表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/94

遠足前夜

 オレは真夜中に工作台を使っていた。


 毛布を張り巡らして小さな簡易防音室を作り、蝋燭の光で黙々と作業を続ける。

 星銀のインゴットを量産するには、オレ自身が作ったアイテムが沢山必要だった。

 初収獲の時はナッツ手袋を肥料にしたが、時間効率を考えた結果、今は銀を加工して色々な製品を作り始めていた。


 スプーンやお皿に、ポットやアクセサリー。

 どれも複雑な模様を刻みつけているので、かなりの技術力が必要である。

 銀細工を始めてからしばらく経った頃、自分が思ったよりも手先が器用な事に改めて気が付いた。デザイン的な才能は皆無であったが、無限に近いパクリ元があるのでそれは問題ない。もしかしたら、銀製品自体を売りに出す事さえ可能かもしれない。


 額の汗を拭きながら熱に浮かされた様に作業をしていると、吊るされている毛布の壁がフワリと開き、エリンばあさんが身をすべり込ませた。


「レオン殿、お邪魔しますじゃ」


 オレは立って作業をしているので、木製の小さな椅子を横にずらしてエリンばあさんに勧める。

 ばあさんが椅子に腰を掛けると蝋燭の火がわずかに揺らぎ、毛布の小部屋に巨大なアフロの影が蠢いた。


「ふー、今作ってるのでラストにして寝るとするかな」

「ほっほっほっ、頑張りなさる」


 午前中の農作業は命懸けなので、毎晩のように無理して作業する事は決して褒められた事ではなく、オレがやりたくてやっている事だった。

 何度か様子を見に来たエリンばあさんはすぐにオレの作業を覚えてしまい、たまに手伝ってくれるようになった。阿吽の呼吸というのだろうか、何も言わずとも必要な道具を手渡してくれ、押さえてほしい時はそっと手を伸ばしてくれる。

 エリンばあさんが横に居ると心地が良いだけでなく、作業のペースも上がるのだ。


「カルゴラシティーに出発する日までには、十分な数の星銀が揃いそうだ。紫パンダのおかげだよ」

「ほっほ、だいぶ狩りましたね」

「あいつらにとっては、厳しい季節になっただろうな」


 星銀が大好物のパープル・ビックパンダはオレ達と非常に相性が良く、ネタさえあれば連続で栽培する事が可能だった。逆にパンダが侵入してくれないと、一個中隊ほどの雑魚モンスターが侵入して来るので、気力体力ともにごっそりと削られてしまう。

 オレ達は紫パンダが侵入してくれるように、種を埋める時や食事の前のお祈りを欠かさない様になっていた。祈りたくなってしまうぐらい、違いが大きかったからだ。


「カインもずいぶん戦えるようになってきた。それにしてもあいつは一体どこまで大きくなるのか。また新しい仮面を作り直さければならん」

「フラニー殿は、キバゴロウの背中に乗る事を考えているようですじゃな。昨日、相談に来られました」

「ハッハ、フラニーは、何にでも乗りたがるな」


 体が小さい事を補う為に、色々と考えているのだろう。

 しかし、イノシシの背中とは乗れるのであろうか。


 銀のポットが出来上がり、オレは模様を刻み始めた。

 一生懸命仕事をするオレを、エリンばあさんがにこやかに見つめている。


「……ばあさん。なにかお話してくれよ」


 戦歴の長いエリンばあさんは、戦場の英雄話や、不思議な話を数え切れないほど知っていた。野営地での長い長い夜を、そういう物語を語り合う事でやり過ごしてきたのだろう。

 エリンばあさんが、考え込む様に顎に手をやる。


「明るい話ではないのですじゃが、よろしいですかな」

「うん、聞きたいな」


 オレは工作台から目を離さずに、そう答えた。

 エリンばあさんが話を始めると、まるで野営地の焚火の爆ぜる音が聞こえてくるかのようだった。


「私の故郷の国には、人間の生血と混ざると爆発する不思議な液体がありましてな。元々は矢尻や剣に毒のように塗り込んで使う為に、開発された物でしたが、いくつかの致命的な欠点が見つかり、戦場ではほとんど使用されることはありませんでした」

