拝啓、私は死体が大好きです。
この作品の主人公は、これといって特に狂っている訳ではありません。周囲から浮いている訳でも、ましてや忌避されているなどということもありません。
どこまでも自分の正体をひた隠しにし、そして恐らく誰にも悟られぬままにその人生における至上命題を達成するであろう、一人の孤独な人間の話です。
どうか皆様、同情などせずに、でも嫌悪も抱かずに読んでやって下さい。
『拝啓、私は死体が大好きです。』
私は、死体が好きだ。
といっても、これといって屍姦愛好者のケがある訳ではない。よってどこをどう好きなのだと断言することこそできないが、要するに自分は俗に言う『死体』、特に人間のそれに対して、芸術的な方面での美しさを感じているのである。
初めてそれに気付いたのは、小学校に入学して五年が経とうとしていた頃だった。下校途中の私の目の前で、仔猫がトラックに轢かれたのだ。
全身を白い毛で覆われた、目の大きな可愛らしい猫だった。
目の前をとてとてと歩いていたその猫は、今考えてみると耳があまり機能していなかったのだろう。白猫は難聴のものが多いのだと、何かの本で見た覚えがある。
だからあの猫は、思わず撫でようとした私の手を見て後ずさり、車道側に踏み出してしまった。……後ろから迫る、トラックの駆動音に気付かず、ただ愚かに。
ぶち、ともぐちゃ、ともつかない嫌な音が響き、伸ばしていた私の手に温かく柔らかな何かが触れた。
恐る恐る手を見ると、そこに付着していたのは、赤に塗れたピンク色の肉の塊。それが、下半身を潰されたことにより口から飛び出た猫の内臓だと気付くのに、さしたる時間はかからなかった。
私は声にならない叫びをあげ(ひっ、だったかうぁ、だったかは覚えていない)、その場にへたり込んだ。
そしてその拍子に、見てしまったのだ。
真白い毛並みを朱に染めあげ、未だ温かい肉を外気に晒している、かつて猫だったモノの姿を。
手にこびりついた臓腑を振り払い、私は全力で家へと走った。そしてその後は夕食もろくに喉を通らなかったため、ずっとベッドで丸まっていた。
ただひたすら、怖かったのだ。
口から内臓を飛び出させた猫の、その虚ろな目もそうだったが、何よりーーーアレを見て『綺麗』だと思ってしまった自分が不気味で、恐ろしかった。
二回目は、中学二年の頃の、祖父の葬儀の時だった。
あえて簡単に説明するなら…そう。棺に入れられた祖父を見た瞬間に、心臓が跳ね上がったのだ。
なんの誇張でもなく、運命の出会いだと思った。一瞬だけ、自分は『これ』を見るためにこの世に産まれ落ちたのだと、本気で信じ込みそうになった。
生きている時は家族として愛おしいだけだった祖父が、今はこんなにもうつくしい姿になっている。その事実に、ただひたすら感動した。
シミの浮かんだ、皺くちゃの青白い肌に、ボーンチャイナの陶器にも勝る芸術性を感じた。
その時の私に「ここは葬儀場なのだ」という理性が無かったら、恐らく私はその場で祖父の瞼をこじ開けて、開ききった瞳孔を確認しようとしていただろう……それ程に私は、祖父の遺体に魅入られていたのだ。
あの体験以来、私は『死体』というものに魅力を感じる自分を、嫌悪することがなくなった。
それはある意味、どうしようもないのだと開き直ったとも言えよう。だがもう既に、この頃の私は、自分というものを完全に肯定しつつあったのだ。
別段、死体に性的な衝動を掻き立てられる訳ではない。激しく損壊された死体、俗に言うグロ画像というものを見て心が躍る訳でもないーーむしろそれは、精緻な彫刻を破壊されるようで、私にとっては不快なものでしかないのだーー。
ただ純粋に、どこまでも美しい。
誰しもいつかは体現することになる、人間の成れの果て。それに対してそんな感情を抱くのは、はたして間違いなのだろうか。誰かに話したら、人の道を外れていると、そう罵られるのだろうか。
そんな事を思いながら、私は学生時代を過ごした。
「ーーーっていう小説をこの前読んでさ」
「へぇ……やっぱりいるもんなのね、そういう人。性癖ってほどじゃなさそうだし、犯罪には走りそうになくて安心…なのかな?」
「ははっ、そうだねぇ」
そして、今の私は二十九歳。義務教育を修了したあとは家から一番近かった高校へ通い、そして卒業後は地域で一番の大学に入学し、今はそれなりに有名な会社に勤めている。
いわば、軽い勝ち組人生といったところだろうか。
ところで今の私は、死体そのものにそこまで強い執着を抱いている訳ではない。……といってもそれを芸術の対象として見ることが無くなった訳ではないし、勿論興味が失せた訳でもない。
純粋に、そんなものでは及びも付かない、素晴らしいモノを見つけた。それだけのことである。
相向かいの席に座って、今まさに私と談笑している女性。彼女は、言わば私の天使とも言える存在だ。
初めて会ったのは、大学のとあるサークルを見学しに行った時。教室に入った私を、笑顔で出迎えてくれたのが彼女だった。
心臓を撃ち抜かれたかと思った。
冗談抜きにそんな錯覚を抱くほど、私の視界の中で彼女だけが輝いて見えた。
