69:聖女
彼女たちは人を愛し、人を恐れる。
《SIDE:FLIZ》
「そうか、カレナの娘か……ハハハ、あいつも大人になったんだなぁ」
「えーと……」
ミナの創った塔のおかげで何とか無傷で済んだあたしは、階段を使って地上まで降りて来た訳だけど……そこには、何やら妙な男がいた。
何でも、自称英雄らしいけど―――
「何でテオドール・ラインが生きとるんや? 邪神龍との戦いで死んだ筈やろ?」
「ああ、それはそうなんだが……まあ、色々あってな」
こいつもジェイと同じく、生きてたけど死んだ扱いにされてるのかしら。
いや、って言うかそれどころじゃないのよ!
「どうするのよ!? 足を奪われちゃって……このままじゃ間に合わないわよ!?」
「……せやね。ここは責任取って貰うんが筋やと思うけど……流石に、人工精霊並みに速い乗り物なんて持ってへんやろうし」
ここまでこれだけの速さで来れたのは、他でもないあのワイバーンのおかげだ。
乗り心地は最悪だったけど、急がなければ煉の命が危ない。
それなのに、まさか勘違いで足止めされるなんて!
「とは言われてもな。行軍している最中にワイバーンが見えたとなれば、軍全体の士気に関わる。
飛行ルートを確かめなかったのはそちらの責任だろう?」
「生憎、緊急事態なんや。グレイスレイドも軍が動いている以上、状況は分かっとるんやろ?」
こんなところで軍を動かしているって事は、こいつらもまず間違いなく邪神との戦いに備えているのだろう。
それならば、付いて行けばたどり着く事は出来るだろうけど―――でも、それじゃ遅過ぎる。
と、そんな事を考えていたその時、ミナがこの男に向かって一歩前に出た。
「……わたしと聖女、似てる?」
「む? あ、ああ……服装や髪型に違いはあるが、かなり似ていると思うぞ」
「なら……会わせて」
「何?」
「ミナっち、どないしたん?」
突然そんな事を言い出したミナに、いづなが訝しげに首を傾げる。
あたしも、何がなんだか分からなかった。
突然こんな事を言い出すなんて、初めての事だったから。
ミナの言葉に、テオドールは眉根に皺を寄せて首を横に振る。
「生憎だが、いくら似ているからと言っても見ず知らずの人間を聖女様に会わせる訳には行かない」
まあ、そうよね。ミナが自分の立場を明かしたとしてもそれが可能かどうか。
それにそもそも、今のミナには自分の身分を証明するような道具はない訳だし。
―――けれど、ミナは引き下がろうとはしなかった。
その杖を掲げて、いつも通りの無表情で言い放つ。
「なら、伝言……わたしは、貴方と同じ。《創造の歯車》を持っている。伝えて……それで、わたしたちを殺しかけたのは許す」
「ぬ……まあ、伝言ぐらいであればいいだろう。付いて来てくれ」
一応、さっきの事を悪かったとは思ってるのね。
けど―――
「どうするのよ、ミナ? 聖女に会ったからって、どうにかなる訳じゃ―――」
「だいじょうぶ」
あたしの疑問の声を、ミナは何でもないとでも言うかのように否定した。
何だろう、どうしてこんなに自信満々なのかしら?
