19:人造人間
そして、舞台はもう一人の少年へ。
《SIDE:MASATO》
意識が、漂う。
オレはどうしたのだろうか。
見た事もない獣。
吹き飛ぶ何か。
白衣を着た女。
それが、オレが最期に見た風景。
そう、オレは死んだ。紛う事無く、疑う余地も無く、ただの無駄死にをした。
これが死後の世界なのか。
何も無い、ただの暗闇。やがてオレの意識はここに溶けて行くのか。
だが、オレの心は驚くほど冷静だ。
オレは、これほどまでに無感動な人間だっただろうか。
分からない。何かが違う。
何かが―――
「ん……?」
遠くに、光が見えた。
光……そう、光だ。この世界にはまるで似合わない、暖かな光。
何も感じない。
オレはただ、近付いてくるその光を眺めていただけだ。
やがて、オレの体は光に飲み込まれる。
腕を引かれるような、そんな感覚と共に―――オレの意識は途絶えた。
呆然。
目が覚めた時、オレに見えたのは天井と、そして肌色だった。
視線で追う。オレに乗っかっている肌色は、捲くれかけた袴を纏っている事を発見する。
そして、その先にいたのは―――
「にょおおおおおお……腕十字固めぇぇぇぇぇ!」
唖然。
何だ、コイツは。
和服のような、だがこれを和服と呼べば専門の方々を怒らせるとしか思えない衣装。
黒い長髪。そして、関節技。
まず一つ目の感想は、美人だ。
そして二つ目の感想は、残念な女だった。
「……何をしている」
「ぅにょおっ!?」
女は、奇声を上げてベッドから転げ落ちる。
落下して頭を打ったのか、のた打ち回る女を見つつ、オレはベッドから起き上がった。
周囲を見渡す。
簡素な部屋だった。
あまり広くはなく、あるのはベッドと棚程度。棚の中には良く分からない薬品がずらりと並んでいた。
ここは……どこだ?
「い……いつから起きとったんや!?」
「今だ」
「分かりやすい回答をあんがとさん」
女は立ち上がり、服に付いた埃をパンパンと払った。
とは言え、あまり汚れた様子は無い。掃除はされているのか。
頷いた女は、顔を上げて再びオレの眼を見つめた。
「とりあえず、自己紹介しとこか。うちは霞之宮いづな。いづなんって呼んでーな」
「いづなか、了解した」
「冗談の通じない奴っちゃな……で、君の名前は何て言うん?」
「……誠人。神代、誠人だ」
オレは、この大仰な苗字が好きではない。
昔から、何かといらないちょっかいを掛けられた苗字だ。
そんなオレの考えを知ってか知らずか、うんうんといづなは頷いている。
「じゃ、まーくんやな」
「……おい」
「ま、ここじゃ元の世界での自己紹介なんて意味無いんやし、とりあえず現状把握行っとこか」
第三の印象は、話を聞かない女だ。
まあ、苗字で呼ばれるよりはマシだが。
それより、今コイツは何を―――
「んじゃまーくん。とりあえず、これ見てな」
「手鏡? 一体何を―――ッ!?」
驚愕。
その姿は、明らかに異常なものだった。
蒼い。瞳も、髪も―――人にあらざる、鮮やかな蒼い色。
元の黒髪黒目のオレの姿は、何処にも存在しない。
「まーくん、自分が死んだ自覚……持っとるよね?」
「死……」
そうだ、オレは死んだ。
バケモノに体を両断されて、呆気なく死んだはずだ。
なのに何故、オレはこうして生きている?
