93:雛織桜と雛織椿の場合
己を知った彼女は、自分と仲間の為に未来を見据える。
《SIDE:SAKURA》
部屋の中を小さな精霊さんたちが飛び回る。
私が視線で虚空をなぞると、精霊さん達はそれと同じ軌道を描くように飛んでいった。
何となく感じてはいたけれど、やっぱり間違いは無いみたい。
「……力が、強くなってる」
『大丈夫なのか、桜?』
「うん……それに関しては問題ないよ」
力を使うことでの負担は殆ど感じていない。
私としては、意図して力の強弱を設定する事が出来るようになった事に新鮮さを感じていた。
どうして突然―――とは思うけれど、力が強くなったタイミングに関しては、何となく想像がつく。
回帰―――そう名付けられた、あの力を使えるようになったから。
「……でも、どうして」
どうして私は、あの力の使い方が分かったのだろうか。
そういう物だ、と言われてしまえばそこまでなんだけど。
《魂魄:死霊操術》……無数の死霊を召喚して操る力。
今までは、あんな大量の霊体を同時に操る事は出来なかった。
けれど、あの技はそれをあっさりと可能にしてしまった。
《天秤干渉》……私の力は、何処まで強くなるのだろうか。
「……フェゼニアちゃん」
『みゅ、呼びましたですか?』
私が虚空へと声を駆けると、その辺りからフェゼニアちゃんが姿を表した。
彼女は自分の意思で姿を消したり現したりできるらしい。
お姉ちゃんはそんな器用な真似は出来ないって言ってるけど、幽霊歴が長かったりすると出来るようになるのかな。
ともあれ、気になったことがあるので問いかけてみる。
「フェゼニアちゃんは……この力、使えた?」
『回帰、そして超越ですか……』
フェゼニアちゃんが持っているのは、強力な防御の力を持つ《欠片》。
彼女がこの力を使ったら、一体どんな事ができるのだろうか。
それに、もしもそれを更に強化した超越という領域に至っているならば、それはどんな力なんだろうか。
『みゅ……エルが回帰と呼ぶ力ならば、ボクも使えたのです。
でも、超越と言う力までは至らなかったのですよ。
もし至っていたのなら、アルシェを止められていたのでしょうか……』
「それは……分からない、かな」
昔の事は分からない。そもそも、その力がどれほどの力を持つのかも良く分かっていないから。
話を聞く限りでは、かなり凄まじい力みたいだけど―――使ったら、一体どうなってしまうのだろう。
「どうやったら使えるようになるのかとか……」
『ボクにも分からないのです……回帰の事を考えると、使えるようになれば自然と理解できるのかも、ですが』
「そうだね」
使えるようになれば理解できる、か。
確かに、まさにその通りだった。
知りもしなかった力のはずなのに、まるで胸の底から湧き出してくるみたいに、口が自然に言葉を紡いでいたのだ。
『ワタシにはさっぱり分からんのだがな……』
「お姉ちゃんも……使えるようになれば、きっと分かると思うよ」
私がこの力を使えるようになったのは、恐らく生まれた時からお姉ちゃんの《欠片》に触れて、私の《欠片》がかなりの成長を遂げていたからだろう。
そして、この世界に来て私の力は魔術式によって強化を受けた。
恐らく、私達の中でも私の《欠片》は最も強い力を持っている筈。
勿論、お姉ちゃんだって長い間私の《欠片》に触れていた訳だから、結構強い力を使えると思うのだけど。
「でも私が使えたんなら、次に使えるようになるのはお姉ちゃんなのかな……?」
『みゅ……それは分からないのです』
『どういう事だ?』
私の言葉を否定したフェゼニアちゃんは、難しげな表情で腕を組みながら声を上げる。
『ツバキの持つ力は、かなり強力な物なのです。
ボクも詳しい事を知っている訳ではないのですが、その力はあらゆる可能性の先を見通せる力の一部。
その全ての力を取り戻すには、ツバキが持っている程度の《欠片》ではまるで足りないのです』
『あらゆる可能性の先を見通す、か』
それはどんな力なのだろう。
今のお姉ちゃんの力は、これから先起こる事を予知する事ができる。
そして誠人さんの力と組み合わせれば、更に先の事を知ることも出来る。
でも、その合わせた力でも、あらゆる可能性の先というのは見えない筈だ。
『とにかく、ツバキの力が回帰や超越に至るには、まだまだ足りないと思うのです』
「そっか……」
『難しいものだな』
でも、いずれは必要になる力の筈。
この力の事は、しっかりと考えておくべきだろう。
そうだ、他の皆の場合はどうなのだろうか?
