33:合流
「さぁ、準備が整うまであと少しだ。僕は楽しみで仕方ないよ」
《SIDE:MASATO》
目の前に振ってきた黒い閃光―――それをオレは、奴が振り下ろした剣だとばかり思っていた。
しかし、違う。これは、地面に突き刺さる黒い槍だ。
吸血鬼ガロンズフェイルは、その槍の一撃を避ける為に大きく飛び離れていた。
そして、その槍の隣に一人の男が降り立つ。
「ったく……生存者かと思えば、あのヤクザ医師の人造人間か。助けなきゃ良かったかもな」
「そういう事言ってんじゃな……言うものじゃないですよ」
「無理に猫被ってんじゃねぇよ」
男の発した声と、背後から聞こえてきた声。
どれに驚いていいのか分からず、オレは目を瞬かせていた。
男がオレの正体に一目で気付いた事、そして背後から聞こえてきた声に聞き覚えがあった事。
「カレナ……さん」
「……まさか、貴方達が巻き込まれていたなんて。ごめんなさい、遅れてしまって」
後ろから歩み寄ってきていたカレナさんは、普段の楚々たる出で立ちとは全く違った姿をしていた。
腰の辺りまで伸ばしていた紅い髪は、フリズと同じようにポニーテールに纏められている。
胸を覆うのは革で出来ていると思われる鎧、そしてその上からノースリーブのジャケットを羽織っている。
下半身には腰当てとショートパンツ、そして膝から下を覆う足甲。
何より異質に映るのは、両手に装備された手甲と、右手の手甲の上に装着されたパイルバンカーだ。
オレの呆然とした視線に気付いたのか、カレナさんは照れるように笑みを浮かべる。
「少し、用事がありまして。こんな風に、昔の装備を持ち出してきた次第です」
「三十年も前の物をよく今も着れたもんだ」
「仕立て直してましたから」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ」
男は、地面に刺さった槍を引き抜きながら嘆息する。
そしてそれを、前方にいる吸血鬼へと突きつけた。
「久しいな、ガロンズフェイル。死に損ないに引導を渡しに来てやったぜ」
「……あの時の傭兵か。相変わらず無粋な男だ」
「ハッ、大物ぶるしか能の無い貴族趣味の蝙蝠野郎に言われたくはねぇな」
思わず、目を剥く。
あの吸血鬼を相手に、ここまで啖呵を切れるこの男は何者なのだ。
そんなオレの視線を遮るように、カレナさんはオレの体と腕を抱え上げ、一気に離れた場所へと駆け抜けた。
オレの身体をそっと地面に下ろすと、小さく魔術式を唱える。
「第一位魔術式、《水》」
その声と同時、オレの左腕の傷口と切り落とされた腕が水に包まれた。
そして次の瞬間、その水が瞬時に凍りつく。
「冷たいかもしれないけど、我慢して下さいね。そのままシルフェリアの所へ持っていけば、治してくれる筈ですから」
「は、はぁ……」
「それから、ちょっと待ってて下さい」
言うと、カレナさんは再び立ち上がり、先ほどと同じように向こうへと駆け抜け、今度はいづなを抱えてここまで戻ってきた。
素早いと言うレベルではない。100メートル以上はありそうなのに、戻ってくるまでに五秒と掛かっていなかった。
「カ、カレナさん? これって一体どういう状況なん? あの人は何モンなんや?」
どうやら、この事態にいづなも動揺しているようだった。
先ほどオレがやったお姫様抱っこと一緒の体勢だったのだが、その事を気にする余裕も無いのか。
その様子に小さく苦笑しつつ、カレナさんはいづなの事を地面に降ろす。
「ごめんなさい、詳しく話している時間は無いの。後で説明するから」
「はぁ……」
「……セラード、仇は必ず私が―――」
最後にそう呟きを残し、カレナさんは再び吸血鬼の方へと駆け抜けて行った。
あの最後の言葉は、恐らく聞かせるつもりは無かったのだろう。
しかし、鋭敏なオレの耳はその声を拾ってしまっていた。
セラード、という名前についていづなに聞こうとして―――心配げな瞳と視線がぶつかる。
「……ゴメン、まーくん」
「いづな?」
「うち、何も出来ひんかった……まーくんが痛めつけられとるの、見とるだけやった。
飛び出す事すら、出来んかったんや……!」
珍しく、自分を責めるような声音に、オレは小さく眉根を寄せる。
こいつは、前に話した事を忘れているのか?
