01:傭兵と少女
ひねくれ者と純真な者、そして純真なひねくれ者
《SIDE:REN》
とん、と背中を押された気がした。
少しだけバランスを崩して、視界が揺れる。
「・・・・・・え?」
それだけで、世界は変わっていた。
公園の林の中であったはずの風景は、硬い石で出来た廊下に。
視界を照らしていた筈の木漏れ日は、天井に埋まっている良く分からない発光体に。
その中で唯一、俺と俺の手の中にある物だけが変わらなかった。
「な、何だよこれ・・・・・・どういう事だよ!?」
周りを見渡しても、何も変わらない。薄暗い廊下のような通路が続いているだけだ。
畜生・・・・・・落ち着けよ、俺。
とりあえず現状確認しろ。焦っても何にもならねぇって、あのアクションスターも言ってただろ。
俺は九条煉。それはちゃんと覚えてる。
俺は近所の公園で、友達とエアガンを持ってサバゲーをやってた筈だ。
その証拠に、俺の手にはエアガンのデザートイーグルが二丁と、目には防御用のゴーグルがつけてある。
「オーケー、記憶喪失とかそういうのは無い。じゃあここはどこだ」
突然場所が移動してしまうなんて事はありえない。
ありえないが起こってしまった事を否定しても意味は無い。とりあえずそれは置いておくしかないか。
移動した理由はさておき、ここはどこなんだ。
ああ、クソ。イライラして来る・・・・・・焦りそうになる。
こんな所で取り乱しても何にもならないって言うのに。
「畜生、どうする。動き回って大丈夫なのか、ここは」
何が何だか分からないが、とりあえず普通の状況じゃない。
こんな石で包まれたような建物だ、もしも人がいれば足音が響くだろうが、近くからはそんな音はしない。
・・・・・・いや、何か聞こえる。これは―――
「息遣い・・・・・・人、じゃないよなぁ」
それだったら、俺の声が聞こえてるはずだ。
それなの足音を立てて近寄ってこないって事は、少なくとも人の反応ではないと思う。
なら何だ、動物か?
「まともな状況じゃない・・・・・・動物だって近寄らない方がいいか」
変に凶暴なのが出てきたらたまらない。
焦りすぎた所為か頭の隅の方に妙に冷静な部分が出てきて、そこに集中していれば何とか考えをまとめる事が出来た。
ゆっくりと深呼吸して、周囲の把握に努める。
周りは石とは言うものの、どんな材質なのかよく分からないツルツルとした感触だった。
床も同じ。こちらは反発性はあるが、表面に傷は見られない。
まあ、暗い所為でよく見えないけど。
「どうなってんだよ、これ・・・・・・」
こんな建物、見た事も聞いた事も無い。
少なくとも、俺の知識の中では皆無だ。
自分が何処にいるのか全く分からないのがこんな恐怖だったなんてな・・・・・・クソッ!
・・・・・・焦っても仕方ない。とにかく、人のいる場所を探さないと駄目だ。
現状を把握するには、人に話を聞くのが一番。
「そうと決まれば、移動するしかないよな・・・・・・」
とりあえず、先程息遣いが聞こえてきた方とは別の方に歩き出す。
出来るだけ足音を立てないように、ゆっくりとだが。
しかし―――
「・・・・・・・・・っ」
付いて来ている。
息遣いの気配は離れる事無く、むしろ徐々に俺に近付いて来ていた。
どうする、このままゆっくり歩いていていいのか?
後一歩という距離まで近付いた所で、こいつは俺の喉笛に喰らい付いてくるんじゃないのか?
疑問が、いや恐怖が俺の中に浸透してくる。
そして―――気付けば、俺は走り出していた。
「ッ、クソッタレ!」
背後の息遣いは唸り声となり、当然のように俺についてくる。
肩越しに背後を覗いて見ても、見えてくるのは暗闇だけ。
正体不明の何かに襲われる恐怖が、俺の五感を支配する。
「クソッ、クソッ!」
一瞬だけ振り向き、手の中の銃の引き金を引く。
ガガン、とスプリングの弾ける音が響くが、向こうの息遣いは変った様子は無い。
俺は射撃は得意だ。
サバゲーで、わざわざ手動で弾を装填しないといけないタイプの物を二つ同時に使っているのは、二発で相手を仕留める自信があるからだ。
俺は多分、角度計算をするのが得意なんだろう。相手の弾だって、銃口の向きを見てれば当たるか外れるかが分かる。
けど・・・・・・こんなのは無理だ。見えないし、正体がわからない!