さして顔が良い訳でもない、背もどちらかと言えば高めで、すらりというよりはひょろりとした体型である。美しいという言葉では、彼女を表すにはあまりにも不釣り合いで、歪だった。
だが、彼女を見た瞬間に、私は思ったのだ。
彼女の死体を、何としてでも見たいと。これほどまでに美しい『材料』を、私は見たことがないと。
その日から私は、彼女に対するあまりの情念に、夜眠ることすらもままならぬ生活を送ることになった。
彼女の死体を見たい、でもそれは『完全な形』でなくてはならない。
死体の損壊だけは、何としてでも避けなくては。そしてその後の事を考えても、やはり殺すのはよくない。もし手間取った際に傷でもつこうものなら大変である。それは私の憧れを、私自身の手で穢すことに他ならないのだから。
そして三日三晩考え抜いた末に、私はある結論に達した。そう…誰でもない私が、彼女と添い遂げれば良いのだと。
今の段階でこれほどまでに魅力を振りまいている彼女だ、年老いて皺まみれになっても、その死体は光り輝かんばかりの美しいものとなるだろう。
そう思い、私は長い長い計画を始めたのだった。
考えた後は、それはもう早かった。
まず彼女に恋人がいるのかどうかを調べて、いないと知るや否や、すぐにわかりやすく彼女へとすり寄っていった。勿論、彼女自身に「この後輩は自分に好意を寄せている」と勘違いを抱かせるためである(あながち勘違いでもないのだが)。
そして結局、先輩後輩の付き合いが男女のそれへと変わるのに、さして時間はかからなかった。
そして大学を卒業後、二年で結婚。もう十年経つにも関わらず変わらぬ美しさを保つ彼女と、今日は久々に有給を取ってデートである。
かくして私は、これからの人生を代償に、至上の美しさを体験する権利を得たのだった。
人によっては、私のことを愚かだと言う者もいるだろう。たった一瞬の為にその後の人生を溝に捨てるなど、まさに愚者の所業だと。
だが、私はこれでいい。そもそもの話、今までの生で他人から影響を受けたことなど……一つも無いのだから。
「ねえねえ、その小説の題名って何なの?ちょっと気になったんだけど」
「目立たないやつだし、見つからないと思うけど…確か、そうだな。『拝啓、私は死体が大好きです。』とかそんな感じだった気がする」
「はー、また何かこう、いかにもその場で考えました、って感じのタイトルね」
「うっ…そ、そうかなぁ?結構斬新でいいと思うけど…」
「まあ、感じ方は人それぞれよね。仮に私の周りにそういう人がいたとしても、あんまり冷たく接しちゃ駄目なのかなー」
「………そう、かもな。私はそんな事は気にしないけれど」
「ん?どゆこと?」
「そういう人間がいても、気にせず接するって意味さ。こちらに害を及ぼすならまだしも、そうでないならどうこう言う資格など私達は持っていない」
「さすが、人間ができてるわね……さ、そろそろ行きましょ?そろそろ保育園も終わる頃でしょうし」
「げげっ、もうそんな時間か!オウケイ、さっさと食べちまわないと」
唯一の、いや、たった一つの余計な救いは、この時間もそこそこ楽しいものであることと……そして、彼女が死んだ時、私は恐らく悲しむであろうことだろうか。
彼女を悲しませないためにも、そして何より彼女の死体をこの目で見るために、これからも長生きせねばなるまい。
私と彼女の人生に、どうか幸あれ。
『生き物大好きな無名の物書きによる、死体大好きな小説のあとがき』
拙い文章をお読み下さり、どうもありがとうございます。未熟なりに色々と込めて書かせて頂いたこの小説、はたして皆様はどのようにお読みになったでしょうか?
突然ですが、私はネタ等を含まず真剣に物語を書く際(普段書いているのはコメディ調のファンタジックなものが多いのですが)、ふと不思議な気分になる時があります。
なんというか、気付いたら自分でも驚くくらいにさらさらと文を綴っている様な…強いて言うなら、書いていて「しっくりくる」感覚。そういうものを、特に、こういうどこか陰鬱とした物語を書いている時によく感じるのです。
小説家の人はストーリーを紡ぐ際に「〜を表現する」と言いますが、生憎と私は自由に表現できる程、自分の心を知り尽くしている訳ではありません。なのでこういう物語を書く時は、基本的に自らの想像の赴くままに、好きなように書いています。そして大抵はよくわからない終わり方をします。
そして、そんな風に書いている中、突然訪れる「これだ」という確信。
これが何かを表現する際の感覚なのだとしたら、私の心というものは自分で思っているよりもねじくれて、歪な形をしているのかもしれない。そんなふうに思うのです。
そしてそんな事を考えながら、勢いのままに一日で書いたのがこの短編です。正直、もう当分は文章を書きたくない気持ちで一杯になる程度には気合を入れて書きました。
ですからこれは、少なくとも私が今まで書いた中では、何ら恥じるところなく『最高傑作』と呼べるものであることをここに記します。
……あ、ちなみに私自身はこれといって死体が好きな訳ではありませんし、無論ネクロフィリアでもございません。その辺、あしからず。