手紙
フクタチの繰り出す連続攻撃に、オレはじりじりと押し込まれていく。
太陽を反射して光り輝く氷の剣が、容赦なく急所を狙ってくる。
オレは首の頸動脈を守り、心臓を守り、何度か切り落とされかけた睾丸を守った。
必死に攻撃を躱すオレを、畑の横にあるパラソルの下でユキがにこにこと見守っている。
テーブルの上には、スヤスヤと眠るアポロの姿もある。ご主人が死にかけているというのに、のん気なものだ。
午後のゴブリンマラソンの替わりに、一日置きぐらいでユキの丘に来ることが、新しい習慣になっていた。そして、ドライアドの少女に厳しい稽古をつけてもらう。
フクタチは、見かけは14歳の美少女である。
緑色のお団子頭に、薄いグリーンの肌。わずかに目尻の垂れた茶色の目に、茶色のワンピース。
茶色のワンピースは、ずた袋をすっぽりと被っている様なのだが、彼女には不思議とそれが似合っている。
彼女はすべての武器を扱う事が出来て、しかも氷で全武器を作る事が出来た。
万一、フクタチに大怪我を負わせてしまっても、ユキがいれば直す事が出来るので、彼女は訓練の相手としては最高だった。
オレは本気で倒すつもりでフクタチと戦っているが、すぐにこちらが防戦一方になってしまう。
フクタチは、生まれたその日から休むことなく戦い続けている、本物の戦士なのだ。
エリンばあさんに会せたら、きっと喜ぶに違いない。
実は訓練を始めて数日の間は、オレはフクタチと互角以上に戦う事が出来たのだ。
なぜなら異次元パリィという、決まりさえすれば問答無用で血肉を奪う受けの大技がオレにはあり、フクタチはその技の味を知っていたからだ。
オレの何の考えもない出鱈目な攻撃でも、フクタチには巧妙な誘いの様に見えていたという。
数日の間だけは。
「ぐっ、まだだ!」
フクタチの連撃を歯を食いしばって凌いでいく。そして待ちに待った大振りに異次元パリィを狙う。
しかし、フクタチはパリィが決まりそうになると、あっさり氷の剣を手から放した。
異次元パリィは虚しく剣だけを弾き飛ばし、フクタチにはかすり傷すら付けられない。
秘技、武器捨てパリィ抜け。
数日でこの技を開発したフクタチは、その後一方的にオレを攻め立て続けている。
地面に転がった氷の剣から目を上げると、フクタチはすでに新しい武器を作っているのだ。
それは剣とは限らず、槍、鎌、ダガーナイフと何でもござれである。
今日のフクタチは、夏祭りの太鼓ほどの大きさがあるハンマーを軽々と片手で持っている。
もし唐突に賞金付のトーナメントでも開催されたら、フクタチはきっと優勝するだろう。オレは3回戦ぐらいで、かませ犬としてフクタチに負けるはずだ。
「レオーン、フクタチー。今日はこれぐらいにしましょうよ」
オレの限界を察知したのか、ユキが助け舟を出してくれる。フクタチは物足りなそうな顔で、巨大なハンマーをドカンと畑に放り投げた。
みんなで塔の最上階に上がり、オレとフクタチは順番にシャワーを浴びた。
半裸のバスタオル姿で駆け回るフクタチを、見ない様にじっと目を瞑っていると、ユキがオレの足元に跪いてきた。そしてメジャーを使い体のサイズを計り始める。
「ねえ、あなたの洋服、作ってもいいでしょ?」
「ん? ああ、もちろん」
黒髪をゴムで一つに纏めているユキは楽しそうに唇を釣り上げて、手際よくオレのサイズを計っていく。
「いつもお土産を貰ってばかりだから、そのお礼よ」
「そりゃ楽しみだな」
この間、仕方なかったとはいえ約束をすっぽかしてしまったお詫びに、少し高価な物をお土産に持っていったのだ。それのお礼という事だろう。
ユキはオレにバンザイをさせてから、体を密着させてメジャーを持った手を脇の下から回す。それだけでお礼としては十分すぎるぐらいだが、もちろんそんな事は言わない。
サイズを計り終わった後、窓際のテーブルでみんなでお茶をした。
なんだか、重婚をして二つの家族を行き来しているような錯覚に陥ったオレは、罪悪感からという訳ではないがユキにこっちの丘に遊びに来ないかと誘ってみた。するとユキの黒い瞳が少しだけ曇ったので、オレは慌てて言葉を紡いだ。
「えーと、ごめん、まだ早かったよな。オレはすぐ調子に乗るからさ」
