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音楽隊

 ☆☆☆


 オレは繁華街をゾンビのようにさまよい歩いていた。


 部屋に籠っている時とは桁違いの圧倒的な情報量に、頭の処理が追いつかずクラクラする。

 真っ暗な部屋で画質の荒いホームビデオを見ているかのように、目の前の光景にまるで現実感がない。色とりどりの服を着た人間の群れが、フレームの端から無限に現われては数秒後には消えていった。

 音が混じりあい、うねりとなって耳に流れ込んでくるが何一つ認識出来ない。


 ピンク色のワンピースに身を包んだ若い女が、正面から歩いてくる。

 オレとのすれ違いざま、ワンピースの女はハンドバックに片方の手を素早く入れた。

 オレは反射的に手を伸ばし、女の手首をがっちりと掴んだ。


「え?」


 女が凍りついたように身を固め、恐怖で目を見開く。


「……あ」


 ハンドバックの中で、女の手が携帯電話を持っているのが見えた。

 それを見たオレは、あわてて手を離した。

 女は震えながら後ずさり、悲鳴を上げるべきかどうか探るようにこっちを見ていた。

 異変を察知した通行人たちが、パラパラと足を止め始める。


 オレは目をつぶり、深々と頭を下げた。


「すっ、すいません、知り合いと勘違いしてしまって、本当にすいません、すいません」


 何度も頭を下げ続けていると、女が了承したように微かに頷いた。

 オレはもう一度謝ってから、駅に向かって全速力で逃げた。


 ――――――――――――――――――――




「いっくぞー」


 昼飯を食べ終えたオレは、ハービーとキャッチボールをして遊んでいた。

 フォレス麦の藁を固く丸めて作ったボールを、ハービーに向かって全力で投げる。

 ハービーは豆だらけの巨大な手でボールをキャッチし、緩い球をオレに投げ返した。


 右手でキャッチしたオレは2本の指でボールを挟み、捻りを加えつつ投げた。

 ハービーの10メートルほど横に逸れてしまったボールは、突如発生した風に吹かれ、物凄い急カーブをみせてハービーの手にきっちりと収まった。


 投石の練習を兼ねた妄想キャッチボールを楽しんでいると、監視塔の警鐘が静かに一度だけ鳴った。


「おっ、来たか」


 オレは城門をあけ、グラックスの牛車を迎え入れる。


「こんにちは、レオン様」

「おう、ご苦労様」


 みんなで荷物の積み替えを済ませた後、用意していた飲み物をグラックスに差し出した。


「どうだい調子は?」

「ええ、順調です。また少し住人が増えました」

「そうか。そういえば、もうすぐベンの誕生日だったな……何かやるのかな?」

「はい。ベン様の国では節目となる年齢に成られるので、帝国の方を何人かお招きしてパーティーを開く予定です。レオン様にも招待状を送らさせていただきます」

「そうか! じゃあ何かプレゼントを考えなきゃならんな」


 グラックスは微笑して頭を下げた。そして腰につけているポーチから小さな缶を取り出した。


「これは吸血ハッカをすり潰して作った軟膏です。帝国経由で入手したのでレオン様にお渡しするようにと、ベン様から仰せつかっております」

「おお、ありがとう。試してみるよ……高価な物じゃなければいいが」


 グラックスが珍しく声を出して笑った。


「ベン様がおっしゃったのですが、もしレオン様が値段を気にされた場合は引き換えにプラチナ鉱石の種を貰ってくるようにと……もちろん冗談ですが」


 グラックスは飲み物の礼を言い、牛車に乗って帰っていった。