ミナの目の中にあるのは、強い決意の色。正直、こんな表情のミナは初めて見たわ。
「レンは、必ず助ける。わたしを助けてくれたから、絶対。だから、絶対間に合わせる」
「ミナ……」
それは、ミナなりの決意なのだろう。
この子はこの子なりに煉の事を想って、必死に助けようとしている。
その想いは、あたしも同じだ。
聖女と同じだとか分からない事は色々とあるけれど、その言葉がある限り信じられる。
「……そうね、諦めちゃダメだわ。絶対、間に合わせましょ」
「ん」
コクリと、ミナは頷く。
そう、諦めてはダメなのだ。それでは、開けるはずの未来さえ失ってしまう。
必ず助けよう。その為だったら、何だってする。
「ま、何か作戦があるみたいやし……ここは、ミナっちに任せよか。ほんなら頼んだで、ミナっち」
「ん、分かった」
いづなの言葉に頷き、ミナは歩き出す。
あたし達も、その後に続いて、グレイスレイドの軍の方へと歩いていくのだった。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MINA》
グレイスレイドの軍の中。
テオドールによって連れてこられたわたし達は、沢山の視線を集めていた。
こわい、けど……ここで逃げてしまったら、レンを助けられない。
だから、我慢する。きっと、聖女は反応する。
レンはわたしを助けてくれた。だから、わたしもレンを助ける。
「しかし、本格的な軍勢だな……まだ実際に復活した訳でもないだろうに」
「後手に回ったら致命的な事になりかねん。確定でなくとも、軍を動かすだけの価値がある相手なんや、邪神っちゅうのはな」
「そ、そんなに……ですか?」
そう、邪神は本当に恐ろしい相手。
これまで何度も現われて、人類の文明を衰退させてきた。
でも、人間は抗ってきた。
抗う事を諦めていたら、この世界はずっと昔に滅んでいた筈。
本当に必要なのは、諦めない悪あがきだって……そう、言っていた。
「今回の邪神は封印されとった相手や。つまり、その監視は置いてあった筈やね。
監視を置くんは、いつでも対応できるようにする為や。
つばきんが覚えてた位置も、グレイスレイドの総本山からはかなり遠い位置……迅速な行動が必要になるやろ」
「報告を聞いてから即座に動いたとして、間に合うのか?」
「間に合わせなあかん、っちゅー事や」
いづなが皆に解説してる。
でも、そんな事をしている間にテオドールが戻ってきた。
訝しげな表情を浮かべたまま、彼はわたしに話しかける。
「お前さん……ミナだったか? 聖女様が、お会いになられるそうだ。ただし、お前一人だけだぞ?」
「ん……」
「ちょっとミナ、大丈夫なの?」
フリズが、わたしのことを心配そうに覗き込む。心の中でも、わたしの事を心配してくれている……優しいフリズ。
けれど、わたしは首を横に振った。
「だいじょうぶ」
「……ん、なら、その言葉を信じるわ」
不安を押し殺して仲間を信じる。
信頼を裏切られる事は考えない。
盲信にも近いこの優しさこそが、きっとフリズなんだろう。
フリズがフリズであった事に安堵して、わたしはテオドールに付いて歩き出した。
周囲の視線は、意識の外に放り出す。皆の為に、レンの為に……わたしが、頑張らないと。
「……お前さん、何者なんだ?」
「……?」
テオドールの言葉に、わたしは首を傾げる。
彼の中にあるのは、わたしへの疑念と不信感。どうして聖女とこんなにも似ているのか。
どうして聖女はわたしへ興味を示したのか。どうして聖女と同じ宝玉の付いた杖を持っているのか。
そんな心から発した疑問。
敵意と言うほど強い訳ではない……わたしに脅威を感じている訳ではないから。
「わたしは、わたし」
「……」
あの日、思い知った答えを口にする。
テオドールはわたしの瞳を見つめ、誤魔化している訳では無いと判断し、肩を竦めて前を向いた。
その視線の先―――ヴェールで包まれた一台の高級な馬車へと向き直る。
