海と山脈
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アパートの冷たい床の上に、疲れ切った歩兵がドカリと座り込んだ。
その歩兵はまだ十分に若いが、あまり精気がなく、急激に色々な物を見過ぎたせいで無力感と無感動の海に胸まで浸かっていた。象よりもタフな古参兵になりつつあるその初年兵、つまりオレは気力を振り絞り立ち上がった。そしてタコツボに身を隠す代わりに、着ていた服を脱ぎ、洗濯機の穴に放り込んだ。
貰ったシルバーアクセサリーを返品すれば、呪いが解けるのじゃあるまいかという一縷の希望を抱き、駅前の広場まで行ったのだが、露天商の二人はいなかった。
四日ほど彼らを探して同じ路線の駅や繁華街を歩き回ったが、まるで遠くに旅立ってしまったかのように姿がない。
楽な服に着替えたオレは暗澹とした気持ちで、半日持ち歩いた紙袋の中に手を差し入れた。
そして中に入っている銀製品を一つ一つ取り出して、床に並べていった。
少女の顔に矢が刺さっている物と、少女の足首が罠に挟まれている物を奥の方に押しやり、残りの3つを手前に引き寄せた。
1つ目は、少女の首筋にポツポツと黒い穴が開き、血が流れている。たぶん狼かドラキュラに首を噛まれたら、こういう風になるだろう。
2つ目は、幼い少女が逆方向を向く2匹のライオンに、それぞれの足を縄で繋がれて股を引き裂かれている。
3つ目は巨大なタコの触手に、少女が蹂躙されているという悪趣味な物だ。
オレは銀製品を紙袋に戻し、正面の棚を見上げた。
昔は時計があった場所に、銀の置物が飾られている。
最初に貰ったその置物は、少女の薄い胸に手斧が深々と刺さっている。そして、不気味な赤いスーツの男に付けられた赤い血が、胸の辺りにどす黒く染み込んでいた。
その不吉な汚れは何度洗っても、決して落ちなかった。
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完全武装のグランデュエリルがオレの部屋のドアを叩いたのは、クワガタを退治したあくる日の朝だった。
赤い髪の毛を馬の尻尾の様に一つに縛り付け、背中にレイピア、おでこには西洋風の金色の鉢金。胸と腰を覆っている帝国印の入ったプレートアーマーは、動き易さと硬さを兼ね備えた見事な一品である。
弟のグリィフィスの粗末な装備品とは比べるべくもなく、おそらくは弟の金が姉の方に流れているのだろう。
それだけの武装とは不釣り合いにグランデュエリルは裸足だった。そして右腕にぶら下げていたブラック・クロコダイルブーツを目の高さまで掲げた。
「弟から聞いたぞ。これはお前からだそうだな」
「……ああ」
「私と弟の心を弄んだお前に、本来ならば決闘を申し込むところだ。昨日のお前の戦いを見れば、勝てない事は分かっているがそれは関係ない。だが弟が泣きながら頼み、決闘をするなら自分の首を斬るとまで言ったから、代わりに礼を言おう」
グラは一息でそう言うと、騎士がする様な丁重な礼をオレに向けてした。
しかし肩はプルプルと震え、茶色い瞳は怒りで燃えている。
「このブーツのおかげで私の足が助かったのは事実だ。旅の間は使わせてもらおう」
「そうか――――待て、待てって」
話は済んだとばかりに踵を返すグラの腕を掴み、無理やり部屋に引き入れてドアを閉めた。グランデュエリルがレイピアに手を伸ばす。
「待て、話がある。そもそも最初から話すべきだったのだが、オレ自身が半信半疑だった」
「話など、もうない!」
「ブーツの事はすまなかった。座ってくれ」
グラはオレの手を振りほどきドアに向かう。
「頼む、座ってくれ。これは命令だ。座れないなら、これ以上お前を連れていけない」
「……く」
グラはどかりと椅子に腰を下ろし、気を落ち着かせるように荒い息を立てた。
目には涙が滲み、顔が赤く染まっている。グラックス家の面々は、神官の家系らしい白い肌をしており、畑に降り注ぐ強い日差しですらグラの肌を焼く事は出来なかった。頬に僅かにあるそばかすは野外での労働の証しなのか、それとも思春期によるものか。
グランデュエリルの心が静まるまで、オレは待った。
