21:英雄の娘
優しく、力強く、臆病な少女。
《SIDE:MASATO》
困惑。
フリズに連れられてきた場所は、騎士団の詰め所だった。
まだ若い少女との繋がりの薄さに、オレは目を瞬かせる。
「何ボーっとしてんのよ、さっさと来なさいって」
「あ、ああ」
しかしフリズは、特に気負う事も無くその建物の中に入っていった。
騎士団。要するに警察みたいなものだろう。
後ろ暗い事など何も無いが、何となくそういう場所には抵抗がある。
まあ、ここまで来て断る訳にも行かないので、素直に中に入るのだが。
「ただいま~」
「お帰り、フリズちゃん。おや、後ろの人は―――」
詰め所の受付にいた騎士が、こちらを見て言葉を詰まらせた。
いづなを抱えている俺を見て、反応に困ったのだろう。
「ああ、大体いつもの事だから。その人はいづなの友達だって」
「あ、ああ。分かった。カレナさんは部屋にいるよ」
「は~い」
どうやら、彼女は本当にここに住んでいるらしい。
詰め所と言うのは一般人が暮らしていい場所ではないと思うが……何者だ?
「誠人。そこが客間と言うか応接間だから、そこでちょっと待ってて」
「了解した。こいつはどうする?」
「適当に床にでも転がしとけばいいわ」
どうやら、まだ機嫌は悪かったようだ。
嘆息交じりに頷き、オレは応接間へと入って行った。
テーブルが一つと、ソファが向かい合うように置かれた部屋。
外来の客をもてなすか、或いは陳情を聞く為の場所か。
とりあえず、流石に床に転がしておくのは悪いと思ったので、適当に席に座らせ―――そこで、いづなと目が合った。
「……起きてたのか」
「ま、移動が楽だったしなぁ」
こいつも根本的にダメ人間だ、と思う。
ソファに座って自分の家のようにくつろいでいるいづなに嘆息し、オレもその隣に腰を下ろした。
異世界に来たと言う衝撃が、先ほどの事で薄れてしまった気がするな。
「で、彼女は何者だ?」
「来る前に言うとったやろ? うちの友達や。さっきのは軽いスキンシップみたいなモンやね」
「軽い……?」
こいつの軽いは既に犯罪行為のレベルのようだ。
これで本気になったら一体何をやり始める事やら。
「と言うかお前、そういう趣味の人間だったのか?」
「そーゆー趣味?」
「百合とかレズとか、そういう方面の」
「ちゃうちゃう! そーゆー趣味はあらへんよ」
いづなは首を横に振ってそう答える。
心外だ、とでも言いたげな表情ではあったが、あんなものを見せておいて否定するのもどうなのだろうか。
そのオレの視線に、いづなは憤慨する。
「ええか! うちが好きなのは、鋭いモンと柔らかいモンなんや!」
「はぁ」
「鋭いモンっちゅーのは即ち刀! いかなる美術品にも劣らぬこの美しきフォルム!
世界最強の剣たるその鋭さ! 至高の美と言っても過言では無いんや!」
言いながら、いづなは腰に佩いている刀に触れる。
一応、いづなも護身の為に武器は携帯しているのだ。
「そして、柔らかいモン! 即ちおっぱい!」
「……」
何と言うかこう、色々とどうでも良くなってきた。
とりあえずこの残念美人を黙らせておくかどうかを悩み、非常に疲れそうな事に気付いて諦めた。
オレの嘆息の間にも、いづなは続ける。
「ええか! おっぱいと言うのは人を包み込む母性の塊! 即ち究極の癒し!
女の子の胸には宇宙開闢に匹敵する神秘が潜んでいると言っても過言ではあらへん!」
ネタでもなんでもなく、『駄目だコイツ、早く何とかしないと』と思ったのはこれが初めてだ。
本気でどうしようもないが。
「サイズの問題やない! おっぱいに貴賎なし! すべてのおっぱいは平等や!
AAAだろうとIだろうと、全てうちは等しく愛ぎゅべっ!?」
「騎士団でいかがわしい事を全力で叫ぶな、このドアホ!」
瞬間、背後から降ってきた踵によっていづなが撃沈した。
盆を持ちながら器用に片足を上げているフリズは、再び伸びたいづなに向けて深々と溜息を吐きだす。
ちなみに、スパッツだった。
「ったく、こいつはいつもいつも……」
「いつもこんな様子なのか、いづなは」
「ええ、まあ……」
引き攣った顔で視線を逸らすフリズに、オレは静かに嘆息した。
まあ、悪い奴ではないんだがな。
「悪い子じゃないんだけどね、ホント……何とかならないかしら。黙ってれば可愛いのに」
どうやら同意見だったようだ。
気絶しているいづなの顔を見て苦笑したフリズは、その視線をこちらに向け直す。
「さてと……じゃ、一応もう一度自己紹介ね。あたしはフリズ・シェールバイト。
この騎士団の詰め所でお母さんと一緒に暮らしてるわ。いづなとは一応親友って事になってるんで、よろしく」
「マサト・カジロだ。いづな……シルフェリアの所で厄介になってる」
一瞬、フリズの言葉に引っ掛かりを覚える。
父親の事を言及しなかったのは、一体どういう事か。
……まあ、詮索する必要はないだろう。相手にとっても答えづらい事の可能性はある。
「でも、その体ってシルフェリアさんの人造人間よね?