……凄く、大量の魔力。わたしと、同じ。
でも、それは当然の事だ。創造魔術式はとても燃費が悪い。
あれを操る為に、わたし達は大量の魔力を与えられているのだから。
「―――待っておったぞ。よもや、他にも生き残りがおったとはな」
「……」
馬車の扉が開く。
その中にいたのは、わたしと同じ顔をした一人の少女。
そう―――お母様と同じ顔をした、わたしと同じ存在。
彼女はわたしの姿を確認すると、テオドールへと言い放った。
「下がってよいぞ、テオ。この娘と二人きりで話がしたい」
「は、ですが―――」
「下がれ、と言っておる。その娘はそこまで馬鹿ではあるまい」
「……分かりました」
若干不満を抱きながらも、テオドールは下がってゆく。
わたしはその隣を通り抜けるようにして、彼女の馬車の中に乗り込んだ。
中々広い馬車の中には、彼女一人だけ。わたしは、対面するように座席に座る。
そして―――彼女は、わたしに向けて笑いかけた。
「ふむ……どうやら、生まれてそれほど時間は経っておらぬようだな」
「貴方は、わたしの……」
「従姉妹……と言ったところかの。お主とは、別の“母”より生まれた存在であろう」
わたしの《創造の歯車》を見ながら、彼女は言う。
その彼女の後ろには、わたしのと同じように杖に嵌められた《創造の歯車》があった。
やっぱり、この人は―――
「妾はリーシェレイト。グレイスレイドでは聖女などと呼ばれておる。偉大なる我が“母”より、幻獣創造の創造魔術式を受け取った者だ」
「……わたしは、ミーナリア。今は、傭兵。お母様から、金属創造の創造魔術式を受け取った」
わたしと同じ、“母”の創造魔術式によって生み出された存在。
そして、わたしとは別の創造魔術式の使い手。
リーシェレイトは、わたしの言葉を聞いて楽しそうに笑った。
「成程、金属か……先程唐突に現われた塔とやらは、お主が創り上げたモノなのだな?」
「ん」
フリズを助ける為に創った鉄の塔。
鉄は凄く燃費がよくて、しかも速く作れるから、ああいう時には便利。
わたしと違って足首の辺りまでありそうな長い翠の髪を揺らして、リーシェレイトは笑う。
「それで、ミーナリア。お主は何故ここにいる?」
「……大切な人を、助ける為」
このままでは、レンが死んでしまう。
そんなのは、イヤ。わたしはもう、誰も失いたくない。
でも―――
「……わたしは、知ってるの。もう、全部を助けるのは無理」
「ほう?」
「失わない選択肢は、もう無い。だから、わたしは選ばないといけない」
本当に大切なものを失わない選択肢を、間違えずに選ぶ事。
わたしに出来るのは、たったそれだけ。
でも……わたしは、きっとまだ幸せ。予期せずして選択肢と直面せずに済んでいる。
きっと、本当に辛いのは―――
「……この世に生を受け、精々十数年程度でよくそれだけの覚悟を決めた。妾はお主を讃えよう、ミーナリアよ」
「リーシェレイト……」
「ふふ……これが我らの宿命だ。人を愛さずにはいられない。妾は我が領民を。お主は―――」
「わたしの、愛しい仲間を」
だからこそ、辛い。
けれど、辛いのはわたし一人ではないから。
だから、わたしは許す。いつの日か、赦される事を夢見て。
「……お願い、リーシェレイト」
「申してみよ」
「わたしは、わたしの大切な人を助けたい。わたしを助けてくれた、愛しいあの子を。わたしを愛してくれた、愛しいあの人を。
だから、お願い……貴方の力を、貸して」
リーシェレイトは、わたしの瞳を見つめる。
その瞳にあるのは、同胞への信愛。そして、わたしの行く末への憐憫。
「我らは“母”の子であるが故に、無償の愛を注ぐ存在だ。
故に我らは、人に近く在ってはならぬ。そうしなければ、我らは永遠に搾取され続けるであろう。それでも、行くのか?」
「彼は……『わたし』を愛してくれたから。
