74:少女の異変
彼女が変わったのは、一体いつ?
《SIDE:MINA》
「ここです、お嬢様」
「……ん」
リコリスの探索系魔術式によって探し出した場所。
魔人は、この建物の中にいる。
魔人がいると、皆が危ない。だから、先に倒さないと。
「しかしよろしかったのですか、お嬢様。他の方々に助けを求めておいた方が―――」
「いいの。ここは、わたしだけでいい」
ここにいる魔人の所業を見れば、きっと皆は悲しむだろう。
わたしは、そんなものは見たくない。
誰も傷付く事無く、皆の家に帰りたい。
……きっと、そんな事は無理なのだろうけど。
「……行く」
「は、了解いたしました」
扉を開く。
見えたのは受付と、その奥で働く沢山の人間。
役場のような所なのだろう。
「あら……何か御用でしょうか」
受付の女の人が、わたしに向かって声をかける。
その瞳を、真っ直ぐと見つめ―――違う。この人は、まだ人間。
わたしに対する不信感などはあるけれど、敵意と言うほど強い物は抱いていない。
邪神の眷属ならば、わたしを見ただけで敵意を浮かべるはず。
「……奥」
「は? って、ちょちょっと!? 奥に入られては困り―――」
「―――邪魔をするな」
受付を迂回して、中にいる人たちへと近付こうとする。
受付の人はわたしを止めようとするけれど、リコリスが威嚇して彼女を止めてくれた。
小さく感謝して、奥へと入ってゆく。
ちょうどいい事に、皆の目線がわたしの方を向いていた。
これなら、いっぺんに皆調べる事ができる。
驚愕、困惑、疑問、愕然、驚嘆、当惑、嫉妬、狼狽、混乱―――憎悪。
「……見つけた」
わたしに憎悪を向けている一人の男。
そちらへ向けて、真っ直ぐに歩いてゆく。攻撃を仕掛けられるかも分からないから、魔力は準備しながら。
お母様の心臓は、ゆっくりとその歯車を回していた。
そして、わたしは男の前に立つ。
「……何かな、お嬢さん」
「グレイスレイドの兵士、何処」
わたし達が来る前に、この町を確認して調査にきていたはずのグレイスレイドの騎士。
消息を断っている彼らを、魔人なら知っているはず。
男の中にあるのは驚愕と苛立ち、そして―――
「何の事だか分からんな。仕事の邪魔を―――」
「地下。資料室の床にある隠し扉の下。手前から三番目の本棚の下の段、右奥に鍵……行こう、リコリス」
「お見事でございます、お嬢様」
男の頭の中にあったイメージを、言葉で紡ぐ。
グレイスレイドの兵士が持っているであろう装備をリコリスに探して貰っていたのだけれど、やはり本人もここにいたらしい。
踵を返し、イメージの中にあった資料室の方へと足を進め―――
「ふざけるな小娘ぇッ!!」
止めようと言うのだろうか。男の手がわたしに伸ばされる。
けれど、それはわたしに届く前に蒼い光の一閃によって切り落とされた。
「ガァッ、アアアアアアアアアアッ!?」
「汚らわしい手でお嬢さまに触れるな、下衆が」
周囲から悲鳴が上がる。けれど、その悲鳴は突然の凶行への事ではない。
男から吹き出した血が、緑色であった為だ。
すっと、杖の石突で男に触れる。そして、その体の中にわたしの魔力を送り込む。
「ぐッ、おのれ貴様、忌々しい獣の手先めが―――」
「《創造:聖別魔術銀の球体・棘》」
―――刹那、わたしが男の体内に送り込んだ魔力がわたしの望むように変化する。
そして次の瞬間、男は体内から突き出してきた無数の棘によって串刺しとなっていた。
不死殺しの金属に貫かれた魔人は、そのまま声も上げられずに絶命する。
例え相手の体内であろうと、わたしの制御の届く範囲ならば、何処でも創造は可能。
決して防御する事の出来ない体内からの攻撃。