 オレは家に入り、さっそく吸血ハッカの軟膏を左手首に塗ってみた。スースーして気持ち良くはあったが、治る気配はなかった。


 左手首が麻痺して以来、市場にある治療院、教会、回復アイテム屋などを散々回ったが、左手首を診た誰もが首を横に振った。

 時間の経過と共に少しづつ麻痺している範囲が狭まっていたが、このペースではとても待ってはいられない。


 吸血ハッカを再度塗り込みしばらく待ってみたが、やはり効果はなかった。

 ぼんやりと左手首を眺めながら考え込んでいると、一つ思いついた事があった。

 吸血ハッカの爽やかな刺激臭が、頭の血の巡りを良くしてくれたのかもしれない。

 オレは、ハービーとアポロにちょっと出かける事を伝えてから、石版に触れた。



 久しぶりに、はじまりの庭にワープした。

 春の訪れと共に庭の草花はいっそう咲き誇り、はじまりの庭全体を甘い匂いで包んでいた。

 優しい太陽の光が、煉瓦に描かれた剣士たちを加護するかのように照らしている。


 オレは小さな屋根付のベンチがある場所まで歩いて行った。

 前にここで一度会った事のある美形の男性――――セムルスの姿を探した。

 セムルスならば怪我について何か知っているかもしれないと思い、来てみたのだが、彼はいないようだった。


 セムルスがいなかったのでオレはがっくりと肩を落とした。

 本当は怪我の事などどうでもよくて、ただ彼に会いたかっただけなのかもしれない。

 あきらめて石碑に向って歩き始めると、どこかから声をかけられた。


「レオン……こっちですよ」


 声の持ち主を探してキョロキョロしていると、向こう側の花壇の傍で人が立ち上がった。

 セムルスだった。


 オレは花壇の方に小走りで駆け寄った。

 セムルスは蒼い民族衣装を身に纏い、一つに束ねられた黒い髪を肩に垂らしていた。

 花壇に近づくと、セムルスは再びしゃがみ込んでおり、手に持っていた小さなシャベルをセンサーのように土にかざしていた。


「ちょっと待っていて下さいね…………フンッ」


 セムルスは綺麗な紫色の花のすぐそばに、シャベルを突き刺した。そして一塊の土を掘り返した。

 セムルスは立ち上がりながらシャベルを揺らし、土をふるい落としていく。


「フフッ、花壇に咲いている紫の花はコスモナウロスという私の一番好きな花です。この花はとても美しいのですが、愚かな虫を呼び寄せてしまいます」


 小さなシャベルの上の土の隙間から、白い幼虫がウネウネと姿を見せた。

 セムルスはカブト虫を捕まえた少年のように、目をキラキラさせている。


「この愚かな虫は、放って置くといつまででも土の中に潜み続け、花の養分をチマチマと吸い続けます。それは花にとっては勿論、虫にとってもいい事ではありません」


 セムルスは白い幼虫を地面に放り投げ、靴の裏でグシャリと潰した。

 ギョッとしてセムルスの顔を見ると、セムルスは小さくウインクをして地面の幼虫を指差した。

 オレは恐る恐る潰れた幼虫を見た。

 すると幼虫の死骸の中で何かが動いている。幼虫の外皮は卵の殻のようになっており、その中から別の生き物が顔を出した。


 その生き物は不安そうに新しい世界を見回し、ゆっくりと羽を広げた。

 息を飲むほどに美しい紫色の羽が、陽光に乾かされていく。

 やがて、紫の羽を持った蝶は覚悟を決めた様に羽ばたき、太陽に向かって舞い上がっていった。


「フフッ、綺麗でしょう? 土の中にいる時間が長いほど、より深い紫色になります。ただ外の世界は危険に満ち溢れていますから、多くの蝶は土の中で生をまっとうするよりも早く死んでしまうでしょうね」


