83:開戦
いざ、戦いの幕が上がる。
《SIDE:MASATO》
「まーくーん? 何しとるん?」
「いづなか」
あの会議を終え、オレ達はグレイスレイドの配置に追随するように外に出てきていた。
オレ達の配置は軍の後ろ側。軍に護ってもらう形になっている訳だが―――
正直、あの軍を信用していいのかどうかは疑問な所だ。
今オレは、桜に頼んで再び精霊付加をして貰っている。
脚部鎧には風の精霊を、そして景禎には今回火の精霊を付加した。
景禎からは火の粉が散り、その熱で刃の周りを揺らめかせている。
「あの魔人が出て来た時の対策、と言った所だ。これがなければ正面から戦うのは難しいからな」
「精霊の付加かぁ……足に付加してどうなるかは分からんかったけど、想像以上やったみたいやね。
これなら、鎧の方もうちが造った方が良かったかもしれへんな」
「鎧までホーリーミスリルにするつもりか?」
確かに、精霊を付加するのならばホーリーミスリルの方が優秀なようではあるが。
軽くて頑丈、と鎧にするならば確かにいい素材ではある。
しかし、見た目がかなり目立ちそうな気がしてしまうのだがな。
まあ、マントで隠せば問題は無いか。
「……はい、終わりました……でも、あんまり無茶しないで、下さい……」
「そうしたいのは山々だが……相手が許してはくれないだろうな」
無茶をしないで勝てる相手ではない。それは、身に染みて分かっている。
奴と戦うには、必ず全力を尽くさなくてはならないだろう。
それでようやく五分五分と言った所か……本当に、厄介な相手だ。
「やれやれ、男の子やねぇ」
「何?」
「何でもない、こっちの話や。それよりさくらん、あんまり気は抜かんでおいた方がええと思うで?」
「え……?」
横目で首をしゃくり、いづなは己の背後を示す。
そこで邪神の復活に備えている、グレイスレイドの軍勢の方へと。
「ま、偏見やけど……宗教国家っちゅーのは、色々と面倒なんや。
うちらは別段リオグラスの人間って訳やないし、他宗教の人間扱いされる訳やないと思うけど……そんでも、あんまり信用しきらん方がええ」
「見捨てられると思うか?」
「微妙なトコやね」
いづなは肩を竦める。
フリズが人を信じる分、まず人を疑ってかかるのがいづなだ。
相手は国の正規兵、こちらは何処のごろつきとも知れぬ傭兵。
そんな相手を、一応はトップを任されていた男が信用し、護れと言っている。
グレイスレイドの国民ですらない、オレ達をだ。
「いっそ、フリズの正体を明かすか?」
「確かに、テオドールさんの言葉があれば信用はして貰えるとは思うんやけど……それやと、どうしてそんな人物が傭兵をやっとるんや、って話になりかねんて」
「……そうか、カレナさんは国境を護る役目を負っているしな」
そうなると、カレナさんまで変な扱いを受けかねないか。
あまり軽率な行動は出来ないな……そもそも、ジェイをあの英雄だと知っている人間も居ないだろう。
流石に、アルシェール・ミューレの事は分かるかもしれないが。
「で、でも……邪神なんてものが相手なんですし……多少は目を瞑ってくれるんじゃ……」
「……そもそも、三十年前の戦いを直接知っとる人間なんて殆どおらん。
何せ、戦いに参加した人間はその殆どが命を落としとるんやからな。
せやけど、伝えられとる話は、最下層まで到達した五人の英雄の事ばかりや。
要するに、それまでの悲惨な戦いよりも、少人数の英雄の事ばかりが注目されてしまっとる」
邪神との戦いを英雄譚にしてしまった弊害、と言った所か。
本来伝えるべきは、結果よりも過程であったのかもしれないな。
しかし、それが伝えられていないと言う事は―――
「必然的に、人間の意識の中に刷り込まれとる―――『英雄がいれば大丈夫だ』ってな感じに。
故に、あの人達が信頼しとるのはジェイさんを初めとした傭兵のうちらではなく、テオドールさんの言葉って事になる。
そしてあの人達が期待しとるのも、テオドールさんとアルシェールさんの二人だけや。
うちらの事なんぞ、正直どうでもええやろ」
そもそも、煉の持つ武器の事すら眉唾な話だろうからな。
本人はやる気満々のようだったが。
「ま、とにかく……自分達の身は自分達で護れるようにしといた方がええ。
フェゼりんがいるんやし、その辺りはさくらんに期待しとるで?」
「ぁ……は、はぃ……」
恐縮して俯きつつも頷く桜に、いづなは満足気に笑みを浮かべる。
例え軍がオレ達を護る気がなかったとしても、さすがにわざわざ敵を通すような真似はしないだろう。
オレ達は周囲の警戒を怠らないようにすればいい筈だ。
……まあ、オレの場合はまず確実に奴が来る事になるだろうが。
と―――そこに、ミナとフリズを連れた煉が姿を現した。
背信者は既に《魔弾の射手》の形態を取っている。
その長大な銃身を肩で担ぐようにして持ちながら、煉は不敵な笑みを浮かべた。
「よ、そっちも準備は良さそうだな」
「お前の方こそな」
そしてその笑みは、封印の方へと向けられる―――その表情に、オレの脳裏には先ほどした質問が再び浮かべられていた。
恐くは無いのだろうか、と。
本当に、その恐怖を全て殺意に置き換えているのだろうか、と。
その時―――ふと、煉の口から小さな言葉が零れ出た。
Ich bin vertraut mit jenem Grausen
「―――撃ち手の心に恐れなどあるものか」
「煉?」
きょとんと目を見開き、フリズが煉に問いかける。
けれど、煉はそれには応えず、ただ封印を睨み据えて言葉を続ける。
Das Mitternacht im Walde webt
「―――この夜の深淵に現われ、銃口を向けよう」
「ドイツ語……です、か?」
ポツリと桜が呟く。英語とは違う発音だし、確かにそのようだが……何を言っているんだ?
