50:歓迎会
「まずは一つのステップをクリアした。それでは、次の準備に取り掛かろうか」
《SIDE:SAKURA》
ぼんやりと重い頭が、心地よい揺れを感じ取る。
少しだけ開けた目に映ったのは、海のように蒼い色だった。
『桜、目が覚めたか?』
「おねえ、ちゃん……?」
「む?」
私が感じ取れたのは、聞き慣れたお姉ちゃんの声と、私が体重を預けている何かがちょっと大きめに揺れた事だけだった。
頭はあまり働かず、ただ耳から入ってくる音だけを感じ取っている。
聞こえてくるのは喧騒と足音。そして―――
「まだ疲れとるみたいやね。はよう屋敷に戻って休ませてあげなあかんな」
「ああ……だが、わざわざ屋敷に移す必要はあったのか?」
「目ぇ覚めた時、誰かが傍にいた方がええやろ? ほんなら、屋敷の方がすぐに誰かが様子を見に行けるやないか」
「ふむ……まあ、そうだな」
聞き覚えのある声……誰だったっけ?
分からない。けれど、心地よい感覚だった。
こんな感覚は、久しく味わっていなかったのに―――あれ、どうして味わっていなかったんだっけ?
私は……そうだ。
「声……聞こえ、ない」
「起きてるのか?」
「ぁ……」
ゆっくりと目を開けると、そこにあったのは誠人さんの横顔だった。
未だにぼんやりとしている頭で、自分がこの人に背負われている事を自覚する。
私は、アルシェールさんの治療を受けて……あの痛みに耐えて、それで―――
「声……」
「どうしたんだ、桜?」
「響いてた、声が……聞こえない」
絶えず私に囁きかけてきていた怨嗟の声が聞こえない。
生者を引きずり込もうとする断末魔の絶叫が聞こえない。
今までずっと、あの声を聞き続けてきたのに。
そこまで考えて、私はようやく治療が成功した事を自覚した。
ああ、そうか……私はようやく、解放されたんだ。
「……私、助かったの……?」
『ああ、そうだ。良く頑張ったな、桜』
「……うん、お姉ちゃん」
嬉しくなって、私は笑みを浮かべたまま頷いていた。
もう、あんな思いをしなくていいんだ。
もう、あんな絶望は味わわなくていいんだ。
自然と、嬉しさで涙が零れる―――そんな歪んだ視界の端に、何かが映った。
「ぇ……?」
赤、青、緑、水色、黄色―――そんな光の弾が、私の周囲を回っている。
触れるほどに近付いたかと思えば、一気に遠くの方まで。
その中の緑色の光が私の頬に触れる。
―――近くで見た光は、小さな女の子の姿をしていた。
「貴方は……?」
『―――』
光の女の子が触れた部分が、風に撫でられる。
彼女は、鉄琴を軽く鳴らしたような音―――声、なのかな?―――を発すると、そのまま遠くへ離れて行った。
何なんだろう、一体。
『桜、どうかしたか?』
「光……私の周囲を、舞ってる……」
『む? 私には何も見えないが……』
「さくらん、どした? また幽霊でもいるん?」
「……」
普通の人のいづなさんに見えないのは当たり前だけど……お姉ちゃんにも見えてない?
一体何なんだろう、この子達は。
でも……怖いとは、感じない。
むしろ、この子達からは優しい感情が伝わってくる。
少なくとも、敵ではないみたい。
「……」
今、私の周りに敵はいない。
それは、この世界に来てから初めての事だった。
私はずっと、何かに脅かされ続けてきたから。
だから―――
「んー? さくらーん?」
「どうした?」
「……また寝ちゃったみたいやね。ま、疲れてるみたいやし、そっとしておいてあげた方がええね」
「ああ、そうだな」
私は、この世界に来てから初めて、安心しながら眠りについたのだった。
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
「―――っちゅー訳で、多少妙に思ったとしても指摘せんであげといてな」
誠人たちが桜を連れて屋敷に戻ってきてからしばらくして。
いづなの纏めの言葉に、俺達は頷いた。
話としてはアルシェールさんに聞いた物と同じだけど、一応そういう事は考えておかないといけない。
アルシェールさんは、一部の感情が働かなくなっていると言っていた。
具体的にどうなってるかは分からないらしいけど―――
「ま、何はともあれ新しい仲間な訳や。歓迎せなあかんよ」
「一番危ない目に遭った二人がOK出してるなら、俺は文句無いけど」
「あの子達も純粋に……とは言いがたいけど、でも被害者である事は確かよ。助けてあげないと」
「……怖いけど、レンが言うなら」
「もう危険が無いって言うなら、私も大丈夫」
とりあえず、反対意見は無いみたいだな。
彼女も俺達と同じ地球の人間だし、同郷としてのシンパシー、仲間意識もある。
彼女が仲間となるのは、俺達としても嬉しい事だ。
「それで、その本人はどうしたんだ?」
「まだ寝とるよ。流石に、あの治療でかなり体力を消耗したみたいやからね。
せやけど一度は目を覚ましたし、肉体にダメージがある訳やないから、多分すぐに起きられるようになると思うで」
「そっか」
それなら安心、かな。
俺達はまだ彼女とは縁が薄いし、どんな風になってるのかは正直想像が付かない。
けどシルフェリアさんに引き取られた以上、仲間になるのは確定だし、仲良くしたいとは思う。
と、そこで突然、いづなが今までの明るい雰囲気を消して声を上げた。
「さて、所で一つ聞いておきたいんやけど」
「ん?」
「今後、どうするつもりや?」
今後って、どういう事だ?
