第五話
フィアナとダグミラスが会場に一歩足を踏み入れると、騒がしかったのが嘘のようにしんと静まり返り、人々の視線が二人に集中した。
その痛いほどの視線を感じて体が固くなる。
「大丈夫。私がいるだろう。ほら、いつも通り笑って。」
そんな自分を励ますために、いつもよりもことさらに優しい声音で、ダグお兄様が声をかけてくれる。
心配してくれている兄を安心させようと笑顔を返す。
ダグミラスの優しい声に少し落ち着きを取り戻し、冷静に周りを観察し、自分に向けられている視線には、好奇の目や品定めしているようなぶしつけなまなざしはあるものの、あからさまな悪意は向けられてはいないことがわかり、ほんの少し安堵した。
会場の中を二人はゆっくりと歩みを進める。フィアナの歩調に合わせてゆっくりと歩いているダグミラスは紳士そのものであった。凛としていて湛える笑顔からは余裕が感じられるダグミラスと、そんなダグミラスに励まされ、すこし緊張が残ってはいるものの、そんなことはおくびにも感じさせない華やかな笑顔で堂々としているフィアナ。
そんな二人はたとえ主役でなかったとしても、目立っていたことであろう。
二人が歩みを止めるとわらわらと大勢の人が挨拶に押しかけ周りを取り囲んだ。
大方挨拶も終わり、二人の周りを取り囲んでいた人々もまだらになってきて、ようやく二人も一息つくことができるようになった。
会場入りしてからどれぐらいの時間がたったのだろうか。さほど長くはなかったのかもしれないが、初めてのためかとても長く感じた。
「疲れたかい?」
「はい、すこし…。」
ダグミラスの気遣う言葉に、苦笑いを浮かべ申し訳なく思いながらも正直に答えた。
そんな二人のもとに、誰かが近づいてくる。グラズとジャニであった。
それに気づいたダグミラスはすっと表情を引き締める。フィアナの方は一瞬驚いたような顔をしたたが、すぐに笑顔を浮かべ対面する。
「ダグミラス殿。お初にお目にかかります。グラズ・マルドィーニと申します。」
形式的な挨拶をするグラズに続きジャニも挨拶をする。笑顔だが目が笑っていないグラズに対し、ジャニの言葉はグラズと同じで丁寧なのだが雰囲気がとても砕けた感じで親しみやすさがにじみ出ていた。
「よくお越しくださいました。お二方のことは聞き及んでおります。特にマルドィーニ男爵は最近何かと評判ですからね。」
ダグミラスは形式的なようで、ほんの少しグラズを挑発するような言葉を笑顔で返す。
おそらく、グラズの女遊びについての噂のことを言っているのであろう。
グラズは男爵家を急成長させた美形すご腕男爵として有名であった。
マルドィーニ男爵家は古くから続く由緒正しい家柄であり、歴代の男爵はみな細々と王宮勤めをしていたのだが、グラズは伝統ある家の貴族には珍しく、王宮にはに務めずに商売をしていた。
そのため、マルドィーニ家の急成長は国の繁栄にもつながり、その功績からもしかしたら家格が昇格されるのではとも噂されるほどであった。
しかし、それほどまでにほめはやされ、しかも美形とくれば、いかに男爵といえど自然と女が集まってくるものである。
据え膳くわぬは男の恥とはよく言ったもので、いかにグラズが女好きでなかったとしても、手を出してしまうのはいた仕方ないことだろう。
しかし、グラズとてバカではない。手を出す相手は、後腐れしなそうな者を厳選してはいた。
グラズの目に狂いはなく、手を出した相手と後腐れすることはなかったが、相手にもされなかったご令嬢方が流したのであろう、噂好きの貴族たちの間ではマルドィーニ男爵は女好きだという噂がすぐに広まったのである。
ジャニは心配そうな面持ちでグラズを見ていた。フィアナはどこか上の空で、危うい雲行きの二人の会話に気づくこともなく、いつグラズと話せるのか、ただそれだけを考えてわくわくしていた。
「こちらこそ、フィアナ嬢のデビューに立ち会えたこと、そしてこうしてお二方とお話しできること、とても光栄に思います。その上、私どものことを知っていただけてるとは…、恐縮です。」
ジャニの心配に反し、グラズはダグミラスの挑発に乗ることなくさらりと返した。
そして、ダグミラスとの会話の終わりお告げるようにフィアナの方を向き、挨拶をしだした。
「初めまして、フィアナ嬢。」
その瞬間、フィアナの表情は凍りつき、まるで時間が止まったように動きを止めた。