57:二人の怒り
そして、一つ目の鍵が開かれる。
《SIDE:TSUBAKI》
第19階層。
誠人達と別れて洞窟の中を歩きながら、ワタシは断続的に力を使用していた。
正直、あまり使い過ぎるのは良くないのだが、流石に油断は出来ない。
「椿、あんまり無理しなくても―――」
「ワタシの判断一つで君達の命運を左右するかもしれないんだ。年長者として、多少の無理はさせてくれ」
「ま、ここにいる三人は皆年長組なんやけどね」
ワタシは享年十八歳、いづなも今は十八だと聞いている。
フリズは十七ではあるが、前世の分があるから年齢は本来ならもっと上。
成程、確かに年齢は上の方のメンバーが集まっている。
かと言って、ワタシが力を抜く理由にはならないがな。
「ま、あんまり根詰めすぎてもええ事ないし、ちっとはリラックスしとき。
助け出しただけで仕事が終わる訳やないんやから」
「ギルドに報告するまでが依頼です、ってね」
クスクスと笑うフリズに、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
確かに、ここで力を使い過ぎていざと言う時に動けなくては困るがな。
だがまあ、どちらにしろ―――
「そろそろ目的地だ。これが終わったら一旦休ませて貰うさ」
「せやね……」
呟くいづなの視線に、真剣な色が宿る。
普段ふざけている分、真剣になった時の落差が激しいのがいづなだ。
彼女が本気になると、否応無くこちらも覚悟を決めざるを得なくなる。
「そこの角の先や……」
囁くように声を潜めながら、いづなは持ってきた手鏡を使って角の奥を覗き見る。
こういう事に関しては、本当に頭の回る人物だ。
「……敵の数は少ない。つばきん、ちっと罠がないかどうか調べてくれへん?」
「心得た」
いづなから手鏡を受け取り、鏡越しに《未来視》の力を発動させる。
見えた先の光景には、特に罠などが張られている気配はなかったが―――
「……どうやらここは、増援が来やすい場所のようだな。倒しても倒しても湧いて来られては、流石にきつくなるだろう」
「了解や……ほんなら、次はフーちゃんが覗き込むんや。敵の位置や数を把握して、全て一遍に凍らせなあかん」
「ええ、了解」
その言葉を受け、今度は手鏡をフリズに受け渡す。
フリズの力は、五感で捉えたものの分子振動に干渉する能力。
正直な話、何が相手だろうが一撃必殺で倒す事の出来る反則的な能力だろう。
宝の持ち腐れと言うべきか、或いは濫用しない人物で良かったと言うべきなのか、彼女はあまり力を使いたがらない人間だが。
「ちょっと待って、時間かかる―――ん?」
「どないしたん?」
「牢屋から一人連れ出されて……どこかに連れてかれそうになってる……!」
「落ち着け、フリズ……無理に出て行っても、状況が悪くなるだけだぞ」
「……ううん、大丈夫。むしろ、やるなら敵の動きが止まってる今しかないわ」
捕らえられた女性の危機に暴走してしまうかと思ったが、存外冷静だったらしい。
どうやら、牢から女性が連れ出された事で周囲の視線がそちらへ向き、動きが止まったようだ。
成程、それならば―――
「了解や。ほんなら、準備はええか?」
「ええ、勿論」
「好期ならば、逃す手は無いだろう」
三人で、頷く。
そして―――合図する事も無く、三人同時に駆け出した。
同時に、ワタシは《未来視》を発動させる。
まず、フリズは全速力で駆け込み、確認していた敵全てを視界に収めて能力を発動させる。
「よし、凍れ―――ッ!!」
次にワタシの目の中に入ってきた光景は、死角にいたゴブリン共が騒ぎ出す光景だった。
数は二匹。故に、ワタシは叫ぶ。
「フリズ、左だッ!」
「―――っ!」
フリズの視線が左を向く。これで、先程観た光景の一つは破却された。
ワタシが対応すべきは、右。
手に持った短剣を、目標へ向けて投げつける!
