妄想
――――♪♪ユキ♪♪ (^_-)-☆の丘に侵入しました。
こちらの世界で初めて見る雪景色だった。
丘はフワフワの雪でデコレーションされ、その雪は草原のずっと向こうまで続いている。
オレの頭に舞い落ちた粉雪が、仲間たちと合流できなかった悲しみに打ち震えながら、儚く消滅していく。
真夏のコンビニに放り込まれた時の様に、最初は気持ちが良かったがすぐに体が凍え始めた。
とりあえず緑の旗と日本の国旗を左右に振っていると、子供たちの黄色い歓声が聞こえてきた。
あまりに予想外の事で、一瞬、夢を見ているんじゃないかと自分を疑ってしまう。
子供たちは丘の端っこで雪をぶつけ合ったり、木の板を橇にして斜面を滑り降りたりして遊んでいる。
旗を振りながら足を進めると、小さな畑とたくさんの人が見えた。
正確に言えば人だけではない。エルフやドワーフ、人魚に狼男、顔のある大きな花や色々な動物たち。
彼らは音楽に合わせて踊ったり、農作業をしたり、ルールの分からないボール遊びに熱中したりしていた。小さな畑には雪がなく、肥沃そうな土があらわになっている。
「あのー、すいません」
オレは近くにいる人間の男に声をかけた。
その男は、オレの事を無視して一心不乱に雪かきをしている。よく見ていると、スコップで右に移した雪の塊をすぐに左に戻すという無駄な作業を延々と繰り返しているようだった。
不安になったオレがそっと男の肩に手を触れると、雪かき男はピタリと動きを止めた。
雪かき男は見かけは人間と変わらなかったが、肌の硬さは人間の物ではなくて木のようだった。眼球の部分に狂気を感じさせる綺麗な石が埋め込まれている。肩から手を離すと、男は待ちかねたように大好きな雪かきに戻った。
……作り物の人形か?
「あのー、すいません」
次に話しかけた男は、さっきの人形に比べるとずいぶん簡単な作りだった。
歳を取ったピノキオといった所だろうか。
曲げる事しかできない木の足をガシャガシャいわせながら踊り狂っている。
腕に触れると、やはりピッタリと動きを止めた。
「あのー、すいません」
オレは畑の向こう側にある灰色の塔に近づきながら、順番に人々に話しかけていった。
皆同じように自分の作業に熱中し、オレが手を触れるとピタリと止まった。
誰もがオレの事を無視し続け、なんのリアクションも取ってくれない。
2匹のドワーフが斧で斬り合っている。
片方のドワーフが首を撥ね飛ばされ、生き残った方が飛ばされた首の修理をし、また同じことを繰り返す。
この丘の持ち主であるスノーサイレンス、又はユキという人物は心を病んでいるとしか思えない。
いや、決めつけるのはまだ早いか。
雪だるまに向かって祈りを捧げている、美しい女エルフの剥き出しの肩に手を触れた。
生身の人間とまるで変わらない品質の肌である。さりげなく尖った耳に息を吹きかけるが、やはり反応がない。もしスノーサイレンスがどこかからオレを見ているなら、文句をつけてくるだろう。
椅子に座り両手で持ったコップを一生懸命傾けている美少女が、パッと見たところでは人形として一番出来が良かった。
ドライアドというのだろうか、白い絵の具に数滴だけ緑色を混ぜたような綺麗な肌は、レタスの様に重なり合っていた。緑色の髪の毛をお団子頭にしており、茶色の目は可愛らしく目尻が垂れている。
試しに声をかけてから、ふっくらとしたほっぺたに触ってみると、やはりコップを唇に乗せたままピタリと動きを止めた。
ドライアドの少女を椅子に残し、寂しげにポツンと建っている塔に近づいていった。
円柱型の塔は5階ぐらいの高さであろうか。一階に大きな両開きの扉があり、その扉の横には握りのついたレバーが壁から突き出ていた。塔の上の方に窓が一つだけあるがきっちりとカーテンが閉められている。
「おーい、すいませーん、レオンと申しますがスノーサイレンスさんかユキさんはいらっしゃいますか」