「フェゼニアちゃんから見たら、他のみんなの力はどうなの……?」
『みゅ……そうですね、既に至っているミナの力はとても強いのです。それと、フリズの力ももう一歩でしょう。
いづなの力はそれ自体は強力では無いので至りやすのですが、《欠片》が小さいので何とも言えないのです。
そしてレンとマサトは、あまりにも強力な《欠片》なのでそうそう至れないでしょう』
「お姉ちゃんも、マサトさんと同じだから……」
『そうそう至れはしない、という事か』
ミナちゃんはいつこの力に目覚めていたのだろうか?
あの子はあまり語らないから、力を使えるようになってもずっと黙っていたという可能性もあるけれど―――どうなんだろう。
後はフリズさんか……分子振動を操る力って、強力になったらどんな風になるのかな。
というか、現時点で既にかなり強力な力だと思う。まあ、本人は使い辛そうにしているみたいだけど。
『―――ただ、一つだけ言っておきたいのです』
「え?」
『どうしたんだ、急に』
考え込んでいた私に、フェゼニアちゃんが何やら重苦しい声を上げる。
言葉の初めにも、いつもの口癖が混ざらなかったぐらいだ。長い年月を経てきた、神様を自称する存在らしく、その声に威厳を含ませながら彼女は声を上げる。
『超越……それはその名の通り、人の領域を遥かに超越した力なのです。
世界を意のままに改変するなど、人の力にはあるまじき物。それを操る事は、もはや人ではいられないという事なのです。
神の座へと至る力―――恐らく、今のエルと同じように、人でありながら神と並ぶ存在となるでしょう』
「それは……」
つまりエルロードと同じように、人にあらざる身で永い時を生きる存在になるという事?
それはもはや、人間ではないと―――そう言いたいのだろうか。
その言葉に、私は小さく微笑んだ。
「……嬉しい」
『みゅ!?』
『桜、何を言っているんだ!?』
二人は、私の言葉に仰天したような表情を浮かべる。
でも、それは私の偽らざる感情だ。何故なら―――
「だって、それなら誠人さんが一人ぼっちじゃないでしょ?」
『何……?』
「誠人さんは、自分を人間じゃないと思ってる……だから、私は……人間じゃなくなれる事が嬉しいの。
だって……それなら、誠人さんと一緒になれるっていう事でしょう?」
私は、人間である自分に未練なんてない。
そんな事を誠人さんの前で言ったら怒られてしまうかもしれないけれど、それでも私は人間に固執なんかしない。
「自分がどんな状況だったかは気付けたから、誠人さんが私の事を好きだなんて勘違いはしてないよ。
でも……大切な仲間だと思ってくれてるって言う事は、分かってる。だから、いつか……本当に好きになって貰いたい」
『桜……』
恋と言うにはまだ未熟だろうか。
それでも、今まで誰かに引きずられる事しかできなかった私が、自分で抱いて自分で自覚した心だ。
ミナちゃんみたいに、好きな人が皆に好かれて嬉しいなんて思えるほどじゃないけど……。
「ふふ……ちょっと悔しいけど、仲間の皆だったらいいかな」
誠人さんが一番信頼しているのは、きっといづなさんだから。
だから、それ位だったらきっと私も許容できる。誠人さんほどじゃないけど、いづなさんだって大好きだから。
私のせいで、仲間が傷つく所なんて見たくない。
『……いつの間にか成長していたんだな、桜』
「気付かせてくれたのはミナちゃんだよ……私達の事、大好きでいてくれる……とっても、優しい子」
私には、善意と悪意がない。
だから、私があの子を助けたいと思うのは、あの子の事が大好きだからだろう。
私が決めたのは、あの子や誠人さんの為に戦う覚悟。
皆と一緒にいたいからこそ、私はその覚悟を決める事ができた。
だから―――
「もし、皆がその領域に至って……皆で、いつまでも一緒にいられるんだったら、私は嬉しい。
ずっとずっと……私たち同盟で一緒にいたい」
