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居場所

 オレは、ディスクの入ったゲームの箱を手に取った。


 そして左手に持っていたピッキング用のハンディで、バーコードを読み込ませた。

 腕にぶら下げているカゴの中にゲームを入れて、ハンディの液晶画面に目をやる。

 8BF62AP68RBという数字とアルファベットの羅列が出ている。

 それは棚の場所と商品を示していた。


 オレは8Bの棚まで移動して、今度は野球ボールを手に取り、同じように読み込ませてからカゴに入れた。


 通販会社のピッキング作業の仕事を始めて、はや一週間が経っていた。

 見た事もないような大きな倉庫に、数百の棚と無限に近い商品が並べられている。

 ハンディに出る数字を見て、目的の商品が置いてある場所まで歩いていき、傷つけないように注意してカゴに入れていく。

 カゴが一杯になると、倉庫の両端にあるベルトコンベアにカゴを流す。

 空っぽのカゴを取り、また商品を入れていく。

 この単純作業が9時間ほど続くのだ。


 最初の三日間は果てしなく続く退屈な単純作業が、拷問のようにオレを苦しめたが、今はだいぶ慣れていた。

 ただ何も考えなければよかった。何も考えず時間が過ぎるのを待っていればいつかは終わる。


 ベルトコンベアにカゴを流していると、社員の男に声をかけられた。


「今日、残業あるんですけど、出来ますよね?」

「……はい、お願いします」


 注文の少なかった昨日は、昼過ぎに強制的に帰された事を思い出したが、オレは何も言わなかった。

 一瞬だけぼんやりとしていると突然、強烈なハッカの匂いが鼻をついた。誰かが手を滑らして、商品の整髪料でも落としたのだろう。

 昼休みを告げるチャイムが鳴り、同じ作業をしていた百人ほどが一斉に食堂に向かっていった。


 オレは一人になりたかったので、吹きさらしの非常階段に座り、味のないおにぎりをぼそぼそと食べた。


 二個目のおにぎりを食べていると、非常階段の下から白人の青年が上がって来た。

 この仕事場には日本語をあまり喋れない外国人が結構、働いていた。数字とアルファベットが読めれば二十分で覚えられる仕事だったからだ。

 大体はアジア系のおばちゃん達だったので、この白人青年は多少、目立った。


 名札を見ると「チャド・何々」と書いてある。

 ちなみにオレの胸にも、名札が三つほど付いていた。

 それぞれの名札には同じ人間の名前と、別々の会社名が書かれている。

 所属している派遣会社の名前と、下請けの会社名と、大元の大企業の会社名の三つだった。出勤の時には三つの名札を付け、さらに三つのタイムカードを押さなければならなかった。

 この近未来の風刺映画のような扱いに最初は怒りを感じたが、すぐに何も感じなくなった。


 白人青年のチャドは、オレに気が付くと少し気まずそうな顔をしてから、軽く挨拶をしてきた。

 そして五段ほど下に座り、昼飯を食べ始めた。

 チャドの胸にもやはり「チャド、チャド、チャド」と三人のチャドが並んでいた。


 チャドとオレは寂しい男同士、気が合ったのか、昼飯を食べながらポツポツと話をした。

 チャドは東欧の生まれで、数年前に中国を経由して日本に逃げて来たらしい。


「ボクのクニはえらいことになっててネ。もうすぐウォーになるかもしれないんだ。それが内戦になるのか、シンリャク戦争になるのかはワカラナイけどネ」


 チャドは金髪の髪を撫で上げた。


「ニホンは平和なクニだよネ、ココの仕事はクレイジーだけども」


 チャドは悲しげに微笑んだ。

 チャイムが鳴り、つかの間の休息の終わりを告げた。





 アパートに帰ったオレは携帯の着信を見て、そこに電話をかけた。


「もしもし、久しぶり……3年ぐらい前の同窓会、以来だっけ。さっきの電話、出られなくてごめん、それでさメールにも書いたけど、佐藤の連絡先って知らないかな? 確か佐藤と同じ高校だったよね?」


 オレは相手の返答を聞いて表情を曇らせていった。声に失望感を出さないようにするのが、一苦労だった。


「そうか……いや、こっちでもいろいろ調べてみたんだけど何度も引越ししたみたいで、途切れてしまったんだよね。うん、たいした事じゃないんだけど、どうしても連絡を取りたくなってさ。ありがとう、もし何かわかったら頼むわ、じゃあ」


