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庭守

「それでは、レオンの帰還とフォレスビールの完成を祝して、かんぱーい」


 輝くばかりの笑顔で乾杯の音頭をとるベンと、コップをぶつけ合った。

 細かい泡を立てる黄金色の液体がこぼれ、お互いのコップに混じりあう。


 オレはよく冷えたフォレスビールをゴクゴクと飲み干した。

 オレとベンがビールに口をつけたのを見て、グラックスとエリンばあさんも続いてコップに口をつける。


「かー、美味い、最高だよベン、思い描いていた以上の味だよ」

「ずいぶんお待たせいたしました。最後は私がこだわり抜いたせいで、時間が掛かってしまいました」


 ベンとがっしりと握手を交わし、空になったコップに再びフォレスビールを満たす。

 ソファーの横に、蛇口のついた大きな樽と透明なガラスの瓶に詰められたフォレスビールが用意されていた。小ぶりな瓶の方は氷水に浸けて、キンキンに冷やされている。


 飲み残した缶ビールを数日放置したような味のするガロビールとは違い、ベンが新しく作ったフォレスビールはきりりと引き締まり、滑らかに咽喉を駆け下りていく。

 グラックスも嬉しそうにフォレスビール飲んでいるし、普段はあまり酒を好まないエリンばあさんも気に入ったようである。


「レオンにフォレスビールの話を持ちかけられた時は困惑したものですが、まさかビールがこんな可能性を秘めていたとは。さすがレオンです。また、食が進むのです、このビールという飲み物は、はっはっは」


 貫録を増した自分のお腹をポンポンと叩いた。

 ベンはテーブルにあるつまみを食べながら、ビールを水のようにじゃぶじゃぶと飲んでいく。年若い頃から強い酒を飲むのが当たり前の帝国貴族にとっては、本当に水に近いのかもしれない。


 四人で額の汗を拭きながら、フォレスビールを順調に減らしていく。樽に入っている常温のビールもなかなかに美味い。ベンはニコニコと笑い、一流の会話スキルでオレ達を楽しませてくれるが、たまにソワソワと家畜小屋の方を見ていた。


「なあベン、やっぱりハービーを呼んでこようか?」

「いえ大丈夫ですよ、ハービーにはあのドアは窮屈でしょう。……でも、少し挨拶をしてきてもよろしいですか?」

「ああ、もちろんだよ」


 オレがそう言うと、ベンはフォレスビールの瓶を数本掴み、いそいそと家畜小屋にいる思い人に会いにいった。


 かなり面倒くさくなってきたので、はやくバレてくれないかなと考えていると、グラックスが鞄から箱を取り出してオレに渡した。箱の中にはマジックパセリが1ダースほど入っている。


「この間の、ベン様の誕生パーティーでお世話になったお礼でございます。私とボウドの二人で用意いたしました」

「え! お礼なんてよかったのに。あの時フラニーが言ってた、お礼はマジックパセリでというのは冗談だと思うぞ」

「感謝の気持ちでございます」

「……そうか、ではありがたく頂こう。最近マジックパセリは市場でも手に入りにくくなっているし、こんなにたくさん大変だっただろう。ありがとう」


 貰った箱を棚にしまいグラックスと握手をした。

 エリンばあさんが皆のコップにビールを注ぎ足してくれる。


「そういえばさ、前にマジックパセリを変換機にかけて種にしようとしたんだが、何も起こらなかったんだ。例の変換不能種子とかいう奴なのかな?」


 グラックスにつまみを勧めながら質問する。マジックパセリはいくらあっても足りないのに、入手難度が日増しに高まっていた。パセリを求めて市場に数えきれないほどある店やバザーを長時間ウロチョロした挙句、結局見つからず腹いせにガラクタをつい買ってしまうという、悪癖が出来つつあった。


「そうでございます。マジックパセリはモンサン・カンパニーが新開発したアイテムで、他の多くのモンサン製の商品と同様に変換不能種子で栽培されています」

「うーん、やっぱりそうか」


 苦労して研究開発した新アイテムを簡単に増産されない為に、変換不能種子化という技術をモンサン・カンパニーが生み出したという。


 気持ちは分からないでもない。

 例えばベンが開発したフォレスビール麦は変換可能なので、一つ手に入りさえすれば自分の畑で半無限に収穫し続ける事が出来る。もっとも権利の主張を済ませて置けば、それを流通させて儲ける事はベンにしか出来ないが、個人で生産する事は止めようがないので、やはり面白くないものを感じる。