桜を仲間に引き入れてからどうするかって事だろうか。
それならきっと、また迷宮に潜る事になるだろう。桜が望むなら、一緒に行ってもいいと思う。
誠人と一緒に戦える辺り、椿は結構強いんだろうし。
けれど、いづなが口に出したのはそれとは全く別の事だった。
「今後同郷の人間に会ったら、どうするつもりなん?」
「え?」
「そりゃ、引き入れればいいんじゃないの? そういうパーティを組んだ訳だし」
俺達のパーティ―――同盟は、地球の人間がこの世界で生きて行く為に助け合う事を目的としている。
それなら、もっと力を募ってもいいとは思うんだけど。
しかしいづなは、フリズの言葉に首を横に振った。
「悪いけど、うちは反対や。うちらの輪は、あまり大きくするべきやない」
「……どうしてよ?」
「幸い、ここにいる皆はええけどな。この世界に来て力を得た事で、万能感に浸ってる子供も多いんや。
そういう手合いは際限なく求めてくる。うちらの事、食い潰しかねないで」
「……確かにな」
いづなは、人間の怖さを良く指摘する。
だからいづなは、この同盟を単なる助け合いではなく、利害関係の輪として作り上げた。
その方が、相手の動きを予測し易いからだろう。
けれど、際限なく欲しがる奴がこの輪に入ってきたらどうなるだろうか。
「さくらんやつばきんは、自分が助かりたいだけやった。助かった今なら、その分だけ返してくれる。
せやけど、もしもただ欲しがるだけの阿呆がここに入ってきたら、うちらを利用するだけ利用していく可能性だってある。
ええか、人間ってのは誰でも信用してええもんやないんや」
「それは……」
人間を信じたいフリズは渋る。が、彼女自身分かってはいるんだろう。
こいつの場合は、裏切られてもいいから信じるタイプだ。
けど、いづなや俺はそのリスクを避ける。
「うちらの事は、あまり公にするべきやない。安易に協力関係を持ちかけたらあかん。
うちらは明確にリーダーを決めてる訳やないし、下手に仕切り屋でも来おったらたまったもんやない。
とにかく、注意するんや。ええね?」
「ああ、俺もその方がいいと思う」
「納得は、し辛いけど……でも、皆に迷惑はかけられないわ」
多少渋りはしたが、フリズも了解の意を示した。
予想もできない世界の事だ、慎重になって損する事は無いだろう。
やり直しは、利かないのだから。
「ま、とにかくそういう事や。うちの話は以上!
後はさくらんが起きるのを待っとこか」
「今日中に起きるのか?」
「さあ、分からんけど……とりあえず、準備ぐらいはしとこか。ちゅーわけで、皆任せた!」
笑顔で手を上げ、堂々とサボり宣言をするいづな。
その言葉に、眉間に指を当てつつ頬を引き攣らせながらフリズは呻く。
「アンタね……この間言ってた能力があるなら、料理ぐらいできるでしょ」
「やー、確かに情報は伝わってくるんやけど、専門用語は分からんのよ。
分かりたくても分からないんやね、これが」
「それぐらい勉強しなさい、アンタは! 女として!」
女である事を放り捨ててるようないづなにそれを言っても、あんまり効果は無いような気がするんだけどな。
とりあえず、俺は隣にいるミナの頭を軽く撫でる。
「いいか、ミナ。ミナはちゃんと女の子らしくしなきゃダメだぞ?」
「……レンは、その方が好き?」
「ん? ああ、勿論」
「……なら、がんばる」
拳を握りながら言うミナに、俺と隣にいたノーラが苦笑する。
まあ、今後仲間が増える事が無かったとしても、今は新たな仲間を祝福しよう。
折角、こんな世界で出会えたんだから、な。
《SIDE:OUT》
《SIDE:SAKURA》
ふと、何かが触れるような感覚で目が覚める。
瞳を開けると、闇の中を飛ぶ黒い妖精のようなものと目が合った。
黒い髪の少年の姿をしたその妖精は、部屋のある方向を指差しながら姿を消して行く。
声をかけようとし―――その時には、彼の姿は既に消え去ってしまっていた。
首を傾げながらも、彼が指差して行った方向を向くと、椅子に座りながら目を瞑る誠人さんの姿を発見した。
驚いて声を上げそうになるも、何とか口を塞ぐ。
……私が起きるの、待ってくれていたのかな?