 セムルスとオレは手をかざしながら太陽を見上げた。


「あの蝶がどっちを望んでいるのか、本当はわかりません。まあ、こうした方がいいと私は思っているので、わざわざこんな面倒な事をしているのですけれど」


 セムルスはスコップを小さく振ってニコリと笑った。


「さて……お待たせいたしました。アフロの勇者さんは随分ひどい怪我をしているようですね」

「え? あっ、はい、いろいろ試してみたんですがなおら――――ちょ、いっ、い……」


 セムルスが突然オレの左手首をがっしりと掴んだ。そのままギリギリと締め付けてくる。

 激痛に耐えられなくなったオレが手を振りほどこうとした瞬間に、セムルスが手を離した。


「な……なにを……あれ?」


 左手首の麻痺がすっかり治っていた。

 試しにグルグル回してみたが完全に治っている。


「ごめんなさい、勇者さん。こういうのは歯を抜くのと同じ要領でやってしまった方が、楽ですからね?」

「はっ、はい、ありがとうございました。本当に助かりました」

「フフッ、今回はそれほど酷くなかったので治せましたが、次も治るとは限りませんよ」


 もう一度、お礼を言おうとすると、屋敷の方から低い鐘の音が聞こえてきた。


「さて、私は用事が出来てしまいました。それではまた」


 セムルスは最後に微笑んでから、屋敷に去って行った。





 家に戻ると、フラニーがソファーで帳簿をつけており、アポロがそれを邪魔していた。


 フラニーが、オレに微笑みかけようとしたが途中で止め、真顔になった。

 帳簿の角に咬みついていたアポロがオレの顔を見て、ソファーから飛び降りる。

 再び戦いの時間が来た事を知ったアポロが、わずかに牙を剥き出す。

 オレは黙ったまま監視塔まで歩いて行き、伝声管に口を当てた。


「……ばあさん、怪我が治ったよ」

「……そうでございますか」

「ああ、行ってくる」

「お気を付けて」


 家に向かって歩いているとバシュッという音がした。

 振り返って見上げると、エリンばあさんが空に向けて矢を撃ち込んでいた。

 撃ち上げられた矢は放物線を描きつつ落下して、おそ松の角に矢尻をかすめた。

 まるで火打石を打ち合わせたように火花が走った。


 オレはニヤリと笑い、家に入る。

 そしてアポロを抱え上げて石碑に触れ『ドライフォレスト・商業地区』にワープした。




 光が収まるのを待つ。


 石畳の上にアポロを降ろし、40メートルほど後ろにある第二城壁を振り返った。

 傾き始めた太陽を背にして、小柄な弓兵が一人ぽつんと座っていた。

 こちら側を向いて城壁の角に座り、足をぶらぶらとさせていた。

 すっぽり被ったグレートヘルムの下から、茶色い髪の毛がチラチラと揺れている。

 オレが笑いかけて手を挙げると、肩に乗せていた弓を少しだけ持ち上げ、クールに振ってみせた。


 オレはバトルフィールドの進行方向に向き直り、ゆっくりと歩き始めた。

 道の両脇に隙間なく低い建物が建ち並ぶ、誰もいない石畳を進んでいく。

 建物の一つに手をかけてみるがドアは閉まっていた。


 人気のないシャッター商店街のような道を慎重に歩いていくと、すぐに突き当たってしまった。

 右側だけに曲がり道が続いていたので、そちらに体を向けたオレは、目に飛び込んできたあまりの光景に、はっと息を飲んだ。アポロが毛を逆立てる。


 右に曲がった先は、いきなり6車線ぐらいの真っ直ぐな大通りになっていた。

 背伸びして見ると、大通りは2、300メートルは続いていた。

 そして休日の歩行者天国のように数百人――――いや、千人以上の亡者たちが大通り中を埋め尽くし、彷徨っていた。


 オレとアポロの前を、ぼろ布を着た一匹の亡者がユラユラと歩いている。ゾンビの様に体のあちこちが腐り、手には生きた鼠を持っていた。

 そのゾンビはオレの事など気が付きもしないようで、フラフラと彷徨っている。


