レオンズ・ブートキャンプ
☆☆☆
オレはコンビニのカゴに、おにぎりやお菓子をポイポイと投げ入れていた。
足早にレジまで持っていくと、話し好きのおばさんはおらず、代わりに若い茶髪の女が少し退屈そうにレジに立っていた。女はカゴを受け取りバーコードをとおし始める。
「今日は店長さん、お休みですか」
「……今日は夕方からです」
オレは自分のバイトを決めた時の事を思い出し、お礼を言いたかったが、うまく言える訳がなかった。
カシューナッツをカゴから取り出した茶髪の女が、ふと手を止めた。
「あの、以前にどこか別の場所で、お会いしたことがありましたっけ……」
「……ん、オレも少しそんな気がしてたんだけど、たぶんないと思う」
女は微かに笑い、小さく頷いた。
オレはパンパンに膨らんだレジ袋と、お釣りの十円玉を受け取った。
「じゃあ、また」
「はい……ありがとうございました」
少し浮かれながら、アパートまで足取り軽く歩いた。
オートロックを開けて廊下に入ると、掲示板に目を引く赤枠の紙が貼ってあった。
「注意! 最近この地区で空き巣の被害が多発しています。外出時はもちろん、家にいる時も油断せずドアや窓のカギを閉めましょう」
オレは適当に貼り紙を読み飛ばし、家に帰った。
――――――――――――――――――――
オレは大きな布の袋をサンタクロースのように肩にかけて、石版に触れた。
亡者の群れを思い浮かべながら、ドライフォレスト・商業地区にワープする。
体が移動するとすぐに袋を投げ捨て、左手で目を擦り、右手を滅茶苦茶に振り回した。
視界の光が収まると亡者は一匹もいなかった。
商店街の方に目を凝らしたが、そちらにも一匹もいない。
城壁の方に振り返ると、茶髪の兵隊さんが片膝を立てて、城壁の上に座っていた。
オレは十歩ほど近寄り、大声で言った。
「さっきはありがとう。無事で良かった」
それを聞いた茶髪の女は、グレートヘルムの目のあたりに左手を擦りつけ、右手を振り回した。
そして、おそらくグレートヘルムの中でからかうように笑った。
オレはニヤリと笑い、手を振ってから石碑まで戻った。
投げ捨てた大きな袋の口を開き、中身を確認する。
袋の中には一週間分の食糧と水、一枚の毛布、そしてありったけのアロエとダイヤモンドナッツがゴチャゴチャに入っていた。
袋の口をシッカリと締め直して、石碑の横に置いた。
そして人気のない商店街に足を踏み入れた。
オレは石畳をコツコツと鳴らしながら、考えをまとめていた。
ゴブリンマラソンのおかげで新たにわかった事の一つに、同じバトルフィールドを往復し続けていると通常モンスターが湧かなくなる、というのがあった。
最初の一往復目で配置されているゴブリンを狩った後は、おそらく麦畑のどこかでポツポツと新しいゴブリンが湧いているようだった。そのまま五往復ぐらいしていくと徐々に湧きが減っていき、やがて一匹もいなくなってしまうのだ。
訓練を続けたい時は、家までとんぼ返りをしてゴブリンを再配置させなければならなかった。
この事は、今まではマイナスの要素でしかなかった。
商店街を右に曲がり、大通りを見た。
さっきと同じように千人の亡者の群れが蠢いていた。
特に、大通りの半分ほど進んだ地点には亡者が集中し、イベント会場のように肉の壁が躍動していた。
ゴブリン警備兵と同じ法則がこいつらにも当てはまるかどうかはわからないが、他に方法が思いつかない以上、やってみるしかない。
家に帰らず、敵対的な亡者を狩り続けていけば、いつかは平和な歩行者天国になってくれるはずだ。
早速、襲い掛かってきた亡者を、鋼の爪で返り討ちにした。
一匹一匹の弱さが大きな救いである。
オレは順調に亡者を狩っていった。
必ず相手が先に攻撃するのを確認してから、こちらが攻撃する。
十五匹ほど消滅させたところで、一息つくために石碑まで戻る事にした。
亡者とはいえ人間型のモンスターを殺すのは、精神的な負担が想像よりも大きかった。
石碑まで戻ると、茶髪の女兵隊が暇そうに足をぶらぶらとさせていた。
女の影が細長く伸び、まるで地面に棲む首長竜のようにゆらゆらと動いていた。
