遅延
業務日誌
『〇月×日 レオン。本日より酒場の改装が始まる。オレの丘から市場までの距離は、馬車で1日半ぐらいかかるらしい。店がオープンしたらベンに馬車か牛車を借りて、みんなで行ってみようかと思う。
次にカルゴラ・シティーのゲートについて。石版の契約者なら一応は誰でも使用できるらしい。ただゲートは一つしかないので、長い順番待ちがあるという。ベンに勧められて、公会堂で順番待ちの登録を済ませて置いた。この権利は売る事も出来るので登録しておいて、損はない。
そういえば、昨日フラニーがカインにマジックパセリを与えている所を、目撃してしまった。
あのマジックパセリはフラニーが稼いだ物なので、とやかく言うつもりはないが、最近は市場でパセリを入手するのがすごく大変です。
またパセリがあれば作れる魔力回復薬も、もう少し予備が欲しい所です。とやかく言うつもりはありませんが』
『〇月×日 フラニー。レオンが以前に侵入した時に、道具屋のトムという方に貰ったアイテム、微香の布でしたっけ? レオンがその微香の布で作った枕カバーを洗濯したのですが、とてもいい匂いですね。出来れば私の分も作ってほしいですわ。レオンが、ずっと使っていた古い枕カバーを、悲しそうな顔でこっそり焼却処分している所を偶然見てしまったのですが、何か思い出のあるカバーだったのでしょうか?』
『〇月×日 エリン。キバゴロウ、本日キラーパペットに突撃を敢行。さすがに相手が悪く手傷を負うも、レオン殿を彷彿とさせる様な見事な心意気』
その日の夜はなぜだか眠れなかった。
しばらくベッドの上で転がっていたが、眠りの欠片さえやってこない。数日前に死んでしまった赤茶色の髪の男のことを、ぼんやりと思い出す。いくら思い出しても生き返りはしないのに、死者の少年のような幼い顔が頭から離れてくれない。
たまらなくなったオレは、真夜中の畑に出た。
夏が終わろうとしているのか、外の空気はヒンヤリと引き締まっている。
照明の落とされた体育館のような不思議な静寂さを持つ畑の上を、さまよい歩く。土の匂いを嗅ぎ、昼間の闘いの音を無意識に想像しながら、一時間ほど歩き回っているとだんだんと心の毒が抜け、オレは鼻歌を歌い始めた。
ようやく眠れそうな感じになってきたので、最後にカインの顔を見て置こうと思い、小屋まで歩いて行き中をそっと覗き込んだ。カインはすでに大人に近い体格になっており、お腹にはたっぷりと肉がついている。しかし顔はまだまだ幼さを感じさせ、焦げ茶色の毛は柔らかくわずかに乳くさい匂いが残っているだろう。
スヤスヤと気持ち良さそうに眠るカインを見て、オレはクスリと笑った。
可愛らしい寝顔をいつまででも眺めていたかったが、全身が冷え始めていたので家に戻ろうと体の向きを変えかけた。
しかし季節の変わり目というものは、色々な事を思い出させるだけでなく、当たり前だった日常を道連れに終わらせようとたくさんの罠が仕掛けられている。
夏と秋の狭間で生まれた不吉な黒い影が、オレの心の内側をコツリと叩いた。
慌ててカインから顔をそむけ、数回深呼吸をしてからもう一度カインを見た。
イノシシのカインは相変わらず無邪気な顔で寝ているだけである。しかし、わずかではあるがスキル『豚殺し』が発動している。
……嫌だ。嫌だ、そんなの。カインはもう仲間なんだぞ。
オレはカインから目を背けようとしたが、そうする事が出来ない。
体の奥底から、殺せ殺せと言う声がさざ波の様に広がり、我慢出来なくなったオレは眠るカインの前にしゃがみ込んだ。
そして震える手を、カインの太い首にかけた。
「レ、レオーーーーン!」
次の日の朝、カインに朝食を与えに行ったフラニーが珍しく大きな声を出した。
アポロが家から飛び出していき、エリンばあさんもソファーから腰を上げた。
悲鳴を予期していたオレはゆっくりと立ち上がり、どう話すべきか考えながらみんなの後を追った。
「レオン、早く来て下さい。これは何事ですか?」
小屋の前にいるイノシシのカインをみんなが取り囲み、眉を寄せて見下ろしている。