「うん」

「ところがある軍人が別の使い方を思いついたのですじゃ」


 オレは椅子に座るエリンばあさんの顔をチラリと見た。


「……まさか」

「ええ。その液体を兵隊に飲ませて、敵軍に突っ込ませるのです。一人の兵隊が、数十人を巻添えに殺し、時には敵の大砲を破壊する事さえありました。爆血兵と呼ばれていたそれは、近隣諸国に恐れられ、実際に爆血兵がいくつかの戦争を終わらせました」

「……」

「あたしが一兵卒だった頃には、すでに何十年も爆血兵は使用されていませんでした。ただし制度としては残っていて、軍隊で出世を望むのならば爆血兵の志願登録をする必要がありましてな……まあ、あたしも志願して突撃番号を持っていました。『爆発する時の為に骨を硬くして置け』というのが軍隊での流行の冗談でしたな。他にも骨や血にまつわる下品な冗談が、いくつもあったですじゃ」


 オレはいつの間にか作業の手を止めて、エリンばあさんの話に聞き入っていた。


「あたしの国で起こった最後の長い戦争の時に、とある若い将軍が爆血兵の事を思い出しました。その将軍は、生血を爆発させる魔法液を学者達に改良させて、新しい物を生み出しました。それは特定の血液型だけにしか反応しない替わりに、従来の数十倍の爆発力を持っていました」

「ば、エリンばあさんはどうだったんだ!」


 オレは待ちきれずに話の先をせかした。


「……あたしは別の血液型でした。爆発に適す血液型は珍しくて、あたしの国では数百人に一人しか持っていませんでしたのじゃ。……その血を持った男たちが国中から集められて、救国の英雄としてパレードをした後に、敵軍に華々しく突っ込んでいきました。あるいは飛龍の背中から、敵の砦に向けて飛び降りていきました。………………男が尽きてしまった後には、女子供が次にパレードをしました。戦争の末期にはパレードをすることなく、魔法液を飲ませた赤ん坊がカタパルトで飛ばされていったのですじゃ」