オレは少し休憩してから、再び大通りに出陣した。
亡者十匹を一セットとして、三セット消滅させた頃に日が完全に落ちた。
石碑まで帰陣したオレは、引っ張り出した毛布に身を包み、温かいベッドやアポロの事を考えながら、浅い眠りについた。
二日目
午前中に亡者10×3セットを狩り、午後に10×4セットを消滅させた。
午後の最後のセットを消化している時に、敵亡者の数が減っているように感じたので、奥に進んでみた。作戦は成功だったのかもしれない。
茶髪の女は午前中は姿を見せなかったが、オレが昼飯を食っていると、あくびをしながらプラプラとやって来て定位置に腰を掛けた。試しに、カットしたパイメロンを城壁まで近づき放り投げてやると、女はグレートヘルムを外してパイメロンを食べた。美味そうに食べていた癖に、特にお礼などは言われなかった。
三日目
今日は大通り全体の5分の2ぐらいの地帯まで進み、そこで亡者を殺していった。
なんだか亡者が少し強くなってきていて、思ったように殺せなくてがっかりした。
相手が攻撃してくるまで待っていなければならないので、時間ばかりがやたらとかかる。
今日の成果は60人ぐらいだった。
暗くなってからキャンプに戻ると、石碑の周りに薪がパラパラと転がっていた。
女がオレの為に投げてくれたようだった。
ただ火をつける物が何もなかったので、暗い中、城壁まで歩いていくとすでに女の姿はなかった。
仕方がないので薪を枕がわりにして寝た。家が恋しい。
四日目
美人の女亡者がハンドバックの中に手を入れた。
女亡者はアイスピックを取り出して、オレの右腕に突き刺した。
それを確認してから、女亡者の頭蓋骨をグチャリと潰した。
子供の亡者、3人がナイフを腰だめに構えて突進してくる。
さすがにためらったオレは一時、撤退をすることにした。
昼飯の用意をしていると、茶髪の女が城壁の上にやってきた。
オレは城壁のそばまで歩いていき、まず薪の礼を言ってから何か火をおこす道具はないかと聞いた。
女は忘れてた!という素振りをみせてから、マッチの箱を投げ落としてくれた。
名前を聞くと何故か教えてくれなかったので「じゃあ、とりあえずマキって呼ばせてもらうからな」と厚かましく言うと、マキはご自由にどうぞと言う風に首をかしげた。
今日の成果50人
五日目
食糧が減ってきたので、ダイヤモンドナッツを口に含みながら亡者たちと戦う。
今日、とてもいい戦法を思いついた。
鎧を着て鉄の棒を持った、警察官のような亡者がちょこちょこといるのだが、この警官亡者は敵ではないと推測できる唯一の亡者だった。
オレはこの警官亡者の背中にピッタリと貼り付きながら、他の亡者たちと戦った。
警官亡者はかなりイライラした顔でオレを睨んできたが、やはり攻撃してくる事はなかった。
背中を預けられる相手がいるというのは、とてもありがたい。
お昼に第2城壁沿いをウロチョロしていると、低い繁みの中に小さな井戸があるのを発見した。
汲み上げてみると、かなり生臭かったが水があった。
大喜びしたオレはすぐに裸になって、冷たい水をバシャバシャと浴びた。
服を着てキャンプに戻ると、マキが城壁の上から醒めた眼でオレを見ていた。
今日の成果60匹。
六日目
ついに大通りの5分の3の地帯まで進む事が出来た。
商店街からそこまで歩く間は、ほとんど亡者に攻撃されなくなってきた。
しかし、一匹一匹の亡者の強さが上がり始めていた。
鎧を着ている者が増え、斧や鎖鎌を持っている者もいた。
どこかからナイフが飛んできて、オレの肩に刺さった。2本目のナイフは爪で弾き飛ばしたが、誰が投げてきたのかわからない。剣を振ってきた子供の亡者の首をへし折ってから、振り向くと、大男が鉈を振り上げていた。
大男の顔めがけて打ったパンチを、オレはスレスレの所でなんとか止めた。
大男は逆の手に持っていた丸い果物に鉈を振り下ろし、真っ二つに割れた果物を食べ始めた。
壁がわりにしていた警官亡者が、残念そうにオレをチラリと見る。
数百の亡者に囲まれているオレの全身から汗が吹き出し、両腕がブルブルと震えた。
もし一般市民の亡者を殺してしまったら、今度は絶対に助からないだろう。