扉をノックしながら大声で呼びかけた。
同じことを何度か繰り返したが、全く反応がない。
今度は壁についているレバーを握り、下から上に押し上げてみた。
ガシャリと音を立ててレバーは上で止まったが、扉になんの変化もなく、呼び鈴のように音が鳴った訳でもなさそうだった。
少し待っているとレバーの上の壁がゴトゴトと動いて小さな穴が空き、そこから鉄製の右腕がそろりと出てきた。
右腕はレバーを下に戻した後ですぐに引っ込み、石がずれて壁の穴が閉まった。
もう一度レバーを上に押し上げると、再び右腕が出てきてレバーを下げてしまう。
オレがレバーを上に上げると鉄の右腕がレバーを下に下ろす。
同じ事を5回繰り返してみたが、あまりにも不毛であり、たちの悪い冗談だった。
5回目に鉄の右腕が出てきた時に掴んでみたが、強烈な電気が流れており、オレの手の平を弾き飛ばした。
塔のまわりを一周してみたが他に入れそうな場所もなかった。
そうこうしている内にオレの体は冷え切っていたが、我慢して畑や人々を観察する。
あまりモンスターは侵入してこず、たまに侵入してくる強そうなモンスターを、数体いるカカシ達が取り囲んでいる。
一本足のカカシ達は、サメの背びれが海面を移動する様に土の上をスイスイと動き回り、モンスターを駆逐していく。それぞれが大鎌やハンマーなどの得物を軽々と振り回し、背中の魔法陣をチカチカと光らせている。
こいつらと戦うような展開だけは避けたかった。
農作業をしていた狼男が両手一杯に布を抱えて、塔に向かっていた。
後をつけると狼男は塔の左側の壁に出来た一メートル四方の真っ暗な穴に、農作物をポイポイと放り投げていた。狼が退いた後に覗いて見ると、背筋の寒くなる深く暗い穴がどこまでも続いていた。
RPGの要領で全員に話しかけてみたが、ほんのわずかでも反応を示す者はいなかった。
夕ご飯の時間がだいぶ過ぎているせいで、お腹がギュルリと鳴る。
こうなったら扉を攻撃してみるか、収穫物用の穴に飛び込んでみるか、住人の誰かに攻撃をしてみるかの三つしか選択肢がなかった。
だがどれも気が進まない。
オレはランドセルにいつも突き刺している、全員退避の合図である打ち上げ花火の筒を取り出した。
そしてチラチラと雪の降る薄暗い空に向けて、花火を打ち上げた。
特別製の花火は、物凄い爆発音と光りを出しながら上昇し、一番星の横で炸裂した。
雪かき男は相変わらず雪をかきつづけ、ドワーフはお互いの首を落とし合い、子供たちは橇に夢中になっていた。しかし、ドライアドの少女がコップから口を離して空を見上げたのを、オレは見逃さなかった。
「あなたがユキというお方ですか?」
ドライアドの少女に話しかけた。
少女はオレを無視し空っぽのコップを飲み続ける。
オレは「失礼」と言ってから、少女の着ている茶色のワンピースの襟元を少しだけめくった。
ワンピースの下にはプラチナ製の薄手の鎧が装備されている。
確信したオレは、何も言わずに少女の茶色い目を見つめ続けた。
しばらくして、少女はいたずらしている所を見られてしまった子供の様に笑ってから、コップを膝に置いた。
「わたしは、ユキじゃないよ、ユキちゃんは塔の上にいるよ」
「あ、ありがとう、話してくれて、君は?」
子供のような舌足らずな喋り方だった。
「ヒミツだよ、ユキに怒られるからね」
「そうなのか、ユキという方にお会いしたいのだが」
「ユキは寝てるから会えないよ。ユキはね全然眠れない娘なの。だから寝てるの起こしたら、一番の友達のわたしでも解体されちゃうよ」
オレは少女の隣の地面に腰を下ろした。
聞きたい事がありすぎて、逆に言葉が出てこない。
「君のご主人はどういう人か教えてくれないかな?」
「えー、どうしようかなー、ユキちゃんはね、私にそっくりだよ。私はユキの分身だからだって」
「君はドライアドという種族だよね?」
「それちがうよ、わたしはヒューマンベジタブルだよ」