「無理だろこんなの! どんな無理ゲーだよ!?」
叫んで、今度は全力でダッシュする。
けど、それでも唸り声は俺についてきた。
人間より動物の方が足が速いのは当然だけど、こんなの理不尽過ぎるだろ!
ここがどこだかも分からない。この先に何があるのかも分からない。
もしかしたら、向かってる先は行き止まりかもしれないし、そこに追いかけて来てる奴みたいなのがまたいるのかもしれない。
分からないって事は、恐怖だ。
と―――
「わふっ」
「―――え?」
―――何かが、俺の隣を駆け抜けた。
俺は思わずそれを目で追おうとして、バランスを崩してその場に倒れこんだ。
全力で走ってきたツケか、身体が震えて動かない。
クソッ、奴が追いかけて来てるのに―――
『グギャアアアアアアアアアアアアッ!!』
「なっ!?」
瞬間、大きく醜い悲鳴が通路に響いた。
見てみれば、少し遠くの証明の下で、何かの影が暴れている。
「お、おい・・・・・・何だよ、あれ」
そこにいたのは、二つの首を持つ黒い犬と、その背中にへばりついている銀髪の女の子だった。
犬が暴れると共に、周囲には何やら液体が飛び散っている。
けど、あの女の子はどうやってあんな事・・・・・・子供の力で出来る事じゃない。
じっと目を凝らすと―――その女の子が、手に持った大きなナイフを犬の二つの首に突き刺しているのが見えた。
「おいおい・・・・・・!」
何だってあんな子供が!
そう言いたくなるけど、助けて貰ってる身の上だ。文句は言えない。
そんな事を考えている内に、犬が大きく身を捩り、女の子が天井の方へ向けて弾き飛ばされた。
「あ―――」
危ないと、思わず手を伸ばしそうになる。が、そんな心配は必要なかった。
女の子は器用に空中で身を捩ると、天井を蹴って再び犬に向けて跳び出した。
天井を蹴った勢いと自分の体重をナイフに乗せて、犬の両首を切断する。
思わず、俺はごくりと喉を鳴らしていた。
何だか分からない。訳の分からない建物にいて、バケモノがいて・・・・・・とんでもなく強い女の子がいて。
思わず後ずさると―――俺の背に、何かがぶつかった。
「ッ!?」
また何かいたのか!?
そう思って振り返ると、そこにいたのは黒いマントを羽織った長身の男だった。
黒くて長い棒状の物を持った男は、俺の方を見下して口を開く。
『aguyhjo,iakreopahjnmkparergebb』
「は?」
『hhaa,dtfyguhij』
ちょ、ちょっと待て。一体何処の言葉だよこれ?
俺が思わず聞き返すと、男は何やら溜め息を付いて視線前方へと向けた。
それと同時、通路の向こうからさっきの銀髪の女の子が駆けてくる。
年の頃は十歳かそれ以下か、そんな小さな女の子。
男が彼女に向けて二言三言呟くと、彼女はコクリと頷き、そして俺の顔を両手で掴んだ。
「ッ!? 何を―――」
『―――、―――――――』
女の子の蒼い瞳が、じわりと輝く。
そして、次の瞬間―――
「がッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
頭が割れるような激痛に、俺は為す術無く意識を失っていた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:JEY》
「さてと、とりあえずはこれで良いか」
リルを先行させて正解だった。
どうやら、この小僧は今にもあの魔物に食い殺される所だったようだ。
ランクとしてはそれほど高くないが、それでも新米冒険者には荷の重い相手・・・・・・オルトロス。
永い年月を経ると魔術式すら操るようになる種だ、この小僧では為す術無く殺されていただろう。
「やれやれ、綱渡りになったもんだな」
「わふ」
気絶した小僧を支えながら、銀髪のチビ―――リルが頷く。
ナリがチビでも役に立つ。コイツはそういう奴だ。
「で・・・・・・本当にコイツで合ってるんだろうな」
「あってる」
胸を張りながらそう言うリルは置いておき、俺は嘆息混じりにこの小僧を観察した。
黒い髪に、妙にしっかりと固めた服装。
顔には・・・・・・これは眼鏡なのか?
