34:“氷砕”のカレナ
過去の英雄と、新たな力の競演。
《SIDE:JEY》
「第三位魔術式、《死神鎌》」
俺は、そう槍に命ずる。
現れた巨大な鎌を振り翳し、俺は吸血鬼に向かって駆けた。
ガロンズフェイルなどという偉そうな名前をした吸血鬼は、それに反応して黒い片手剣を構える。
横殴りの一閃―――奴は、銀色の魔力刃を器用に片手剣で受け止めた。
少しでもずれれば刃が突き刺さると言うのに、大したものだ。
と―――ふと感じた悪寒に、俺はすぐさまそこから飛び退いた。
そして次の瞬間、俺と吸血鬼が立っていた場所が凍りついて砕け散る。
「おいカレナ! 俺まで巻き込もうとすんじゃねぇ!」
「気のせいでしょ!」
ガキ共の前では被ってた猫の皮が完全に剥がれていた。
嘆息しつつも、俺は再び鎌を構える。
その横を、カレナが走って通り抜けた。
「しッ!」
「甘い!」
鋭く、抉るような蹴り。その一撃が氷を振り払っていた吸血鬼に襲い掛かるが、奴もさるもの。
あっさりとその一撃を受け止める―――が。
「甘いのはそっち!」
受け止めたその手が、粉々に砕け散った。
三十年前から変わらない、凍結の能力。
相変わらず、反則級の力だ。
しかし、その能力も奴の剣までは砕けないのか、振り翳した刃から離れるようにカレナは距離を取る。
攻めてはいる。が、決定打は与えられていない。
奴は、吸血鬼の中でも上位種であるヴァンパイア・ロードだ。
その不死性はかなり高く、少なく見積もっても第四位の不死者である事は間違いない。
不死殺しの効果を持たないカレナの能力だけでは、トドメを刺す事はできないのだ。
そして奴も、俺たちが持つ不死殺しには細心の注意を払っているらしい。
俺の槍と、カレナの銀杭。どちらも強力な不死殺しではあるが、奴の心臓に当てられなければ意味は無い。
「不可解だな」
「あん?」
ふと、どうしたものかと考えていた俺の耳に、ガロンズフェイルの声が響いた。
互いに構えは解かぬまま、しかしそれでも奴は声を上げる。
「隠居していたカレナ・フェレスが姿を現すとは。余もそれだけ有名になったと言う事か」
「……寝言言ってんじゃないわよ蚊の親戚の分際で」
奴の物言いに、カレナが反応する。
最早、口調は完全に三十年前のものに戻っていた。
カレナの周りではぴしぴしと空気がひび割れるような音が響き、その手甲がぎしぎしと軋みを上げる。
「アンタが、あたしの夫を殺した! だからあたしが、アンタをぶっ殺すって言ってんのよ!」
「殺した? 余は食事をしただけだろうが、いつの事だ」
「15年前。テメェが尻尾巻いて逃げやがった時だ」
15年ほど前、俺は一度こいつと戦った。
俺が駆けつけたその時、派遣されてきていた騎士団の男二人が、死の間際まで追い込まれていたのだ。
俺には、片方しか助ける事は出来なかった。その時に死んだのが―――
「……そうか。余は貴様の事しか覚えておらんがな、傭兵」
「……ざけんじゃ、ないわよッ!!」
カレナが、駆ける。そしてそれと同時、俺も奴に向かって突進した。
しかし奴も黙って見ている気は無いらしく、全身から蝙蝠を発生させて応戦する。
が、カレナが睨んだその瞬間、視界にある限りの蝙蝠たちが完全に砕け散った。
「そんな物、効かないわ!」
「ち……っ」
奴はカレナの視界から逃れるように移動する。
しかしそこに向かって、俺が走り込んでいた。
奴の首を刈り取るように、巨大な鎌を振り抜く。
しかし奴は一瞬で反応して身体をかがめ、その片手剣で俺の胸を突いて来た。
俺は振りぬいた鎌を手の中で回転、地面を擦る様に回った刃が、下から吸血鬼の首を狙う。
吸血鬼は咄嗟に刃を振り下ろして俺の攻撃を弾くが、その時には後ろからカレナが迫ってきていた。
「砕けろッ!」
カレナが、その鉄槌のごとき拳を振り下ろす。
その拳は確実に吸血鬼の背中を捉え、叩き付けた地面ごとその身体を粉砕した。
が―――
『最高位魔術式、《火龍の吐息》』
「「……ッ!?」」
空中から声が響く。
見上げれば、夜空に紛れるように飛んでいた二匹の蝙蝠が、その口を開けた所だった。
そして、そこに煌々とした炎が宿る。
「ちッ、最高位魔術式!」