「戦闘はオレの役目。お前は、精々参謀に回るなどと言っていただろう」
「せやけど……仲間なのに、助けられんのは―――」
「それに、謝るのはオレだろう? 負けたどころか、景禎を壊されてしまった」
「刀ならまた打てる! せやけど、誠人は死んだら蘇られへんのやで!?
ここにはシルフェ姐さんはおらんのや! せやから、自分を犠牲にしてうちを助けるような真似、しないで……!」
「……済まん」
オレ達は、仲間だ。だから、互いを助け合うのは当然だ。
けれど、それは自分を犠牲にしてもいいと言う理由にはならない。
自分が他の二人に同じ事をやられても、オレは納得出来ないだろう。
「もう無理はしない、約束しよう」
「……ホントやね?」
「ああ、本当だ」
「……なら、よし」
いづなはいつものように茶化す様子は無く、目を背ける。
けれどもう怒ってはいないのか、その視線をカレナさんの方へと向けた。
視線の先では、既にあの男とカレナさん、そして吸血鬼の二対一の戦いが繰り広げられている。
そうだ、カレナさんがさっき言っていた事は―――
「いづな、セラードと言う人物に心当たりは?」
「え? 何でまーくんが知っとるん?」
「と言う事は、知ってるんだな?」
「う、うん。セラードさんっちゅうのは、フーちゃんのお父さんの事や」
成程、死んだと言っていたフリズの父親か。
と言う事は―――
「あの吸血鬼が、フリズの父親の仇と言う訳か」
「何やて!?」
オレの言葉に、いづなは目を剥いて戦闘の方を見やる。
そこでは、既にオレ達の理解を超えた戦いが繰り広げられていた。
吸血鬼の放った黒い霧が、蝙蝠の姿を取って二人に襲い掛かる。
しかし二人は避けようともせず、正面から黒い竜巻にも見えるそれに突っ込んだ。
瞬間、ガラスが砕け散るような音と共に蝙蝠達が粉砕される。
そしてそれと同時に、吸血鬼の右腕も砕け散っていた。
しかし、瞬きの間に砕けた右腕は再生する。
その一瞬の再生の隙に、黒い男が吸血鬼に向かって突撃し、蒼い炎を纏う銀色の槍を衝き入れる。
しかしそれに反応した吸血鬼はその一撃を躱す―――瞬間、槍から放たれた銀色の光が、その延長線上にあった建物を粉砕した。
「……ちょい待ち、銀色の槍に蒼い炎やて?」
その武器を見つめ、いづなが訝しげに声を上げる。
そういえば、先ほどオレが見た時あの槍は黒かった筈なのだが。
しかしいづなは、何か恐れ戦くように声を震わせながら、オレに向かって囁く。
「なぁ、まーくん……あの武器、心当たりあらへん?」
「あの武器に? いや、見た事は無いが―――」
「見た事あるかいあんなモン! ええか、あの槍は伝承に有るジェクト・クワイヤードの武器、《白銀狼の牙》にそっくりなんや!」
「―――ッ!?」
そうだ、確かにベルレントの街でいづなから聞いていた。
フェンリルから与えられた蒼炎を纏う銀の槍。
その一振りで百の不死者を屠ると言われた、伝説の槍。
しかも、そんな物を持つ男がカレナさんと知り合いだと?