やっぱり、あの人は凄い事を思いつく。
「お嬢様」
「ん」
リコリスの言葉に頷き、硬直したままでいる周囲の人々を放置したまま資料室へ向かう。
一応、創造魔術式で作り上げた棘は消しておいた。
そのまま建物の奥、件の資料室の方へと向かってゆく。
扉を開けて見えたのは、沢山の棚。
中には羊皮紙の巻物が沢山と、それなりの数の本。
本は結構高価なのだけど、これだけの数を揃えているとは。
「お嬢様、こちらへ」
「ん」
リコリスが先行し、先ほど言っていた三番目の本棚を調べる。
一番下の段の、右の奥―――そこに、一つの小さな鍵を発見した。
後は、隠し扉だけど。
「少々お待ち下さい。今調べましょう」
わたしの考えを読んだように、リコリスは地面に手を着きながら目を瞑る。
その指先から発せられた蒼い魔力の糸―――《光糸》は、地面を伝って五重の螺旋を描くように周囲へと広がってゆく。
そんな中で部屋の片隅、一箇所だけ四角く切り取られたかのように糸が通れない場所があった。
そこへ近付き、目を凝らすと、小さな鍵穴が開いているのを発見する。
リコリスが鍵を使って開けてみれば、そこには地下へと向かう縦穴と梯子が続いていた。
「私が先行しましょう。少々お待ち下さい」
そういうと、リコリスは梯子の一番上の部分に《光糸》を巻きつけ、そのまま下へと飛び降りて行った。
暗くてよく見えないけれど、発光する糸のおかげで少しだけ中の様子が観察できる。
穴は結構深い所まで続いている。どれぐらいの深さになるだろうか。
「……大丈夫です、降りてきてください」
リコリスの声がかかったので、わたしも《浮遊》を使いつつ降りてゆく。
ゆっくりと地下へ降り立つと、その中は洞窟のような造りとなっていた。
薄暗いが、松明が掛けられている為中の様子は見る事が出来る。
わたしは普通の魔術式を使えないから、これは助かる。
「……行く」
「はい」
リコリスを伴って歩き出す。
洞窟の中には、どこか生臭い匂いが充満していて、少し気分が悪い。
それでも、進む。恐がっていては、辿り着けない。
中は殆ど一本道で、迷う必要は無さそうだった。
時折聞こえてくる水音や、水滴の落ちる音。
水辺は今回の邪神の領域―――気を抜く事は出来ない。
ずるっ、ぺた。
立ち止まり、視線を前へと向ける。
前方の薄闇の中から聞こえてきたのは、そんな足音のような音。
じっと、その先に目を凝らす。
『ォ、ォオぉおおオオ……!』
全身を覆う水色の鱗と、白目の無い真っ黒で巨大な瞳。
ギルマン―――ただし、そこに居たのは人間の子供サイズのギルマンだった。
普通、ギルマンは成体しか人間の前に姿を現さないのだけれど。
それが分かっているからか、リコリスも不審そうに眉根を寄せている。
「お嬢様、これは……」
「……多分、もう手遅れ」
「え?」
ごめんなさい、と小さく口の中で呟く。
そして、わたしの方へと歩いてくるギルマンの子供へ、腕を斜めに振り抜いた。
「《創造:鋼の円刃》」
創り出された鋼の円刃は、ギルマンが知覚しきれない速度で飛び、通路の向こうへと抜けて行く。
そしてそれから一瞬遅れ、ギルマンの体が斜めにずれ落ちた。
噴出した緑の血が、洞窟の床を汚して行く。
「お嬢様、それは……?」
「思いついた」
違う、本当は教えて貰った。
でも、今それを言っても意味が無い。
とりあえず、先に進まないと。
薄暗い洞窟の先を進んでゆくと、壁に半ばまで突き刺さった円刃を発見する。
高速回転する刃を撃ち出すと、かなりの切れ味を持つのだ。
刃の部分はいづなの『カタナ』を参考にしているので、わたしの使える技の中ではトップクラスの切れ味を誇る。
まあ、わたしの創造魔術式ではカタナを再現する事は出来ないけれど。