そんな中、考え込むように口元に手を当てていたいづなが、何かを思いついたかのように顔を上げる。
Wenn sturmbewegt die Eichen sausen
「―――樫の木がこの嵐の中で騒ごうと、
Der Haher krachzt, die Eule schwebt
―――鳥たちがこの嵐の中で泣き喚こうと」
「……もしかして、魔弾の射手の台詞なん? ようそんなモン覚えとるね?」
「好きこそ物の上手なれ、って言うだろ? 中々面白いもんだぜ、こういうの」
……本当は帰国子女とかそういうのではないのだろうか、こいつは。
確か、魔弾の射手と言うのはオペラの名前だったな。
それに出てくる台詞をそらで言えるのか?
好きにしても、良くそんなものを覚えた物だ。
「それで、煉君はマックス? それともカスパールなん?」
「悪魔に魂を売った覚えは無いけどな……一応、さっきから言ってるのはマックスの台詞だぞ?
まあ、いっそ悪魔本人なんて言うのもいいかもしれないけど」
くつくつと、煉は笑う。
そんな煉の言葉に、オレは思わず肩を竦めていた。
何かを奪おうと言うのならば、奪おうとした相手を殺してやる―――例え、悪魔の所業と言われようとも。
そんな感情が、殺意がひしひしと伝わってくる。
こいつのこれは、覚悟だろうか。それとも―――
Mein Schicksal reiβt mich fort!
「―――運命は俺を駆り立てた! さあ、来いよ邪神……
Hier bin ich!
俺はここにいるぞ!」
そして、その声に応えるかのように―――地面が、大きく鳴動した。
その大きさに、全員が封印の方へと視線を向ける。
ぎ、ぎ、ぎ……と―――重い門が開くような音。
それと共に、前方にいたグレイスレイドの軍が、何やら歌うように魔術式の詠唱を始めた。
地響きにも負けないような荘厳な歌声が響く、その向こうで。
「ッ……!」
開いた門の隙間から見えたその輝く眼球に―――オレは、衝撃にも似た感覚を覚えていた。
叩きつけられたのは、根源的な恐怖。
生物としての圧倒的な差を、本能から感じ取る。
直感的に、勝てない事を理解してしまった。が―――
「―――術式装填!」
―――そんな煉の声が、硬直するオレ達を正気に戻した。
その表情の中には、全くと言っていいほど恐怖は存在していない。
まるで、獲物を見つけたと言わんばかりの凶悪な笑みで、煉は邪神の事を睨み付けていた。
その様子に、恐怖を振り払うように頭を振るいづなが、続けるようにして声を上げる。
「皆、気をしっかり持たなあかんで! しっかり自分を保っとらんと、見ただけで発狂しかねん!」
「ッ……ホント、バケモノね!」
苦々しげな表情で大きく深呼吸するフリズは、目を閉じながら心を落ち着かせると、その意志の強い視線を再び開いた。
桜の方も、意外な事にほぼ無事だったようだ。
元の世界の神話におけるあの邪神の事も知っていたようだし、ある程度は覚悟が出来ていたのだろう。
そして、ミナは―――まるで恐怖した様子も無く、煉と並びながら邪神の姿を睨み付けていた。
「……負けては、いられないか」
オレも、自らを奮い立たせる。
あの先にいるのであろう魔人の姿を探すように、真っ直ぐに邪神の姿を見据えた。
そして、仲間たちからは少しだけ離れる。奴は、必ず来るだろう。
オレ達が態勢を立て直している間にも、封印の門は徐々に開いてゆき、邪神はその巨大な姿を現してゆく。
邪神―――忌まわしき海の王、ダゴンの姿を。
そしてその門が開き切る直前、グレイスレイドの軍の詠唱が終わり、巨大な光の壁が軍全体とオレ達を覆い尽くす。
―――そして、巨大な咆哮が放たれた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:JEY》
「―――来るか」
海岸線に立ち、海上に浮かぶ巨大な門を見据える。
体にビリビリと響くのは、かつて邪神龍を前にした時と同じ―――ただただ、凶悪なる負の気配。
肌に心地よい、戦場の気配だ。
「もう後戻りは出来ないぜ、ジェイ?」
「望む所だよ、テオ」
「……」
邪神の前に立っているのは、俺達三人だけ。
このバケモノを真っ向から相手に出来るのは、俺達を除いて他にいないからだ。
ぎり、と槍が軋みを上げる。口元に浮かぶのは、獰猛な笑み―――
「―――主よ、我が主よ」
血の匂いにも似た闘争の気配が、体を満たして行く。
そうしてようやく思い出すのだ。俺はただの戦人形―――フェンリルによって選ばれた神の傀儡である事を。
そう、それが俺だ……それこそが、俺なのだ!