ブーツをグリィフィスに渡させたのは、いかにも軽率だった。例えばユキのくれたジーパンが、他の誰かからの物だったら、オレだって動揺するだろう。
グラは気を紛らす為に小さく鼻歌を歌い、すぐに止めて鉢金を外し、また鼻歌を歌いすぐに止めて髪の毛をほどいた。裸足のまま椅子の上で胡坐をかいている。しばらくして気を落ち着かせたグラは、恥じる様な小さな声を出した。
「子供の様な振る舞いをしてしまったようだ。……それで、話と言うのは」
「ああ。簡単に話すが、オレにはごく稀にだが未来の危険を感じる能力がある。まあ、スキルの様な物だな。その力を使い店の前で矢からグラを守り、クワガタに足を切られるのを防いだ」
「な、なんだと……」
グラは立ち上がりオレの顔をまじまじと見た。そして顎に手を当てて、考え込む。
「そんなことが……でも確かに……いや、そんな事は……」
「まあ、聞いてくれ。オレが見たのは今言った2つだけじゃない。あと4つあるんだ」
オレはメモ紙をグラに渡した。
「そこに書いてあるような危険が、これからグラに起こるはずだ。オレ達はそれを避けなければならない」
「4つ? 何もかも全部みえるのか?」
「いや、見えたのはグラに関する事だけだ。理由は分からん。グラックス家に流れる神官の血がオレの能力と合わさったのかもしれん。分からない。出来ればオレのこの能力の事は、あまり話さないでほしい」
グランデュエリルは再び椅子に座り、険しい表情でメモを読み始めた。
やがて廊下から小さな足音が聞こえ、ドアがノックされた。
「レオン、朝御飯の準備が出来てますわよ。まだ寝ているのですか?」
「起きてるよ、グラとちょっと話していたんだ。すぐ行くよ」
フラニーとエリンばあさんには、昨夜のうちに大体の事は話してあった。
「とりあえず朝飯を食べよう」
オレは椅子の上で混乱しているグランデュエリルを引っ張り上げた。
食堂に降りるとすでに料理が並んでおり、皆が待っていた。
黒い髪に姉と同じ茶色い瞳を持つグリィフィスが、心配そうな顔でオレの事を見つめた。
そのグリィフィスの顔はボコボコに腫れ上がり、両方の鼻に丸めた綿が詰められている。人の事よりも自分の心配をするべき状態である。オレは咎めるように、グランデュエリルの顔を横目で見た。
気まずい雰囲気のまま朝食が始まる。
カチャカチャと食器のぶつかる音だけが食卓に響いていたが、相変わらず空気を読まないアポロがテーブルの上に乗り、グリィフィスのソーセージをかっさらった。
「アポロさん、良かったら全部どうぞ」
逃げようとしていたアポロにグリィフィスが声を掛けた。皿に向って猛然と引き返すアポロを、オレは摘まみ上げて床に放り投げた。エリンばあさんとフラニーがくすくすと笑う。
「さて、食べながら聞いてくれ。急なんだがルートを変更する事にした。予定ではペジラ砦から南の海岸まで行き、船でニバル山脈を迂回して砂漠地帯まで行くつもりだった。しかしいくつかの理由で、ペジラから少し北上して、ニバル山脈を越える事にした」
「海側に嵐の気配があると、町長が言っていましたわね」
牛乳を飲みながら、フラニーが相槌を打つ。
「ああ。山脈越えと言っても、海路の往復船が出来るまでは交易路として使われていた道がある。雪もないし、寂れてはいるだろうが村もちゃんとあるらしいから、問題ないはずだ」
「村の者が喜びそうな品物を積んでいけば、良い稼ぎになりそうですわね。早速、調べなくては」
「ほっほっほっ、山越えと聞くとなんだか血が騒ぎますのう」
「よし。グリとグラも賛成でいいか?」
「もちろんです」
「……ああ」
グリィフィスが腫れ上がった唇で食べるのに合わせて、オレもゆっくりと朝食を食べた。
本当ならばオレが顔を腫らすはずだったのだ。
「ルートを変更したのは私のせいだな」
「うーん。まあ、そうだ」
「無用な事だったのに……レオン、私は戦士だ」
グリィフィスと持ち場を交代したグラと、御者台に並んで座っていた。オレは手綱を持ち、グランデュエリルはメモを握りしめている。
「海路を避けたのは、この紙に書いてある巨大オクトパスの触手というのを避ける為だな?」
