の作品だ。
後輩が「絶対に見たほうがいいです先輩っ!」って押してきたやつなんだよねーこれ。
が、わたしがアクション系映画が好きなせいか、それともお腹がいっぱいになったからかビールを飲んでしまったからか。眠くなってきてしまった。
うつらうつらと船を漕いでいると、比呂さんが顔を覗き込んでくる。
「……弥生さん。大丈夫? 疲れた? 寝る?」
……ハッ。
目をこすって頭を振ったけど、眠気は一向に覚めない。
そんなわたしを見かねたのか、比呂さんは立ち上がってどこかに行こうとする。
わたしは思わず、彼の服の裾をつかんでしまった。
「ひろさん、どこいくの……」
「ブランケット取りに行こうかと思って」
「いや、いかないで……」
子どものようにぐずれば、比呂さんは困った顔をしてしまう。
そう。こんなもの、わたしのわがままだ。でも……
せっかくの休日なのに……比呂さんに気分転換してもらおうと外行こうって言ったのに……比呂さんと一緒にいたいのに……
いかないで。
そんな気持ちが出たのか、ぽろっと涙がこぼれた。
瞬間、比呂さんは慌て出す。
「や、弥生さん?」
「やだ、休日くらい、比呂さんとずっと一緒にいたいの……今日だって、いつも、家にいてくれる比呂さんの、気分転換になったらいいなっておもって……ピクニック、行こうって言ったのに、雨降るし……」
アルコールのせいか、本音がぽろぽろ涙と一緒にこぼれる。
だってわたし、比呂さんに迷惑ばっかかけてる。だから少しでもなんとかしたかったのに、こんなのってない。
子どもみたいにえぐえぐ泣いてると、ふと、唇に柔らかい感触が広がった。
思わず目を見開けば、比呂さんの顔が間近にある。
思わぬ事態に、わたしの涙は引っ込んでしまった。
そんなわたしを抱き締めながら、比呂さんは深く息を吐く。
「本当に弥生さんは……そんな可愛いことばかり言ってると、僕の自制心も切れちゃうんだけど」
「……自制心?」
「……僕だって、男だってことだよ」
数回しばたたく。
ぼんやりとした頭がその言葉を理解したのは、それから数十秒後のことだった。
みるみる熱がのぼり、顔が熱くなる。きっと今のわたしは、耳まで真っ赤だ。
そんなわたしに悪戯っぽく笑いかけ、比呂さんは言う。
「弥生さんが僕のことを考えてたのと同じように、僕も弥生さんのこと気にしてた。仕事は忙しそうだし、さすがにわがまま言えないって思ってたけど」
「えと……ごめんなさい本当」
うん、比呂さんの気持ちは考えてなかったよ……
そうだよね、比呂さんも男の人だ。その……性欲だってある。
すると比呂さんは、わたしの頭を撫でながら言う。
「うん。本当に悪いと思うなら今日は、僕とベッドでゆっくりしようか」
「え、ええっ!?」
「だって今日は弥生さん、僕のためを想って頑張ってくれるんでしょう?」
いや、確かに、間違っちゃいないけど、けども……!!
なんだかんだ言いつつも、比呂さんは押しが強い。
気がつけば抱き上げられ、ベッドに寝かされていたわたしは。
そのまま比呂さんの思うままになっていた。
――家に帰ると、美味しそうな匂いとあったかいごはん、それに優しくって最高に甘い素敵な旦那様がいる。
「おかえりなさい、弥生さん」
「ただいま、比呂さん!」
そうして交わしたキスは、とびっきり甘くて。
とっても幸福な味がした。