“母”の子であるミーナリアでも、貴族のミーナリア・フォン・フォールハウトでもなく―――ただのミナを、愛してくれたから。
何度も、何度も……わたしを、選んでくれたから。だから、わたしもあの人が必要」
リーシェレイトの瞳の中に、僅かな嫉妬が混ざる。
きっと彼女は、そんな風に愛してくれる誰かを得る事が出来なかったのだろう。けれど―――
「だいじょうぶだよ、お姉さま」
「―――っ!」
「わたしは、貴方を愛すから。たった一人だけ残った、肉親と呼べる貴方を」
そっと、リーシェレイトの頭を抱きしめる。
誰かを愛し続け、そして誰にも愛して貰えなかったわたしの姉を。
聖女として愛され続けて、誰にもリーシェレイトとして見て貰えなかったわたしの家族を。
わたしは、愛そう。そして赦そう。
きっと、それだけがわたしに出来る事。
きっと、それはわたしにしか出来ない事。
だから、わたしは―――
「―――貴方を讃えます。貴方の積み重ねてきた、全てを」
「嗚呼……本当にありがとう、ミーナリア。まさか、こんな所で……望み続けて手に入らなかったものを手に入れる事が出来るとは。
永き生の中で最も嬉しく、最も欲しかった言葉を―――本当に、ありがとう。
そして、済まぬな……妾は、お主を赦す資格を持たぬようだ」
「……いいの」
きっと、いつか現れるから。
諦めなければ、きっといつか来てくれるから。
それを、教えてくれた子がいたから。
だから、怖くない。
「ミーナリア、我が妹よ。妾もお主を愛そう。そして掴んでくるがいい。お主が欲した最善を」
「……ありがとう」
瞳の中にある親愛を、わたしは信じる。
感情が読めなかったとしても、きっと信じる事が出来ただろう。
彼女は、わたしと同じだから。
わたしを抱きしめ返してくれたリーシェレイトは、そのまま立ち上がって馬車の扉を開けた。
引きずらぬように結った髪を揺らして、そのまま外へと出て行く。
「聖女様!? どうか馬車へお戻りに―――」
「先程連れてきた傭兵たちをここへ。異論は認めぬ」
「は……ははっ」
莫大な魔力を迸らせながら、リーシェレイトは凄む。
その言葉に反論することもできず、近くにいた騎士たちは駆けてゆく。
リーシェレイトは―――わたしの方を振り返って、小さく笑っていた。
わたしも、小さく笑みを返す。
そして、程なくして―――仲間たちが、わたし達の前まで連れて来られた。
並んだわたし達を見て、皆が目を丸くする。
「ひょへぇ……ホンマに似とるんやなぁ」
「う、うん……え、えと―――」
「―――報告は受けておる。どうやら、我が配下が失礼したようだ。故に、妾がお主らの足を用意しよう。
……この程度で済まぬが、受け取って貰えるか、ミーナリア」
「うん……ありがとう、リーシェレイト」
わたし達の様子を見て、皆だけではなく周囲の騎士たちまでもが目を丸くする。
悪戯が成功したような顔で笑うリーシェレイトに、わたしもまた微笑んだ。
―――そして、リーシェレイトは《創造の歯車》を持ち上げる。
「―――《創造:翼竜》」
わたしのとは違い蒼い光を発したそれは、わたし達と皆との間に巨大な光の塊を発生させた。
そして―――光の塊は、明確な輪郭を得て行く。
その姿は、紛れも無く図鑑で見たワイバーンの物。
巨大な咆哮を響かせるその姿を見上げ、リーシェレイトはわたしに微笑んだ。
「ミーナリアの願いを聞くように創ってある。足代わりではあるが……大切にしてやってくれ」
「ん……なら、お返し。《創造:神鉄の剣》」
創り上げたオリハルコンの装飾剣。
けれど、実用に耐えるだけの切れ味を持ったそれは、空中から落下して地面に突き刺さる。
それを見て、リーシェレイトは嬉しそうに笑ってくれた。
「妾も大切にしよう。さあ、行ってくるがよい、我が妹よ」
「うん……行ってきます、お姉さま」
ワイバーンの声に紛れさせながら、わたし達は互いを呼ぶ。
そして―――わたしは、皆の方へと歩き出した。
大切な人を、護る為に。
《SIDE:OUT》