「うーん。まあ、そうだ」
「無用な事を。オクトパスなど切り刻んでにツマミにしてやったのに!」
グランデュエリルは歯を食いしばり、悔しそうに言った。
「さっきも言ったが、メモに書いてある事がそのまま起こるとは限らない。タコの触手に似ている物が、何か思い浮かぶか?」
「……そうだな。メイジアリクイの長い舌や、爛れオークの使役している大ナメクジ等が似ていると言えば似ている」
オレは想像しかけたものを振り払う為に、ぶるぶると頭を振った。
横からグランデュエリルが、手綱にそっと手を伸ばす。
「おい、何をやってるんだ。馬が曲がっているぞ」
「す、すまん。メモに書いてある奴は全部覚えたか?」
「ああ。牙を持つ敵の首への攻撃。手斧による胸への攻撃。ライオンによる股の引き裂き攻撃。よく意味が分からないな。股の引き裂き攻撃とはなんだ?」
「オレだって分からん。とにかく股をピッタリと閉じて置けよ」
「……無礼な。旅の同行者が貴様と弟である限り、その心配はいらん」
「手斧には特に注意してほしい。たぶんそれが一番危険だ」
「私の鎧を、手斧程度が通れるとは思えないが」
グランデュエリルは鎧の胸の部分をコツリと叩いた。
「うーん。まあ、そうだな」
「さっきからそればかりではないか……レオン。はっきりしない男だ」
馬に不慣れなオレは、知らず知らずのうちにペースを上げてしまう癖があった。その度にグランデュエリルが手を伸ばし、何も言わずに手綱を引っ張ってくれた。やはり根が真面目なのだ。
宿場から宿場への旅が続いた。
ちょこちょこモンスターと遭遇したが、エリンばあさんかアポロが瞬殺してしまうので、危険はほとんどなかった。フラニーはモンスターの落としたドロップ品を宿場で売り、その金で別の商品を買ったりしていた。たいした儲けは出ていなかったが、売買を通しての情報収集が目的のようである。
そしてグリィフィスの顔の腫れが引いてきた頃に、第1目的地のペジラ砦に到着した。
ペジラ砦は帝国側の人間が金を出し合って作った、最前戦の要塞都市である。
この要塞都市の西側には、巨大なニバル山脈が横たわり、大陸を二分している。
そしてニバル山脈の向こう側は、モンサン・カンパニーの勢力圏になっているのだ。
もちろんこれは、帝国貴族やカンパニーに属する人間の地図の見方であり、全然別の地図の見方をしている者も沢山いる。
例えば、常に移動し続ける行商人達や、ニバル山脈の最北に住んで居るというドルド族達は、自分たちの目で違う世界を見ているだろう。
オレ達の2台の馬車は、ペジラ砦の城門前に出来ている長蛇の列の最後尾に並んだ。
もう夕方だというのに多数の馬車やキャラバン隊が、兵隊による荷物チェックの順番が来るのを延々と待っている。横で運転しているグリィフィスが、懐から手紙を取り出してオレに渡した。
ペジラ砦に入る為の、ベンの紹介状である。
グリィフィスは手紙を渡すと、ほっとしたように大きな息を付いた。
心配性のグリにとっては、中々の重さがある手紙だったようだ。
フラニーが馬車から降りて、前に並んでいる商人達に積極的に話しかけている。それをぼんやりと眺めていると、大きなガラガラ声がオレの名前を呼んだ。
「お? その変な髪の毛は、レオンじゃねーか?」
魔法銀の鎧に身を包み、馬に乗った大男、討伐隊副隊長のダーマ・スパイラルだった。
「ダーマのおっさん! 久しぶり」
「レオンよー、でかい声でおっさんとか言うなよな。まあ付いて来いよ」
馬を進めるダーマ・スパイラルに馬車ごと付いていくと、あっさりと城門を通り抜ける事が出来た。
無精ひげを生やしているダーマのおっさんは、兵隊にヒラヒラと手を振っている。
「へー、ダーマさんって偉い人だったんだな。ありがとう」
「おー? いい女を連れてるじゃねーか。確かカルゴラに行くんだっけかな」
後ろに続く馬車を運転しているグランデュエリルを見て、ダーマのおっさんがでかい声を出した。
「ああ、そうだよ。おっさんはここで何してるんだい?」
「何してるって、ペジラ砦には討伐隊の本部があるからなあ。そんな事も知らんのか。レオンの名前も討伐隊にちゃんと入っているんだぞ? 緑の旗、送ったろ」
