第11話
天笠と久瀬は、研究所の建物に入ってから、別室でかなり長い間話し込んでいたが、そろそろ夕食の時間だと言うのになかなかダイニングに現れないため、璃空が代表して声をかけに行った。
「おふたりとも、とりあえず来ていただかないと、皆が飢え死にします」
天笠が使う資料が散乱したデスクの横で、そのひとつを眺めながら何やら真剣に話し合っていた2人が、同じようにこちらを向く。
「ああ、もうこんな時間か」
「おや、本当に。すまないね、璃空、もう行くよ」
と答えながら、また話を続けようとする2人に、パンッと手をたたいてこちらに注目させて言う璃空。
「父さんはしばらくこちらにいられるんだよな。だったら、話は食事のあとでもいいんじゃない? 皆、年長者に遠慮して、腹ぺこを我慢してるんだぜ。知ってるか?食い物の恨みは恐ろしいもんだってこと」
天笠は、普段はとても礼儀正しい璃空から、今まで聞いた事もないような砕けた言葉が飛び出すのを驚いて見やった。久瀬はと言うと、ははあ、と納得した顔で言う。
「説教璃空の復活だな。礼儀正しい小学生のお前がたまに見せる、偉そうな、でも正論の説教に、大人はだれでもタジタジだったよな」
「ああ、特に建設技術者と呼ばれる大人には、餓死させられそうになったからね。お陰で料理の腕はクラスで1番になれたよ」
「すまない。寝食を忘れるとは良く言ったものだ」
言いながら本当に楽しそうに笑う久瀬。
その後に繰り広げられる2人の会話から、仕事に没頭して璃空に食事を作るのを忘れている久瀬と、そんな父親に最初は遠慮しながら声をかけたが上の空、冷蔵庫はカラッポで、財布のありかもわからない。さすがに頭にきて父親に説教を始める小学生の璃空と、驚いて目を丸くしている久瀬の姿が目に浮かび、おもわず吹き出してしまう天笠だった。
きっとその後は、璃空が家計管理と料理の担当になり、どんどん料理の腕を上げたのだろう。
璃空の説教? のお陰で、誰も飢え死にすることなく和やかにそのあとの食事は終えることができたが、夕食のあとも、研究者ふたりはそのままテーブルで話を続けている。
他の者たちも、おのおのくつろいだ様子で時を過ごしていた。
そんな中、怜は、いつもなら豪快に食べて話して笑っているゼノスが、なぜかこの夕食に限りとても静かだったことに違和感を覚えていた。なので、今もテーブルからつかず離れずのあたりで落ち着かない様子を見せている彼に、すいっと寄ってみる。
「どーしたの?」
すると、何かに心を奪われていたのか、声をかけたとたんに飛び上がりそうになって驚くゼノスがいた。
「うわっ! なんだお前か」
「お前じゃないよ、怜だよ」
「あ?、ああそうか。何か用か、怜」
「どーしたの? って聞いてるの。なんだか今日は元気がないね」
するとゼノスは明らかに目を泳がせながら答える。
「えー? そんなわけあるはずないじゃないか。アーッハハハ! 」
いきなり大声で笑い出したゼノスに、回りのものは驚いてこちらを見る。それは、天笠たちも例外ではなかった。
「ゼノス? 」
呼びかける天笠に、「いや、何でもないです。こいつ、いや、怜がおかしな事言うもんで」と、大慌てで言うゼノス。
「えー? 俺、おかしな事言ってないよー」
反論する怜を引っ張って、ゼノスは食堂の外へ出た。
「いったーい、痛いよゼノス。ついてくからもう引っ張んないでよ~」
「あ、すまん」
怜の腕をつかんでいた手を離し、申し訳なさそうに頭を下げるゼノス。そんなゼノスをやっぱり変だ! と思って怜は話をする。
「本当に、いったいどうしたの? いつものゼノスじゃないね」
「いや、自分ではそんなつもりはないんだが、やっぱり…、な…。なん…」
次第に声が小さくなるゼノスの口元に耳を寄せて聞く怜。
「えー? なにー? 」
するとゼノスはまたスキンヘッドをかきむしり、少し声を上げて言い出した。
「あー、もう! 俺にだって訳がわからん! あいつ、いや、久瀬…さん、がリリアさまの…、いやいや璃空の父親だって事は、頭では解ってるんだ。わかってるんだが、…なんて言えばいいんだ、あいつの顔を見てると、リリアさまが、あいつの前では、俺には見せたことのないような優しい顔をしていたんだろうとか、変な事ばっかり考えてだな。なんか…この辺がもやもやするんだ」
と、胸のあたりをさする。
「ははあ~」
すると怜はちょっと可笑しそうに、嬉しそうに言い出した。
「ねえ、それってさー。ジェラシーじゃない? 」
「ジェラシー?」
「そ、嫉妬!」
「しししし、」
「し?」
「嫉妬だとー! ありえん! 俺に限って、そんな感情はあるはずがない!」
「なんでそんなに自信満々?」
怜がウィンクなどしてゼノスの目を覗き込むと、ゼノスはションボリとそれを外して床に目を落とす。そして、また胸のあたりに手をやる。
「これが、嫉妬? このもやもやしたのが…。なんとも嫌な気持ちだ。そんなもの、絶対に認めたくない」