「オレは……一体、どうなったんだ」
「その説明なら、多分ここの家の主がしてくれるさかい、今は別の説明させて貰うで」
「……分かった」
自分自身が何故ここまで冷静でいられるのかも疑問だが、それでも情報は必要だ。
ヘラヘラした気配を消したいづなに、こちらも頷いておく。
「この世界は、うち等から言えば異世界っちゅー奴や。死ぬ前の記憶があるなら見たんやろ?」
「ああ……見た事も無い化け物に襲われた」
魔物、モンスター、クリーチャー。
いくらでも言いようはある。だがそれらが示す所は、現実に存在しないバケモノだと言う事だ。
それが、現れた。疑う余地もなく、見てしまったのだ。
「……ここは、オレたちの世界では無い」
「そうやね。多分白い髪の女の子の所為でここに来たんと思うんやけど……分かる?」
「いや」
「んー……ま、そういうタイプもいるらしいのは知っとったし、不思議でもないか」
オレの言葉に、いづなは一人で頷いている。
白い髪の女か……そいつが、オレをこの世界に連れてきたのか。
つまり、そいつがオレを殺したと言う事か。
「そいつは、一体何者だ?」
「旅人の神、エルロードっちゅーらしいで。うちはこの世界に来る前に一度だけ直接話したんや。目的までは教えてくれへんかったけど」
神と来たか。
オレはこの世界での価値観は知らないし、どこまでが本当で何処までが冗談なのかの判別は付けられない。
だが、とんでもなく厄介な詐欺師に引っかかったようなものだ。
「ま、簡単やけど現状の把握は出来た?」
「この体の事以外はな」
「あー……それはまぁ、張本人から説明して貰おか。じゃ、付いて来てな……服着てから」
今まで気付いていなかったが……オレは服を着ていなかったようだ。
病院で着せられるような簡易の服を纏うと、オレはいづなに付いて部屋を出た。
あまり広くない廊下を通り抜け、その先にあった扉の一つを開ける。
そこは、どこかの研究室のような場所だった。
「シルフェ姐さ~ん。あの男の子、ようやく目ぇ覚ましたで~」
「……そうか」
響いたのは、若干低いながらも良く通る女の声。
それと共に部屋の奥から現れたのは、白衣を着た黒髪の女―――確かに、あの時見た女だった。
手に嵌めた手袋を外しながら、不機嫌そうな瞳を眼鏡の奥で細める。
「フン。魂の定着に時間が掛かったが、どうやら問題は無いようだな」
「……何?」
「貴様の名は?」
「神代、誠人だ」
どうやら、この女も人の話は聞かないらしい。
警戒しながら睨むが、そんな視線など何処吹く風で、女は煙草を吸い始める。
出てきた煙は何故か香の様な香りを放ち、意識が沈静化してゆくのを自覚した。
「マサトか。私の名はシルフェリア・エルティス。貴様のその身体を作った錬金術師だ」
「錬金術……?」
「そういう物もある、と言う風に覚えておけ。一から説明した所で、理解などできんだろう」
ここはオレたちが暮らしていた世界では無い。それは理解している。
分からない事を無理に理解しようとした所で意味は無いだろう。
馴染みの深い単語と言う訳では無いが、錬金術と言う言葉には一応イメージのようなものはある。
大体、それに近い物なのだろう。
「貴様は、私の工房の前で死に掛けていた。
そこで私が貴様の魂を抽出、培養し、作ってあった人造人間の身体に貴様の魂を移した。
一応、脳もコピーしておいてやったから、記憶の転写に関しては問題ないだろう」
「何だと……?」
「記憶とは脳から魂に蓄積して行く物だ。ならば、その流れを逆転させて魂の記憶を脳に移す事も可能と言う訳だ。
加減を誤ると脳が情報を処理し切れず潰れるから、中々面倒な作業だがな。
とにかく、貴様が今生きているのは私のおかげだ。感謝しろ」
コイツの第二印象は、傲慢な女だ。
だが、その傲慢さは事実に裏付けされた自信である事も確からしい。