「ギィ―――ガッ!?」
ゴブリンが上げようとした喚き声を、その喉に突き刺さった短剣が押し止める。
これで、ワタシの目に映っていた『増援のゴブリンが暴れまわる』光景が破却された。
ほっと息を吐き、周囲を見渡す。
「うちの出番あらへんなぁ……ま、しゃあないけど」
「君はリーダーだろう。いるだけでも十分役に立っているさ」
苦笑するいづなに、ワタシも笑みを浮かべながらそう口にする。
とりあえずは、これで問題ないだろう。
さて、捕まっていた者達を救出したら、桜と交代するとしようか。
それと、一つ聞く事があったんだったな。
「さて、大丈夫か?」
「ぁ、え……は、はい」
先程ゴブリンに連れて行かれそうになっていた女性は、まだ状況が理解できていないのか、呆然と周囲を見渡していた。
まあ、突然の事だったし無理は無いだろう。
とりあえず、持って来てある荷物の中の大きい布を渡しておく。
体の所々に付着している体液を見れば、彼女がどのような目に遭っていたかは分かるが―――出来るだけ、同情を表に出さないようにする。
あまり意識したくは無い事だろう。それに、同情した所で事実が覆る訳ではない。
未来の事を変えられたとしても、過去の事は変えられないのだ。
「とりあえず、貴方達を地上へ連れ出す。出来るだけ騒がず付いて来て貰いたい」
「それって……私達を助けに!?」
「まあ、そういう事だ。あと、騒がないで欲しい」
念の為、《未来視》を発動させる。
とりあえずここに増援が来る姿はなかったので、今のでは気づかれなかったようだが。
小さく安堵の息を吐き出し、一つ彼女に向けて質問を投げ掛ける。
「そういえば、レイラと言う女性がここに捕まっていないだろうか?」
「―――っ」
「……知っているのか」
名前を出した途端、彼女は目を見開き、そして顔を俯かせてしまった。
どうやら、あまり良い状況ではないようだ。
「……一体、どうなってしまったんだ?」
「彼女は……『向こう』に連れて行かれてしまったわ」
「『向こう』?」
「『向こう』に行ったら、もう戻って来れない……例え戻ってこれても、もうその子はダメになってるのよ……」
行って、彼女は震える指で牢の奥を指差す―――そこにあったモノ……いや、この言い方は失礼だ。
そこにいた人物に、ワタシは思わず息を飲んでいた。
腕や足はおかしな方向に折れ曲がり、体中至る所に気分が悪くなるほどの青痣が浮かんでいる。
そしてその局部からは、血なのかそれとも他の何かなのか、判別も付けられないようなモノが流れ出ていた。
目は白目を剥き、とてもじゃないが生きているとは思えない状況である。
「あんな……事が」
「『向こう』に連れて行かれたら、もうお終いなのよ……! お願い、早く……早くここから連れ出して……!」
「……いづな、どうだ?」
女性を宥めながら、ワタシは牢の奥へと入って行ったいづなへと問いかける。
ワタシのその問いかけに―――彼女は、力なく首を振った。
「無理や、もう助からん。腕や足だけならともかく、内臓がぐちゃぐちゃに掻き回されとる。
こんな状況で、何でまだ生きてられるんかが不思議なぐらいや。ここで楽にさせてやった方がええ」
「……フリズ」
「ッ……!」
左を向けば、そこには拳を握り締めながら俯くフリズの姿があった。
彼女の話は聞いている。彼女には到底受け入れ難い言葉であっただろう。
だが―――
「覚悟は……してたわよ」
「……フーちゃん」
「でも……ゴメン、見届けるのは……あたしには、無理だわ」
「……うん、分かっとるよ。フーちゃんは、帰り道の安全確保をお願いな」
力なく頷くとフリズは元来た道をふらふらと歩いていった。
憔悴した様子に、敵に遭った時に遅れを取らないかと思ったが、《未来視》で観ても特に怪我は無かったので大丈夫なのだろう。
その背中を見送り、いづなは小さく嘆息した。
「『仕方ない』で割り切ってまうのは嫌いや。でも―――」
すらりと、いづなは刀を抜き放つ。
その切っ先を心臓の上に当て、彼女は目を閉じた。
「―――ごめんな」
そして―――その鋭い切っ先が、女性の心臓を貫いた。
いづなはそっと手を伸ばし、彼女の目蓋を下ろす。
立ち上がり、長く息を吐き出し―――いづなは、刃を抜き取った。
そして、こちらに振り返って笑みを浮かべる。
「ほな、行こか」
「……ああ、そうだな」
正しい判断だっただろう。この状況で、足手纏い以下にしかならないような存在を連れて行く事は控えねばならない。
しかし、今の行為を彼女に押し付けてしまったのは良かったのだろうか。
立場としてはフリズであるべきだったとは思うが、彼女にそれは酷すぎる。
ならば、ワタシがやるべきだったか―――それとも、結局は誰がやろうと同じ事か?