カインは自分の3人の親たちを交互に見上げ、幸せそうに鼻をフフンフンと鳴らしている。
でもカインの顔には仮面が付けられていて、カインの可愛い顔を見る事は出来なかった。
縦長で楕円形の白い仮面がカインの顔を隠すようにピッタリと乗っていた。
真っ白な仮面には下手糞な絵が描いてあり、仮面の横から成長途上の小さな牙がちょこんとはみ出ている。オレはカインの背中のサラサラの毛を優しく撫でた。
「いや、実は昨日、夜中に目が覚めてしまってな。眠れないからカインに装備の兜でも作ってやろうと思って工作台を使っていたら、たまたまこんなのが出来たんだ。夜中にうるさかったかもしれん」
「それは大丈夫ですが……」
オレはフラニーとエリンばあさんの目を交互にじっと見た。オレの目は、たったいま口で言った事とは別の事をはっきりと二人に告げていた。
何が起こったのか気付いたフラニーとばあさんが、ハッとした様に顔を見合わせる。
フラニーが土の上に膝を付き、カインの首に噛り付くように腕を回した。
肩を震わせるフラニーを、エリンばあさんが優しく撫で回す。
「……一度でも発動したら捨てて来るという約束でしたわね。ウーリを草原に捨てて来ますので、午前中の農作業は抜けさせてもらいます」
「何言ってんだ、フラニー」
「え?」
「これが発動しているように見えるか?」
オレはカインを抱き上げて、焦げ茶色の毛に鼻を擦り付けた。豚殺しは、オレの視覚による認識が重要なのか、仮面を付けたカインには今の所スキルは発動しなかった。
それを見たフラニーが、喜びで唇を震わす。
「レオン、大丈夫なのですか?」
「ああ、大丈夫だ。……正直、オレにもどうなるのかわからないが、今は平気だ」
オレ達は三人でカインを抱え上げ、グルグルと回った。まだ仲間でいられるのだ。
エリンばあさんが、仮面をコツコツと指で叩いた。
「防具としても十分な性能がありそうですじゃな。視界はやや狭くなりますが、キバゴロウは賢い子ゆえ、すぐに馴れるはずですじゃ」
「そうですわね、でもレオンこの変な絵はなんなのですか?」
「うーん、いや、時間がなかったからなあ」
カインの仮面は、鋼で作った鉄仮面の様なものである。鋼が剥き出しでは寒々しいので、同じ形の白いお面を作り鋼の上に被せたのだ。
シャーマンがよく付けているような物にしようと思い、赤や茶色の線を引いていったが、絵心がないせいで塗れば塗るほど酷くなっていった。
なんとか誤魔化そうと青色を塗り足すと、まるでムンクの叫びの背景の様なおどろおどろしい仮面が出来上がってしまったのだ。
「うーん、お面の部分だけ作り直そうか?」
「それがいいですわね」
「ですじゃな」
朝食をかきこむように済ませ、オレは白いお面の部分を5つほど作った。
ソファーの前の低いテーブルに汚れない様に古い紙を何枚か敷き、絵の具とパレット代わりの木の板を三人分用意した。即席の図工室のようになったテーブルに、3人並んで座る。
それぞれが筆を持ち、真っ白な仮面のキャンバスを睨み始めた。
フラニーは自前のエプロンを付け赤い帽子を後ろ向きに被っているし、エリンばあさんも気合を入れるかのように袖をまくっている。
……ふむ、皆、このお絵かき対決の意味を分かっているようだな。
今までみんなが好き勝手な呼び方でイノシシのことを呼んでいたが、いつまでもそんな事を続ける訳にはいかないだろう。つまり一番うまい絵を描いて、仮面に採用された者の呼び名が正式な名前になるという事だ。キバゴロウはまだいいとしてもウーリなどという言いにくい名前はごめんである。
……うーむ、正直、戦い一筋のばあさんに絵心があるとは思えんな。敵はやはりフラニーか。
フラニー、ばあさん共にパレットに絵の具を馴染ませながら、周りの出方を窺っているようだ。
絶対に邪魔をするので寝室に隔離されたアポロの鳴き声が、遠くから聞こえてくる。
「先手必勝!」
オレは白い仮面に筆を一番乗りで伸ばした。