この女は、死にかけた人間をいとも簡単に蘇生して見せたのだ。
だが、それは決して善意からなどと言う理由では無いだろう。
この女は、間違いなく合理主義者だ。無駄な事をするとは思えない。
「……何が望みだ」
「ほう? 成程、頭は切れるようだ。私は馬鹿は嫌いでな。
まあ、望みなど簡単な事だ。私は貴様の命を助けた。だから、その命の貸しを返せと言っているだけだ」
やはり、な。
この手の手合いが、無償活動などするはずがない。
「まず一つ。貴様の延命には非常に高い金がかかった。
この方法を知っているものは少ないが、依頼には金貨五千枚を取る事にしているのでな。それを払え」
「現代感覚で5億円ってとこやねー」
……まあ、本来死ぬはずの人間を助けるなどそんなものだろう。
たとえどれだけ高額な値段であろうと、払おうとする者はいるはずだ。
「まあ、姐さん基本的に人嫌いやからねぇ。そーゆーのは大抵ここにたどり着く前に死んでまうけど」
「……とりあえず、了解した。どうせ、逃げる術などないのだろう?」
「ほう、良く分かっているな」
底意地の悪い顔で、シルフェリアは笑う。
この体はこの女が作ったといっていた。反抗できないように仕掛けがなされていたとしても不思議ではない。
これは依頼ではなく命令だ。あるいは、脅迫だろう。
―――上等だ。
「返済したら自由になれるというのならば、従ってやる……それで、まだあるのだろう」
「ク……ククク、クハハハハハハハッ! いいな、思わぬ拾い物だったようだ、貴様は!
冷静な思考回路を持っていながら、己の意思を貫き通す熱さを持つか!
ククク、貴様のようなモノを屈服させるのは楽しそうだ!」
挑戦的な態度をしたのがそんなに面白かったか。
とりあえず、この女の性格は最悪なようだ。
「クク……安心しろ、命令は二つだけだ。
もう一つの命令は単純―――ある男を殺すだけでいい」
「何……?」
これは、少し意外だった。
この女が、誰かを殺すという個人的な理由のために誰かに力を借りるとは思えなかったからだ。
絶対に敵わない相手とでもいうのか、或いは―――
「私はな、あの男が許せんのだ。できればこの手で殺してやりたい所だが、私ではどうにも加減をしてしまう」
「加減?」
この女が、誰かに加減?
全くイメージと繋がらない。容赦や優しさなどそう言ったものを丸っきり捨てていそうなこの女が、加減。
「奴は、かつての仲間だ。仲間である事を認める事それ自体が腹立たしいが、そうとしか表現出来ん相手だった」
シルフェリアは、歯を剥き出しにしながらそう言い放つ。
ぶちりと、千切れたタバコが床に落ちた。
シルフェリアが滾らせるその殺意に、大気が震える。
「私に甘さを生んだ、あの男が赦せん。この手で一度殺してやらねばおさまらん。
その男を殺す為に、私は貴様の体を作り出した……分かったか、マサト。それが貴様の使命だ」
「……その男は、一体?」
「フェンリルにより神の槍を授けられた使徒。人類最強の男。邪神に止めを刺した英雄。
ジェクト・クワイヤード……それが、貴様が殺す相手だ」
―――凄惨な笑みで、シルフェリアはそう言い放った。
「やー、大変やね、まーくん」
「他人事だな、お前は」
「や、そういう訳やないんやけどね」
いづなに案内され、オレはこの家の離れに来ていた。
服は、あらかじめ用意されていた男性用の物に着替えている。
どうやら肉体も相当鍛えられたものらしく、顔の造り以外はほとんど元の体から変わってしまっている。
オレの言葉に、いづなは苦笑を漏らした。
「うちがここで暮らすのを許されてるんはな、まーくんの武器を造る為なんよ」
「オレの武器……?」
「まーくんの振るう剣と、まーくんの操る剣技。それを提供する事が、うちが姐さんと一緒に暮らす条件や。
ま、うちも好きでやっとるからええんやけどな」
