85:少女の覚悟
「あははははははははっ!
これは予想外だ、まさか君が最初に至るとは!」
《SIDE:SAKURA》
月も無い暗い夜空を、二本の光の線が駆け抜ける。
一つは燃えるような赤い色、もう一つは濁った池のような緑色。
凄まじい速さで駆け抜ける二つの線を見つめながら、私達はただただ感嘆の吐息を漏らしていた。
「……まーくん、いつの間にあんな事出来るようになっとったんや?」
「使いこなしてるわね、あれ」
いづなさんとフリズさんが、呆然と誠人さん達の様子を眺めている。
あの時直接見ていた私と、上空から様子を眺めていた煉さんは一度見ていたから驚かなかったけれど……ミナちゃんは、驚かないのだろうか?
正直、この子の驚いた表情と言うのも思いつかないのだけれど。案外、この表情のまま驚いているのかもしれない。
「しかし、あっちの魔人はもう一体の方とは全然違う性格してるのね。全部嫌な性格してるのかと思ってたわ」
「あの魔人、結構分かりやすい性格しとるっぽい感じやしね」
それは、あの時見ていた私も思った事だ。
あのガープという魔人は、人間をどうこう思っている訳じゃないと思う。
ただ単純に強い相手と戦いを楽しみたいとか、そんな感じなんだろう。
巻き込まれる方としては勘弁して欲しい、と思わざるを得ないのだけれど。
「―――よし、二つ目終了」
「レン、はい」
「サンキュ、ミナ。術式装填」
私達が誠人さんの戦いに目を奪われている内に、煉さんの術式装填がもう一つ終了したようだ。
これで二つ……結構早いペースで来ているとは思うけれど、徐々に遅くなってしまうと言うから、まだまだ時間はかかりそうだ。
必要なのはあと四個……一体、どれだけ時間がかかってしまうのだろうか。
それに、ちょっと気になる事が―――
「……あの、煉さん……」
「ん、何だ?」
問いかける為に声を上げる。
煉さんはジェイさん達の戦いを見ていた視線を、こちらへと戻して首を傾げた。
ただし、その銃口は邪神の方を向いたまま……凄まじい魔力が凝縮されているのが分かるそれを見つめながら、私は彼に問いかける。
「それって、本当に最大まで溜めないといけないんですか……? その……正直、現時点でも凄い威力だと……」
「あー、まあ、確かにな」
今現在でも、最高位魔術式クラスを越えるほどの破壊力を持っている事だと思う。
私では、一気に大量の精霊さん達を使役しないと出せない威力だろう。
それでは邪神には通用しないのだろうか?
そんな私の疑問に、煉さんは半ば同意するように肩を竦めながらも、首を横に振る。
「確かに、ダメージを与えるだけなら最大チャージじゃなくても構わないんだ。
けど、あのバケモノを殺せるだけの威力となると別。邪神の不死性って言うのは凄まじいからな。
兄貴が再生する所を見た事があるなら分かると思うけど」
「……」
私は見た事が無いのでよく分からないのだけれど、一応話には聞いた事がある。
確か、吹き飛んだ腕や足が一瞬で服ごと元通りになってしまったとか。
何で服まで再生するのかは凄く疑問だったけれど、とりあえず凄い事だけは分かった。
「邪神に再生を許さないほどの攻撃を当て続けるには、それだけ大量の魔力を注ぎ込んでいないといけない。
《魔弾の悪魔》は、命中するたびに魔力が削れて行くからな。
あれだけ巨大な的を貫通するのには、結構魔力を削られるだろうし」
「邪神を的扱いってのもどうなのよ」
フリズさんが嘆息交じりに言うけれど、煉さんとしてはそんな感じなのだろう。
安全な場所から必殺の一撃を撃ち込むのが、狙撃手としての仕事。
その標的となるモノは全て的、という事なのかもしれない。
「まあ、とりあえず確実性を増す為だ。何せ、やり直しは利かないからな。だから、可能な限り最大の一撃を叩き込まなくちゃならない。
誠人が心配なのは分かるけど、ちょっと我慢してくれよ?」
「……はい」
あっさりと見透かされて、ちょっと恥ずかしい。
誤魔化すように視線を逸らせば、誠人さんと魔人は地上へと下りてきて戦っている所だった。
誠人さんは蹴り飛ばされて、グレイスレイドの軍勢の方へ通されてゆく―――思わず、手に力が篭った。
『む……拙いな』
「お姉ちゃん……?」
『あの魔人が周囲を気にして戦うとは思えん―――』
「あっ!?」
悲鳴のような声を上げたのは、フリズさんだった。
誠人さんの下敷きになっていたグレイスレイドの騎士が、魔人の一撃によって抵抗の間すらなく絶命したのだ。
誠人さんは咄嗟に陣の中から抜け出したけど、下手に戦えばあの人達が巻き込まれてしまう。
大丈夫かな……フリズさんが、黙って見てられるとは思えないのだけど。
上空まで飛び上がった誠人さんと魔人は、その場で仕切り直しをしようと構え―――唐突に、両陣営からの矢が降り注いだ。
無論、精霊に護られた誠人さんにそんな攻撃は届かない。
けれど―――
「ちょッ、誠人!? 何やってんのよ!?」
「あかん……完全に戦いに飲み込まれとる」
攻撃を受けて怒り狂った誠人さんと魔人は、互いに敵陣へと乗り込んで攻撃を始めてしまったのだ。
誠人さんもギルマンを攻撃しているけれど、数で言えば明らかに人間側のほうが少ない。
それに、これだとフリズさんが―――
「ッ……!!」
「あかん! フーちゃん、行ったらダメや! いくら何でも許可できひん!」
「でも、このままだと!」
フリズさんは、どうしても人が死ぬような場面を許す事ができない。
私にはいまいち理解できない考えだけれど、それでもフリズさんはその思いを大切にしている。
いつもなら躊躇いなく飛び出していくし、いづなさんだってそれを考えた上で指示を出すだろう。
けれど―――今は、状況が違う。
「うちらのすべき事は煉君の護衛や! 煉君が倒されたら、そもそも邪神を倒す事すら出来なくなってまうかも知れへん!