「ああ、そうか」
「オレは、これから本部に報告に行かなきゃなんねえから。レオンも来るか? 隊長に紹介するぞ」
「いや、とりあえず荷物を降ろしてくるよ」
「そうか、じゃあ晩飯でも一緒に食おう」
ダーマのおっさんと約束をしてから別れ、宿に向かう事にした。
グリィフィスがはらはらとした顔で、汗を垂れ流している。
「どうした?」
「今のお方は元帝国第三軍の総司令官、ダーマ将軍ですよね?」
「いや、ダーマのおっさんだよ」
「いえ。ダーマ将軍です」
「ふーん、やっぱり偉いんだな。おっさん向こうの世界で、何かやらかしたらしいが」
「……皇族の姫に手を出して失脚しましたが、戦争の英雄ですよ」
オレ達は宿屋で旅の泥を落としてから、住民地区を散策した。
ペジラ砦は全体的に暗く物々しい作りの建物が多く、戦になった時にはすべての建物が、城壁や砲台に早変わりするのだろう。
大きくはない街だが、活発に人と荷が動いている。
「なあエリンばあさん。最前線の砦が活発なのって、あまりいい事じゃない気がするけど」
「そうとも限りませんですじゃ。ここは交通の要にもなっておりますし、平時の賑わいもありましょう。ただし……」
すれ違った兵隊の一団を、エリンばあさんが鋭く見た。
「ただし、明日にでも戦場に立てるだけの、訓練はしている様ですじゃ」
「ふむ」
「レオン、城門前に居た商人に紹介してもらった店に、着きましたよ」
オレ達はずらずらと、店と言うよりは倉庫のような場所に入って行った。
ニバル山脈の村に売り付ける商品を買う為に、早速フラニーが店主と交渉を始める。
グラが穀物の袋を積んだ山を意味もなくドンドンと叩き、グリィフィスが「姉さん崩れますよ」と心配顔で止めている。
フラニーが険しい顔で、オレを呼びに来た。
「初めまして、店主のミルガンと申します。ニバル山脈の道を行くとお聞きしましたが、おすすめ出来ません。嵐は待てば過ぎ去ってくれますが、山の魔物は去ってはくれません。船の手配はここでも出来ますので、考え直しては如何ですか」
「そんなに危険なのかな? ニバル山脈ルートは」
「商人にとってはですが、とても危険です。昔、山脈ルートを使っていた行商人は、未亡人製造業と言われていました。帝国が管理している海路の方は、この上なく安全です。またソフィア様が来てからは、税金も船賃も安くなり、山脈ルートを使うメリットがありません。……まあ、屈強な兵隊が一騎掛けするのならば、海より山の方が早い事は早いですが」
オレは、向こうの方で貰った果物を食べているグランデュエリルを、チラリと見た。
「ちょっと事情があってな。忠告はありがたいが、ニバル山脈を越えるつもりだ」
「そうでございますか。ならば最上の品をご用意致しましょう。ニバルにあった村や集落の半分以上は、交易路が廃れると共に消滅してしまいましたが、昔は私も取引をしていた者達が細々と暮らしております。物資は常に不足しているので、喜ばれるはずですよ」
ミルガンと言う店主は、義理堅い男の様だった。儲け度外視で、馬車半分に積む品物を見繕ってくれ、紹介状まで用意してくれた。
「む。この金額でいいのか?」
「ええ。駆け出しの頃は、私もニバルを登っていたのですよ。急速に海路が整備されたせいで、ニバルの友人達にもう何年も会っていませんが」
「そうか」
店主に礼を言い、暗くなり始めた外に出た。仲間の人数が多くなったので、点呼を取らなければ迷子が出てしまいそうだったが、点呼に応えてくれそうなのはグリィフィスぐらいだ。
ダーマ・スパイラルに言われた店に行くと、個室に案内された。
すでにチビチビと飲み始めていたおっさんに仲間を紹介して、運ばれて来たご馳走を遠慮なく食べ始める。口当たりの良い葡萄酒と、肉汁が滴る角無牛のステーキが抜群の相性だ。
ダーマのおっさんはほとんど飯を食わず、ハイペースで酒を飲み続けている。オレの知らない太古の戦争について、おっさんとエリンばあさんが熱く語り合っていた。二人は根っからの軍人なのだ。