 エリンばあさんは、少年が飛龍に乗って空を飛んで行った時の話をしてくれた。その話は悲しい話ではなく、少年の冒険と仲間たちとの絆の話だった。


 話が終わった後、オレはそっと手を伸ばして、エリンばあさんの皺だらけの手を優しく握った。

 ばあさんの戦友たちもたくさん死んでいったのだろう。あるいはエリンばあさんは、死ねと命令を出す立場であったのかもしれない。

 エリンばあさんの右腕に、番号の入れ墨がある事をオレは知っていた。


「よし、そろそろ寝ようか」


 オレは、エリンばあさんを2階の部屋まで送ってから、自分もベッドに入った。

 そして、飛龍から飛び降りる少年兵のことを思い浮かべながら、浅い眠りについた。







「うむ。今日は絶好のパンダ日和だな」

「そうですわね。こんな気持ちの良い日は、パンダも外に出たくなるはずですわ」


 カゴの中に立っているフラニーが、空を見上げてそう言った。

 フラニーは、エリンばあさんに髪を切ってもらい、少年のように耳を露わにしていた。そしておでこには大きな絆創膏が貼られている。


「フラニー、おでこ、どうしたんだ? 大丈夫か?」


 カインを調教している時に、振り落とされて出来た傷だ。事故現場を見ていたのでもちろん知っているのだが、ニヤニヤしながらあえて訊ねてみる。

 オレが知っている事を知っているフラニーは、冷たい目でオレをチラリと見た。


「あら。市場まで高い薬を走って買いに行ったのは誰でしたっけ?」


 傷跡が残っては大変なので、高い薬をわざわざ買って来た所、なぜかフラニーに怒られるという意味の分からないことが起こっていた。


「うーむ。……さて種を埋めるかな。フラニー、お祈りの準備はいいか?」

「また、あれをやるのですか?」

「あたりまえだ。あれをやってから5連続で紫パンダがきてるんだぞ」


 監視塔のエリンばあさんに手を振ってから、種と肥料にする銀のポット等を一緒に埋める。

 そして、渋るフラニーをカゴから引っ張り出し、畑の上に降ろした。


「パンダ様、パンダ様、今日も私たちの丘に侵入し、立派な肥料になってくださいませ」


 二人で声を合わせてそう唱えた後に、胸の前で手を組み合わせ、身を屈める。

 そして「ぶあーー」という気合の声と共に、手の平を空に突き上げた。


「よし、決まったなフラニー、今日もパンダ間違いなしだ」

「……」


 ボス級の敵が侵入して来る時は雑魚があまり湧かないので、すぐにそうと分かる。

 オレとアポロとカゴに潜ったフラニーでヒマワリを囲むように守り、監視塔ではエリンばあさんが弓を構えている。

 パンダがやってくるのを待ち焦がれていると、代わりに雑魚モンスターがぞろぞろと侵入してきた。


 ……くっ、五連荘で終わりか。


 食いしん坊ゴーレムに赤錆ゴーレム。シルバーゴーレム、キラーパペット、狂い蜂。そして大量の鼠に蛙。まるで百鬼夜行のように、無慈悲なモンスターの群れが丘に攻め寄せて来る。


 エリンばあさんが危険な狂い蜂から、遠距離攻撃で瞬殺していく。落とし穴やトラバサミを突破したモンスター達が、開け放たれた城門から腹を空かせて次々に突入してくる。門を閉めてしまうと、城壁を攻撃し始めるモンスターが多発するので、また別種の戦いになってしまうのだ。


 中距離まで迫ってきた敵に、ハービーの真赤な投弾帯から発射された鉄球が、轟音を上げて飛んでいく。ハービーは、知能の高い星銀タイプのシルバーゴーレムや赤錆ゴーレムから粉砕しているようだ。

 足の速いモンスターが栽培中のヒマワリに迫ってくる。


 オレとアポロは、まるで運動会の棒倒しが如く、ヒマワリを背にして敵を阻む。

 圧倒的な機動力と火力を持つアポロが、回り込もうとする鼠やキラーパペットを追尾ミサイルのように撃ち落とし、オレはヒマワリの側を離れずに、堅実に敵を減らしていく。

 雑魚モンスターの中では一番危険な火力を持っている、重力銀ゴーレムが来た時だけはアポロを少し下がらせてオレが前に出る。


 ハービーは、ハーベストプレッシャーを発動しながら鉄球を飛ばし、さらに地面に転がる瀕死のモンスターをポイポイと収穫物の近くに運び、畑にマナを染み込ませていく。

 敵の魔法攻撃によるドカンという爆発音が聞こえ、大量の土が空に飛び散った。

 そういえばさっきから、イノシシのカインの姿が見えない。

 辺りを見回すと、カインは2、3匹の鼠に追い駆け回されて、必死になって逃げていた。


 カインは子供のカバぐらいのデカい図体を揺らし、惨めに逃げ回っている。

 すっかり硬くなってしまった焦げ茶色の毛に、リンゴ1つを軽く踏み砕けそうな蹄。

 顔を隠す仮面の両脇からは、立派な牙が天を突き上げていた。

 しかし黄色いスマイルマークの仮面を付けている時のカインは、なぜだかあまり戦おうとしないのだ。

 みんなが少しずつカインに注意を割り振っているので、危険はないが非常にもどかしい。


 一匹の鼠がカインの首に噛り付き、それを振り払うためにカインがブルブルと首を振った。

 オレの作った仮面が入れ替わり、エリンばあさんの描いた青と白が鮮やかな、ケルト人の戦闘化粧のお面に入れ替わった。


 するとカイン、いやキバゴロウが突然逃げるのを止めて、急ブレーキをかけた。

 そして調子に乗っていた一匹の鼠を口に咥え、頑丈な奥歯で背骨をへし折ってから、涎ごと地面に吐き捨てた。グチャグチャになった鼠の死体がビシャリと地面に落ちる。さらに残りの鼠を蹄で踏み殺した後に、ヒマワリに迫っていた赤錆ゴーレムに物凄いタックルをお見舞いした。


