あ、久しぶり(えっと誰だっけ) 2
何というか、空だった。
全体的に青かった。全部が全部青いってわけじゃないけど。
入口に立ったときの感想だった。
一ヶ月前くらいに、・・・・えと、高島から連絡が来て、日付を見ると折悪く予定が空いていて、だから仕方なく彼の個展とやらに来てみたのであった。
で、初めの感想。
空ばっかりだった。
私は少し思うところがあって、む、と唇を尖らせた。ともあれ、ここまで来て帰っても仕方ないので一通り見てくることにする。私は一歩、フロアへ足を踏み入れた。
少し入るとわかったが、どうやら入口から順に描かれている時間帯が変わっているらしい。一通り入口から見渡してみると、壁の一切無いフロアで、上下を貫く数本の柱にも絵があったが、そこの絵だけは空ではなかった。
まあ、九割方が空の絵。
入ってすぐの空の絵は一面空しか描かれていなかった。 雲の位置や陽光の具合が多少違うだけで、後は全くただの空。ある意味でかなり難しいとも言えるけど・・・・思った以上に、これは。
奥へ行くほどに視点も下がり、時間も経過しているようだ。こうして見ると、全て違う場所で描いているらしい。
一番奥には、夜の絵。夜空の絵は、この一枚だけだった。
・・・・・・・・。
これはどうしたものかな。
ちょっと立ち止まって考えてみる。
「おお!佐崎、ほんとに来てくれたんだ!」
場にふさわしくない大声を上げて、誰かが私に声をかけてきた。
誰か、というか、まあ当然のことながら高島だった。
ずいぶんとテンションが高い。
一応、他にもお客様がいらっしゃるのよ?
「あー・・・・まあ、ね」
私は 若干身を引きつつ愛想笑いを浮かべる。気づいているのかいないのか、それでも高島は嬉しそうだった。
「いやー、がんばった甲斐があったよ。でもこれならもっと描いとけばよかったな。いくらなんでもこんなに空ばっかりじゃ、 少し物足りないだろ?」
「んー・・・・ まあ、空の絵は、たくさんあるね」
うんうん、 と 高島は大きく何度も頷いた。
「俺も空好きになってさ。空ばっかり描いてて・・・・楽しくてさ」
なあ?と私に同意を求めてくる。勘弁してほしい。もう昔の話なんだよ。
・・・・しかしながら、俺『も』、ね。
曖昧な意味の張り付いた私の顔面が、だんだんと固く強張ってくる。
「で、でさ」
少し緊張した表情で、高島は私をまっすぐに見る。
とてもいい目だと思う。でもその目で私を見ないでほしい。
私の中の何かが、痛むから。
「率直に・・・・佐崎から見てどうかな。俺の絵は」
「・・・・んー」
やっぱり、訊くか。心の中でため息をついて、私は一度全ての絵を見渡した。
空、空、空。 違う時間の、違う場所の、全て同じ空で、全て違う空。
・・・・高島。あんたは昔の私に訊いているのかもしれないけれど、今の私はあの頃の私とは違うんだよ。
だから私は、今の私として答える。
「・・・・うん。うまいと思うよ。思ったよりずっとうまくてびっくりした。昔の私より」
一瞬息が詰まった。でも私は無理して、努めて平静を装って、言う。
「昔の私より、 ずっとうまい」
「ほんとか!よっしゃ、うわ、すげー嬉しいぞ!うっはー!」
ガッツポーズでかなり興奮している。純粋なんだね 。ふふ、と私は笑ってしまった。
「あ、それでさ佐崎」
高島が顔を上げたとき、入口近くで誰かが高島を呼んだ。ちらっとそちらを見て、高島は少し困った顔をする。
「む・・・・御免、佐崎、もうちょっと絵を見てくれないかな。すぐ戻るから」
まあいいけど、と私が頷くと、高島は小走りでそっちへ向かった。その背を見送って、私は少しため息をついた。
どうして来ちゃったんだろ。
ともかく、 もう一周してみることにする。コツコツとヒールの音を立てながら絵を眺めつつ歩く。ほんとに、空ばっかりだ。こんなにもよく飽きもせず描けるな、と昔の自分を棚に上げて唇の端を歪める。青を何本使いつぶしたんだろう。
そう言えば、空じゃない絵も何枚かあったんだっけ。確か柱の方。そちらへつま先を向ける。
掛けてあったのは、動物の絵だった。犬や、猫や、小鳥。それから、亀?どういう趣向なんだろう。私は首を傾げた。
そして柱の後ろに回り、そこに掛けられた絵を見て、私は固まった。
人物画だった。
題は『無題』。
