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親友とマンガ

 ゴブリンチャンピオン、ユグノーは群衆の歓声に応えて、手を高々と上げた。


 引き締まった体と異常に長い腕。ほっそりとした顔は整っており、一度もパンチを受けたことがないかのように綺麗な尖った鼻をしていた。肌の色が緑色ということ以外は、人間と少しも変わりがなかった。


 ユグノーはガウンを脱ぎ捨て、トランクス一枚になった。

 そして神に祈るように跪いた。


 オレは円形闘技場の土の上を歩き回り、状況を整理しようと試みた。しかし深く考えるまでもなく状況はわかってしまった。

 円形の石壁には出られそうな隙間はなく、たとえ登る事ができたとしても、上にはびっしりと亡者達がかぶりついていた。

 つまり逃げ場はなく、オレはこれからゴブリンチャンピオンと戦わなければならない。

 どちらかが死ぬまで。


 オレの耳に悲鳴のような声が届いた。

 客席を見上げると、さっきのおっさんがボックス席にいて、首に剣をあてられていた。


「おい、あんちゃん! 頼む、勝ってくれ。何でもするから勝ってくれ」


 おっさんの隣にいるデブの亡者が、冷酷そうに薄く笑った。

 この短い時間におっさんに何があったのかは知らないが、今は自分の事で精一杯だった。

 ゴブリンチャンピオン、ユグノーは祈りから立ち上がり、緑色の拳を硬く握りしめた。

 問答無用でゴングが打ち鳴らされた。


 ユグノーはひょろ長い腕をダラリと垂らし、不敵に笑っている。

 じわじわと距離を詰めてきて、牽制のジャブを放ってきた。

 オレはジャブを避けて、ユグノーの周りをグルグルと回り始めた。

 裸の上半身に汗が滲む。


 ユグノーはボクシングをするつもりのようだった。

 それならば、勝てるかもしれない。

 巨大なタカアシグモに比べればユグノーは小さかった。

 さらにユグノーはただの拳であり、それに対してオレは鋼の爪を装備しているのだ。

 オレがボクシングにこだわらなければ、勝機はいくらでもあるはずだった。


 グルグルと逃げ回るオレに向けて、数百人の亡者達がブーイングを浴びせかけた。

 観客の起こす熱風が、オレの体から水分を奪っていく。


 ユグノーが呆れたような顔をして、長い腕を胸に組んだ。

 それを見たオレは土をジャリっと踏み付けて、距離を一気に詰めた。

 ユグノーの顔に向けて左のパンチを出す。

 そして、パンチを躱したユグノーの目に向けて、口に含んでいたダイヤモンドナッツを飛ばした。同時に右フックを繰り出す。


 一瞬の交錯の後、地面にうずくまっているのはオレの方だった。


 何が起こったのかよく分からなかったが、あばら骨が数本折れていた。

 ユグノーはオレに背を向けて、観客の声援に応えている。

 オレはユグノーの背中に襲い掛かる事もなく、ただぼんやりと見ていた。

 今の数秒の戦いで、オレはユグノーの強さを知ってしまった。

 曲がりなりにも激戦を潜り抜けてきたオレには、はっきりとわかってしまった。


 ……こいつには絶対に勝てない


 例えナイフを持っていようが、メリケンサックを嵌めていようが、ボクシングの世界チャンピオンに素人が勝てる訳がないのと同じ事だった。

 これが試合だと思っていたのはオレだけで、ただの公開処刑だったのだ。


 ユグノーは立ち上がったオレに向き直った。恐怖でオレの体がすくむ。

 ユグノーは笑いながらオレを弄び始めた。


 軽いジャブをオレの顔面にパチパチと当てていき、一発ごとに頬骨や鼻の骨が発泡スチロールのように割れていく。


 もしオレがマンガの主人公なら、そろそろスキルを覚えてもいい頃合いだった。

 オレは真剣に、体を振り子のように左右に振ってみたり、ユグノーの心臓めがけて正拳突きを打ってみたりした。スキルの開放条件を満たす動きが、何かあるはずだった。