水分が多すぎたのか赤い絵の具の大きな水滴が、ボトリとキャンバスに落ち、血飛沫のような浸みになった。
オレはその仮面を窓から投げ捨てて、予備の新しい仮面を素早くセットし直した。
「レオン、もう一つの予備は私たちに残して置いて下さいね」
二人が夢中になって白い仮面に絵を描き始めた。
アポロがガリガリとドアを引っ掻く音が、遥か遠くから聞こえてくる。
「完成ですじゃ」
エリンばあさんが満足そうな声を出した。完成がずいぶんと早かったが。
チラリとばあさんの仮面を見たオレはかなりの衝撃を受けた。
その仮面は、ケルト人の戦闘化粧のように鮮やかな青と白の2色で大胆に塗り分けられていた。
戦いの場で付けるに相応しいその仮面は、猪突猛進のキバゴロウにぴったりである。
その手があったか。
サッカーチームのユニホームをマネるという案が浮かんだが、時すでに遅し。
焦ったオレは、一生懸命に絵筆を走らせるフラニーの仮面を盗み見た。
フラニーは仮面の左側にヒマワリの絵を描いているようだ。
絵はかなり上手く、鉱石農場に咲くヒマワリの花を使ってきたアイデアもなかなかだが、エリンばあさんのシンプルな迫力にはとても敵わない。
オレは未だに真っ白な自分の仮面を見下ろした。
オレにはあっちの世界のマンガやゲームの知識という、強力なバックボーンがあるはずだった。
いくつか良いアイデアが思い浮かんだが、そこに画力の無さという高い壁が立ちはだかる。
ヒマワリを書き終えたフラニーは、仮面の右側にこの世界の古代文字を使って長い数式を書き始めた。
それはとても恰好が良く、男の子の心をくすぐるものがあった。
やがてフラニーの絵も完成し、残るはオレだけになった。
二人は高みの見物とばかりに、絵の具を混ぜるオレを見下ろしている。
「わ、悪いがちょっとあっちを向いていてくれないかな」
「あら、気になりますか?」
フラニーがエリンばあさんに耳打ちをして、二人してクスクスと笑う。
それ、やめろって。
オレは仮面のおでこの部分に描きかけていたドラゴンの紋章っぽいものを塗りつぶし、その仮面を窓から放り投げた。そして最後の仮面をテーブルに置き、いっきに絵を描き上げた。
黄色い絵の具で仮面全体を塗り、目の部分にある穴の回りを黒い丸で塗り、同じく黒で大きな弧の字型の口を描いた。
つまりスマイルマークである。
目にまつ毛を数本付ける事でオリジナリティーを補った。
「どうだ!」
「……なにか心を魅かれるものを感じますが、ウーリには似合わないのでは?」
「いや、これはカインが優しい子に育って欲しいという強い思いがこもっている」
「ほっほっほ、キバゴロウに選ばせてはどうですかな?」
エリンばあさんが諭すように言ったが、その眼はギラリと光っている。
試しにカインを連れてきて3枚の仮面を順番に見せた所、どれを見ても幸せそうにフフンフンと鼻息を鳴らした。
15分ほどああでもないこうでもないと話し合っていると、じゃあ決着はカードゲームでつけようという意味のわからない展開になってきた。
「ちょっと待て、オレが二人にカードで勝てる訳ないだろう。二人はしょっちゅうカードゲームで遊んでいるじゃないか。少し考えがあるから、一時間ほど待っていてくれ」
オレは3枚の仮面を取り、アポロを開放してから工作台に向かった。
フラニーとエリンばあさんは工作台で作業するオレの背中をしばらく見ていたが、やがてあきたのか二人でカードゲームをやり始めた。オレは最近急上昇している工作技術を惜しみなく使い、カインの新しい仮面を作り上げた。
「おーい、出来たぞー」
ぞろぞろと集まってくるみんなに、完成した仮面を見せた。
剥き出しの鋼の仮面の上に、3枚の仮面がぴったりと重なり合っている。
オレは手首にスナップを利かせて、仮面をブルンと振ってみせた。
バネの力で、絵の描いてある仮面が1つ下の物に入れ替わり、もう一度振るとさらに別のお面に切り替わった。カインが頭を振れば、仮面が入れ替わるという仕組みである。