少女を人間としてみれば14歳ぐらいだろうか。フラニーより頭2つ背が高く、見かけと喋り方にかなりのギャップがあった。
オレは旗に括り付けられている日本の国旗を外し、緑髪の少女に渡した。
「これをご主人に渡してきてくれないか。起こさないでいいから枕元にでも置いてきてくれると、とても嬉しいのだが」
「えーどうしようかなーいいよー」
少女は旗を受け取り、無造作に振り回しながら塔に向かって歩き出した。オレもついていく。
少女は扉の横のレバーを上に押し上げた。
「じゃあ、ここで待っててね――――下げちゃだめ!」
レバーを下げる為に出てきた鉄の右腕に向けて少女が叫ぶと、鉄の右腕は動きを止めた。
少しして扉が開き少女が暗闇に消えていった。
オレは再び閉まった扉の横に座り込み、自分の肩を擦りながら抱きしめた。
さて、どうなるのか。
数時間待ってみて目覚めてくれないようであれば、あの少女に色々聞いてから一旦帰るとするか。
それにしてもユキというのはどういう人物なのだろうか。
丘の様子やプラチナの鎧を仲間に装備させている事からして、かなりの年月このゲームをやっているのだろう。死んだ事はあるのだろうか。オレと同じようにゲームを止められなくなっているのだろうか。
あれこれ想像していると、塔の上の方から鐘の鳴る音が聞こえた。
丘の住人達がそれぞれの作業を止め、塔の方に行進し始める。
パレードのように軽快なステップを踏みながら一列になり、塔の右側の壁に出来たダストシュートのような穴に順番に飛び込み始めた。
住人達が迷いなく落ちていく暗い穴からは、何かを粉砕するような派手な破裂音が聞こえてくる。
恐る恐る横から穴を覗くと、オイルの様な黒いべたつく何かがオレの頬に飛び散った。
すっかり静かになった畑には3匹のカカシと、ブルブルと震えるオレだけが残された。
オレは体を温める為に畑をグルグルと走り回り、ドライアドの少女が降りてくるのを待った。
少し強くなり始めた雪が、物言わぬカカシ達に積もり始めている。
キリストのように両手を広げているカカシ達はボロ布を身に纏い、やはりボロボロの麦わら帽子を被っていた。
扉の開く音が聞こえた。
白い息を吐きながら少女の元に駆け寄ったが、少女は暗い顔で俯いている。
「お帰り、どうもありがとう。どうだった?」
「……ユキは起きてたよ、旗はちゃんと渡したよ」
「そうか! 良かった。何か言っていたかい?」
お団子頭の美少女は寂しそうに笑った。
「あのね、ユキちゃんはこう言ってたよ『妄想と話をする気はない、妄想は消えろ』だって……お兄ちゃん……ごめんね」
カカシ達がバサバサと雪を振り払う音が、畑の真ん中から聞こえた。
3匹のカカシの内の一匹が、大鎌を構えて進み出た。
一本足で畑の土をスルスルと掻き分けて、オレに迫ってくる。
「ちっ、ちがう。オレは妄想なんかじゃない! 気持ちは分かるが話を聞いてくれ、妄想じゃない、妄想なんかじゃなくて、オレはちゃんと存在しているんだ」
塔に向かって大声で叫んだが、すでに大鎌の一撃が迫っている。
「くっ、くそ」
しゃがみ込んで攻撃を躱し、そのまま後ろを向いて逃げ出した。
戦いたくなかったのだ。
だがカカシはオレを殺戮するために、波に乗っているサーファーのような滑らかさで土の上を移動してくる。
残りの2体のカカシとドライアドの少女は、戦いに加わらないようだった。
カカシが大鎌を振ると、降りしきる雪がパスパスと切断されていく。
オレは流れるような大鎌の連続攻撃に押し込まれ、少しづつ体を切り刻まれていった。
とても手加減できるような相手ではない。
覚悟を決めたオレは、いつものように敵の大振りを待ち、きっちりとパリィを決めた。
しかしカカシは全くバランスを崩さない。
2度、3度とタイミングを確かめるようにパリィを決めるが、カカシは何事もないかのように反撃してくる。
……どういう事だ?