「なあ、まーくん? あの人、もしかして―――」
「わうわう!」
―――瞬間、聞こえてきた声にオレ達は顔を見合わせていた。
周囲を見渡し、その姿を探してみる。
辺りにいた食人鬼は、カレナさんが行く間際に一目睨んだだけで凍り付いていたが―――その向こうから、数人の人影が近付いてくる。
「いづな! 誠人!」
「フーちゃん!?」
その中の一人、黒いジャケットを着た男に背負われたフリズが、オレ達に対して声を掛け、何やら頭を抱えて顔を顰めた。
どうやら、無事だったようだが……随分と人数が増えてるな。
「フーちゃん、どないしたんそのカッコ?」
「ま、まあ色々あって……って言うか誠人!? 大丈夫なのそれ!?」
「ああ、何とかな」
騒ぐフリズを背負った男は、嘆息交じりに彼女を地面に下ろす。
黒髪黒目の容姿―――どうやら、こいつも日本人のようだ。
他にいるのは、銀髪の人狼族や、翠の髪の少女。
そして、明るい茶髪の少女だ。
「えーと……どの子がノーラちゃんなん?」
「あ、ノーラはそっちよ。ちなみに、こっちはミナに、リルちゃん。で、こいつが煉」
「……俺の扱いだけぞんざいだな、お前。ええと、俺は九条煉だ。二人の事はフリズから聞いた。呼ぶ時は煉で構わない」
「……ミナ」
「わふ、リル」
「えと……ノーラ・ブランディルです」
男―――煉はともかく、その後に続いた二人は極限まで他人を遠ざけようとしてないだろうか。
特にミナと言う少女は、こちらに一定以上近付こうとしない。
嘆息交じりに、オレは声を上げた。
「オレは神代誠人だ。苗字で呼ばれることは好かんから、誠人でいい」
「うちは霞之宮いづなや。いづなでええで。同郷の人みたいやね、よろしゅうな」
「ああ、よろしく……ほら、ミナも」
「……よろしく」
何か、不思議な二人だな。
いづなは早速ミナの胸に狙いを定めたようだが、その視線を一瞬で察知したのか、さっと煉の後ろに隠れてしまった。
その背中にしがみ付き、ポツリと呟く。
「悪意は無い。でも下心だらけ」
「……いづな、アンタね」
「な、何の事かワカラヘンヨ?」
「今の、嘘」
「うにょぉっ!?」
驚いたな。心でも読めるのだろうか、彼女は。
余計に警戒心を煽ってしまったのか、背中から出てこようとしない彼女に嘆息しつつ、オレは声を上げる。
「とりあえず、友達とやらは見つかったんだな、フリズ」
「え、ええ。そうなんだけど……いづな、アンタは魔物とかに詳しかったわよね?」
「おん? その通りやけど……どないしたん?」
「実は、ノーラが吸血鬼になっちゃって」
「……ン何やてぇッ!?」
いづなは、驚愕の声と共に視線をノーラへと向ける。
かく言うオレも驚いていた。吸血鬼が生まれる確率はかなり低かった筈なのだが。
オレ達に視線を向けられたノーラは、表情を引き攣らせながらもその口を指で引っ張った。
健康そうな白い歯の並びの中に、一つ鋭く伸びた牙が覗く。
「ほ、ホンマみたいやね……せやけど、まだ体が完成してないんやったら、相当危険な状態の筈やろ?」
「それは大丈夫。あたしが血を分け与えたから」
「―――アホかッ!? 何でそんな危険な事しとるんや!?」
―――珍しく、いづなが激昂した。
どうやら、心配していたのにそんな事をしていたのが、相当腹に据えかねたようだ。
オレも、少々怒っているしな。
「だ、だって、こいつがノーラの事殺すって言うから……」
「確かに、フーちゃんの気持ちかて分からん訳やない! せやけど、それは自分を安売りしていい理由にはならへんやろ!
うちらがおらん所で、そないに危ない事するんやない!」
「……はい」
しょんぼりと項垂れるフリズと、それを見ながらくつくつと笑う煉。
どうやら、相当揉めていたようだ。
怒りを納め、荒れた息を整えたいづなは、小さく嘆息しながら声を上げる。
「で、聞きたいんはノーちんの身体を安定させる方法やな?」
「の、のーちん?」
「ノーラ、その辺りは気にしないでおいて……それで、心当たりがあるの?」
「まあ、あるっちゃあるんやけど……」
何やら、歯切れが悪いな。
こんないづなの様子を見るのは初めてなので、オレは小さく首を傾げていた。
フリズの視線があった為か、いづなは気が進まない様子で声を上げる。
「成り立ての吸血鬼の身体が安定しないんは、その体が人から吸血鬼に作り変えられとるからや。
変化による負担を補う為に、血によって魔力を蓄える訳やな。
せやから、必要なんは身体を早く吸血鬼として完成させる事や」
「それで、具体的な方法は?」
「魔力が大量に含まれた血を多く吸う事か、完成された吸血鬼の一部を取り込む事。