あの剣は、薄い金属をティラミスのように何層も何層も―――それこそ、何百層と折り重ねて作られている。
だから、折れないし曲がらない。そして、信じられないような切れ味を誇る。
いづなは、本当にすごい人。
「お嬢様、少々お待ちください」
と、リコリスに呼び止められて、わたしは足を止める。
そしてそれと同時、リコリスの手から放たれた《光糸》が周囲に散り、広がってゆく。
これも探索用の魔術式だろう。恐らく、近距離での精密探索。
瞳を閉じていたリコリスは、やがて糸を収めると、瞳を開けて声を上げる。
「魔人はこの先のようです。私が行きますので、お嬢様はここでお待ちを―――」
「いい。わたしが行く」
「しかし……!」
「大丈夫、だから」
リコリスの気持ちは嬉しい。けれど、わたしが行かなければ。
例え誰が行っても救えないのならば、せめてわたしが見届けてあげたい。
「行く。手伝って」
「……了解いたしました」
わたしの意思が変わらないのを見ると、リコリスは頷いてくれた。
ありがとう、と小さく感謝の言葉を口にする。
皆、わたしに優しくしてくれる。でも、護られている存在のままでは意味が無いから。
だから、ごめんなさい。
そして、わたしは前を向く。
視界の先にあるのは、松明の光で照らされた木の扉。
「―――邪魔」
呟き、鉄で創られた剣を射出して扉を打ち破る。
中はそれほど広くない。これまでの通路とあまり変わらない広さ。
けれど、その一角には牢屋があり―――その中には、お腹を大きくした人間の女性が二人、横たわっていた。
そして牢屋の外側には、ギルマンが五体と緑の鱗を持つギルマンが一体。
ギルマン達の視線が、一斉にわたしの方を向く。
同時、かつんと杖の石突が地面を叩く音が響いた。
そしてそれと共に撃ち出された鋼の槍が、五体のギルマンを洞窟の壁に縫い付ける。
「ギィアああああ嗚呼アッ!?」
さらに、痛みに悲鳴を上げるギルマンへ向けて、それぞれ五発ずつの鋼の剣を射出する。
体中を貫かれたギルマン達は、続く悲鳴すら上げられずに絶命した。
あっという間の攻撃。ようやく我に返った緑のギルマン―――いや、魔人がわたしの方へと視線を向ける。
「貴様、フェンリルの手の者か!」
「……」
ジェイとリルはそうだけど、別に私はフェンリルの仲間と言う訳ではない。
どちらにしろ、わたしは魔人の敵である事に代わりはないけれど。
ちらりと、周囲へ視線を向ける。
「……この町、これまで隠してきた」
「な……!」
「この町は、昔からこの場所に存在してきた。邪神の力によって隠されていただけ」
そうでなければおかしい。
短時間で作り上げられたにしては、この町はあまりにも発展し過ぎている。
この町は、ずっと昔から眷属の養殖場だったのだ。
「信仰を使った儀式……ギルマンとの交配。この町の人間の血に、少しずつ魔の者の血を混ぜて行った。
そうして配下を増やし……不完全だった者は生贄にしてきた―――違う?」
「な、何故……!」
わたしは、知っていた。ただそれだけの事。
そして、邪神は配下を集め終わり、生贄は十分に捧げられ、魔力を十全に取り戻した。
だから、こうして封印が解けようとしている。
「……フン、知っていようといまいと、同じ事! もはや邪神の復活を止められる者など何処にもおらぬ!」
「知ってる。そうじゃなければよかったのに、と何度も思ったけれど」
「お嬢様……?」
ごめんなさい。間に合わなくて、ごめんなさい。
そして、視線に力を込める。例え何であれ、魔人は倒すべきもの。
例えもう手遅れであったとしても、邪神を倒す以上は敵にしかならない。
だから―――
「《創造:鋼の剣》」
先制、剣を放つ。