「いいぞ、カイン」


 オレは、転倒している赤錆ゴーレムに素早く止めを刺した。

 カインは鼠やカエルを数匹踏み潰した後に、不満そうにフフンフンと鼻を鳴らした。

 そしてもっと強い敵を求めて、城門の外に駆けていった。


「待て、カイン」


 興奮状態のカインにはオレの声が届かなかった。どうしようかと思い監視塔をチラリと見上げると、エリンばあさんが大丈夫と言う風に手を上げた。そして弓を速射し始める。


 スティール・スワロウという小さな飛行型のモンスターが収穫物を荒らそうと、まるで羽を痛めて飛べなくなった様な勢いで急下降してくる。

 フラニーが広範囲に横風を発生させて、スティール・スワロウを巨大な城壁に叩き付け、半死にさせた。


「やたらと多いな、フラニー大丈夫か?」

「ええ。ウーリが戻ってきましたよ」


 城門からカインがひょこひょこと、こちらに戻ってきている。仮面がフラニーの描いたヒマワリと古代数式のお面に入れ替わっていた。カインはオレの横まで来ると、ミーアキャットの様に後ろ足2本で立ち上がり、キョロキョロと戦場を見渡した。


「おっ?」


 カインは持ち上げていた前足に魔力を込め、地面にダンッと叩き下ろした。

 すると40メートルほど先の地面から、土の柱が伸び上がり、上空にいた狂い蜂を叩き落とした。

 さらにカインはダンッ、ダンッと小気味良いリズムで地面を叩いていき、その度に土の柱がモンスターを突き上げた。おそらく急所と思われる場所を叩かれたキラーパペットが、プルプルとうずくまっている。


「魔法か? 凄いじゃないか、カイン!」


 ふと視線を感じて振り返ると、カゴの蓋を数センチ開けたフラニーが、得意げな顔でオレを見ていた。

 フラニーはニヤリと笑い、おでこの絆創膏を剥がしてから、再びカゴに潜った。



 長時間の戦闘が続いたがカインの思わぬ活躍もあり、なんとか凌ぎ切ったようだ。

 モンスターの湧きが減り始め、収穫の時が近づいてくる。

 カインを見ると、仮面がまた黄色いスマイルマークに変わっていて、カエルから逃げ惑っていた。


 ……なんだか物凄く納得がいかない気持ちが湧き上がってくるな。しかし、そんな事よりカインの将来が心配だ。もしかして、間違った育て方をしてしまったんだろうか?



 モンスターを全部消滅させた後に、みんなで砂鉄ゾーンのヒマワリの側に集まった。

 どの顔も土埃や返り血で、薄汚れている。


「えー、今回はMVPのカインに収獲をして貰おうと思う」


 そう言ってから、ヒマワリの太い茎をカインに咥えさせた。

 カインがゆっくりと茎を引き抜くと、根っこの部分にキラキラと輝く星銀のインゴットがくっついている。オレはインゴットを手に取って土をパラパラと掃い、カインの背中の上に置いた。


「綺麗だな」

「綺麗ですじゃな」

「苦労した甲斐がありましたわね。パンダだけではここまで光りませんもの」

「フフンフン」


 カインも嬉しそうに鼻を鳴らしているし、オレも嬉しい。

 しかし、仲間全員がかなり消耗してしまったので、2セット目の栽培をするのは難しそうだった。

 やはり紫パンダの恩恵は、計り知れない。







 真夜中に銀のアクセサリーを作っていると、毛布の壁がスルリと割れた。

 またエリンばあさんが来てくれたのかと思って横を向くと、フラニーがいた。

 パジャマ姿のフラニーは、少し緊張の面持ちでオレの事を見ている。


 オレは作業を中断して、フラニーを抱え上げて椅子に座らせた。

 フラニーのシャリシャリとした耳回りの髪の毛が、オレの首に刺さる。

 そういえば、髪の毛が長くなったら王女編みにしたらどうかと何度か言っていたのに、フラニーは髪を切ってしまった。オレの言った事など、どうでもいいと思ったのだろうか。あるいはオレが、少し無神経過ぎたのか。