咄嗟に俺はカレナを横に蹴り飛ばし、その横に向かって俺の槍を投げつけた。
刻まれた、最高の防御用魔術式を唱えながら。
「《女神盾》!」
地面に突き刺さった槍が、巨大な盾を展開してカレナの身体を包み込む。
そしてそれと同時、空中にいた蝙蝠が、俺とカレナに向けて二つの魔術式を解き放った。
強烈な火力と爆圧に、俺は成す術無く吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられ、体を苛む激痛に呻く。どうやら、左腕と両足を吹き飛ばされたようだ。
―――そう俺が自覚した瞬間、消し飛んだ筈の体の一部が、ガラスが砕け散るような音と共に元通りに再生する。
着ていた服や、装備までもだ。
「……フン、相変わらず大した再生力だ」
起き上がった俺に対し、吸血鬼も砕けた身体を再構成してそう呟く。
カレナが投げつけてきた槍を受け止めながら嘆息し、結局仕切り直しのこの状況に苦く眉根を寄せた。
奴には、少々手の内を見せすぎたかもしれない。
このまま、奴の力が弱まる朝まで戦い続けるのも一つの手だが、カレナの体力がそこまでは持たないだろう。
さて、どうするか―――そう思った、瞬間だった。
「何……ッ!?」
莫大としか言いようの無い巨大な魔力が、俺達の頭上に現れたのだ。
あのすかした吸血鬼の野郎まで驚いているのを見ると、どうやら奴の攻撃ではないようだが、一体―――そう思って見上げ、俺は思わず絶句した。
そこにいたのは、紛れもなくミナだったからだ。
あまりにも巨大な魔力に、吸血鬼は目の色を変える。
奴にとって、魔力に満ちた血は御馳走だからだ。
奴がミナを仕留めようとするのを止める為、俺は再び武器を構える。
が……奴の振り上げた手は、遠くから響いたタァン、という音と共に吹き飛んだ。
さらに連続して同じ音が響き、今度は奴の足が吹き飛んでゆく。
「―――兄貴!」
そして、遠くから小僧の声が聞こえてきた。
咄嗟にこれがどういう事かを理解した俺は、トドメを刺そうと吸血鬼に近づこうとしていたカレナの襟首を引っつかみ、全力でこの場から退避する。
「ジェ、ジェイ!? 何すんのよ!?」
「いいから、死にたくないならとっとと逃げろ!」
叫びながら駆け出した、次の瞬間。
―――轟音と共に、百を越える無数の剣が周囲に向かって降り注いだ。
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
「Beautiful……」
吸血鬼の腕と足を撃ち抜き、満足して笑みを浮かべる。
俺の手にあるのは、形を変化させた背信者だ。
アルシェールさんに刻んでもらった魔術式の一つ、第三位魔術式に相当する形態変化。
その名も、《魔弾の射手》だ。
まあ、例のオペラと違って、百発百中になるかどうかは俺の腕次第だが。
「スナイパーライフルかぁ……煉君、そんなんも撃てるんやね」
「撃ち方は海外で練習した事があるんだ。軍の本格コースを体験させて貰ってね。
……って言うかいづな、何で俺だけあだ名じゃないんだ?」
「やー、他の子達は皆付けやすい名前しとるんやけど、煉君はどーにも思いつかんのよ」
まあ、別にいいんだけど。
とにかく、俺はこの銃―――スナイパーライフルの姿をした背信者で吸血鬼の動きを封じた。
まあ、ライフルと言っても魔力装填式だからボルトアクションも無いんだけど。そこはちょっと残念だな。
まあ何はともあれ、後はミナの出番だ。
「ノーラ、準備はいい?」
「う、うん!」
俺の隣で、ノーラは踏み切りのポーズで止まっている。
フリズの声に頷きながら、彼女はじっと視線の先の吸血鬼に集中していた。
そして―――ミナの声が、感覚強化した俺の耳に届く。
「―――《創造:聖別魔術銀の剣・雨》」
その光景は、神の裁きか、或いは地獄か。
空中に広がっていたミナの魔力は、その号令と共に無数の銀色の剣へと変化する。
そしてその百を越えるホーリーミスリルの剣は、ミナが杖を振り下ろすと同時に地面に向かって射出された。
高速で撃ち出された剣は、弾丸と同じだ。
地面を抉り、家屋を貫通し、戦いに巻き込まれて散っていた食人鬼達の身体を貫通し―――あの吸血鬼の身体を地面に縫い付ける!