根っからの農民であるオレは、新しい食材を食べる度に、自分の畑でも同じ物が収穫出来るだろうかと考えてしまう。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、子供や獣は寝る時間が近づいて来た。
そろそろ帰るとオレが言うと、ダーマのおっさんが寂しそうに笑う。
仕方ないのでみんなを先に宿に帰して、オレとグランデュエリルだけが、もう少し酒の相手をする事にした。ダーマのおっさんには色々と借りがあるし、何と言ってもタダ酒である。
「なあ、そう言えばおっさんっていつも一人だよな。従者とか連れてなくていいのかい?」
「オレはよー、いつも一人だよ。従者なんていらねーよ。おっ、グラちゃんありがとう」
呂律の怪しくなり始めたおっさんが、酒を注いだグラにデレデレと笑いかける。
「まあ領地には口うるさい奴らが結構いるけどさー。みんなオレの事を煙たがっているしよー、それにもし戦争になったら真っ先に死んでいく奴らだから、仲良くしたってしょうがねーんだよ」
「おっさんの丘は、ニバル山脈の向こう側にあるんだっけ?」
「ああ、そうよ。橋頭堡と言えば聞こえはいいが、要は捨石だよ捨石」
おっさんは泣くような声を出し、テーブルに突っ伏した。
「オレはよー、手なんて出してねーんだよ、出してねーのに。まるで水切石の様に辺境に飛ばされてよう、今じゃ捨石と来たもんだ」
たぶん皇女の事を言っているのだろう。
おっさんは自分の言った石についての言葉遊びが気に入ったのか、俯いていた顔を上げて、ドヤ顔でオレを見上げた。
「ふーん。おっさんは将軍だったらしいな、そうは見えんが。手を出してないって、誰かに嵌められたのかい?」
「オレはよー、手なんて出してねーんだよ! ただプリキャル姫にプレゼントを贈っただけなんだよ」
「プ、プレゼントってどんな?」
ダーマのおっさんが、思い出した様にデレデレと笑った。
「最高のプレゼントだったんだぜ。妖精蝶の紫の羽で特別に作った、上と下が揃いの下着だよ、ゲヘヘ」
グランデュエリルが顔を赤らめて、耳打ちをしてきた。妖精蝶というのは帝国の森に生息している、スケスケの羽を持った保護蝶だと言う。
「おっさん、それは色々とまずかったんじゃないか。じごうじ……いや、何でもない。グラ、そろそろオレ達も帰ろうか」
「まだ帰らないでくれよー、レオン!」
強い酒をガブガブと飲み続けたダーマのおっさんは、徐々に話の脈絡がなくなっていき、やがてテーブルの上で眠りに付いてしまった。困って店員を呼ぶと、おっさんは頻繁にこの店で酔い潰れているらしく、後はお任せくださいと言ってくれた。
店員に銀貨を握らせて店を出ようとすると、ダーマのおっさんのうわ言が聞こえてきた。
「レオンよー、だけどよー、石版の世界は変わるぜ。カルゴラのゲートを見ればそれがわかるはずだ。大船団で乗り付けて、一気に占領しちまえばいいんだよ」
「……」
グランデュエリルと二人で、人気のない夜道に出た。
冷たい風が箒のように、落ち葉を転がしている。
酒を飲んで上機嫌なグランデュエリルが、足取り軽く前を歩く。
「ははっ、まさかダーマ将軍がああいう人だとは、思わなかったな。レオンは全然飲んでいなかったが、酒が嫌いなのか?」
いや、酒は好きだよ。
心の中でそう思った。
遠くで犬の吠える声が聞こえ、グランデュエリルが吠え声のマネをする。
「ベン様の丘で働くのも悪くないけど、旅というのはやはり楽しい」
「そうか」
「うん。あれ? あそこにいるのは吟遊詩人じゃないか?」
「グラ、先に行くなって」
小走りで進むグラを、慌てて追い駆ける。
木の箱に座っている吟遊詩人の前で、グラがしゃがみ込んでポケットを探している。
「レオン、小銭を持っているか? あとで弟が返すから貸してくれ」
「弟はグラの召使いじゃないんだぞ」
吟遊詩人がオレの事を見て、媚びるような笑みを見せた。
頭は丸坊主で、ど派手な布を使った着物の様な服を着ている。
背中に小さなハープと数本の縦笛があり、縦笛の1つを手に取った。
吟遊詩人は、学校で使うのよりは少し大きな縦笛を咥えて、ピロリと音を鳴らした。
枯れ枝の様な指が、縦笛に並ぶ黒い穴をピッタリと押さえている。
吟遊詩人は縦笛から口を離し、少年の様な美声で詩を朗読した。