何でそんな事になってるの?」
「まあ、色々あってな」
「あ……ごめん、答えづらい事だったか」
目を伏せ、謝罪してくるその姿に小さく笑む。
どうやら、こいつも悪い人間ではないようだ。
「単純に運が悪かっただけだ。まあ、こうして生き返して貰えたのは運が良かった方なんだろうが」
「大変だったのね、アンタも」
「……?」
違和感。
先程から、フリズの言葉には若干の引っ掛かりを感じる。
何か、実感が籠っているようなそんな声音。
「それで、今日はどうしてこっちの街に?」
「ああ、買い出しと……後は、手っ取り早く金を稼ぐ方法を探しにな」
「金を稼ぐ? いづなのトコってお金に困ってたっけ?」
「いや、借金だ……この体のな」
その言葉だけでは良く分からなかったのか、フリズは首を傾げて見せる。
あの女の事は知っているようだったが、そこまでは分からないか。
「オレを蘇生した技術はかなり高額な物らしくてな。その対価を求められた訳だ」
「対価って……一体、幾らぐらい?」
「金貨五千枚」
「ごッ!?」
オレの言葉を受け、フリズは思い切り咽る。
ティーカップの中身に口をつけていたら酷い事になっていただろう。
主に対面で座っているオレが。
「ど、どんだけぼったくるのよそれ!?」
「例え足元を見られていたとしても、オレには拒む権利はなかったのでな」
厄介な事にな。
オレの言葉をぶつぶつと口の中で反芻していたフリズは、やがて肩を落としながら深々と嘆息して見せた。
「いきなりそんな大金を稼ぐ方法なんてないわよ。年に百枚稼ぐだけでも結構な稼ぎなのよ?」
「まあ、そうだろうな」
「アンタ、自分の事なのに落ち着いてるわね」
まあ、慌てても仕方ない事の上に、性格自体が弄られてるからな。
口にすると面倒な反応が返ってきそうだったので、特に何も言わないが。
オレの反応を半眼で見つめていたフリズは、小さく肩を竦めると声を上げた。
「腕が立つっていうなら、稼ぎがいいのは傭兵かしらね」
「傭兵?」
「危険のある仕事を請け負ってお金を貰うシステム。傭兵ギルドっていう所に登録すれば、仕事を請けられるようになるわ」
「……成程」
異世界ならではの仕事のようだ。
確かにそれなら、腕次第で高額の報酬を受けられるようになるだろう。
オレの体は、世界最強の戦士に勝つために作られたと言っていた。
ならば、そういった荒事にも十分に対処できるはずだ。
「一応あたしやいづなも登録してるんだけど、アンタもやってみる?」
「む……お前たちも登録してるのか?」
「ええ、小遣い稼ぎぐらいに。採取系の依頼なら、そこまで大変じゃないしね」
おっちゃんやお母さんには怒られるけど、とフリズは小さく笑う。
ふむ。それならこの後でいづなに聞いてみるのもいいかもしれない。
「アンタも大仰な武器持ってるんだし、背も高いし、見た目だけなら十分じゃない?」
「見た目は関係なくないか?」
「そうでもないわよ。そこら辺の傭兵に舐められないし」
嘆息交じりにフリズは言い放つ。
女には女なりの苦労というものがあるのだろう。
「―――っていうか、それっていづなの刀じゃない。しかも《景禎》。
あたしでも殆ど触らせてくれなかったのに、良く使わせて貰えたわね」
「知ってるのか?」
「ええ、それを打つのを手伝ったの、あたしだし」
女二人でこんな巨大な刀を打ったのか?
そんな簡単なものではないと思うのだが。
いづなは刀を打つのに何かを使っているらしいが、こちらもそうなのか?
「ま、とにかく傭兵ならいいんじゃない?