「……ううん、私の方こそ。……本当、言うとね。私、塔から出るのがまだ少し怖いの。塔に籠って居れば誰も私に手を出せない。畑の上ではフクタチが守ってくれる。ずっとそう思って、それだけを思って生きて来たから。庭守に殺されかけた後は余計に……」
ユキは声をかすれさせてそう言い、寂しそうに笑った。
オレはユキの事を抱きしめてやりたかったが、そうする事は出来なかった。
オレの貧弱な腕の代わりに、横で話を聞いていたフクタチが椅子の上に立ちあがりユキの頭をぎゅっと抱きしめた。そして「ユキちゃんのことは私が守るよー」と高らかに宣言した。
宣言を終えると満足したのか、フクタチはおやつのビスケットを減らす作業に再び専念し始めた。
オレとユキは真っ直ぐに視線を合わせ、長い間、磁石がくっつき合う様にそのまま見つめ合っていた。
自分の丘に帰ったオレは、すぐに秘密特訓を始める。
使わない鉄製の武器や、市場の中古屋で買ってきたボロボロの武器をたくさん用意していた。
それらをハービーにトスしてもらい、鋼の爪で弾き飛ばして的に当てるという訓練である。
もちろん、フクタチの武器捨てパリィ抜けの対策だ。
ただ弾き飛ばして的に当てるだけではダメで、ちゃんとパリィを狙った動きから、ギリギリで弾く動作に移行しなくてはならない。最初のうちは自分の太腿に剣や槍が頻繁に突き刺さり、あきらめてしまおうかとも思ったが、我慢して続けているうちに少しづつ成功率が上がってきた。
一時間ほど秘密特訓をしてから、手伝ってくれたハービーの体をたわしで洗ってやり、次は工作台に向かう。
星銀のインゴットを作るには、種や銀のインゴットと共に、自分で作った装備品かアイテムを埋めてやる必要がある。一緒に埋めたアイテムの技術が優れていれば優れているほど、星銀のインゴット収獲の成功率が高まり、ロストの危険も減っていくらしい。
オレは、ベンから送られてくるダイヤモンドナッツを、毎日根気よくナッツかたびらに作り変え、またいつも成功するとは限らなかったが、思いついた新装備や新アイテムに挑戦した。
その甲斐あってオレの技術力は、三流の職人ぐらいの域に達しようとしていた。
アポロのランドセルを作ったあの日から、ずっと続けてきた結果である。
青春時代をほとんど棒に振ってしまったオレは、強い後悔と投げやりな気持ちだけで長い間生きてきたが、この世界ではもう一度やり直すことが出来るのだ。
次の日、オレ達は星銀に挑戦する事にした。
星銀、それは職人たちが見た光、オレが見た希望。
ナッツかたびらを手袋にした装備品を、オレは土の中に埋めた。
その手袋を作るには、ナッツかたびらを作る5倍の時間と労力が掛かった。苦心の作品を畑の肥やしにしてしまうのは大きなためらいがあったが、星銀の輝きを思いだし、他の物と一緒に畑に埋めた。
カインを安全な場所に下がらせるかどうかで迷ったが、エリンばあさんの「ここで死ぬのであれば、そこまでの子という事ですじゃ」という言葉で、共に戦場に立たせることにした。翻訳すると、いざとなれば1本しかない神木の矢を使ってでも、カインを守るという意味だろう。
種から芽が出て茎が伸びるにつれてモンスターが侵入してきたが、あきらかに数が少ない。
でかい奴が侵入してくる予兆である。
「フラニー、念のため雲を張って置いてくれ」
カゴの中のフラニーに、魔力回復薬を渡しながら言った。
すぐにぶ厚い雲が丘全体を覆い、強い風が吹き始める。
「いかん、洗濯物を取り込むのを忘れていたな。ハービーの替えの腰巻が風に飛ばされなければいいが」
フラニーにそう言った後、他の軽口が思い浮かばなかったので、戦場手話でエリンばあさんにも同じ事を言う。エリンばあさんの「その時は、弓で撃ち落として置きますじゃ」という返答に笑っていると、メッセージが出た。
――――パープル・ビック・パンダに侵入されました。
新モンスターは紫色の毛皮を持った巨大なパンダだった。
本来ならばこのパープルパンダは、ボスクラスの力を持つ敵であったのだろう。
しかしオレ達にとっては与し易い相手だった。なぜならパープルパンダの得意技が、魅了の効果を持つ紫色の霧を発生させる魔法だったからだ。
魅了の霧がアポロに取り付いた時はギクリとしたが、アポロには効果がなかった。
パープルパンダは、そのほとんど避けようのない紫の霧をエリンばあさんとフラニー達に順番にかけてきたが、誰も心を奪われることはなかった。
もしベンの丘にこいつが侵入してきたら、かなり厳しい戦いになるであろう。