ニバル山脈で戦った英雄の物語である。
吟遊詩人は一連ほど歌い終えると口を閉じ、足元の皿をチラリと見た。
オレはしょうがないなあという顔でグランデュエリルを見て、小銭を取るためにジーパンのポケットに手を伸ばした。しかし目の隅で、吟遊詩人の動きをしっかりと見ていた。
星銀の爪と縦笛がぶつかり合い、カツリという乾いた音が夜道に響き渡る。
「シャッシャッシャ、何をなさるんで? 笛が地面に落ちては、曲が弾けませぬ」
「今のお前の動き、笛を吹く様には見えなかったが」
「ウシャッシャ、旦那様は笛にお詳しいのですかい?」
「グラ、地面の縦笛を調べてくれ。穴に注意しろ」
オレは爪を構えたまま、グラに指示を出した。
グラは目をパチクリさせながら、ゆっくりと縦笛を摘まみ上げる。
すると縦笛に並んだ暗い穴の中から、アイスピックのような鋭い針がトストスと姿を現した。
オレは、吟遊詩人が素早く掴んだハープを地面に叩き落とし、次は首を叩き落とす為に左フックを繰り出す。
吟遊詩人は攻撃を避けて、横に大きく跳ね飛んだ。
まるでホバークラフトの様に低空をフワリと飛び、あっという間に10メートルほどの距離を作った。
「ちょいと待ってくださいな、旦那様。あっしは不意打ち専門でしてな、見逃してはくれんかね?」
「なぜ攻撃してきたのか言え」
「シャッシャッシャ、こっちの世界で、旦那様の首には賞金が掛かってましてな。わざわざ殺しに行くほどの値ではありゃしませんが、偶然に道端で見つけたら拾わずにはいられませんやね」
月明かりに光る星銀の爪を下ろすと、案の定、吟遊詩人は攻撃を仕掛けてきた。
背中から抜き取った2本の縦笛を左右に振り払い、高速で針を飛ばしてくる。
オレは一振り目に飛ばされた数本の針を爪で弾き落としたが、二振り目の針は躱さざるを得なかった。
後ろに居るグランデュエリルが気になったが、オレはそちらを決して見ない。
もしほんの少しでも意識をグラに向ければ、敵にそれを気付かれてしまうし、気付かれれば確実に付け込まれるからだ。
オレは足に力を込め、大きく踏み込んだ。
一歩目で敵との距離を半分まで詰める。
二歩目で攻撃が可能ではあったが、少し力を緩め、敵の正面手前で着地する。
知らない相手とやる時は、常に余力を残して置くべきだ。
吟遊詩人はさっきの様に縦笛を振るのではなくて、あたかも和太鼓を叩くかの様にトントンと動かした。
やはり先程の大袈裟なモーションは誘いだ。
飛んで来る針を避けながら、サイドステップで左に回り込む。
左の脇腹がガラ空きだ。
しかし、ほんの僅かではあるのだが、ガラ空き過ぎるのだ。
今までの敵は引っ掛かったのかもしれないが、何度も死んだ事のあるオレには、絶対に通用しない。
着物を突き破って、脇腹から飛んで来る無数の針を躱す。
後ろまで回り込み、うなじの部分に星銀の爪を刺し入れた。
吟遊詩人はゴボゴボと血を吐きながら、うつ伏せに倒れる。
「……ぎょうば……づいてると、思っだんですがね、シャッシャッシャ」
念の為に首を切り落としてから、グランデュエリルの方に駆け戻った。
そして祈るような気持ちでグラの首を見る。
良かった。
穴は開いていない。
「大丈夫かグラ? どこかに怪我はないか?」
「ああ、大丈夫だ。何も出来なくてすまん」
「早く帰ろう。心配性の弟が迎えに来る前にな」
放心状態のグランデュエリルの手を引いて、宿への道を急ぐ。
グラが声を震わせながら、オレの背中に声を掛けた。
「強い。レオンは強い。認めたくはないがボウド様よりも、遥かに強い。今の戦いを見て、なぜベン様がレオンを大切にしているのか、よく分かった」
「うーん。ちょっと違う気もするが、まあそうかもしれん」
「どうしてそんなに強いんだ?」
「それは毎日走っているからだな」
グランデュエリルは握っていたオレの手を振りほどき「それだけで、あんなに強くなれるものか」と不満げに言った。寒さのせいでグランデュエリルの頬は赤く染まり、吐く息は微かに白くなっている。
本格的な冬が来る前に、丘に帰らなくては。
オレはそろそろ買い替え時の、ボロボロのコートを思い出して、小さな溜息を付いた。