やってはならないのは、ただ彼女を放置するだけと言う事だろう。
それならば―――
「……やはり、君は凄いな、いづな」
「何言うとるん。うちは、うちがやるべき事だけをやっとるだけや」
いづなは小さく苦笑し、そして岩壁に囲まれたある方向へと視線を向けた。
恐らく、西の方角であろうその方向。
「……向こう、酷い場所なんやね」
「ああ」
「うちらが……っちゅーかフーちゃんが向こうに行かんで良かったのかもしれん。
せやけど、まーくん達も心配や。さっさと援護に向かうで」
「ああ、了解だ」
頷き、女性を立ち上がらせる。
どうやら、動けないほどの怪我の者はいないようだ。
これなら、桜と代わる必要は無いだろうな。
桜はあれ以来安定して入るが、時折あの頃と同じ妙に暗い目をする事があった。
どうやら桜自身気付いていないようなので、何が原因とも言えないのだが。
とにかく、あまり刺激を与えたくは無い。
「よし、行こう」
「せやね。ほんなら、フーちゃんと合流や。じゃ、付いて来てくださいな」
互いに頷き、いづなは生存者たちに声をかける。
そうして、ワタシ達は神の槍の方へと戻っていった。
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
第19階層の洞窟の中。
俺達は、隠れようともせずこの場所を歩いていた。
俺が注意するのは、罠の存在だけでいい。例え魔物が出てこようが、俺や誠人の敵ではないからだ。
「ここは……」
「左」
「だそうだ」
分かれ道にて、ミナがあっさりと正しい道筋を示す。
ミナはどうやら、記憶力はかなり良いようだ。
「さて、もう少しだけど……どうする?」
「さあな。状況を見てみない限りは分からない。流石に、敵の配置も分からないまま作戦は立てられないからな」
いづなと全く同じ事を言う誠人に、俺は小さく嘆息する。
まあ、確かにその通りなんだが、行き当たりばったりって言わないか?
分からない物は仕方ないんだけどさ。
「さて、たぶんこの先を曲がった所だと思うが」
「ま、とりあえずは様子見―――」
俺が、そう呟いた瞬間―――俺達の耳に、ある音が響いた。
『ぅむぐ……っ、んんんん―――ッ!!』
くぐもった悲鳴、何かを打ちつけるような音、そして生臭い臭い。
容易に想像はつく。そんな事が行われている事は十分理解していた。
だが―――実際にそれを目にするのと、それを想像するのでは、あまりにも違い過ぎたのだ。
「……」
「―――ッ!」
咄嗟に角へと駆け寄った俺たちの目に映ったのは、最悪の光景だった。
バラバラになって散らばる女性の手足。
口と局部から血と汚い体液を流しながら事切れている女性。
壁に打ち付けられた血袋。
そして―――前後から犯される女性の姿。
ぶち、と―――何かが弾けるような音が聞こえた気がした。
刹那、俺の隣にいた誠人が疾風と化して駆け抜け―――女性を犯していたゴブリン二匹の首を跳ね飛ばした。
そういや、誠人は冷静に見えて意外と熱い奴だったな。
「……レン」
「ああ。俺も、我慢なんてできないけどな―――!」
銃を構える。
それと同時、こちらに気付いたゴブリンメイジが、こちらに向けて魔術式を飛ばしてきた。
それを見て、ミナが一歩前に出る。
「《創造:魔術銀の盾》」
現れたのは、翼のような装飾のついた銀色の巨大な盾。
ミナが創り出してくれた盾は、敵の飛ばした炎の球をあっさりと受け止める。
その後ろで、俺は静かに背信者に命じた。
「術式装填」
その言葉と同時、右の銃からマガジンが弾き出される。
俺はジャケットの中からもう一つマガジンを取り出し、背信者に装填した。
俺が放とうとしている一撃は、マガジン丸ごと一つ分の魔力を必要とする。
途中まで使っていたマガジンと、足りなかった分を別のマガジンから。
―――これで、魔力は装填された。それと同時に、盾が消滅する。
