市場
――――数時間前
ベッドでしばらく眠っていたアポロは、すっかり元気になっていた。
その時オレは工作台で悪戦苦闘していた。
アポロは退屈だったのか部屋の隅に放り投げてあった、皮のランドセルで遊び始めた。
工作をあきらめたオレが振り向くと、アポロがランドセルの中でくつろいでいた。
「そんなとこ入っちゃだめだよー」アポロを抱えてランドセルから出したが、何度出してもすぐにランドセルに戻ってしまう。
「もう、そんなに気に入ったんならランドセルはアポロにやるよ」
しばらくしてオレはバトルフィールドに一人で行く準備をしていた。
するとアポロも一緒に行きたがった。
「一人で行かなきゃ修行にならないじゃないか、それにたぶんまだ雨降ってるよー」
アポロは寂しそうな顔をする。オレはランドセルとアポロを交互に見比べた。
試しにアポロをランドセルに入れ、畑に出てしばらく剣を振ったりローリングをしてみる。
ランドセルの蓋を開けると、アポロは大丈夫そうだった。
というより何故か満足げな顔をしていた。
……そんなにランドセルが好きならまあいいか。
――――
第一城門がギシギシと音をたてて開く。
オレは城門をくぐり、石畳の広場に足を踏み入れた。
門を入ってすぐの所に最初にあったのと同じ石碑が置いてあった。
広場はかなりの大きさで向こう側に、二番目の城壁と城門が見える。
目をじっと凝らして眺めると。
ゴブリン騎乗兵×2 ゴブリン警備兵×5
城壁の上に亡者の弓兵が3体いた。
それだけ確認したオレは石碑に触れ、自分の小屋に戻った。
小屋に戻ったオレは、いやがるアポロを念入りにタオルで拭いた。
一息入れた後、水晶玉を覗いて見るとベントールからメッセージがきていた。
「黄金長イモが無事収穫できました。市場も再開したので売りに行こうと思います。良ければご一緒しませんか?正午に入口の前でしばらく待っているので、もしこれそうなら来て下さい。ベントールより」
嬉しいお誘いだった。
時間も丁度いいので収穫袋と、念のためランドセルを背負い石版に触れた。
確かに市場が開放されていたので、アポロを抱きかかえてワープした。
眩しい光が収まると、繁華街の交差点のようにたくさんの人で賑わっていた。
市場の入口付近の広場のようだ。
舗装されている地面にアポロを降ろし、辺りを見回した。
どれが人間プレイヤーでどれがそうでないのか、いまいち良く分からない。脇目も振らずどこかに向かって走っていく人が何人かいるが、たぶん他プレイヤーだろう。
はやくもいい匂いが漂ってきて、お腹がギュルリと鳴る。
「レオンさーん、こっちでーす」
人ごみの中から、一際目立つ男に声をかけられた。
太目の体、裏表のなさそうな温和な笑顔に貴族の服。ベントールだ。
オレはベンのもとに駆け寄り、まずは丁重な礼を交わし合う。
「お誘いありがとうございます。自分も丁度売りたい物がありました」
「それは良かったです。レオンは市場は初めてですよね? まず両替してから、軽くなにか食べませんか」
オレは同意して、馴れた様子のベンについていく。
両替屋でマナの一部を金貨と小銭に両替する。石版を持っていないキャラとの取引にはコインが必要ならしい。
たくさんの店や屋台が立ち並び、威勢のいい声が響きわたっている。全部を見て回ろううと思ったら丸一日はかかりそうだ。
「ここでいいですか?」
お洒落なオープンカフェのような店にベンと入り、腰を落ち着かせた。
サンドイッチを食べながらお互いの近況を語り合う。
オレが幸運のカブの異常成長と収穫に成功した顛末を話すと、ベンは自分の事のように喜んでくれた。
ベンは周囲をチラリと警戒した後、紫の小袋の中をオレに見せてくれた。
小指ほどの大きさの黄金が何個か入っている。
昔見た映画の、黒人清掃夫のセリフを思い出した。「あいつが持っている物の半分でも俺が持っていたら、俺は毎日裸で踊り狂うね」
カフェの店員がお茶のおかわりを注いでくれる。
ベンの着ている貴族の服には、なにかのパッシブ効果があるようで、店員がオレ達だけに非常に礼儀正しい。
食事を済ませると、ベンはバザーに案内してくれた。
「デパートやカジノに案内するつもりでしたが、そういう事ならまずはバザーがいいでしょうね」
真ん中に噴水がある大きな広場に、たくさんの人が敷物を敷いて商品を並べている。
「ここでは商品を売り買いできるのです。えーと空いてる場所はと……」
ベンは空いている一角を見つけて歩き出す。
「幸運のカブを売るならバザーが一番いいと思いますよ。この敷物を使ってください」
ベンはそう言うと、サッサと敷物を広げ四隅に石ころを置いた。そして売り買いの方法や幸運のカブの大体の相場を教えてくれた。
「私は別の場所で黄金長イモを売ってきますね。たぶんすぐ済むと思うので、又ここに戻ってきます」
ベンは笑顔でそう言い残すと雑踏の中に大股で消えていった。
いきなり一人取り残されたオレはしばし呆然とする。