弾丸のような速度で飛んだ剣は魔人に命中し―――その鱗に弾き飛ばされた。
「ぬぐ……クハハハ! そのようななまくら、我が鱗の前には無力!」
叫び、ギルマンは《水の槍》を放つ。
咄嗟に創り出した盾でそれを受け止めつつ、わたしは静かに意識を集中した。
そしてそれとほぼ同時、後ろにいたリコリスから蒼い糸が放たれる。
周囲を斬り裂きながら迫る《光糸》に、魔人は周囲に水の壁を張り巡らせる事で対抗した。
大量の水が溢れ、足首の辺りまで水位が上がっている。
……あまり長い時間をかけるのは危険。
「《創造:魔術銀の杭・三連》」
かつんと、石突が床を打つ。
それと同時、魔人の足元から突き出してきた銀の杭が相手の胸を打ち、天井へと叩き付ける。
続いて突き出してきた同じ杭は、叩き付けられた魔人の胸と首を打つ。
その威力にいくつかの鱗がが砕けたけれど、相手はまだ健在だった。
「が、ぐげぇ……!?」
圧迫されて呻きながらも、魔人はわたしの方へ指先を向ける。
肉体の苦痛はそれほど効果が無いと聞いているから、油断はしていないけれど……生半可な攻撃ではだめだ。
だから、手は抜かない。
「《創造:鋼の圧縮鎚》」
かつん。
起点となるのは、先程まで魔人が経っていた地面と、今魔人がいる天井。
その両側から発生した二つの金属塊は一気に伸び、天井と床の中間で魔人の体を挟み、押し潰す。
「グガァァ……ッ!」
流石に、頑丈だ。
パキパキと鱗が砕けて行く音が響くけれど、その強靭な肉体で何とか二つの金属塊を押さえている。
ならば、と二つの金属塊を解除する。
そしてそれと同時、魔人はわたしの方へと駆け出した。
「キサマァァアアアアアアアアアッ!!」
リコリスが咄嗟に《光糸》を放とうとするけれど、それを片手で制して止める。
魔人の手はわたしへ後一歩と言う所まで伸ばされ―――唐突に現れた青みがかった手枷によって拘束された。
「な、ニ……!?」
そしてほぼ同時、余っていた左腕も拘束される。
二つの手枷の鎖は魔人の背後へと続いており、その鎖は徐々に魔人の体を引っ張ってゆく。
「戦闘用じゃない体じゃ、わたしには勝てない……それに、わたしは怒ってる」
ちらりと、視界の端にいる女の人達を見る。
もう、その瞳から意思を―――心を感じる事は出来ない。
完全に壊されてしまっている。
ごめんなさい。助けられなくて、ごめんなさい。
「何ダ、コレは……ヤメロ、やめ―――ヒぃっ!?」
鎖に引かれた魔人は、バランスを崩して仰向けに倒れる。
その先にあったのは―――
「わたしは……怒ってる」
―――青みがかった金属で創られた、巨大な断頭台。
そこに仰向けで拘束されている魔人へ向けて、わたしは冷たい声を発した。
「でも、苦しませて殺すのは苦手。だから―――恐怖して死ね」
ガチャンと、魔人の首と腕が拘束される。
そして恐怖に染まった瞳で断頭台を見上げる魔人に、わたしは冷酷に告げた。
「―――《創造:神鉄の断頭台》」
「や、止め―――」
しゃこん。
そんな音と共に―――魔人の首は、あっけなく落ちた。
ころころと転がる、恐怖に染まったそれを見つめ、わたしは小さく溜息を吐く。
―――ごめんなさい。
「……大丈夫ですか、お嬢様」
「ん……ごめんなさい」
「いえ、構いません。貴方の表情を見れば、お心は分かります」
わたしは、あまり表情には出ない方だと思っていたのだけれど……分かるのかな。
首を傾げると、リコリスは小さく微笑んでくれた。
「さあ、後始末をいたしましょう。お嬢様はここでお待ちください」
「ごめんなさい」
「構いませんよ」
微笑んでから、リコリスは牢屋の方へと歩いてゆく。
嗚呼、本当に―――ごめんなさい。
《SIDE:OUT》