 試しにユグノーに向けて、大真面目に「この豚野郎が」と言ってみる。

 オレが豚と認識することが出来れば、豚殺しが発動するはずだった。しかしユグノーの端正な顔はとても豚には見えない。


 色々やってみたが、全部無駄だった。

 いつの間にか動く事が出来なくなっていたオレは、土の上に棒立ちになっていた。


 遊びに飽きたユグノーが、オレを殺すために右腕を大きく振りかぶった。

 オレは、ユグノーの右拳を巻き込むようにパリィした。

 しかしユグノーはパリィを躱し、パリィしようとしたオレの手を、逆にパリィした。

 オレは土の上にうつ伏せに転倒した。

 立ち上がろうとして、四つん這いになったオレの頭に、ユグノーの右フックが突き刺さった。

 オレの頭蓋骨がグシャリと潰された。

 自分の脳味噌が飛び散るのを見ながら、オレは地面を舐めた。


 メッセージがでた。



 ―――――――― あなたは死にました。すべて終わりです。










 ☆☆☆


 オレは深い暗闇の中を漂っていた。


 体はすでになく、意識だけがフワフワと浮遊している。


 暗闇の遠くの方で、誰かがオレを見ていた。


 見覚えのある顔だった。


 あの人は……セムルスか?


 一瞬そう思ったが別の人のようだった。なぜならその男はまるで笑っていなかったからだ。その男は、モルモットを観察するような冷たい目で、オレをジロジロと見ている。


 メッセージが出た。


 ―――――――― あなたは死にました。すべて終わりです。ただし、あなたが大切にしているものを一つ犠牲として捨てる事により、もう一度ゲームを再開することができます。YESを選択する場合は、犠牲にするものを頭に思い浮かべてください。


 暗闇を漂っていたオレは、大切な物と言われて、棚に飾ってある高級腕時計を最初に思い浮かべた。

 オレの就職が決まった時に父と母と妹が、お金を出し合い贈ってくれた物だった。特別な時以外は使わずに、いつもピカピカに磨いて飾っていた。

 父さんも母さんも、オレがまだちゃんと働いていると思っているんだろうな……最後まで嘘ばっかりついてごめん。


 ―――――――― YESの選択を受け入れました。復帰中です。





 ――――――――――――――――――――


 シッーーークス

 セブーーーーン

 エッイトーーーーー



 立ち上がったオレは、ユグノーに背を向けて石壁を駆け上った。

 石壁の縁に手をかける事に成功したが、亡者達がオレの手を引き剥がし、地面に付き落とした。

 ユグノーが両方の手の平を上に向け、やれやれと首を振った。

 それを見た亡者達が爆笑する。

 オレは回転扉があった部分をドンドンと叩いたが、動かなかった。

 ユグノーという名の絶望がゆっくりと近づいて来る。


 ユグノーはオレの、みぞおちを叩き硬直させた後、アフロを掴み石壁に押し付けた。

 そして右ストレートを頭に叩き込んだ。

 石壁とユグノーの緑色の拳に挟まれたオレの頭が、パシャンと割れた。

 メッセージがでた。


 ―――――――― あなたは死にました。すべて終わりです。


 ☆☆☆



 ……考えるな


 何も考えるな


 考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな

 かんがえるなかんがえるなかんがえるな


 オレは考えずにはいられない者たちの顔を打ち消す為に、わざと別の者を思い浮かべた。

 それは中学生だった頃に、毎日つるんで遊んでいた親友の顔だった。

 家が近く、部活も一緒だった。部活を引退したあとは、みんなが受験勉強を始めたので、オレ達二人だけが暇になった。毎日そいつの家に遊びに行って、同じマンガを何度も何度も読んだ。