そしたら、死ぬんはここにいる人間どころの話やなくなるんやで!?」
「でも、だからって助けられるかもしれない人を―――」
「―――もう、遅い」
叫ぶフリズさんの言葉を遮るように、ミナちゃんが声を上げる。
その普段には無い強い口調に、皆が驚いて視線を向けた。
しかしミナちゃんは私達の視線など意にも介さず、その杖へを前方へと向ける。
「―――《創造:神鉄の女神盾・二連》!」
創り上げられたのは、青みがかった金属で出来た巨大な盾―――それも、二つ。
それが、私達の前と、遥か彼方にいた誠人さんの前に現われた。
そして同時に―――地を震わせるような、巨大な咆哮が放たれる。
『OoooaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
魂砕きの咆哮……!
大気を伝ってきた魔力は、ミナちゃんが創り上げた盾が受け止めてくれた。
けれど、前にいたグレイスレイドの軍の人達は―――
「そんな……!」
「あかん、こら拙いで!」
「三つ目は今終了したぞ……けど、確かにピンチだな、こりゃ」
巨大な盾に視界を塞がれているけれど、伝わってくる。
いくつもの魂が悲鳴を上げながら消滅して行く、その断末魔の響きが。
かつて私の中から響いてきていた声にも似たそれに、思わず身体を震わせる。
こんなの、酷い……!
「っ……!」
「ミナ?」
ふと、巨大な盾に触れているミナちゃんの体が、一瞬だけ揺れたような気がした。
煉さんの問いかけには答えず、ミナちゃんはじっと盾の維持に努めている。
そして―――ようやく咆哮が止み、オリハルコンの盾は消え去った。
その先にあったのは、魂を破壊されてただの抜け殻となった無数の肉体。
その光景を目の当たりにし、フリズさんが拳を強く握り締める。
「こんなの、酷すぎる……!」
「ジェイさん達、ちっとしくじったみたいやな……こらピンチやで、流石に」
徐々にこちらへと歩いてくるギルマン達と、邪神の召喚した眷属たちを見つめながら、いづなさんが呻く。
私達を護ってくれていた盾は最早存在せず、相手は空すら飛べる眷属を加えた無数の魔物。
対して、私達の側で今ここにいて戦えるのはたったの四人。
あまりにも、絶望的としか言いようの無い戦力差。
けれど、それでも前を向く女の子がいた。
「《創造:聖別魔術銀の円刃》!」
創り上げられたのは、六つの銀色に輝くチャクラム。
高速で回転するそれは弧を描くように宙へと放たれ、空を飛ぶ眷属達を斬り刻んでゆく。
そしてそれらを制御したまま、ミナちゃんは次なる言葉を紡ぐ。
「《創造:魔術銀の杭・多重創造》!」
その杖で地面を突けば、こちらへと向かってくるギルマン達の足元から無数の杭が突き出し、大量の串刺し死体を作り上げる。
無数の杭はまるで柵のようで、ギルマン達の行く手を阻むような効果も持っていた。
まさか、これすらも狙っていたのだろうか。
そして次なる魔術式が、ギルマンたちを蹂躙する―――そう思った瞬間。
「《創ぞ》―――かふっ」
「え……?」
「―――ッ!! ミナッ!?」
カラン、と取り落とした杖が地面に転がる。
今まで片時も手放そうとしなかったその杖は、力なく歯車の回転を止めていた。
ミナちゃんは、突然身を捩るようにしながら血を吐き出し―――私の方へと、倒れこんできたのだ。
その身体を受け止めて、私はあまりの軽さに呆然とする。
突然の状況と、こんな小さな女の子があんな風に戦っていたのだと言う事実が、私に大きな衝撃を与えていた。
どうして……どうして、突然こんな―――
「魔力、切れ……もう少し、頑張らないと―――」
震える手で杖を持ち上げようとする―――けれど、その手は既に杖を掴んでいないどころか、少しも持ち上がろうとはしなかった。
そうだ、この子はこの地方に来てから……ううん、この地方に来る前から、ずっと休む事無く戦っていたんだ。
そして、ついにその魔力が切れてしまった。
限界が来てしまったのだ。これ以上の無茶は、命を縮めて魔力と化す事になってしまう。
「み、ミナ、ちゃん……」
「護る、から……みんな」
「ミナ! おい、ミナッ!」
カランカランと、空を駆けていたチャクラムたちが地面に落ちる。
邪神の方で響く巨大な戦闘音と、無数のギルマン達の呻き声―――そんな中でも、この子の鈴を鳴らすような声だけは、しっかりと耳に届いていた。
「サク、ラ……だい、じょうぶ……護るから……」
「ミナちゃん……?」
「悪意と善意、分からないから……理由が、分からない……?