「んー、そうだねー」
すると、今出て来たばかりの出入り口から、天笠が顔を覗かせた。
「ああ、ゼノス。ちょっといいかな?」
「博士! はい、大丈夫です」
てっきり仕事の話だと思って答えたゼノスは、彼のあとから出て来た人物にゲッと言う顔をした。それは、たった今話題にしていた久瀬だった。
「久瀬が、君のことを紹介してくれと言うものだから」
「俺を?」
不思議そうに怜と顔を見合わせて、久瀬が話し出すのをただ聞くしかないゼノス。
久瀬は、とても嬉しそうに、そしてなぜか懐かしそうにゼノスに声をかけた。
「貴方がゼノスさんですか? いや、いきなりでさぞ驚かれていると思いますが」
「は、はあ」
「じつは、リリアがよく貴方のことを話していたものですから、いったいどんな方だろうと思っていまして、お会いするのを楽しみにしていたんですよ」
「!」
この話には、怜がまず驚いて聞き出した。
「ええ?! でも、でも。指揮官のお母さんは自分の素性を絶対に明かさなかったんでしょう? なのになんで~?」
「ああ、それはもっともだね」
怜の疑問に答えるべく、久瀬はその頃のことを懐かしそうに話し出した。
「確かにリリアは、自分の故郷がどこかという事は、口が裂けても言わなかったよ。けれど、私、というより私の職場であるポリスの、特に戦闘チームに非常に興味があった彼女は、なにかと口実を見つけてはポリスにやって来るんだ。今日は何とかフェアだ、今日はなんだかの祭典だとかね。ある日体験で銃を撃った時には、本当に嬉しそうだったよ」
そこまで聞いていたゼノスが、「リリアさまが銃を。さぞお喜びに…」と言葉がつまる。
「ええ、狙撃の腕があまりにも良いものだから、ポリス幹部がぜひうちで働かないかと勧誘したくらいです。で、また同じ頃に半分遊びの拳法の手合わせ体験があって、リリアはそれも参加させてもらってね。なんと、次々と屈強なポリスの男たちを倒していったんです」
今度はゼノスは、なにを言っているんだという顔をして、勢い込んで言う。
「そんなこと、あたりまえじゃないか。リリアさまは王宮でも1、2を争う腕だったんだから!」
「ああ、そんなに…。で、手合わせがすんだあと、すごく不機嫌そうに言っていたんですよ。やっぱり私と互角に戦えるのはゼノスくらいねって」
「あ…」
リリアの口まねをして言う久瀬の顔をしばらく見つめて、その後ゼノスは手で顔を覆ってしまった。
「リリアさま…」
「その頃から、故郷がどこにあるかと言う事は決して言わないのに、ゼノスの話はたびたびしてくれてね。彼がどんなに優秀か、どれだけ信頼できるか。これは仮想の話だけど、とか言って、もし戦争になっても、彼になら安心して背中を任せられるとかね」
「……」
「あんまりゼノスのことを褒めちぎるから、あるときちょっとカチンときて、そんならゼノスのところへ行けば良いじゃないかと言ってしまったんだ。後悔しましたよ。その時リリアはもうクイーンシティには帰らないと、私と一緒になってくれると覚悟していたようだから」
「……」
「その後できっちりと謝って、嫉妬したと言う事も恥ずかしながらばらしました。会った事もない貴方に嫉妬してたんですよ、俺は。小さい男だと笑って下さい。けれど、もし会えるなら、貴方に会ってみたかった。リリアが心から信頼している人がどんな人なのか、確認したかったのです」
「……」
「会えて良かったです。思っていたとおり、男気にあふれる方だとお見受けしました。よろしければ、私の知らないリリアの事を、教えていただけませんか?」
そこまで顔を手で押さえてうつむいていたゼノスが、ガバッと起き上がると、涙に濡れた顔のままで久瀬の両腕をつかんで言った。
「あんたは、あんたはなんていい男なんだぁー。リリアさまが惚れちまったのもわかる。俺は、今さっき怜に言われた。あんたに嫉妬してるって。けど俺はその感情を認めようともしなかったんだぜぇ。俺の方がよっぽどちっせー男だよ」
すると久瀬は、ちょっと微笑んでうつむくと、ふるふると首を横に振り、自分をつかんでいたゼノスの手を外すと、しっかりとその手に自分から握手をしたのだった。それを握り返して嬉しそうな顔をするゼノス。
横で見ていた天笠と怜は、顔を見合わせると納得したようにうなずき、その場をあとにした。
あとはおふたりでごゆっくりー、などと、まるでお見合いのような言い回しで、ゼノスにゲンコツをくらわされそうになった怜が、食堂へ帰るとこっそりネレイに言った。
「なあーんかさ、あんなおじさんなのに、あのふたり可愛くて。男ってまったく、だよ~」
「なにそれ」
「タミーの口癖。よく言ってたんだよね。いつも何だろうと思ってたけど、今日のことでチョッピリわかった気がする」
「ふうん。怜も大人になったんだねえ」
「なんだよそれ~」
アハハ、と笑いあう2人。
こうして老いも若きもそれぞれの思いを抱えながら、その夜は更けていったのだった。