『……業深いのですね、貴方は』
「沢山の人の無念ばかりを、ずっと感じ取ってきたからかな……怨霊の人たちが発するのは、生きていた頃の渇望ばかり。
だから……私も、それに引きずられているのかも」
小さく微笑む。
狂っているのならばそれでもいい。
ミナちゃんは私の事を信じ続けてくれる―――どうしてかは分からないけど、そう信じる事ができたから。
今まで、皆は私の事を気にかけてくれていた。
だから、皆が傷ついている今、私が動かなくちゃいけない。
あの人の事をよく知らない私には、皆を慰めるような事はできないけど―――
「……アルシェールさんと、話をしよう」
『桜、いきなりどうしたんだ?』
「この力の事……あの人なら、もう少し違う事も分かるかもしれないから……皆は動けないだろうから、今は私が頑張ろうかなって……そう、思ったの」
『……そうか』
私の言葉を聞いて、お姉ちゃんは嬉しそうに、そして少しだけ寂しそうな顔で微笑んだ。
どうして寂しそうなのかは分からないけど、私の考えを認めてくれたみたい。
それじゃあ、行こう。
きっと、あの人も喫茶店まで帰ってきてると思うから。
《SIDE:OUT》
《SIDE:TSUBAKI》
今日は、流石に皆参っているようだな。
店が開く時間まで待っていたものの、リビングに人が集まるような気配は結局無かった。
部屋に引き篭もっているのか、或いはワタシ達と同じようにどこかへ出かけたのか―――別段ワタシ達の仲に亀裂が入ったと言う訳ではないが、何となく気まずいのだろう。
特に付き合いが長かった者達からすれば、今日は一人になりたいと思うかもしれないからな。
だから正直な所、ワタシはアルシェールに会うのは控えた方がいいと思っていた。
だが、桜がどうしても伝えたい事があると言ってここまで来た次第である。が―――
「やっぱり……今日は休み、かな」
『まあ、仕方ないだろう』
普段なら開店の時間になっているのに、店には開店の看板がかかっていない。
もしもアルシェールが帰ってきておらず、ヴァントス殿だけだったら店もやっているのだろうが。
『やはり、出直した方がいいのではないか?』
「でも……」
『みゅ……ボクもアルシェの事は心配ですから、様子ぐらいは見ておきたいのです』
む、そういえば、フェゼニアはかなり昔からアルシェールと知り合いだったのだな。
そう考えれば、フェゼニアなら彼女を慰める事が出来るかもしれないし、一応中に入ってみるべきだろうか。
と―――ワタシ達が店の前でそんな相談をしていた、ちょうどその時。
「ん? お前さん、あの時の……」
「あ……えっと、その……こんにちは、です」
扉が唐突に開き、中からヴァントス殿が現われたのだ。
以前治療に来た時の事を覚えていたのか、彼は桜の事を見詰めながら意外そうな表情を浮かべている。
「ふむ……悪いが、今日は休みだ。お前さん達も関わってたんなら知ってると思うが、アルシェの奴が相当参ってるんでな」
「あ、はい……ぇと、その事なんですが―――」
「うん?」
あまり他人と話す事に慣れていないためか、桜は言いよどむ。
だが、それでも……桜は、自らの意思で彼に話しかけた。
「アルシェールさんに伝えたい事と……聞きたい事が、あるんです……もしかしたら、その、アルシェールさんを元気に出来るかも……なので」
「ふむ……分かった、入ってくれ」
確証も無い話だというのに、了解してくれた。
それほどどうした物か困っていたと言う事だろうか。
確かに、あの時の様子では相当取り乱していたからな。
店の中に入ると、椅子がテーブルの上に置かれている―――まだ開店準備もしていないような状況の中、一つだけ椅子の降ろされたテーブルに着いたアルシェールが、マグカップを両手で抱えて俯いていた。
成程、確かに相当落ち込んでいるようだ。
「……何しに来たの?」
声まで暗い。
しかし、彼女はワタシの事も見えている訳だから、見えないつもりで妙な事を言う訳にも行かないか。