 それがマジックパセリのような重要アイテムならば、ムカつきも損害も倍増するだろう。


「まあ、しょうがない事だという気がするが。それにしては帝国のお偉方は、変換不能種子にえらく怒っていたな」


 誕生パーティーで口角泡を飛ばしていた、大貴族の顔を思い出した。


「ええ、モンサンは変換不能種子を使って、かなりあくどい商売の仕方をしています。例えば、以前はマジックレタスというマジックパセリの劣化版のようなアイテムが普通に市場に出回っていたのですが、パセリの登場で完全に姿を消してしまいました。マジックパセリは当初、今の半分以下の値で手に入りましたから、当然の結果です」

「ふむ」

「マジックレタスを栽培する為には、かなり特化した畑を作らなければなりません。元はマジックレタスを栽培していた農場のほとんどは、生き残る為に泣く泣く結んだ契約により、今ではマジックパセリを収穫しています。モンサンは変換不能種子を彼らに高額で売りつけて莫大な利益を得ていますし、彼らはモンサンから種を買い続けるしかないのです」


 ベンとモンサンの関わりの事は勿論グラックスも知っている。

 オレは今の話を自分に置き換えてみた。


 うちの丘の稼ぎ頭は銀と鋼であるが、仮に品質で大きく上回る合成銀のインゴットのような物が市場に半値で出回ったとしよう。

 当然、うちの丘の銀は全く売れなくなるだろう。しかし今では完全に真っ黒になっている砂鉄ゾーンには、引き返せないほどの多額の金を投資している。状況によっては鉱石農場を捨てるか、モンサンから合成銀の種を買うしかないという選択を迫られてしまうだろう。そして購入した種は、もちろん変換不能なので買い続けるしかない。


 ……たしかにモンサン・カンパニーの方が勝ち馬という気もするが。もう一度、ベンと話し合う必要がありそうだな。


 モンサン・カンパニーはすでに石版世界の経済の半分近くを、間接的に牛耳っているらしい。

 故にしぶしぶではあっても、モンサンと取引をしている帝国貴族はベンだけではない。

 しかしベンは、モンサンからの借り入れや研究データの提供など、帝国側の人間として一線を越える関わりをもっている。


 ビールの回った頭であれこれ考えていると、満面の笑みを浮かべたベンが足取り軽く部屋に戻ってきた。オレは、ベンのケツにさりげなくパンチをかまし、憂さを晴らす。

 ベンの肉厚のケツはパンチの衝撃をきっちりと吸収し、ソファーの上に収まった。

 もう一度、みんなで乾杯をし直す。


「レオン、お待たせいたしました。実はレオンに大切な話があったのです。お酒の席ですがよろしいですか?」

「いいよ」

「以前に少し、夢として語り合った事がありましたが、レオンと私で市場にお店を持ちませんか?」


 フォレスビールが完成した暁には、ビールが飲めるような酒場を2人で経営したいと語り合った事があった。

 ベンは1センチほどの紙の束を取り出して、オレに渡した。


「これが計画書です。あとでじっくり読んでみてください。酒を提供するだけでなく、農具やアイテムなどの販売スペースも作る予定です。私の発明や、レオンのナッツかたびらを売れば一石二鳥です」