 オレは、アポロをランドセルに入れてから、大通りの端に足を踏み入れた。


 千人を超えるゾンビたちの群れ。

 老若男女、丸裸の者から服や鎧を着た者まで、ひと通り揃っていた。

 一見すると普通の人間に見える者もいたが、良く見ると足が逆に曲がっていたり、内臓が剥き出しになっていたりと、どこかがおかしい。

 亡者達は虚ろな目で、目的もなく徘徊しているようだった。


 オレは緊張で汗を垂らしながら、亡者の群れの中を進んでいった。

 ほとんどの亡者はオレに目もくれず通り過ぎて行ったが、一匹の亡者がオレに拳を振ってきた。

 身を捻って躱してから、その亡者を一撃で消滅させた。周囲を鋭く見回すが、他の亡者達は何事もなかったように歩いている。


 千人全部が敵という訳ではなさそうだった。

 その後も数人の亡者が攻撃してきたが、簡単に消滅させていく。

 ワンピースのような服を着た女亡者がオレとのすれ違いざまに、肩にぶら下げていたバックに手を突っ込んだ。

 オレは素早く女亡者の手首を掴み、鋼の爪を女の心臓に突き刺した。

 女亡者がびっくりしたようにオレを見つめ、口から血を噴き出す。

 バックに入っていた手には死んだ鼠が握られており、痙攣した手から鼠がボトリと地面に落ちた。


 10メートルほど先にいた鎧を着た亡者が振り返り、オレを見た。

 その亡者の手には鉄の棒が握られていた。鎧亡者は懐から笛を取り出し、ピーと強く吹いた。


 ……その瞬間。


 周りにいた数百人の亡者達が一斉にオレを見た。

 そして敵意をむき出しにして、襲い掛かってきた。


 オレはあわてて逃げだした。ラグビー選手のように、亡者を突き飛ばし、走る。

 大通りに深入りしていなかったおかげで、なんとか商店街の方に転がり込んだ。

 しかし亡者達は大通りを越えて商店街の中まで、オレを追いかけてくる。

 追いすがってくる亡者を裏拳で引きはがしつつ、石畳を駆け抜ける。


 石碑が見えてきた時、一匹の亡者がオレの腰に抱きついた。

 飴玉に群がる蟻のように亡者たちが圧し掛かってくる。

 爪をむちゃくちゃに振り回すが、とても振りほどけない。

 アポロだけでも逃がそうかと考え始めた時、オレの頭を矢がかすめ、肩に咬みついていた亡者の首に突き刺さった。続けて二本、三本と矢が飛んでくる。

 首をあげると、茶髪の弓兵が城壁の上から弓を速射していた。


 亡者の圧力がわずかに軽くなった一瞬の隙に、なんとか身をすり抜けさせた。

 そして石碑まで一気に走り、家にワープした。




 家に帰りついたオレは、まずランドセルからアポロ出して無事を確認した。

 気を落ち着かせるまで数分かかる。


 ……あそこはちょっとやそっとじゃ突破できないな、しばらくは無理か。


 家から出ると、畑にハービーがいた。

 ハービーは何かに思いをぶつけるかのように、一心不乱にシャドーボクシングをしていた。

 オレが近づくと、ハービーはシャドーボクシングをやめ、感情のない目でオレを見た。


 オレはハービーの背中に回り、籠の蓋をパカンと開けた。

 フラニーが、籠の中で立ち上がった。


 オレはアポロを抱きかかえ匂いをひと嗅ぎしてから、フラニーの肩にアポロを乗せた。


「いままでの敵とはちょっとタイプが違うようでな、オレ一人で行くからアポロを頼む。たぶん数日は帰らないだろうから丘を頼むぞ」


 監視塔のばあさんにも同じ事を伝えてから、家に向かって歩いた。

 視線を感じて畑を振り返ると、ハービーがオレを見ていた。

 そしてハービーの肩からフラニーがオレをじっと見つめ、フラニーの肩の上でアポロがオレを見ていた。


 ……フッ、ブレーメンの音楽隊かよ、お前ら。


「行ってくる」


 オレは音楽隊に見送られ、戦場に戻った。





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