「何だァ、テメェラァ」
「……喋れるのか」
俺の視線の先にいるのは、緑色の肌をした巨大な人型の魔物―――トロウルだった。
誠人の方をちらりと見てみれば、向こうも同じ奴と戦っている所のようだ。
どうやら、こいつらがこの階層の魔物たちを取り仕切っているボスらしい。
「……これは、お前らがやったんだな」
「アアァ? 何言ってやガル……邪魔なんだよォ、死ね」
トロウルは巨大な―――俺の身の丈ほどもある戦鎚を持ち上げる。
それに対し、俺は右の銃の銃口を向けた。
奴にとってみれば子供の玩具だろう。だが―――
「ギェァッ、ハッハッハァ! 何だ、そのオモチャ―――」
「最高位魔術式―――《魔弾の悪魔》」
―――その刹那、トロウルの右腕と共に、周囲にいたゴブリンやオーク共が纏めて肉片と化した。
魔術式の階位など、本来唱える必要はないはずの固有魔術式。
それでもこれを唱えねばならないように設定したのは、二段階の安全装置を仕掛けたかったから。
だが、今回はそれすらももどかしかった。
「ガ、ァアアアアアアアアアアアッ!?」
放たれた弾丸は、最大威力二十発分―――ミナの最大の技である、あの巨大な剣と同じだけの魔力を一点に集中したものだ。
弾丸は俺が望んだ軌道を、その魔力を削りきられるまで描き続ける。
俺は、腕を失って喚いているトロウルの両膝を、同じ弾丸で撃ち抜いた。
血を吹き出しながら倒れたトロウルに、つかつかと近寄ってゆく。
「テメ―――ガァッ!?」
「喋るな」
俺の事を掴もうとした左腕を、旋回させていた弾丸で貫く。
無様に喚くこいつの頭を踏みつけ、俺は弾丸がフルに装填された左の銃をその背中に向けた。
怒りと殺意を、引き金に込める。
「You shall die―――!!」
雷鳴のような轟音か、地を抉る隕石の墜落音か。
耳をつんざくような轟音を発しながら、何度も何度も背信者が火を噴く。
天井付近を旋回していた《魔弾の悪魔》も、地面に這いつくばるクソ野郎の体を抉ってゆく―――
―――思考に、ノイズが走る―――
―――気づけば、俺の耳に入ってくるのはそんな轟音ではなく、ただカチカチと言うだけの小さな音となっていた。
そしてようやく、俺は背信者のマガジンが空になっている事をに気付く。
床にあるのは、ミンチになって砕けた地面に広がるトロウルの死体だ。
「―――Dammit!」
吐き捨てる。
これ以上無いほど殺し尽くしてやったと言うのに、これっぽっちも気が晴れる気配はない。
苛立ちと共に右の銃にも残った弾を吐きだそうとした時―――何かが、俺の服の裾を引っ張った。
「―――ッ」
「レン」
思わず攻撃しそうになって、我に返る。
後ろにいたのはミナだった。
彼女は思わず硬直した俺に手を伸ばし、そっと頬に触れ―――そして、俺の頭をゆっくりと撫で始めた。
「レンは、悪くないよ」
「な……」
「だいじょうぶ、だよ」
返り血で汚れた俺の体を抱きしめながら、ミナはそう囁く。
思わず甘えてしまいそうになるほど、その声は優しかった。
「わたしはいつでも……レンを、許してあげるから」
助けられなかった人がいた事は、俺の責任だろうか。
そうであるとも言えるし、そうでなかったとも言えるだろう。
結果なんて、過程一つで簡単に変わる。
急いで助けに来たからと言って、全員を助けられた訳ではないだろう。
けれど、助けられなかったのは辛かった。
事態を甘く見ていた自分が、恨めしかった。
そんな俺を―――彼女は、許すと言う。
「……傲慢だよ、ミナ」
「レンが楽になるなら……それでも、いい」
「……ホント、ずるいよ」
甘すぎるし、優しすぎる。
残酷だと、思えてしまうほどに。
全てを包み込んで許してしまう、母親のような愛情。
嗚呼、どうやら俺は、この子を手放す事なんて出来ないらしい―――自嘲しながら、俺はミナを抱きしめていた。
《SIDE:OUT》