アポロは疲れたのか敷物のど真ん中で寝てしまった。
ふと横を見ると、農夫風のガッシリとしたおじさんが開店の準備をしていた。
いちいち大袈裟な動きで、敷物を敷き石を置き、収穫袋に日焼けした太い腕を突っ込んだ。
そして収穫袋から「にゅ」と大きなカボチャを取り出した。
化け物サイズの大きなカボチャである。オレのカブとほぼ同じぐらいの大きさはあった。
……隣であんな物を先に出されると、なんだかカブを出しづらくなってしまったなあ。
だがこっちだって生活と、女弓兵がかかっているのだ。遠慮する事はない。
ど真ん中で偉そうに眠るアポロをそっと脇にどけて、収穫袋から幸運のカブを取り出した。
ドーンと派手な音がして大きなカブが敷物の真ん中におさまる。
チラリと横を見ると農夫のおじさんが険しい顔でこっちをガン見している。
オレが板に値段を書きつけると、露骨に覗き込んできた。
なんかやりにくいな。
巨大野菜の品評会の様になってしまったオレと農夫の周りに、人々がざわざわと集まり始めた。
群衆は嬉しそうにカブとカボチャを見比べ、値段や味についてあれこれ議論している。
賑わってくれるのは嬉しいが、高額な為か買おうという人がなかなか現われない。
農夫のおじさんの方をなるべく見ないようにして待っていると、いかにも料理長といった風貌の男がずいっと前に進み出た。
そしてオレのカブと農夫のカボチャをじっくりと見比べる。
しばらく見定めていたが、やがてオレの幸運のカブの前に屈み込み「触ってもかまわんかね?」と尋ねてきた。
オレが頷こうとすると、隣の方から盛大な咳払いが聞こえてきた。
「んっんんんーーーうおっほん」
オレと料理長が同時にそちらを見ると、正面に向けられていたはずのカボチャの値札が、何故かこっち向きに変わっていた。元の値段に棒線が引かれ、かなり値下げされた数字が新たに書き加えられている。
料理長はスッと立ち上がり、つかつかとカボチャの方に歩いて行った。
それを見ていた野次馬たちがドッと沸く。
……あのヤロー。
オレは頭に血が昇るのを感じた。
だがやっとの思いで収穫した幸運のカブを安値で売り飛ばすような事はしたくない。
別に生活費に困っているわけではないのだから、あわてて売る必要はないのだ。
しかしこのカブが売れさえすれば女弓兵・監視塔付を買うことができる。
オレは無意識のうちに女弓兵の値段や、しばらくの生活費などを頭の中で計算し始めていた。
値を下げようと板に手を伸ばしかけた時、大きな声が響いた。
「やあ、これは珍しい、幸運のカブではないか」
声のした方を振り向くと、恰幅の豊かな貴族――――ベントールだった。
ベンは大きな声で喋り続ける。
「いや、私も色んな物を見てきたが、こんなに大きな幸運のカブは初めて見ましたよ。以前これを食べた時は味もさることながら、その後の日々が幸運続きだった記憶がありますな。収穫するのはさぞ大変だったでしょう」
ベントールにせがまれたオレは、先ほどベントールに話したのと同じ話をかいつまんで話した。
料理長を含めた野次馬全員が聞き耳を立てている。
野次馬の一人が、死んだように眠るアポロを指差し「オイ、あの猫見ろよ、フレイムキャットじゃないか、珍しい。今の話に出てきた猫か」と隣の連れにそう言う。
ベントールは紫の小袋を覗き込んでから、悲しい声を出した。
「あなたは生まれながらの幸運の持ち主のようだが、私は逆のようだ。少し前に大きな買い物してしまったせいで手持ちが少ないのです。物は相談ですが、明日なら2割増しの値段で買うので今日は手付金を払うというのは?」
ベンはそう言って数枚の金貨を取り出した。
すると料理長が早足でこっちに歩いてきた。
「貴族の方、申し訳ないが私の方が先に交渉していましてね」
料理長はオレの方を見た。
「私なら今の値段に少し色を付けた額で、すぐお支払できますがいかがか?」
ベンを見るとウインクしていた。
オレは料理長の気が変わらないうちにさっさと金貨を受け取り、バザーを後にした。
去り際にカボチャの農夫をチラリと見ると、プルプルと肩を震わせていた。
オレとベンは大爆笑しながら肩を並べて市場を見て回った。
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六畳一間のアパートで、オレはアーモンドチョコを食べながらゲームをしていた。
笑った拍子に、手が滑りチョコを落とす。床に落ちたチョコはころころと転がりテレビの後ろに入り込んでしまった。
オレは仕方なく腰を上げて、テレビの埃まみれの裏側に手を突っ込んだ。
チョコを探していると、なぜだか違和感があった。
そして、ゲームとネットを繋いでいるはずのLANケーブルのコネクタが抜け落ちていることに気が付いた。
あれ? 無意識のうちに手がぶつかってたか?
オレはしばらく考えた後、コネクタに溜まっていた埃を吹き飛ばし、しっかりと挿し直した。