「刀鍛冶でもやっているのか?」
「ま、そういう事やね」
これには驚かされた。
よく知っている訳ではないからイメージでしかないが、刀鍛冶というのは相当に力のいる仕事だろう。
それを女が、しかもたった一人でやっているとは。
「この世界にも色々と便利な物があるって事や。おかげで、うちも好きなように刀が打てる」
心の底からの笑顔で、いづなは言う。
どうやら、こいつは本当に刀を打つのが好きなようだ。
開いた離れの一室に入り―――オレは、小さく目を見開いた。
周囲の壁には、無数の刀が飾られていたのだ。
「これは……」
「全部、うちが打ったもんや。中々壮観やろ?」
この体になって感情の起伏が小さくなっているが、それでも驚かされた。
まさか、ここまでとは。
そしていづなは、その内の一つを取り出した。
「こいつが、まーくんの刀や」
「これは―――」
柄の長さまで含めれば、俺の身長をも超えるであろう巨大な太刀。
あのモンスターを狩るゲームに出てくるそれに似ている。
人間が使うには巨大すぎる、その刀。だが―――
「まーくんなら使える筈や。まーくんの体は、この子を振るう為に作られとる。抜いてみ?」
「……ああ」
ごくりと、生唾を飲み込む。
鞘は途中から切れ目が入っていて、ある程度引き抜けば刃を外せるようになっていた。
刃に触れないように気を付けながら、太刀を引き抜く。
「……!」
驚くほど手に馴染むそれは、美しい銀色の刀身を現した。
そして、まるで重さを感じない。かなりの重量がある筈なのに、まるで小枝のように振り回せそうだ。
「《霞之宮景禎》……それが、その子の銘や。大事にしたってな」
「……ああ」
刃を鞘に納める。これからの相棒になるであろうそれを、オレは背に背負った。
そして、いづなの方を見つめ―――小さく笑みを浮かべる。
「……いづな」
「ん、何や?」
「罪悪感を感じるなら、悪人ぶるのはやめたらどうだ?」
「ぃ……」
引き攣った笑みで、いづなが硬直する。
感情を隠すのは上手そうだったから、ばれていないと思っていたのだろう。
「あの女に合わせる事も無いはずだ。わざわざオレに恨まれようとしてどうする」
「……そらまぁ、罪悪感覚えんなっちゅーのが無理やろ。まーくん、自分の性格が変わってまってるの気づいとるやろ?」
「まあ、な」
元々のオレなら、こんな場面でここまで冷静でいられる筈がない。
あの女の挑発の時点でオレは激昂しているだろう。
「いくら放っといたら死んどったからって、あそこまでやってまうのは酷い思うたよ。
性格を変えられた、体も改造された、うちはその片棒を担いどるんやで?
でも、許しを請う訳にもいかんやろ」
「難儀な性格だな、お前は」
「普通の人間やからね」
普通の奴はこんな大層な刀は打たないと思うが、それはとにかく。
少なくともオレは、二人の事を恨んではいなかった。
「オレが恨むのは、オレをこの世界に連れてきたエルロードとかいう神だけだ。
助けて貰った事に関しては、むしろ感謝している」
「……都合のいいように改造されとるのに?」
「オレがオレである事に変わりはない」
その自覚がある以上、問題はない。
オレは、オレだ。
「許しが欲しいなら、この世界の事をオレに教えろ。それで、許してやる」
「……ええ奴やね、まーくん。いつか損してまうで?」
「そうかもな」
既に損をしている気がするが、何だっていい。
オレは最早後戻りできない場所にいる。あの女からは逃げることは出来ないだろう。
ならばせいぜい、足掻いてやろう。
この考えすら改造された結果だったとしても、この魂はオレのモノだ。
せいぜい借金を返済してやろう。そして世界最強とやらになってやろうではないか。
見ていろ、シルフェリア。
必ず、お前のそのすかした表情を驚愕に歪めてやる。
《SIDE:OUT》