「そのうちどれがカインに合っているのか、自然とはっきりしてくるだろう。……ずいぶん時間を食ってしまったな、軽めに農作業をやろう。オレが寝室に行っている間に、仮面を付けておいてくれ」
寝室に行きドアを閉め、鋼の爪を両手に装備した。
アポロが引っ掻いたせいでドアの内側がボロボロになっている。
ベッドに腰を掛け、ぼんやりとドアの引っ掻き傷を眺めていると、怒り狂った鬼瓦のような顔が徐々に浮かび上がり、オレを睨みつけた。
まさかな。偶然だろう。
気温が少しずつ上がり、夜の寒さが嘘のようにすっかり暑くなっていた。
夏が終わるまでには、オレ達はもう少し強くなれるはずだ。
◆◆◆
ボサボサ頭の青年は安ホテルの一室で、銃を構えていた。
赤茶色の前髪が自分の目に刺さっていたが、青年は瞬きもせずに目の前の男から視線を離さない。
数か月ほど前に、青年は標的を殺すことに失敗した。なぜだかスナイパーライフルの引き金を、引く事が出来なかったのだ。
組織の一員である青年はかなりまずい立場に陥ったが、その時点ではまだ挽回が可能だった。
しかし青年が組織を抜けると口にした瞬間に、彼は組織の敵となってしまった。
何人もの刺客が青年の命を奪いに来たが、青年はそのすべてを返り討ちにした。
青年は超一流の殺し屋だったからだ。青年はあらゆる武器を扱い、複数の格闘術を使い、7か国語を自由に話す事が出来た。
しかし目の前にいる新手の殺し屋は、青年の足を震わせていた。
その殺し屋はバスケットボール選手の様な、しなやかな体つきをしており、人目を引く妙な格好をしていた。
最高級の生地を使っているであろう真っ赤な上下のスーツを着こなし、頭には同じ色の真っ赤なシルクハットを被っているのだ。そんな馬鹿な服を着ている殺し屋など聞いたこともない。
新品同然の真っ赤なスーツを着た男は、手に持った銃を青年に向けている。
青年と殺し屋は、映画のワンシーンのように同時にゆっくりと銃を床に置いた。
元殺し屋の青年は自分の格闘能力に自信を持っていたが、新手の刺客には通用しない事にすぐに気が付いた。赤スーツの男は、人間の動きではなかった。青年はあっという間にホテルの床に崩れ落ちた。
赤スーツの男はポケットから真っ赤なロープを取り出して、ボサボサ頭の青年の首をギリギリと締め上げた。
青年は意識を失いながら、この赤スーツはたぶん組織とは別の場所からきたのだろうとぼんやりと思った。
赤スーツに下品な赤いシルクハットを被った男は、必要なだけの時間、ロープで首を締め上げると、さっさと部屋を出て行った。青年は床の上でうつ伏せのまま、不思議な夢を見ていた。
その夢の中で、自分はこちらの世界と同じような顔をしており、同じような仕事をしていた。
青年はまるで体験しているかのように鮮明に夢を見続けていたが、その夢は唐突に終わってしまった。
夢の中で青年が死んだからだ。
夢から醒めた青年はホテルの床から立ち上がった。
夢の中の自分は、一つだけスキルという物を持っていた。
そのスキルはなんの役にも立たず、周りの人に訊ねても誰もスキル名すら聞いた事がなかったので、やがて持っている事すら忘れてしまった。
スキル、繋がりの遅延。
青年はそのスキルがどういう物なのか、今でははっきりと理解していた。
バスルームの鏡に顔を映すと、首に呪詛のような赤い痣がくっきりと残っていた。
青年は冷たいシャワーを浴びた。
シャワーを浴びているうちに、青年のもう一つの記憶の大部分が無意識の海の底に沈み込んでいった。
タオルで体を拭いている頃には、青年はほぼすべてを忘れていたが、自分のあちらの世界の名前だけを唯一覚えていた。
スナフキルは冷蔵庫のコーラの蓋を開けて一口飲んでから、テーブルの安っぽいコースターの上に瓶を置こうとして、手を止めた。
コースターに小さな世界地図が描かれていたからだ。
スナフキルは世界地図を見て、組織の手の及んでいない国を探し始めた。
そして地図の中にある日本という島国を見つけたスナフキルは、自分の行くべき場所が何所なのか、なぜだかはっきりと分かった。