 電話を切って、床にコトリと置いた。

 自分でやれる事は全部やったが、親友と連絡を取ることは出来なかった。

 あとは専門の人に金を払って探してもらうしかないが……そこまでやるべきかどうか。


 床にへたり込んだまま、棚を見上げた。


 そこに飾ってあったはずの高級腕時計は、なくなっていた。

 お手製の台座だけがむなしく残り、腕時計の不在をはっきりと告げている。


 オレはアパートの掲示板に今も貼ってある、空き巣の注意を呼びかけるポスターを思い出していた。


 ……もし盗んだ奴がいるなら名乗り出てくれよ。時計はくれてやるから、オレの気が狂っていない事を頼むから証明してくれよ


 オレは薄暗い部屋で体育座りになり、隅に置いてあるダンボールを見た。

 ゲーム機からディスクを取り出そうとしたが、何故か出てこなかったので本体ごとテレビから外し、古びたダンボールに突っ込んであった。


 最初は、ただゲームをやっているだけのはずだった。

 すぐに、はまり出して一日中やるようになった。

 そのうちに、起きていられる限界まで、目を開けていられる限界までやり続け、ゲームをつけっぱなしのまま床で眠り込んでしまうことが多くなってきた。

 眠る直前までやっていたゲームの夢を頻繁に見るようになったが、当たり前のことだと思っていた。

 その夢はどんどん生々しくなっていき、朝起きると体中が痛くなるようになった。


 オレは体育座りのまま、もやもやと考え続けていた。


 仮に自分の見ている夢が現実だとして、それが現実だと証明できる方法なんてあるのか?

 仮に自分の気が狂っているとして、見続けている妄想を、妄想だと証明する方法は?


 結局、どっちにしても同じという気がしなくもない。


 座ったままダンボールを見続けていたが、すでに自分がダンボールから目を離せなくなっている事に気が付いた。注射針を見つめる麻薬中毒者のように、ダンボールをまばたきもせずに見つめ続け、目が血走り始めていた。

 フッと気が付くとオレは四つん這いになっており、ダンボールに、にじり寄っていた。

 膝に携帯電話がコツリとぶつかった。

 親友の顔を思い出したオレはダンボールからなんとか目を離し、逃げるように外に出た。



 オレは暗い街をあてもなく、さまよい歩いた。

 歩きながら自分の住んでいる街の隅々を、観察していった。


 電線、アスファルト、足早に歩く人々。

 ガードレール、吐き捨てられたガムに無機質なビル。閉められた窓のカーテンや標語をまくし立てる看板、錆びついた自転車たち。


 そのどれ一つとして、もはやわずかでも愛着を感じる事が出来なかった。

 ここには、オレの居場所はなかった。

 オレは自分の人生のあまりの虚しさや親友の事をグチャグチャに思い出し、少しだけ涙を流した。

 満月を見上げていると、お腹の上に温かくて重いものが乗っかったような気がした。


 オレにとって、どっちの世界が現実リアルなのか考えるまでもなくわかっていた事だった。



 オレはアパートに帰った。

 そして一枚の紙に、大切と思うものをズラズラと書き連ねていった。

 かなり細かいものまで書いたのに、それは15に届かなかった。

 15の中には故郷の山の名前や、預金通帳なんてのまで含まれていた。


 紙に書かれた物の方の名前を、確認しながら横線で消していった。

 物をすべて消し終わると、人間の名前だけが残った。

 その中には、オレが上京してからできた数少ない友人の名前がいくつかあった。


 その友人たちに、順番に電話をしていった。

 そして、もう縁を切るということを一方的に告げた。

 最近、付き合いの悪かったオレがいきなり訳の分からない電話をかけてきたので、友人たちはすぐに電話を切っていった。

 ただ、奈良生まれの友人だけはなかなか電話を切ってくれなかった。


 しつこく理由を聞いて来るので、オレはネットゲームに、はまっているから人付き合いなど面倒でしていられない、と言ってやった。それでも納得してくれなかったので、新興宗教の素晴らしさについてベラベラと喋った。