ついでに言えば、地面には何やら武器のようなものが落ちている。
「こいつは・・・・・・術式銃か?」
しかし、魔力のようなものは感じない。
そもそも、外の世界の奴がそんな古代武器を持っている筈も無いか。
ともあれ、こんな場所にこんな格好でいるような奴は、外の世界からやって来た奴で間違いないだろう。
外の世界の住人ってのは、ごく少数だが世界の各所に存在している。
共通点として、そいつらは現れる時にはいつも若い少年少女であるという事。
そして、何らかの先進的な知識を持っているという事だ。
こいつらは、旅人の神《エルロード》の導きによって現れるとされている。
外の住人が英雄となった事で救われた国なんかは、この神を大々的に崇めているが―――
「あの神は、どんな基準でこいつらを連れて来るんだか」
個人的に、あの神はどうにも信用ならない。
まあ、俺も傭兵として世界各地を渡り歩く身だ、あの神の加護は受けているんだが。
「ジェイ」
「ん、どうした?」
「起きる」
リルは端的にそう話すと、地面に寝転がってる小僧を指差した。
それと同時、小僧がもぞもぞと身じろぎする。
「う、ぐ・・・・・・こ、ここは・・・・・・?」
「起きたか、小僧」
「え・・・・・・あ、あんたさっきの! おい、あんた俺に一体―――」
「文句は後で聞いてやる。どうやら、言葉は分かるようになったみたいだな」
「え? ・・・・・・あ、な、何でだ!?」
先程リルに、特殊な魔術式を使わせたからだ。
第三位魔術式、《等しき言葉》。
翻訳疎通系の魔術式としてはかなり高位のものだが、今この小僧に魔術式の事を説明しても分からんだろう。
まあ、簡単に説明しておくか。
「翻訳疎通系って言う、特殊な魔術式を使った。お前らに説明するんだったら、魔法って言った方が分かりやすいか」
「は? 魔法!?」
何言ってんだコイツ、という表情で見上げてきやがった。
微妙に腹が立ったが、八つ当たりしても意味は無い。
「ここがお前のいた世界じゃないって事は理解できるか?」
「・・・・・・もしかして、とは思ったけど・・・・・・やっぱりそうなのか?」
ふむ、それなりに現状分析は出来てたようだな。
まあ、外の世界にはああいうバケモノはいないらしいから、それも当然だろうが。
「詳しい説明は後でしてやるが、お前はずっとここに居たいか?」
「そんな訳あるかよ!」
「だったら付いて来い。折角こんな場所まで来たんだ、最深部まで潜ってから帰りたいんでな」
荷物を抱えたまま後二階層潜るか、七階層上って荷物を置いてきてからもう一度潜るか。
ここの魔物共は俺にとっては大した問題ではないから、前者の方が個人的には楽だ。
「はぁ!? ちょっと待ってくれよ、俺はこんな所さっさと―――」
「別に一人で行ってもいいが、死ぬぞ?」
「う・・・・・・」
「ふん・・・・・・リル、この小僧に付いてろ。俺が先行して敵を殲滅しながら進む。お前はそいつを守ってるだけでいい」
「わふ。わかった」
「って言うか、耳と尻尾って・・・・・・いや、もう何も驚かないぞ俺は」
なにやらぶつぶつと呟いている小僧は放っておき、俺は歩き出す。
それを見たこいつも、慌てて立ち上がって俺の後を追ってきた。
「な、なああんた」
「何だ?」
「名前は? 俺は煉・・・・・・九条煉だ」
クジョウレン・・・・・・先に言った辺り、レンが名前なんだろう。
外から来た奴はそういう名前の連中が多いと聞くしな。
「俺はジェイ。そっちのチビはリルだ」
「ジェイさんとリルだな。分かった」
「さん付けは止めろ」
「へ? でも、呼び捨てはちょっと―――」
「なら呼び方でも考えとけ。妙なのでなければ怒らん」
妙なのだったら怒るのかよ、などと呟いているが、無視。
ここからはガキのお守つきだ。流石に油断は出来ん。
槍に魔力を込めつつ、俺達は遺跡の中を進んで行った。
《SIDE:OUT》