これらを同時に満たす方法は―――あいつや」
そういって、いづなは視線を横に向ける。
いまだ、人知を超えた争いを続けている者達の方へと。
「魔力を多く含んだ血って言うなら、優秀な魔術式使いの血でも構わへん。
せやけど、それでは歯止めが利かなくなって吸い殺してまう可能性があるんや」
視界の端で、煉がミナの事をそっと庇う。
どうやら、それに該当してしまう人物だったらしい。
「せやから、吸い殺しても構わん人物……即ち、あの吸血鬼の血を限界まで吸う事が現状用意出来る最も高い可能性や。せやけど―――」
いづなは、オレの方を視線で示す。
斬り落とされたオレの左腕と、完膚無きにまで破壊された景禎の姿を。
「うちのエースアタッカーすらこの有様や」
「つーか、うちの兄貴と互角に戦えるような奴、俺達で何とかできるとは思えないぞ?」
「って言うか、あれってお母さん!? 何でここに!?」
どうやら、フリズは今頃気付いたらしい。
とにかく、ノーラを救う為にはあの吸血鬼の血が必要。
だが、それを成す為には、少なくとも奴を行動不能にまで追い込まなければならない。
奴の強さは、直接戦ったオレが十分に理解している。
例え何があっても、勝つ事は不可能だ。
「……兄貴にこの話を伝えられたらまだ可能性はあるけど、あの状態じゃ話をするのも無理だな。
となると……やっぱり俺達で何とかするしかないのか」
「え……!? アンタ、ノーラの事を殺そうとしてたんじゃ……」
「助けられる方法があるなら、それを優先するって言っただろ。
お前達が兄貴の仲間の知り合いだって言うんなら、一応は信用出来そうだしな」
煉のその言葉にフリズは目を見開き、そして嬉しそうに顔を綻ばせた。
後ろの方では無表情のまま見つめるミナと、やれやれと肩を竦めているリル。
そして、自分の事にもかかわらず、話に付いて行けずにおろおろするノーラの姿があった。
と―――ここで、煉が太腿に付けていた物を取り出す。
オレは、それを見て思わず目を見開いていた。
元の世界では映画などで度々見かけた物―――即ち、銃だ。
「こいつは背信者。一応、不死殺しの効果を持ってる。
リルの持ってるナイフも同じような物だ」
「……うぉう。うちらに足りなかった物がこうも揃っとるとは。で、ミナっちは何かあるん?」
いづなの言葉に、煉とフリズが顔を見合わせる。
どうやら、何か悩んでいるようだ―――が。
「わたしは、どんな金属でも創れる」
「……って、ミナ!? 勝手に喋っちゃ―――」
「レンが協力するなら、わたしも協力する」
「あーもう!」
何やら苦悩しているらしい煉を尻目に、ミナはしれっと答える。
しかしそのミナの言葉に、いづなは完全に硬直していた。
まあ、オレも彼女の言葉はさっぱり理解できなかったのだが。
「ちょい……待ち。金属を創れるって、何や」
「魔力を、金属に変換する。この杖のミスリルも、わたしが作った」
説明は非常に端的だった。
そしてそれを受けたいづなは、ぽてっと横倒しに倒れる。
「神はおった、ここに……!」
「お前は何を言ってるんだ」
まあ、刀鍛冶のいづなからすれば、喉から手が出るほど欲しい力ではあろうが。
しかし、驚いた。そんな力があるなんて、聞いた事も無い。
オレもまだまだこの世界の事には詳しくないが―――と。
「うふ、うふふふふふふっふ」
「い、いづな?」
「……壊れたか」
壊れたラジオのように声を垂れ流し始めたいづなに哀れみの視線を向ける。
が、次の瞬間にはバッタのように起き上がって自分の服の中をまさぐり始めた。
袖の中から取り出したのは―――元の世界のお守り。
そして、その封を開けて袋を振ると、その中から一つの小さな金属が姿を現した。
プラチナのようにも見える、くすみの無い銀色の金属。
「ミナっち、これも創れる!?」
「……? ミスリル?」
「ちゃう、こいつはホーリーミスリル。聖別魔術銀とも呼ばれる、最も貴重なミスリルや。
全体の産出量の中の1%にも満たない超貴重な金属でな、これ自体が不死殺しの力を持っとる。
で、どんなもんや?」
「……燃費は良くない、けど創れる。オリハルコンより楽そう」
「嗚呼、オリハルコンまで創れるんやね……!」
終いにはミナの事を拝み始めそうな勢いだった。
どうしていづながそんな貴重な金属を持っていたのかは知らないが、とりあえず何か手立てが思いついたのだろう。
にやりとしたいつも通りの笑みを浮かべたいづなは、勢い良く拳を振り上げて声を上げた。
「―――ほな、皆に作戦を伝えるで!」
《SIDE:OUT》