音をたてないようにベッドから降りて、彼に近づ―――
「起きたのか、桜」
「ひゃっ……起きてたん、ですか?」
「今起きた所だ」
言いながら、誠人さんは蒼く鋭い瞳を開く。
怒ってる様子は無いし、起しちゃった事は特に悪く思われてる訳じゃないみたい。
「気分はどうだ?」
「……はい、すごく……落ち着いてます。こんなに静かなのは、久しぶり……」
「怨霊の声の事か?」
「……はい」
四六時中、ずっと耳元で響いていた恨みの声は聞こえない。
ただ、悪霊達を引き寄せる時の感覚は残ってるから、多分自分自身の意思で制御出来るようになったんだと思う。
かつて地球で暮らしていた頃よりずっと力は強まってしまっている……けど、あんな状況よりはずっとよかった。
もう、あんな生き方は嫌……!
「大丈夫か?」
「ぁ……は、はい」
「ふむ。まあ、問題なく起き上がれるようだし、もう大丈夫みたいだな」
そう言うと、誠人さんは立ち上がって扉の方へと歩き出した。
そして出入り口付近で立ち止まり、こちらの方に振り返る。
「何をしている、さっさと行くぞ」
「ぇ……あ、わ、分かりました……」
何なんだろう、一体。
私は、彼に促されて歩きつつ、首を傾げていた。
ここは……ジェイさんのお屋敷みたいだけど。
「……桜」
「は、はい」
「お前を誘ったオレが言うのもなんだが……お前は、戦う事を嫌っていないのか?」
「……」
誠人さんは、私に視線を向けないまま声を上げる。
まるで、表情を隠すかのように。
しばし、逡巡して―――私は、声を上げた。
「大丈夫、だと思います……私を助けてくれた、あなた達の方が……私にとっては、大事だから」
「……そうか」
小さな、呟き。
そこに込められた思いまでは、私は察知する事が出来なかった。
この人は、何で私を気にかけてくれるんだろう?
「ならばオレ達は、お前達を歓迎しよう。オレ達は《双界の架け橋》というパーティだ。
どうか、オレ達に協力して欲しい」
「……はい。その代わり―――」
「ああ、オレ達もお前に協力しよう」
コクリ、と頷く。
何より、嬉しいからいいんだ。
私の力は、いつも自分と誰かを傷つけていた。
けれど、今はこの力で誰かを守る事が出来る。誰かを助ける事ができる。
それが嬉しいから、私はこれでいい。
「……優しい、ですね。誠人さんは」
「甘いのかも、しれんがな。こんな身体になっても、未だに感情に流されやすい」
「それも……いい所なんだと、思います」
ここには、色んな人がいるから。
足りない所があるなら、誰かに補ってもらえばいいと思う。
私も、きっと足りない所だらけだと思うから。
「さてと、到着だ」
「え?」
階段を下りて、一階の大広間―――皆がリビングのように使用している部屋の前。
誠人さんはその前で立ち止まり、私に道を譲るように横に立った。
「開けてみろ。今日の主役はお前達だ」
「は、はい……」
何だろう、と思いながら扉を開く。と―――
「わ、ぁ……!」
そこに広がっていたのは、煌びやかに内装された部屋と、並べられた豪華な料理だった。
その中心の辺りで、私の事に気付いたいづなさんが声を上げる。
「おー! 流石つばきん、予言通り! 皆ー、今日の主役の登場やで!」
「よっしゃ、ようやく飯が食える!」
「食い意地張った事言ってんじゃないわよ……ほら、入って入って!」
「ぇ、え……」
思わず、おろおろと視線を巡らせる。
そんな風に困惑する私の背中を、ぽんと押す手があった。
そちらを振り向くと、小さく笑みを浮かべた誠人さんと視線が合う。
「改めて……桜、椿。オレ達のパーティに、ようこそ」
言って、誠人さんは私に手を差し出してくれた。
彼の顔と、その手と、交互に見つめて―――私は、ようやく状況を理解する。
「ありがとう、ございます……!」
そして私は、この世界に来てから初めて心の底から笑い、彼の手を取ったのだった。
《SIDE:OUT》