 もう十年近く会っていなかったけど、今でもそいつと遊んでいる夢をたまに見た。

 メッセージがでる。


 ―――――――― YESの選択を受け入れました。復帰中です。



 ――――――――――――――――――――


 群衆の歓声と熱気が、再びオレを包んだ。

 ユグノーは立ち上がったオレを見て、意外そうな顔をした。


 オレはユグノーの所までフラフラと歩み寄り、ユグノーの膝にすがりついた。


「許して下さい、許して下さい。もう殺さないでください、お願いします。ユグノー様、オレはどうなってもいいんです。ユグノー様の奴隷として一生働きますから、殺さないで下さい」


 ユグノーは嘲笑い、オレの頭を踏み付けた。

 亡者達が喜びを爆発させ、踊り始める。

 オレは涙と鼻水を垂らしながら、ユグノーの靴の裏をペロペロと舐めた。


「お願いします、ユグノー様。本当は、なんとなくわかっていたんです。もう二度とこの世界には来ませんから、もう二度とこの世界とは関わりませんから、許して下さい」


 ユグノーは、無慈悲にオレの顎を蹴り飛ばし、石壁に叩き付けた。

 背中のランドセルがクッションになったが、顎の骨が折れていた。

 すぐに意識が朦朧とし始め、再び暗闇がオレに忍び寄る。

 ユグノーは右手を掲げて、亡者達の歓声に応えていた。


 オレはランドセルを背中から外し、蓋を開いた。

 アポロの溜め込んだガラクタが入っている事は知っていたが、手を突っ込みかき混ぜてみる。

 萎びたアロエを見つけたので、口に入れた。アポロの獣くさい味がする。

 食べかけのガロモロコシや布きれを投げ捨て、アロエを探していると、オレの指先に何かがカツンと当たった。


 オレは茶色いランドセルを地面に置いた。

 右手には野球ボールぐらいの、赤くキラキラ光る石が握られていた。

 絶望しながら、石をしげしげと眺める。


 ……これは畑からの収穫物だってトムさんが言っていたなあ。どうせまた死ぬのなら、やってみようかな。


 オレは火の精霊石を無理やり口に突っ込んだ。

 右手を握りしめ、爪のない部分で口の中の精霊石をガンガンと殴り咽喉に押し込んでいく。

 顎が外れ、唇がさけ、息が出来ず窒息しそうだったが、構わず石を叩いていく。

 咽喉に収まった火の精霊石を、両手の親指でさらに押し込んでいく。

 食道を通り抜けた精霊石が、胃袋にストンと落ちた。


 その瞬間、文字通りオレの胃袋が爆発した。

 腹を血が出るほど引っ掴み、地面をゴロゴロと転げ回る。

 下品に笑うユグノーの顔が目の端に見えた。

 オレは死んだ虫のように、土のうえで動かなくなった。

 メッセージがでた。


 ―――――――― 火の精霊石の消化に成功しました。あなたの火属性のレベルが最大まで上がりました。魔力を消費することで、攻撃に火炎の追加効果が付きます。


 ユグノーが嘲笑いながら近づき、顔を蹴りあげようとした。

 オレは、蹴ろうとしたユグノーの足を素早く払い、バランスを崩したユグノーの顔に左フックを打った。

 すぐにバランスを取り戻したユグノーは、余裕のある顔でパンチを躱した。

 しかし鋼の爪の先端が、ユグノーの尖った鼻をわずかにかすめた。

 爪から発生した炎が、ユグノーの顔にこびりつく。

 ユグノーは顔を左右に激しく振り、両手で炎を消し止めた。


 顔を上げたユグノーの鼻は焼け爛れ、醜い豚のようになっていた。オレの体に灼熱のアドレナリンがどくどくと流れ始める。

 ユグノーは怒りの咆哮をあげ、トランクスから取り出したナックルを両手に嵌めた。


 ユグノーとオレが同時にお互いの距離を詰め、闘技場の真ん中でぶつかる。


 ユグノーは自分のジャブとストレートが躱されたことに驚き、わずかに後退する。

 オレはハービーの動きを思い出し、シフトウエイトをしつつユグノーに迫り、左フックを打つ。

 オレの左フックと、ユグノーの左フックが相打ちになる。


 ユグノーのパンチはオレのあばら骨を数本折り、オレのパンチはユグノーの右の太腿の肉をたっぷりと奪った。ユグノーは苦痛に顔をしかめながら、左右の高速パンチを連打してくる。