完全に腕が縮こまってしまい、今日の成果は30匹にとどかなかった。
アロエもだいぶ減ってきた。
七日目
火をおこして作った、フォレス麦のお粥もどきを昼飯に食べていた。
その温かさとフォレス麦の懐かしい匂いが全身に沁み渡る。
いつものように社長出勤してきたマキが城壁の上に腰を下ろす。
マキが見守っていてくれる事が、オレの精神に大きな安定をもたらしていた。
オレは城壁に近寄り、ダイヤモンドナッツをマキに向かって一粒投げた。
マキはグレートヘルム外し、ナッツをしばらく眺めた後で口に放り込んだ。
ダイヤモンドナッツをひと噛みしたマキは、ビクッと体を震わせた。
頬に手を当てながらオレを見る。
オレはニヤニヤしながら「それは舐めるもんだから、噛んじゃダメだぞ」と言った。
後ろを向き石碑に向かって歩いていると、後頭部にコツンと何かがぶつかった。
ひりひりする頭を擦りながら地面に目を向けると、一枚の銅貨が転がっていた。
銅貨を拾い上げて城壁を見上げると、マキの姿はすでになかった。おふざけが過ぎたかもしれない、明日、謝ろう。
今日の成果、30匹。亡者は敵と判明したあとでも、簡単には倒せなくなっていた。
石碑を使えば一瞬で温かい家に帰ることができる。別にあわてて大通りを突破する必要がある訳ではないのだから。
八日目
井戸の水で顔をバシャバシャ洗っていると、バケツの水面に別人のようになった自分の顔が映っていた。オレは水に映った自分に叱咤激励をした。
「これはもう遊びじゃないんだ……ゆっくりでもいいから続けるんだ、オレなら出来るはずだ」
キャンプに戻ると、ヘルムを外していたマキが心配そうな眼でオレを見ていた。
肉体的にも精神的にも限界が近かった。
オレは明日、勝負をかける事にした。
九日目、最終日
オレは残っていた食料を全部使って、豪勢なお昼ご飯を2人分作った。
いつもより早くやってきたマキに向けて、ランドセルに引っかけていた投げ縄を投げた。
マキは投げ縄を掴んだまま、しばらくオレを見ていた。
仕方ないわね、という素振りをみせてから、縄を城壁の凸部分に引っかけて下に降りてきた。
オレは、マキをキャンプまでエスコートして、地面に敷いた毛布の上に座らせた。
マキはグレートヘルムを外して、茶色の髪を掻き揚げた。マキの顔は地味ではあるけど、オレにとっては何よりも愛おしく見えた。
ガロモロコシとフォレス麦を材料にして作ったピラフのような物と、井戸水で冷やしたパイメロン。たいした物ではなかったが、今のオレに用意できる精一杯だった。
マキは美味しそうに全部食べてくれた。
この後、死んでしまう可能性も少しはあるので、マキを押し倒してしまおうかと少しは思ったが、オレはそういう性格ではなかった。
マキは投げ縄を登る前に、グレートヘルムをオレの頭に被せた。
オレは城壁を見上げて、じゃあまたとだけ言い、大通りに向かった。
オレは警官亡者の背中にピッタリと貼り付き、大通りの真ん中まで進んでいた。
真ん中にある肉壁の一部分を、二日かけてだいぶ削っていた。
警官亡者はうまい事、そこに進んでいく。亡者の壁が警官に遠慮してわずかに割れた。
オレはその隙間に体をねじ込んだ。
そして亡者の群れをかき分けて前進していく。
ドカドカと攻撃をされ続けていたが、あらかじめ口に含んでいたアロエを飲み込んで耐え忍ぶ。
群衆が薄くなり、オレの体がスルリと抜けた。
足に力を込めて走り出す。
亡者たちが、オレのハードレザーアーマーの肩や胸当てを掴み、引き千切っていく。
前方にいた亡者が魔法を唱え、ボーリングの球のような鉄球を飛ばしてきた。
頭にガチンと当たり、グレートヘルムを吹き飛ばした。
もう訳がわからなくなったオレは、ただただ前に向かって進んだ。
ふと気が付くと、石畳の色が変わっていた。後ろを振り向くと、あきらめた亡者の群れがすごすごと引き返していた。
オレは当然あるべき石碑を探したが、石碑はどこにも見当たらなかった。
……なんでねーんだよ、ふざけんな、ふざけんなよ
オレは石畳にへたり込んだ。へたり込んだオレの耳に遠くから地鳴りのような歓声が聞こえてきた。