 オレは酒場の計画書をパラパラとめくった。

 数字がぎっしりと並んでおり、酒や商品のラインナップや、フォレスビールを試飲してもらった結果なども書かれている。かなり綿密に計画を立てているようだ。

 最後のページに、店内のイメージを絵にしたものがあった。

 木のカウンターに座りフォレスビールのジョッキを手に持った男たちが、壁に並ぶ剣や鎧、そして鍬やつるはしを楽しそうに眺めている。

 その絵を見た瞬間にオレの心は決まっていた。


「レオン、私一人で進めてしまって申し訳ありません」

「いや、オレは留守にしていたからな」

「万全のつもりですが、大きなリスクのある事なのでゆっくり考えてください――――さあ、この話はここまでにしてもう一度乾杯をしましょうか」


 再びフォレスビールをぶつけ合った。

 オレは完成した絵の中にある、二人の店の中にいるつもりになってビールを飲んだ。



 帰途につくベンとグラックスを見送った後に、家畜小屋の様子を見に行った。

 藁の山にゆったりと寄り掛かるハービーと、赤い顔でクスクスと笑うフラニーがいた。

 オレは少しだけ減っているフォレスビールの小瓶を、フラニーから取り上げた。


「フラニー、飲んだのか?」

「味を確認する事も研究者の務めですじゃ」


 エリンばあさんの口真似をするフラニーを、抱え上げる。


「レオン殿、フォレスビールは共同権利になったようですじゃの」

「ベンがそうしたいって言ったんだ。オレの発案とフラニーの助言がなければ、完成しなかったからってさ。オレは美味いビールが飲めればそれで良かったんだけど」

「嬉しいですじゃ」

「……ドライフォレストで売り出す時は、フラニービールって名前でもいいな」

「フラニービールですじゃ」


 2階の部屋のベッドにフラニーを降ろし、オレの首にしがみつく手を引き剥がした。


「ちゃんと寝るんだぞ、後で様子を見に来るからな、お休みフラニー」


 ドアを少し開けたままリビングに戻り、エリンばあさんと二人で、計画書をつまみに夜遅くまでフォレスビールを楽しんだ。






 次の日、オレは久しぶりに二日酔いになった。

 朝に顔を合わせたフラニーは「なるほど確かに魔力酔いに似ていますわね」などとクールに言っていたのが、とても憎たらしい。


 午前中の農作業をなんとかいつも通り終わらせた後、フラニーに酒場の計画書を見せた。


 フラニーはテーブルの上に帳簿や、以前にオレが買ってきたこの世界の会計学の本などと共に計画書を広げ、数時間かけてじっくりと読んでいた。その間にオレは、星銀にチャレンジ出来るだけの技術力を身につける為に、工作台に向かっていた。やがて計画書を読み終えたフラニーがオレを呼びに来る。


「私には解らない事もまだまだ多いのですが、さすがベン様とグラックスさんといった所でしょうか。計画書を見た限りでは、隙のない様に思えます。投資した分を回収するまでそれほど時間も掛かりません。もし私がベン様なら、レオンを誘わずに一人でやるでしょうね。リサーチと下準備だけでも相当なお金と時間がかかっている様です」

「……そうか。エリンばあさんも乗り気だし、進めていいかな?」

「ええ、私は賛成ですわ」


 オレは酒場の絵を計画書から抜き取り、壁に張り付けた。

 自分の店を持てるなど夢のような事である。

 計画書を再び1ページ目から開いたフラニーをしばらく見守ってから、オレは出かける準備をした。





 はじまりの庭は、いつ来てもぽかぽかと温かい不思議な場所であったが、今日のはじまりの庭はどんよりと曇っており、肌寒かった。

 どこかの科学雑誌で人間の感情の3割は、天候と気温により決まっているという記事を読んだことがある。その記事が正しい事を証明するかのように、ちょっと前までの陽気な気分が消え失せて、変わりに物悲しさを感じていた。

 もしその記事の言っている事が本当であれば、フラニーは人間の感情の3割を常に操れるという事になる。

 オレは大声でセムルスの名を呼んでから、一時間ほどはじまりの庭の中央に胡坐をかいて座っていた。


 ユキがあんな事をされたと知った時はセムルスを殺してやりたいほどの怒りを感じたが、時間が経った今はかなり感情が変化していた。

 セムルスが単純な悪者だとは、どうしても思えないのだ。

 あるいはセムルスの持つ魅了の力が、解けていないだけなのかもしれないが。


 オレは立ち上がり、壁に囲まれた庭の一番奥の方に歩いて行った。

 そして、そこにある扉、と言うよりは門を押し開けた。門に手を触れただけで禁忌を犯しているような強い罪悪感に襲われる。


 門の向こう側には幅20メートルほどの長い砂利道があり、両脇を高い壁が挟むように囲っていた。

 そして砂利道の真ん中ぐらいの場所に背中を向けた『それ』がいた。


 完全に硬直したオレは、しばらく一歩も動く事が出来なかった。

 後姿のそいつまで50メートルほどの距離があったが、すでに自分が攻撃の間合いに入っているという確信に近い思いがあった。ぷつぷつと湧き始めた汗があっという間に滝のようになり、目の中に流れ込んでくるが、激しく痛む目を擦る事さえ出来ない。