 オレはガードを固めてそれを耐え忍び、ユグノーの大振りを待つ。

 ユグノーがガードをこじ開けようと、アッパーを突き上げた。

 パリィする余裕のなかったオレは、右のフックを打った。

 また相打ちになる。


 怯まず打ち返してきたユグノーの左に対して左を、右に対しては右を打ち返す。

 左と左

 右と右

 左と左


 今まで打ち合いに負けた事など一度もなかったであろうユグノーの顔から、徐々に自信が抜け落ちていくのが見えた。

 鋼の爪と、炎の追加効果により、オレの方が火力に勝っていた。

 ユグノーは距離を取ろうとするが、血が滴る足が動かない。


 オレは右腕を背中まで回して、ユグノーのみぞおちに爪を叩き込んだ。

 そのまま左腕をユグノーの首に巻き付かせ、みぞおちに刺さった爪をグリグリと捩じり込む。

 ユグノーは何とか逃れようと、オレの後頭部をガツガツ叩いてきたが、その力は弱かった。


 オレはすでに痛みを感じておらず、怒りも憎しみも何も感じていなかった。

 頭に浮かんでいたのは、中学時代の親友の顔と、そいつと一緒に夢中になって読んだ、たくさんのマンガたちの事だった。オレはユグノーの耳元で小さな声で呟いた。


 ……こういうのは、どうだ?


 鋼の爪の先端に、魔力を集中させた。

 そして爪から発生させた炎を、ユグノーの体の中に直接流し込んだ。

 ユグノーの血が沸騰し、内臓が焦げはじめる。

 オレは爪をえぐり込み、残りの魔力全部をユグノーに流し込んだ。



 亡者たちの歓声が止んでいた。


 オレは抱えるもののなくなった左手をダラリと垂らした。

 ユグノーはすでに消滅していた。

 闘技場の土の上で、圧倒的な存在感を放っていたユグノーが、骨も残さずに儚く消えていったとは、にわかには信じられなかった。


 円形闘技場の壁の一部が開いた。

 オレは、土で汚れてしまったランドセルを拾い、出口に向かった。

 最後に振り返ると、たくさんの血を染み込んだはずの土が早くも乾き始めていた。


 闘技場を後にすると、小さな部屋に石碑があった。


 オレは石碑を抱きしめるように掴んだ。そしてオレは家に帰った。




 家に帰ると、ソファーに座っていたエリンばあさんとフラニー、アポロが立ち上がり、オレに駆け寄ってきた。

 オレは霞む眼をなんとか見開いて、みんなの出迎えを受けた。


「ただいま、ボスをぶっ倒してきたぜ」


 オレはアポロを抱え上げ、胸一杯に匂いを嗅いでから床に下ろした。

 エリンばあさんの肩を抱き、眼を合わせて頷き合う。

 しゃがみ込んでフラニーを抱きしめ、頭をゴシゴシと撫でた。

 しかしオレは、フラニーと眼を合わせる事が出来なかった。


 オレは立ち上がり、みんなに背を向けた。


「あー、オレ、ちょっと疲れちまったみたいだわ、悪いけど寝てくるよ…………もしかしたら、しばらく目を覚まさないかもしれないけど、心配する事はないからな」


 オレはうなだれたまま、スタスタと寝室まで歩いた。

 そして深い眠りについた。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・



『すべてを捨てて、夢中でやった最後のゲーム』   第二部 完







いつも感想ありがとうございます。何よりもありがたいです。

書き溜めのため、5,6日お休みとなります。第三部は少し明るい話にしようかと考えています。次回『戦う場所もなく、愛されることもなく』です。

よろしくお願いします。

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