下手をしたら丘の住民同士が殺し合いを始めてしまう。しかし少数精鋭のオレの丘では、美味し過ぎるモンスターである。
ただし、親密度がまだ低いカインだけは魔法にかかってしまった。
黄色いスマイルマークの仮面を付けたカインが、オレに突撃をしてきたが、投げ縄でグルグル巻きに拘束してハービーのカゴの中に放り込んで置いた。
パープルパンダは自分の魔法が効かないことに気が付くと、尖った歯を剥き出しにして襲い掛かってきた。タフではあったが動きの遅いパンダを全員で取り囲み、遠慮なくボコボコにしてやる。血を流し、だいぶ毛が禿げてしまったパープルパンダを砂鉄ゾーンまで引きずって運び、肥料としてこの世界の食物連鎖的なものにきっちりと参加してもらった。そしてヒマワリの花を引き抜くと、曇り空の下でさえ輝きを失わない見事な星銀のインゴットの収穫に成功した。
「なあフラニー、星銀の時は次もあのパンダが侵入してくるのかなあ」
「どうでしょうか。もしそうなら荒稼ぎが出来そうですわね。子連れイノシシのせいで3番フォレス麦が栽培出来ない損を、簡単に埋めてくれそうです」
マグロを抱えるようにカインを抱えているフラニーが、カゴの中で立ち上がった。カインが暴れたのかフラニーの金色の髪がグシャグシャになっている。
オレは両手に装備している、だいぶくたびれた鋼の爪を見下ろした。
愛着はあるが、そろそろ変えざるを得ないだろう。
コツンという音に振り返ると、風に飛ばされたオレの下着が、家の壁に弓矢で撃ち付けられた所だった。
そういえば、雪国の人たちはどうやって洗濯物を乾かすのだろうか。外では凍り付いてしまいそうだし、いつもいつも部屋干しするという訳にもいかないだろう。
オレの丘が少しづつ寒くなっているのとは逆に、ユキの丘は少しづつ温かくなっているようだ。
ユキの丘は広い盆地のような場所の真ん中にあり、相変わらずの雪景色が見える所までずっと続いている。一年の内、数か月だけしか雪が止まないのだという。
オレの丘は温かいし、海や森も比較的近くにあるという生活しやすい環境だから、もし出来るのであればユキとフクタチも側に引っ越してくればいいのだ。
オレとフクタチは白い息を吐き散らしながら、激しく武器を打ち合わせている。
いつもようにオレが受け、フクタチが剣を激しく打ち込んでくる。
悔しいが、ドライアドの少女は手加減をしてくれているのだろう。
最短距離で迫る氷の剣を躱し、次の剣撃になんとかパリィを合わせた。
フクタチはするりと剣を手から滑らせて、バックステップで距離を取ろうとする。
オレはハービーのトスを思いだし、鋼の爪で投げ捨てられた剣を弾き飛ばした。
「あっ」
「あっ」
弾き飛ばした氷の剣が、フクタチの左腕にグサリと突き刺さった。
まさか決まるとは思っていなかったので、思わず驚きの声を上げた。
ボタボタと地面に落ちる真っ赤な鮮血を見て、オレは我に返った。
慌てて駆け寄り、フクタチの左手を止血する。鋼の爪には、剣を弾き飛ばした衝撃がまだビリビリと残っている。
ゆっくりと近寄ってきたユキがアイテムを使って、左腕の治療を始めた。
ドライアドの少女が茶色の目を楽しそうに輝かせ、オレの事をじっと見つめている。
「レオンお兄ちゃん、今のすごいねー。ユキちゃんお願い、はやくなおして。もう一回、やるよー」
「ふふっ、ダメよ。今日はもう動かせないわよ」
「えー、やだー、お兄ちゃん明日もくる?」
「ああ、来るよ。明日は別の技を用意してな…………怪我させてすまない」
「うん。だいじょうぶ。お兄ちゃんの事はわたしが倒すよー」
塔の上までお姫様抱っこでフクタチを運び、ベッドに寝かしつけた。痛みはないようで、フクタチは気持ち良さそうに眠りについた。
ついでにアポロも寝かしつけ、オレとユキは小さなテーブルに隣り合って座った。
お茶を飲みながらユキの洋服作りの話しを聞き、何度か接吻をした。
しばらくしてユキが思い出したように立ち上がり、一通の手紙を持ってきた。
「ねえ、今日ね。久しぶりに市場に行って来たの。レオンの店も見てきたよ、工事中だったけどね」
「ほんと? 一緒に行きたかったなあ……ってその手紙、忘れてた」
ユキとまだ出会っていなかった頃に、オレがスノーサイレンス宛に書いた手紙だった。ユキが布や糸などを納めている高級洋服店の店員に、預けておいたものである。