 じっと見つめていると『庭守』という名前が浮かび上がった。


 ……ユキはこいつと戦ったのか。威圧感だけでいえば20ユグノー、いや30ユグノーはあるな。


 オレは震える足を押さえつけて、庭守に一歩づつ近づいていった。

 庭守の向こう側に、セムルスが住んでいる城のようなお屋敷が見える。

 オレが10メートルの距離まで近づくと、庭守がゆっくりとこちらに向き直った。


「あの、セムルスさんにお会いしたいのですが」


 庭守は2本の足で立っており、体長3メートル。

 首がなく球形の頭をしており、ダラリと長い腕、金属製の外皮。

 右手には小さなベルを持っており、左手には閉じられた本を持っている。

 本の背表紙を盗み見ると『攻略の書』という露骨な題名が書いてあった。

 オレはゴクリと唾を飲み込んだ。


 庭守は30秒ほどオレを観察すると興味を失い、屋敷のほうに体を向けた。

 オレは左手の本をもう一度見てから、逃げるようにはじまりの庭に戻った。


 ……ふう、だが分かり易くていいじゃないか。あいつに勝てるぐらいまでになったら、ゲームのクリアが近いという事だろうな。




 家に帰り、ユキとの約束の時間まで工作台で作業をした。

 約束の時間ちょうどに水晶玉で登録をすると、すぐにユキがオレの事を召喚してくれた。

 アポロとフォレスビールの入った箱を抱えて、ユキの丘に飛ぶ。


「せっかくだから飲みましょうよ」

「ああ、そのつもりで持ってきたのだけど、大丈夫かい?」


 昨日のフラニーを思いだし、ユキにそう聞いてみる。


「フフッ、ビールぐらいなら大丈夫よ。何度か飲んだこともあるし」

「そうか」


 フラニーに貰った砂糖菓子をフクタチにあげて、オレとユキはフォレスビールの小さな瓶をカチリとぶつけた。お菓子を一瞬で食べ終わったフクタチとアポロが、追い駆けっこをし始める。


「とてもおいしい」

「よかった、オレの仲間が作った物なんだ」


 塔の窓際のテーブルに座り、暖炉のパチパチと爆ぜる音を聞きながらゆっくりとビールを飲む。

 オレは酒場の事や、今日見てきた庭守の事やドライフォレストの事を、ユキに話した。

 正面に座っているユキは、楽しそうに微笑んで話を聞いてくれる。お互いに話したい事がありすぎて、時間があっという間にすぎていく。

 ユキが少し迷ったような顔をしてから、遠慮がちに話した。


「もし良かったら……余っているマナが、少しあるのだけれど」


 貸してくれるという事だろう。

 オレは少し考えてから、返事をした。


「ありがとう。でもマナがあってもオレがもっと強くならないと、ダメなんだ。でも何か緊急事態が起こったら頼むかもしれない、ありがとう」

「うん」


 ユキがリラックスした表情で頷いた。さらさらの黒い髪がスルリと肩の上で揺れる。

 立ち上がったユキが、走り回るフクタチを呼び止めた。


「フクタチ、悪いけど地下から暖炉の薪を少し持ってきてくれないかしら」

「いいよー」


 フクタチは暴れるアポロを抱え上げて、エレベーターで地下に降りて行った。

 ユキがオレの隣の椅子に座る。ユキは引き寄せたビールを小さな口で飲み、オレにニッコリと笑いかけた。

 手を伸ばせば触れる距離にある美しい顔を、オレはポンワリと見ていたが、ユキの目の奥にある見覚えのある光りにふと気付いてしまった。


 その光は14歳のユキの幻影が見せていた、狂気に浸食された者の目の光だった。


 オレがその光に気付かないフリをしてペラペラと喋っていると、ユキがオレの肩に頭を持たせかけてきた。そのあまりの心地良さに言葉を失っていると、ユキが頭を乗せたまま夢見るような口調で話した。


「ねえ、私を殺した男を見つけたんでしょ?」

「ああ、見つけたよ」

「……」

「……」

「……」

「……殴り殺してやったよ」


 長い髪を揺らしながらユキが頭を上げ、オレの目を覗き込んだ。

 ユキは満足したように口元を綻ばせ、戦いに勝った拳闘士を称える様な目つきでオレを見ている。


 どうやらオレは審査に合格したようだった。

 顔を寄せてきたユキと、オレは長い口づけを交わした。


 エレベーターの到着を告げるチーンという音が鳴り、薪を山ほど担いだフクタチが騒がしく部屋に入ってきた。

 フクタチの姿を見たユキの瞳から、狂気の光がスッと抜けていく。


「ねえー、ユキちゃん、アポちゃんがねー、地下の花瓶を割っちゃったんだよー、私じゃないよー」

「フフフ、大丈夫? ケガはしなかった?」


 ユキがフクタチに歩み寄り優しく頭を撫で回した。

 オレはテーブルに残されているユキのビールを手に取り、カラカラになった咽喉に全部流し込んだ。







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