第七話
「初めまして。」
ようやくあえた、もうすぐはなせる、そう思って胸を高鳴らせていたのに、彼は私のことを覚えてはいなかった…。
それはショックなことだったけれど、それよりも向けられる目のあまりの冷たさに大きな衝撃を受けた。
初めて会ったときは、無表情で少し高圧的な態度だったけれど、その目が冷たい、こわいとは思わなかった。
なのに今日会った彼は、丁寧な物言いと、態度、そしてきちんと口角があがっていて顔は笑顔をつくっているのに、目だけは暗く鋭い光を宿していて、とても冷たく、こわいくらいだった。
その様はまるで別人のようだった。
なぜ私のことを忘れてしまったの。どうしてそんな目を向けるの。どっちが本当のあなたなの。
様々な疑問が頭の中に渦巻き、思考はどんどんと暗い海に沈んでいった。
「フィアナ?」
そんな時、ダグお兄様の声が聞こえてきて、思考が浮上した。
ダグお兄様の方を見ると、訝しんでいるような心配しているようなそんな表情でこちらをうかがっている。
そんなダグお兄様と視線がかち合い、現状を思い出しあわてた。
「あ、申し訳ございません。お初にお目にかかります。フィアナ・キャヴァロワと申します。」
彼の挨拶に対し、あまりにも間の空いた、しかも焦りが表面に現れていてあまり美しくなかったであろう私の挨拶に、彼は眉を顰めることもなく、そのままの表情で対応する。
「いいえ。お気になさらず。きっと初めてのことで緊張なさっているのでしょう。」
そんな彼に、つきつきと痛む胸に耐えながらも会話を続ける。
こんなにも苦しいのに、もうその目を向けられるのは嫌なのに、それでもこの時間が終わってほしくないとも思ってしまっていた。
「お気遣い恐れ入ります。」
「慣れないことばかりで少し疲れていらっしゃるのかもしれませんね。私はこれで失礼いたしましょう。テラスで休まれるといい。」
けれども、私の願いもむなしく、会話は一瞬にして終了してしまった。
「はい、そういたしますわ。」
私がそう言い終わるや否や、彼はダグお兄様にも挨拶をして去っていく。
そのあとを彼とは対照的な愛想のよい彼の友人というお方があわてて追いかけていく。
そんな様子を私はどこかせつない思いで、しばらく呆然と眺めていた。
「大丈夫かい。疲れているなら、彼の言うとおりテラスで休むのがいいよ。なんだったら、もう部屋に下がってもかまわない。」
ダグお兄様は、心底心配だと言わんばかりの表情をしていた。
「いいえ、大丈夫ですわ。それに、主催者側がそうそうに引き上げるのはよくありませんもの。」
今日は自分の披露のための場でもあるのだ。その私がそうそうに引き上げてしまうなどということはあってはならない。そして、いまは一人になるべきではないとひしひしと感じていた。
今一人になってしまうと、あれこれと要らぬことを考えて辛くなってしまうだけだから。
だから大丈夫。今はまだへこんでる場合じゃないんだから。そう自分に言い聞かせて、精一杯の笑顔を見せた。
それからほどなくして、ダグお兄様は王宮の同僚だという人に声をかけられ、仕事のことをはなし始めた。
気遣わしげによこされる視線に、大丈夫と笑顔で頷き返して、ダグお兄様のもとを離れた。
しばらくはあてもなくふらふらと歩き回っていたが、気の置けない者は見あたらず、声をかけられるのにも疲れを感じるようになってきたので、ドリンクをもらい目立ちにくい壁際に移動した。
ドリンクに口をつけながら、周囲を眺めボーっとしていると、すぐそばで話していた品よく着飾った色気のあるご婦人達の会話が耳に飛び込んできた。
「聞きまして。もうグラズ様は帰られたそうですわ。」
「ええ。私、グラズ様がお帰りになられるのを見ましてよ。」
「まあ、それは残念ですわ。」
「本当に。せっかく会えましたのに、あまりお話もできませんでしたし…。」
マルドィーニ男爵はもうお帰りになったのか…。
マルドィーニ男爵が帰ったことをご婦人たちと同じくさみしいと思うと同時に、彼女たちは私と違ってグラズ様と呼べるような仲なのか、と思うとそのことにも落ち込んだ。
結局、私の中に渦巻く疑問を尋ねるどころか、ろくな会話すらできずにマルドィー二男爵は帰ってしまったのだ。そう思うと何とも言えない思いが胸に広がった。
そのあと、同僚との仕事の話を終わらせ、すまなそうにやってきたダグお兄様と合流した。
時々マルドィーニ男爵のことを考えてしまって複雑な気持ちに苦しめられることがあり、私の心はぎりぎりのところで踏ん張っている感じではあったが、夜会の方は何の滞りもなく、無事終了した。