 友人は無言で五分ほどオレの話を聞いた後で、ぼそりと言った。


「もうええわ……ようわからんけど、お前が今やっとる事が終わったら、また電話してこいや、ほなな」


 友人はそう言って電話を切った。

 情に厚い奴から死んでいくというのは、本当の事のようだった。


 そいつの名前を消すと、家族の名前だけが残った。

 これだけはどうしようもなかった。

 正直に言ってしまえば、確定していない家族の死など、どうでもよくなるぐらいオレはゲームの続きがやりたかった。


 オレはダンボールからゲームを取り出して、テレビにつないだ。

 そして、つまらないゲームに見切りをつけて、現実の世界に戻った。



 ――――――――――――――――




 目を開くと、オレはベッドの上に仰向けで寝ていた。


 上半身を起こそうとするが、力が入らない。

 首を持ち上げると、オレのお腹の上でアポロが気持ち良さそうに寝ていた。


 しばらくアポロの寝顔を幸福な気持ちで見ていると、アポロが目を覚ました。

 アポロは立ち上がり、オレの顔を数秒間まじまじと見てから、ベッドを飛び降りた。

 呼びかけようとしたオレを無視して、ドアの隙間から出て行ってしまった。


 動けないのでそのまま待っていると、ドタドタと足音が聞こえてくる。

 ドアからフラニーとアポロが入ってきた。

 フラニーは五秒ほど動揺した目でオレをみつめていたが、すぐにクールな顔を取り繕った。


「おはようございます。エリンおばあ様も、今こちらに向かわれていますわ」


 フラニーは金色の髪の毛が少しのび、耳を隠していた。

 背も少しだけ伸びているようで、なんだか急に大人びた顔になっている。

 夏休み明けに急激な変化をしたクラスの女の子を見るような、新鮮な気持ちでフラニーを眺めた。


「おはよう……どのぐらい寝てたかな?」

「さあ、数えていませんでしたのでわかりません。心配するなと、あなたがおっしゃったのでその通りにしましたわ」


 フラニーが小さな顔を横にそむけた。

 寝室には花や果物が所狭しと並べられている。

 オレはフラニーに手伝ってもらい、なんとか上半身を起こした。


「ふー、なんだか酷い夢を見ていた気がする。ずいぶん立派な花や果物だけど、これは?」

「はい、レオン様が寝ている間、私たちで出来る範囲で農作業や交易を続けていたのですが、ベン様が牛車に乗って何度か交易とお見舞いにいらっしゃいました。その時のお見舞いの品ですわ」

「そうか……ありがたいな」


 フラニーが早速、果物の一つを剥き始めた。


「ええ、ベン様と何度かお話しましたが、とても素晴らしいお方でしたわ。外見から少し誤解していたようです。ベン様はお持ちになられた気付け薬を、レオン様の鼻に嗅がせてみたりもしていたようです」


 ドアの向こうから足音が聞こえてきた。

 そして、まったく変わっていないエリンばあさんが姿を見せた。


 オレはエリンばあさんの手を引き寄せて、上半身を強く抱きしめた。

 普段こんなことはしないが、たまにはいいだろう。

 身を離した後、オレは言った。


「エリンばあさん、ただいま」

「おかえりなさい」


 エリンばあさんは少し潤んだ目で、オレを優しく見守っていた。


「……なあ、エリンばあさん、一つ言い忘れてた事があったんだけどさ」

「……なんですか」

「ちょっと前にタカアシグモをやっつけた時の話なんだけどさ、たっぷり金貨を貰ったのに、オレわざわざ半分以上も返してやったんだぜ、どう思う?」

「……レオン殿……その話はすでにお聞きしましたよ……五回ほど」


 オレとエリンばあさんとアポロとフラニーは声を揃えて笑った。




 オレはすぐにでも働きたかったのだが、フラニーに今日はベッドで休むようにときつく言われてしまった。

 仕方ないのでベッドでゴロゴロして、アポロと遊んでいると、夕方にベンとグラックスがお見舞いに来てくれた。


 グラックスは回復を祝う言葉を言ってから、交易品の積み替え作業に戻っていった。

 二人きりになったオレとベンは、まずがっしりと握手をした。


「ありがとう、ベン。大きな借りができたみたいだな」

「そういうことは言いっこなしですよ、レオン」


 オレはニコニコ笑うベンから、ここしばらくのオレ達の丘の様子を聞かせてもらった。

 ベンはポケットから手紙を取り出して、オレに渡した。


「私の誕生パーティーが二週間後にあるので、ぜひ来て下さいね。もちろん体調の方が最優先ですが」

「ありがとう、必ず行くよ」


 ベンはさらにカバンからフォレス麦を取り出した。それは見た事のない品種だった。


「まだまだ試作段階ですが、レオンに頼まれていたフォレスビールの麦です。最初は余った時間に研究していたのですが、私の方もだんだん夢中になってきました」


 オレが目覚めた時に喜ばそうと、わざわざ時間をかけてくれたに違いなかった。

 ベンは嬉しそうに話を続けた。


「それにしてもあのハービーという雌ゴブリンには非常に驚かされました。フォレス麦について、あれほどの深い知識を持っているとは。この試作品の完成は彼女の意見による所が大きいのです。私はゴブリンという種族を見かけのせいで完全に誤解していたようです」


 ベンは目を輝かせて笑った。

 そして、ふと思い出したような顔になり、自分のカバンから帰還の塗り絵を取り出した。

 帰還の塗り絵に小さな絵をかいて、オレに見せた。


「レオンが起きたら言おうと思っていたのですが、前にレオンに見せてもらった絵は、これで合っていますよね? この絵が描かれている青い服を着ている女性を市場で見かけたのです。残念ながら人混みのせいで見失ってしまいましたが……」


 ベンの帰還の塗り絵には、日本の国旗が描かれていた。






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