だいじょう、ぶ……だよ。みん、な、サクラが……好き、だから」
焦点を結んでいない瞳で、ミナちゃんはうわ言のように呟く。
悪意と善意が分からない? それは、私の事?
自分自身では実感が無い……けれど、その声は不思議と心に響いた。
「サクラの事、好きな人も……サクラが、好きな人、も……わたしが―――」
「……私は―――」
皆の事を、好きでいられたの?
本当に皆の事が大好きだって、胸を張って言えるの?
そんな心すら、分からなくなりかけているのに。
「……ん」
けれど、ミナちゃんは頷いてくれた。
意識が朦朧としていて、私の心をきちんと読めていたのかどうかも分からないけれど―――それでも、ミナちゃんは優しい笑顔で頷いてくれた。
そうだ、私は人の善意と悪意が分からなくなっていたんだ。
だから、皆が他人の為に怒ったりするのを理解できなかったし、魔物だから憎むと言う感情も分からなかった。
どんな行動でも、何らかの理由をこじつけなければ納得できなかった。
誠人さんが私を気にかけてくれるのも、私の事が好きだからなんて―――そんな風に、勝手に信じて。
いつもいつも、助けてくれる人達に甘えて……その結果が、これなんだ。
「……ごめん、なさ……ッ」
言葉が詰まる。涙が溢れそうになる。
けれど―――そんな頬に、暖かな掌が触れた。
涙に滲む視界に映るのは、暖かなミナちゃんの笑顔。
「だいじょうぶ、だよ……わたしは、貴方を赦すから―――」
「ッ……」
嗚呼、本当に―――この子が、大切な仲間でよかった。
それなら私は、狂っていたっていい。人と違う事は怖いけれど、それでも皆を信じて行ける。
だから、私は……何処までも、残酷になろう。
例えそれが、この子の優しさへの甘えだったとしても。
それでも皆と生きていく為に、こんな残酷な世界の中で、私は私の残酷さを貫こう。
「……いづなさん、フリズさん、煉さん」
「な、何や?」
「私、これから……凄く、酷い事をします」
私の口から出た言葉に、三人が驚いた表情を見せる。
いつだって、私は自分から何かを言い出すような事は無かったから。
いつも皆に甘えて、皆の意見の通りに動いているだけだったから。
でも、それじゃあこの子の優しさに応えられない。だから―――
「皆を護る為、なんです……だから」
嫌わないで下さい―――その言葉を飲み込む。
私は、信じる。そう決めたんだ。
「……見ていてください」
「……分かった」
それは誰の言葉だっただろう。
分からない。けれど―――それだけで、私の心は軽くなった。
だから私は、力の限り叫ぶ。この私の魂に宿る力を、初めて己自身の意思で使いつつ。
―――思考に、―――誰かの笑い声が、聞こえた気がした―――ノイズが走る―――
「回帰―――《魂魄:死霊操術》!」
初めて聞く筈の言葉が、魂の奥底から湧き上がる。
そしてその声と共に、私の周りに無数の死霊が現われた。
彼らは何処で死した魂たちだろう。分からない。けれど彼らは皆、私の心に賛同してくれた人たちだ。
私は彼らに私自身の力を分け与え、そして前方に倒れている抜け殻となった肉体達へと導いてゆく。
―――倒れていたはずの彼らの手が、ぴくりと動いた。
そして、魂の死した身体を借りた死霊たちは、己の物ではない肉体を使って動き始める。
「っ……私は、彼らの維持をします……私も、ここから動けないですが……」
「十分や。煉君もさくらんも、安心して戦ってな。うちらが、三人の事を護るさかい」
「―――ったく、さっさとチャージを終わらせなきゃ拙いな、こりゃ」
「……全く、こうなったら無茶しない訳にはいかないじゃない」
「フーちゃんは言われんでも無茶するやろ」
三人の明るい声に、心がすっと軽くなる。
それだけで、魂から湧き上がる力はどんどんその勢いを増してゆく。
状況は絶望的だ。それは相変わらず変わらない。
けれど、それでも―――さっきよりもずっと、心は楽だった。
「さぁて、こっからが本番やで!」
「気張っていかないと、ね」
私達の前に、二人が立つ。
私の腕の中にいるミナちゃんは、いつの間にか意識を失っているようだった。
けれど―――その顔に浮かんでいるのは、どこか優しげに見える安らかな表情だった。
《SIDE:OUT》