オレはダメージを覚悟で突進し、カカシの胴体に鋼の爪を突き立てたが、手応えがまるでない。
大鎌が肩の肉を3センチほど削ぎ落とし、血まみれの肉が地面にボトリと落ちた。
カカシは振り上げた大鎌を、何故だか躊躇う様に低く構え直し、オレの顎に向けて突き上げた。
ギリギリでそれを躱したオレは、カカシの1メートルほど前の地面に落ちている、自分の肉の塊に手を伸ばした。
硬く握りしめた鋼の爪を血まみれの肉に叩き込み、肘が埋まるまで拳を突き刺した。
土の中でガチャンと手応えがあった。
「本体は土の中で、お前はただの見せかけか!」
爪から程良く火炎を流し込むと、一本足のカカシがぐったりと力を失った。
地中から手を引き抜き、慌てて体勢を立て直す。
すでに2匹のカカシがオレに迫っていた。
カカシの持つ日本刀が、舞い散る雪を撫でながら振り下ろされた。
オレは反射的にパリィを決めた。
それは美しいまでの完璧なパリィだった。
何百回、何千回と毎日毎日練習し続けたオレだけが出来る、特別な技だった。
現実世界も含めて、一つの事をこんなに長くやり続けたのは、飽き性のオレにとっては初めての事だった。
でも、それは妄想と変わりがなかった。
大地にしっかりと足を支えられたカカシには効果がなく、間髪置かずに返しの攻撃が飛んできた。
日本刀を鼻先で躱したオレの後頭部に、3体目のカカシのハンマーがクリーンヒットした。
オレは10メートルほど吹っ飛び、死んだカエルの様に地面で潰れた。
立ち上がろうと這いつくばるオレの視界に、細い華奢な足首が見えた。
ドライアドの少女は左手に氷の剣を持っていた。
「さっき、勝手にわたしのほっぺた触ったよね? だからオアイコだよー」
少女はオレの心臓に氷の剣を突き刺した。
ヌルリとした嫌な感触が体を貫く。
意識が薄れ消滅していくオレの顔を、ドライアドの少女が覗き込んだ。
「ユキちゃんはね、お兄ちゃんみたいな人が来るのをずっとずっと待ってたんだよ。でも何年も何年も待っても、変な人しか来ないから、ゼツボウしちゃったんだって。わたしはユキちゃんの分身だからわかるの、ユキちゃんは寂しいの。ユキちゃんはくるしいの……お兄ちゃん、助けてあげてよ」
少女の肩越しに見える塔の窓に、白い人影が見えた気がした。
気が付くと、家の石版の前に立っていた。
心臓に強烈な痛みを感じたが、悲鳴を上げない様に歯を食いしばった。
ソファーに居たエリンばあさんとフラニーとアポロが駆け寄ってくる。
「ただいま、負けちまったよ、いや、一勝はしたかな、ハハッ……料理、冷めちまったみたいだな、すまん」
テーブルの上には手付かずのご馳走があった。
エリンばあさんがオレに肩を貸してくれ、寝室に向かう。
後遺症はないようだったが、今晩は痛みで眠れなさそうだった。
ベッドに横になったオレは一人で呟いた。
「以前のオレなら、敵との相性が悪かっただけって思うんだろうな」
結局、朝方まで一睡もできなかったのは痛みのせいだけではなかった。