『アルシェの事が心配で来たのですよ……正直な所、掛ける言葉も見つけられないのですが』
「だったら一人にしておいてよ……ヴァントスさんも、どうして放っておいてくれないの……」
「無茶言うな、ったく」
成程、これは重症だな。
彼女は本当に永い時を生きてきた。それだけの旅を続けてきた彼女の心境は、ワタシには推し量れない。
フェゼニアとて同じだけの時を存在していたのではあるが―――そのフェゼニアからしても、重すぎるようだ。
「……アルシェールさん」
「サクラ……何?」
「あの時、エルロードは……ジェイさんを連れ戻す機会は来る、と言っていましたよね?」
エルロード、か。あの神が言っていた事はあまり信用ならないと思うのだが。
しかしそんなワタシの考えをよそに、桜は小さく微笑みながら声を上げた。
「あれ……きっと、私の事を言っていたんだと思うんです」
「え……?」
その言葉に、アルシェールは顔を上げる。
泣き腫らした目を大きく見開き、彼女は穏やかな笑みを浮かべる桜の顔を凝視していた。
桜の自信はどこから来るのかは分からないが、その言葉には不思議と力が込められていた。
「私の力の名前は……多分、《魂魄》って言うんだと思います。
今の時点で、私は大量の死霊を呼び出す事ができる……もしも、この力が最大まで育ったなら、ジェイさんを呼ぶ事だって出来ると思うんです」
「《神の欠片》の力? まさか、そんな事が出来る筈は―――」
『いや、分からないぞ。回帰を使えるようになってから、桜の力は一気に増している。
これで超越まで至ったならば、桜が言う事も可能になるかもしれない』
ワタシの言葉に、アルシェールは沈黙した。
桜が伝えたかった事はこれの事だったのか。成程、魂を操る桜の力ならば、それが可能となる可能性はある。
その領域に至る事は、即ち桜が人から外れると言う事だろうが―――先ほどの様子を鑑みるに、桜も止まる気は無いのだろうな。
桜は優しげな笑みを浮かべたまま、アルシェールに問いかける。
「だから、アルシェールさん……超越に至るにはどうすればいいか、何か思いつく事があったら教えてください」
「その力を使って、ジェイを呼び出すから? ……ホント、ずるい言い方よ、それ」
コト、とテーブルに置かれたマグカップが僅かに音を立てる。
小さく浮かんだ苦笑に歪められたその瞳には、以前から見ていた通り―――強い意思の篭った輝きが復活していた。
その様子に、隣にいたフェゼニアもほっと胸を撫で下ろす。
完全にとは行かないだろうが、どうやらそれなりに復活できたようだ。
「サクラ、お姉ちゃんは、そこに至る為に何かが必要とか、そんな事は言ってなかった?」
「え? えーと……」
『……確か、いづなに何かを言っていた筈だ』
『覚悟、ですよ。そう言ってたのです』
そう、必要となるのは覚悟だと言っていた。
だが、それはどんな覚悟だと言うのだろうか。いづななら理解できるのではないか、と言っていたような気がするが。
そのフェゼニアの言葉を受けて、アルシェールは小さく頷く。
「覚悟ね……即ち、《欠片》には意志の力が影響するっていう事なんでしょう。
それに至る為の強い覚悟、強い意思……それがどんな物なのかは分からないけど、貴方の力が強まったタイミングの事を思い出せば、何か分かるかもしれない」
「あの時……」
「まあ、ゆっくり考えてみて。どっちにしろ、今すぐにと言う訳にはいかなそうだしね」
「……はい」
アルシェールの言葉に、小さく頷く。
桜は何かを掴む事が出来たのだろうか。
しかし……回帰を使えるようになってから、桜は本当に変わったな。
嬉しいし、頼もしくもあるが、やはり少しだけ寂しく感じてしまう。
ワタシは最早、桜には必要ないのかもしれないな―――
―――桜の背中を見つめながら、ワタシはそんな言葉を小さく呟いていた。
《SIDE:OUT》