いづなが刀を触らせるって事は、ちゃんと使いこなせる人なんでしょうし」
「あ、ああ」
「まあ、本気で稼ぐんだったらリオグラスのゲートに行った方がいいと思うけど。
あそこは高額な依頼がいっぱいあるらしいし、迷宮に入れば高額取引されるような素材を採取できるでしょうし」
「ふむ……成程、考えておく」
そこまで遠くに行っても大丈夫なのかどうかが分からないが、一応覚えておこう。
しかし、ここまで親身になって相談に乗ってくれるとはな。
初対面の相手だというのに、随分と『いいやつ』のようだ。
と―――そこで、部屋の扉がノックされた。
部屋の中に入ってきたのは、赤毛を腰の辺りまで伸ばした女性だ。
その顔は、驚くほどフリズに似ていた。
「フリズったら、慌てんぼうね。ちゃんとお茶請けも作ってたんだから、持ってかないとだめじゃない」
「あ……あ、あははは」
笑ってごまかすフリズに、女性は困ったように笑いながら手に持った皿を置く。
そこには、まだ温かいクッキーが積まれていた。
皿から視線を戻すと、女性もまたオレに視線を向ける。
その瞳が、少しだけ見開かれた。
「あら……シルフェリアの」
「……分かるんですか」
「あ……ごめんなさいね、少し驚いちゃって。私はカレナ。そこのフリズの母親です」
「マサト・カジロです」
成程、やはり母親か。
しかし、このお淑やかなイメージが目の前にいるフリズの活発的な印象と噛み合わない。
フリズを大人にして落ち着かせたらこんな感じになるだろうか。
「名前は異世界の人……ということはあの人、またあれをやったのかしら」
「え、ええ。おそらくそれで正しいと思いますが……お知り合いだったんですか?」
「そりゃそうよ。お母さんは昔、シルフェリアさんたちの仲間だったんだから」
一瞬、あの女と仲間という単語が結びつかなかった。
だが、シルフェリアがかつて邪神を倒した英雄の一人であったという事は、いづなから聞いている。
という事は、彼女も―――
「お恥ずかしいですけど、その通りなんです。まあ、私たちは邪神と戦う直前で戦線離脱してしまったんですけどね」
「それは……」
また、随分な大物が身近にいたものだ。
思わず、小さく感嘆の息を漏らす。
灯台下暗しと言うか何と言うか、こういう時は意外と世界は狭いものだ。
そう言えば―――
「邪神を倒した……貴方はジェクトという人物を知ってますか?」
「―――」
―――瞬間、カレナさんの表情が強張った。
次の一瞬でその表情は極普通に戻っていたが、脳裏に焼きついたその表情は消えない。
「……ええ、知っているわ。そういえば、シルフェリアは彼を倒すのに躍起になってるんでしたっけ」
「ええ、まあ。そんな感じです」
「そう……ジェクト・クワイヤードを倒す、か」
「お母さん?」
その反応に、フリズは訝しげに首を傾げる。
その声に、カレナさんはまた元の表情で笑みを浮かべていた。
「彼は、既に死んでいるはずなのだけど……どうやって倒すつもりなのかしらね」
「……」
一般に知られている話では、その通りだ。
だが、シルフェリアは生きていると言っていた。事実なら、彼女もそれを知っているはずだ。
しかし、何か―――彼女自身に、ジェクトという人物への何かの感情があるように思える。
英雄の機嫌を損ねるのは得策では無いと、オレは話を逸らす事にした。
「それとは別に、魂の移植の代金を払わなければならないんですがね。まあ、やるだけやって行きます」
「あら……それなら、ギルドの方に口利きしておきましょうか。将来有望な男の子がやってきますよ、って」
にこりと笑い、カレナさんはそう告げる。
冗談めかしてはいるが、彼女ならばそれも可能なのだろう。
「ちょっとお母さん、いいのそれ?」
「ふふ、お母さんはギルドマスターとも知り合いだからね。
それに、シルフェリアの関係者と言うのは予め知らせておいた方がいいでしょうから」
「……それは、むしろ知られない方がいいのでは?」
一応、世界で最高の技能を持つ錬金術師だと自称していた。
あまり世間に晒される事を望まない雰囲気だったが―――
「ギルドを甘く見てはいけませんよ。国家を跨ぎ独立して運営する巨大組織ですから。
下手に情報を隠すよりは、予め知らせて口止めしておいた方がいいと思うわ。
シルフェリアに手を出すと、小さい被害では済まないもの」
……あの女、過去に一体何をしたんだ。
嘆息し、あの不健康そうな姿を思い浮かべてみる。
一見脅威には思えないが、ジェクトを語る時のあの殺気はまるで凶暴な獣のようだった。
成程、カレナさんの言う事も一理ありそうだ。
「じゃあ、この後皆でギルドに向かいましょうか」
「あたしはいいけど……本人は?」
「ああ、オレも傭兵はいい手段だと思っていたからな」
実際、あんな金額を手に入れるにはそれ以外の方法は思い浮かばない。
元々、俺には殆ど道など許されていないのだ。
嘆息し、オレはいづなを起こしにかかるのだった。
《SIDE:OUT》