「行けッ!」
それを見た瞬間、俺はノーラに指示を発していた。
ノーラはそれと共に、吸血鬼としての力を使って勢い良く地面を蹴る。
前傾姿勢で、驚くほどの速さで駆け抜けて行く彼女。
その背中を見送る事も無く、俺は再びスコープの中を覗き込んだ。
その中には、肩と太腿と胴を剣で貫かれて動きを止めた吸血鬼の姿。
俺の残る仕事は、ノーラの事に気付いた吸血鬼が、逃げたり抵抗してきたりするのを防ぐ事。
さてと、果たしてどうなるかな……?
《SIDE:OUT》
《SIDE:NOLA》
私は、前を見据える。
人間では有り得ないほどに良くなった私の目に映るのは、銀色の剣に貫かれた吸血鬼の姿。
私を、こんな体にした張本人。
「……ッ!」
怖かった。恐ろしかった。
でも、それ以上に恨めしかった。
どうして私がこんな体にならなきゃいけないのか。
どうして私が大切な人達を傷つけなきゃいけないのか。
死ぬ勇気も無いまま、苦痛に苛まれる時間を送っていた私の中にあったのは、いつもあいつに対する恨みだった。
―――そんな奴が今、目の前で串刺しになっている。
「ぐ……何、だ、きさ、ま……」
「……貴方は、覚えてないでしょうね」
触れると焼けるような痛みを発する剣を避けながら、私はゆっくりと吸血鬼に近付いてゆく。
「貴方にとっては、私なんてただの食料でしかなかったんでしょうから。
でも、私は貴方の事を一瞬たりとて忘れた事はなかった」
吸血鬼は、私に向かって千切れかけた腕を向けようとする。
けれど、それは遠くから響いた音と共に千切れ飛んだ。
そして、血に塗れたこの男に、ゆっくりと顔を近づけてゆく。
「生きる為に喰らうなら、それは私達も同じ……だから、私は―――」
貴方を、喰らう。
その言葉は口にせず、私はこの牙でこいつの首に喰らいついた。
フリズの時とは違い、首を食い千切るように深く、忌まわしい牙を突き刺してゆく。
「が……ッ、や、め―――」
言葉なんて聞かない。
こいつに残された血を、魔力を、一つも残らず喰らい尽くすつもりで血を抜き取ってゆく。
甘い、甘美な味に満たされてゆくのを感じる―――けど、私はいづなさんから忠告されていた。
決して、この味に酔ってはいけないと。
だからただ、私は無心で血を喰らい尽くしてゆく。
「―――無様ね、ガロンズフェイル」
私の後ろで、声が聞こえる。
どこか聞き覚えのある声の主は、私の下にいる吸血鬼に向かって冷たい声を発していた。
「身から出た錆よ。アンタが産んだものが、アンタの命脈を喰らい尽くす。けれど―――」
そっと、その人が身を乗り出す。
零れるほど長い真紅の髪は、私の親友のそれに似ていた。
その人は―――突き出した拳を、この吸血鬼の左胸に突きつける。
「お前にトドメを刺すのは、このあたしだ」
そして―――爆発するような音と共に、銀の杭が吸血鬼の心臓を貫いた。
私の噛み付いていた首は徐々に塵と変わり、勢い余って歯と歯がガチンとぶつかる。
もう、苦しさは感じない。
体の中を虫が這い回るような不快感も無い。
ただ、何かが変わってしまった確信があるだけ。
「あ……」
両手に、視線を下ろす。
紅く、ただ紅く―――それは、血に濡れていた。
痛みの消えた体と、そして血に濡れた自分自身が、何よりもこの悪夢の終わりと始まりを物語っていた。
「……わた、し」
ああ、終わったんだ。
そう思った途端、色々な感情が溢れ出した。
人でなくなってしまった絶望、大切な人を殺してしまった悲哀、そしてこの安堵。
それらが纏まって私の中を駆け巡り、目の端から零れ落ちてゆく。
「……ノーラちゃん」
―――誰かが、私の事を抱き締めてくれた。
傷だらけで、ボロボロになって、それでもただ優しく。
「もう、大丈夫よ」
「ぁ、ぅ……ぅああああああああああああああああっ!」
私は、ただ―――その腕の中で、涙を流し続けた。
《SIDE:OUT》