「今一度、この血肉の全てを貴方に捧げよう!
この命、この魂、全ては貴方の思うがままだ!」
槍を掲げる。黒い外装に覆われていたそれは、皮が剥けるように解け、銀色の輝きを取り戻して行く。
白銀の体毛に蒼き瞳を持つ我が主―――フェンリルの牙。
不死を殺す左の牙より創り出された、至高の一振り。
それが本来の輝きを取り戻すと共に―――俺は、叫んだ。
「拘束魔術式、解除!」
バキン、と何かが砕け散るような音が響く。
それと共に、俺の心臓より黒い闇が溢れ出した。
闇は俺の体に絡みつき、体の表面で鱗のように硬質化してゆく。
闇は俺の頬までを覆い、背中で巨大な翼を作り上げ、黒く伸びる尻尾までもを作り出した。
俺の体を蝕む邪神の呪い。神の加護を使って抑え込まなければ、とっくの昔にこうなっていたという事だ。
けれど、俺はそれすらも従える。
「おうおう、凄まじいなこりゃ」
「無茶するんだから、このバカ……」
二人の言葉を聞き流す。
掌だけは覆わぬように制御しつつ、暴れ出そうとする呪いをねじ伏せ、笑みと共に邪神の姿を見上げる。
かつては、神の力だけでは相打ちとなってしまった。
だから、邪神の力すらも利用する。この不死性と、圧倒的な破壊力を。
「さあ、喰らい尽くせ―――」
ビキビキと音を立てながら翼が広がってゆく。
目の前には、徐々に海の中から姿を現そうとしているギルマン達の姿。
笑みながら、勢いよく地を蹴る。
翼によって浮き上がりながら、俺は槍を掲げた。
「―――砕け! 呑み込め! 破壊し尽くせ!」
一閃―――迸った銀の閃光が、そのギルマンの群れを薙ぎ払った。
一瞬遅れて、衝撃と血肉と土塊が巻き上がる。
「クッ、ハハハハ……ッ、ハハハハハハハハハハハハハ―――!」
笑え。嗤え。哂え。
全てはこの時の為だったのだ。
この三十年間、俺は耐え続けてきた―――この日の為に、この時の為に、この瞬間の為に!
もう、これで終わりだ。全て終わりにしてくれる!
「―――だから、テメェも終わっちまえよ、邪神」
門の中から覗く眼へと、告げる。
その言葉に答えるかのごとく、中から伸びた手が両側の扉を掴んだ。
ぎしぎしと、岩が軋む音が不気味に響く。
「……ったく、調子に乗り過ぎよ、ジェイ」
「俺達の仕事は、あのガキンチョの一撃を待つまで耐える事だろ?
いきなり全力出しきってんじゃねーぞ?」
「わぁかってるさ」
飛び上がってきた二人の言葉に肩を竦め、苦笑する。
あの小僧の気配は、しっかりと俺の背中に伝わって来ていた。
恐らく、あいつには俺の姿が見えている事だろう。
そして、その上で笑っている。笑いながら、邪神を撃てる瞬間を心待ちにしている。
知っているさ、これでもかと言うぐらいにな!
「急げよ、小僧……あまり遅いようなら、出番を奪っちまうぜ?」
疼く殺意が吹き荒れる。
しかしそれを受けてなお―――いや、それすらも飲み込むかのように邪神は姿を現して行く。
生き物として、存在として遥か高みにいるモノ。
「―――それが、どうした」
嗤う。
俺には主がついている―――ならば、何を恐れる事があろうか。
すべきことはただ一つ、このバケモノを俺の槍で貫いてやるまで。
―――そして、巨大な門が開かれた。
『OoooaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
放たれる、魂砕きの咆哮。
あらゆる生物にとっての絶望の響き。
―――それすらも、心地よい。
「夜が明ける前に……ケリをつけてやるよ、腐れ野郎がッ!!」
テオが剣を振るう。
アルシェが両腕を掲げる。
そして、俺が槍を構える。
―――さあ、開幕だ!
《SIDE:OUT》