「まだ、読んでないの?」
「うん」
オレが手紙を奪おうとすると、ユキは遠くに手を伸ばし、指で摘まんだ手紙をヒラヒラとさせた。
「返してくれよ」
「フフッ、ダメよ。だって私が貰った手紙だもの」
ユキが着ている白いセーターの脇の下をくすぐると、キャハハとくぐもった声で笑い、オレの事をバシバシと叩いてきた。くすぐりながらもう片方の腕で手紙を奪い取ろうとすると、ユキは背中を丸めて、お腹の中に手紙を隠した。オレはすかさずセーターの中に手を差し入れる。
オレとユキはもう一度、激しいキスをした。
そしてセーターから手紙を取り出したユキが、ゆっくりと手紙を読み始めた。そこには、こう書かれているはずだ。
『スノーサイレンス様へ 突然の手紙、すいません。自分はレオンという名前で、日本の東京に住んでいます。あなたが日本の国旗が描いてある服を着ているのを、友達が偶然に見かけました。一度、お会いできないでしょうか。あなたが今どんな状況にいるのかわかりません。あるいは私が見当違いをしているのかもしれません。一度、あなたと会ってお話がしたいです。勝手な事ばかり言って申し訳ありませんが、自分はかなり追い詰められているのです。下に連絡方法を書いておきます。では、よろしくお願いします』
最近は昔の事をすっかり忘れて楽しい日々を過ごしているが、そういえばあの頃は結構辛かったのだ。
二つの世界に心をバラバラにされて、自分の正気を疑いながら、毎日脅えて暮らしていた。
オレにはユキが現われてくれたが、ユキにはフクタチ以外は誰もいなかったのだ。
想像を絶する長い長い孤独な時間を味わったユキの心には、もう一人のユキ、スノーサイレンスが生まれてしまったのだろう。
手紙を読み終えたユキは、オレの肩に頭をそっと乗せた。
そのまましばらくの間、オレとユキは黙り込んでそれぞれの思いを馳せていた。
「なあ、もし出会うよりも先に手紙を読んでいたら、ユキはどうしただろう?」
「……うーん、どうかな。たぶん手紙を破ってそれでおしまいだったと思う。あるいは……」
「……あるいは?」
「怖くなって、あなたの丘に攻め込んだかもしれない。ねえ、丘ってさ全部消滅させる事ができるんだよ、知ってた?」
「いや、はっきりとは知らなかったな」
ユキはオレの頬を優しく撫でてから、お茶をいれ直しにいった。
帰ってきたユキに、オレは思い切って言ってみた。
「なあユキ。オレさ、あっちの世界でも一日置きぐらいでユキに会いに行っているんだ。最初の頃はユキの母親に怪しまれたけど、今じゃ歓迎してくれるようになった。いつもいる看護師さんともすっかり仲良くなったよ」
「……そうなの」
「でさ。ちゃんと話した訳じゃないんだけど、ユキのお母さん、ユキがたまに意識がある事になんとなく気が付いているみたいなんだ。色んなお医者さんにも診せてるらしい」
「うん」
ユキの顔色を慎重に窺いながら、話を進める。
「あのさ……それで……もし、ユキがお母さんに何か言いたい事があったらさ、たぶんそれとなく伝える事が出来ると思うんだ」
ユキはオレの顔をじっと見た後、にっこりと笑った。
「実はね、私もそういう事を少し考えていたの。レオンも考えていてくれて嬉しいよ」
オレはほっとして大きく息を吐いた。自分がユキの立場だったならやって欲しいと思ったが、ユキがどう思うかは分からなかったからだ。
「思い切って言ってよかったよ」
「うん。……お母さん宛の手紙でも書いてみようかな。もし上手く書けたら、レオンにお願いするね」
「ああ」
何か郵便屋さんに関するつまらない冗談を言おうとしたが、何も言わずにただユキの手を握りしめた。
ユキが持ってきたクッキーの匂いで目を覚ましたアポロとフクタチが、向こうの方でドタドタと騒ぎ始めていた。
手紙を渡してくれた洋服屋の店員に、約束の銀貨を渡す為に市場に飛んだ。
そういう事は、早く済ませなければ落ち着かない性格だったからだ。
市場の石碑の横には小さな詰所があり、公会堂の職員が常駐している。
その職員に呼び止められて、手紙が届いていると伝えられた。
オレは公会堂まで行き、手紙を受け取った。
差出人の名前を見たオレは、手の中で遊ばせていた銀貨をジャラジャラと床にこぼした。
そこにはこう書かれていた。
『モンサン・スタン・バードリーより』