「眠れないのかい?」

「ええ、カルゴラへの旅の事を考えていたら、高ぶってしまいました」


 フラニーの青い眼に、蝋燭の火が写っている。


「そうだな。カルゴラでの交易が万事上手くいけば、1億マナにだいぶ迫る事が出来そうだしな」

「……そうですわね」


 オレは作業に戻り、フラニーも手伝ってくれた。

 エリンばあさんの様に阿吽の呼吸とまではいかないが、フラニーの手伝い方は奉仕したいという気待ちが滲み出ている。


「ねえ、レオン、何かお話をしてくれませんか?」

「お話? オレが?」

「ええ、聞きたいですわ」


 オレは腕組みをして、考え込んだ。エリンばあさんの凄まじい話を聞いた後では、オレの貧弱な人生に語るべき物語がある様には思えなかった。


「うーん。面白いけど半分ぐらいは嘘の話と、ちっとも面白くはないが本当の話と、2つあるんだが、どっちがいい?」

「では、面白い方をお願いします」


 フラニーがワクワクしたような声を出した。


「よし。……幕末と言われている時代を、オレが生きていた頃の話なのだが――――」

「ちょっと待って下さい。いきなり分からない言葉です。やっぱり、つまらない方の話でもいいですか?」

「む。いいのか。本当につまらないし、オチもないぞ?」

「ええ」


 オレは仕切り直し、作業をしながら話し始めた。


「オレが少年だった頃の話なんだが、オレの国にはバスケットボールという、まあボールを使った模擬戦闘のようなスポーツがあってなあ。……分からない言葉は、適当に聞き流してくれな」

「はい」

「それで仲間に一人の男がいたんだ。そいつとはあまり親しくなくて、バスケをする時以外はたいして話しすらしなかったんだが、それでもそいつは大切な仲間だった」

「わかりますわ。共に戦うということは特別なことですわね」


 話しながら作業をすることは難しかったので、オレは手を止めた。


「ああ。……そいつは凄く優秀な戦士だったんだ。そいつの親も国を代表するような戦士だったから、まあ特別な血だったんだな。そいつと同じチームのオレらは夢をみたよ、優勝できるんじゃないかって。監督も有能で、オレ達は毎日厳しい訓練に励んでいたんだが、そんな時に一つの事が起こったんだ」

「……」

「監督の奥さんが赤ちゃんを産んだんだ。監督は、夫婦でずっと不妊治療をしていたらしいけど、成果がなくてあきらめかけていた頃の出産だった。オレ達は監督に祝いの言葉を伝えて、金もないのに赤ちゃんにプレゼントを贈ったよ。でも、赤ん坊が生まれたその日から、バスケの練習が減っていったんだ」


 フラニーの顔をチラリと見た。全部が本当の話は、いつだって人を退屈させてしまう。


「まあ、監督を責められないよな。やっと生まれた念願の子供だし、奥さんは病弱だった。最初は土日の練習がなくなって、だんだん平日の練習も減っていった。オレ達はバスケが大好きだったけど、まだ子供だったから、ちゃんと管理してくれる人が居なければ自主的に厳しい練習なんて、出来なかった。……それで、そいつは悪い奴らと遊ぶようになって、バスケを辞めちまったんだ。オレは最後までやったけど、すぐに負けて終わった」

「……」

「大人になった頃にさ、別の街でバッタリそいつと会ったんだ。再会を喜んだオレ達は、一緒に酒を飲んだよ。しばらく外で飲んだ後、オレの家に行って明け方まで飲み明かした。昼に目を覚ますと、そいつはすでにいなくなっていて、オレの財布から金が全部なくなっていたんだ」


 フラニーがオレの手を、ギュッと握りしめた。


「その程度で辞めちまう奴は、どうせダメだって大人は言うだろうな。でもオレはそうは思わない。何かが違ったら…………ホンのちょっとしたことが違ってたら、そいつはきっと国を代表するような選手になっていたとオレは思う。だって、やってもいない陸上で新記録をバシバシ出しちまうような、奴なんだぜ……ちきしょう、ちきしょう、なんてつまらん話だ」


 フラニーを見ると、なぜだかとても苦しそうに顔を歪めていた。

 今日はもう寝た方がいいだろう。


「さあ、そろそろ寝ようか」

「そうですわね」

「楽しみだな、カルゴラシティーまでの旅」

「ええ、楽しみです」


 オレは、フラニーを部屋まで送り自分もベッドに入った。

 そして、空っぽになった財布を見た時の、表現しようのない欠落感を久しぶりに思い出して、胸を押さえ付けた。

 たぶんあの日を境に、オレはもう夢を見なくなったのだ。

 この世界に来るまでは。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