この個展で唯一の人の描かれた絵。描かれているのは女の人。黒いスーツを着て、片手にワイングラスをもっている。料理を並べられたテーブルを前にして、半身でこちらを向いている。 困ったような、泣きそうな、寂しそうな、そんな笑みを浮かべた、奇妙な表情。
描かれていたのは、私だった。
これはあの日、あの同窓会の日の私だった。
私は呆然とした。
これが、私か。
間違いなく私だ。
どんな思いで高島がこれを描いたのかはわからないけど、高島は間違いなく、高島の感情を交えることなく見たままの私を描いていた。
「あ、佐崎」
高島がこちらへ戻ってきた。私はぎこちなく高島の方を向いた。高島は頭を掻いている。
「その絵さ、ほら、あの日佐崎のために描くって言ってた奴。いろいろ考えたんだけど、その絵になった。勝手にモデルにして、御免」
「そっ・・・・か。まあ・・・・いいけどさ」
で、さ、と高島は顔を引き締める。 真剣な表情。
「佐崎に聞いてもらいたい言葉がある、って言ってたよな。 ・・・・言ってもいいか」
「・・・・どうぞ」
ダメって言ってもいいのかい?何かそんな言葉が頭をよぎる。そんな場合じゃないんだけど。
高島は、かなり緊張した表情で口を開く。
「俺さ・・・・俺・・・・」
もごもごと口ごもる。はっきりせい、とは言わない。黙って待つ。
と、高島は不意に何かを吹っ切ったように顔を上げて私を見据えた。
「俺、ずっと佐崎に惚れてたんだ。だから、その、俺とお付き合いしてくららい!」
噛んだ。
しかも大声で。
何で私まで恥ずかしくなるんだろう。
まあ他にも人はいるわけで。
ガバッと頭を下げた高島の後頭部を見つつ、私は少し掠れた声で言う。
「高島、さ」
高島は少し身を強張らせた。
「私、高島が見てたのは昔の、高校生のときの私だと 思ってた」
あの同窓会での高島も、さっきまではしゃいでた高島も、今の夢から逃げ出した私じゃなくて、あの頃のまだ夢を追いかけてた生意気な私を見ていたと思ってた。
今、この『私』を目にするまでは。
「だから、もしあんたのその、あんたの惚れた私ってのが高校生のときの私だったんなら、私は迷いなく断ってたよ。でも」
顔を上げて、と私は言う。高島はゆっくりと身を起こした。
もの凄く緊張している。表情に感情が出やすいタイプみたいだ。
私は、高島の描いた私の絵を見つめた。
「なんでこの絵を描いたの?教えてくれる?私のためってのは聞いた。そうじゃなくて、どうしてこの『私』なの?高校生の『私』じゃなくて」
少し間が空いた。私は高島の方を見ない。じっと頑なに絵をを見つめ続ける。
やがて、ぽつり、と高島は話し始めた。
「あの同窓会で久々に会ったとき、一目見て変わったなあって思ったよ。少し話してすぐわかったさ。もう全然違うんだなーって。でもさ」
また少し間が空いた。一息。
「佐崎はすっかり変わったんだなって思っても、やっぱり俺の気持ちは変わんなかったんだよ。だから・・・・あー、なんて言ったらいいんだろ」
私はようやく高島の方に向き直った。高島は困った顔をしている。・・・・私はふっと微笑んだ。
「・・・・うん。そっか。わかった」
高島はこちらに視線を戻した。凄く緊張している。
私は思ったよりも穏やかだった。
「今すぐには答えられない。・・・・だから、時間を頂戴。いいかな。必ず、答えるから」
緊張を引き延ばすようで御免。でも高島は少しだけほっとした表情になった。
「ああ、わかった。・・・・待ってる」
ん、私は頷いて、もう一度その絵を見た。
そして、今度は心の底から言う。
「絵、うまくなったね。高島」
「ありがとう。ほんとに、佐崎にそう言ってもらえると一番嬉しい」
私は小さく微笑んだ。
そのあとはすぐに高島と別れて、個展を出た。
本当のところを言えば、私の心はほとんど決まっていた。だからあの場で答えることもできたんだけど、やっぱりできなかった。
今の彼に関わっていこうとするなら、私はまた絵とも関わっていくことになるんだろう。
でも今度はあの頃とは違い、何の夢も情熱もないままで。
別に私は、絵が嫌いになったわけじゃない。二度と描かないと誓ったわけでもない。
ちょっとだけ、遠いだけ。
だから、もう少し時間がほしい。
私が私と、あの頃の私と向きあえるまで、もう少しだけ。
今なら、今の私なら、ちゃんとできそうな気がした。
返事はいつしたらいいかな。
私はほんの少しだけ上機嫌に、家路についた。




