185:エピローグ
「おかえりなさい」
《SIDE:ELFEEL》
「これは……!」
先ほど感じた感覚に、私は空を見上げる。
九条煉とベルヴェルクは、私の知覚領域を遥かに超えた場所へと到達してしまった為、この《時空》の能力ですら干渉する事は出来なかった。
けれど、先ほどの感覚……遥か上の領域に引き寄せられたアレからは、確かに《拒絶》の力を感じたのだ。
「……君は、やったのか?」
神代誠人を追い、水晶宮から出て降り立った地上。
近くに見える《欠片》の持ち主達の方へと歩きながらも、私の意識は遥か彼方―――ディンバーツの方へと向いていた。
彼が何をしたのか、私には分からない……けれど、確かに何かが変わった感覚があった。
確かめるには―――
「……エル」
「あ……母さ―――僕に気付いたのか、聖母よ」
「もう、取り繕う必要は無い……でしょ?」
「いや、僕は……ううん、そうだね。でも、貴方を母さんと呼んでいいのかは、私には分からないけれど」
「貴方が、呼びたいのなら。わたしはミーナリアだけど、ミナクリールであったわたしも覚えているから」
言って、彼女は優しい表情で微笑む。
その慈愛に満ちた表情は、確かに記憶の彼方に在る母の面影に似ていた。
一瞬胸を打たれ……思わず、泣きそうになるのを堪える。
数え切れないほどの年月を渡り歩き、涙などとうに枯れたものだと思っていたのに……取り繕っていた外面を捨てただけでこれとは。
思わず、自嘲してしまう。
「行こう、エル……レンが、帰ってくる」
「え……?」
ミーナリアに手を引かれ、私は歩き出す。
その先にいる彼女の仲間たちは、既に私の存在に気付いていたようだった。
超越の力によってここに帰ってくる結末を引き込んでいた神代誠人は、アルシェの身体をそっと地面に降ろしている。
「ちゃんと出てきたみたいね、感心感心」
「そらまぁ、可愛い妹が助け出されたんやし、ちゃんと見に来るやろ」
驚いた事に―――彼女たちは、九条煉の勝利を疑っていないようだった。
いや……その絆を思えば、当たり前と言えば当たり前か。
先程の、あの《拒絶》に引き寄せられたような感覚と、そこで自分自身の力を放出した感覚。
私ですら、アレが九条煉であったという確信がある……彼女達からすれば、考えるまでも無い事なのだろう。
小さく息を吐き出し、私はアルシェの隣に膝を着く。
「……良かった、とりあえずは一安心か」
アルシェに穿たれていた傷は完全に消え、そしてその身に宿っていた邪神という力も消滅している。
どうやら、九条煉は本当に上手くやったらしい。
とは言え、私と繋がった存在である以上、アルシェの不死性が失われる訳では無いけれど―――いや、いまはいい。
アルシェが無事だっただけで、私は満足だ。
安堵の息を吐き出し―――私は、立ち上がる。
向き直る先は、私の勝手な都合で巻き込んでしまった彼女達。
私は……そちらへ向けて、深々と頭を下げた。
「今まで……本当に、ありがとう。そして、済まなかった。君達がいなければ、この永遠の牢獄から抜け出す事は出来なかっただろう。本当に、感謝している」
「……ゆーとくけどな、許しはせんで?」
「いづな!」
霞之宮いづなの言葉を、フリズ・シェールバイトが諌める。
けれど、それは当然というものだ。私は、それだけの事を君達にしてきたのだから。
「罰は甘んじて受けよう。私は、私の勝手な都合で君達を巻き込んでしまったのだから」
視界の端で、神代誠人が肩を竦めている。
あの時、私の超越の中で話をしたから、彼は私の事情をよく理解しているようだ。
だから、弁護もしないし糾弾もしないのだろう。
と―――そんな中、進み出てきたのは雛織桜だった。
「……エルロード、さん」
「ああ……何かな?」
正直な所、今更エルロードと呼ばれるのには違和感がある。
別段、私は自分から神と名乗ったつもりは無かったのだが、そんな呼ばれ方をし始めたのはいつの事だったか。
ともあれ、そんな私の思いは露知らず、雛織桜は私へ向かって首を傾げる。
「貴方が……私達を、見つけてくれたんですよね?」
「ああ、そうだね。君達の続投を望んだのはミーナリアだけれど、君達を探し当てたのは私だ」
「……なら、ありがとうございます」
と―――雛織桜は、何故かそこで私へと頭を下げた。
恨み言を吐かれこそすれ、感謝されるなどとは思っていなかったので、思わず目を瞬かせてしまう。
一体何を……いや、そうか。彼女ならば―――
「貴方が、私を選んでくれた。だから、私は大切な仲間と、大好きな人に出会う事が出来た……確かに、赦す事はできません。けれど、感謝はしています……皆と出逢わせてくれて、ありがとう」
「……言われてもうたなぁ。ま、そーゆーこっちゃ」
「……何よ、またあたしだけ置いてけぼり?」
苦笑する霞之宮いづなと、拗ねたように唇を尖らせるフリズ・シェールバイト。
その様を眺め、神代誠人と雛織椿は、苦笑交じりの表情を浮かべていた。
ひとしきり笑い、霞之宮いづなは私へと視線を向ける。
「赦しはせん。せやけど、感謝はしとる。もしも申し訳ないなんぞと思っとるんやったら、うちらと共に来て欲しい。そんで、気が済むまで償ってな」
「……そう、だね。誠心誠意、やらせて貰うよ」
小さく、笑う。
数え切れないほど重ねた二千年―――その間積み重なってきた肩の重みが、ようやく取れた気がした。
泣きそうになるほどの安堵に、私は大きく息を吐き出す。
と―――
「……レン」
「む……!」
空を見上げ、ミーナリアが小さく呟く。
そしてそれと同時、強大な力が周囲に満ち始める。
力強く、全容を捉える事ができないほどに圧倒的で―――それでいて穏やかな力。
その力は、私の視線の先で急速に収束し始めた。そして、そこから現れたのは―――
「―――よ、終わったぜ」
「煉っ!?」
その言葉に、真っ先に反応したのは―――少々意外ながら、フリズ・シェールバイトだった。
ミーナリアもすぐさま彼の方へと向かっていったが、当然ならが足は彼女の方が速い。
他の者達が目を丸くする中、フリズ・シェールバイトは九条煉へと飛びついていた。
「煉!」
「うおっ!? フ、フリズ!? 何だいきなり!?」
「良かった……ちゃんと、戻ってきた……!」
彼の胸に顔を埋めるフリズ・シェールバイトに、出遅れながらもミーナリアは小さく笑みを浮かべる。
しかしまた、どうしていきなりこんな?
「そりゃ、戻ってくるに決まってるだろ……それより、いきなり積極的になったのはどういう事だ?」
「……思い出した、から。あたしの、気持ち」
いつも通り、からかうような口調で九条煉は告げる。
が―――彼の胸に顔を埋めたまま、彼女は小さく声を上げた。
「アンタの事、恨んだ世界もあった。嫌いだった世界もあった。でも、それら全部ひっくるめて……その、好きだって……思い、出したから」
「な……」
「フーちゃんがデレた!?」
「うっさい、デレたとか言うな! ……って、あ」
いつも通りの切り返しで振り返った所でミーナリアの姿に気付き、彼女はばつが悪そうに視線を伏せる。
そんな様子に苦笑し、九条煉はミーナリアを手招きで呼び寄せた。
そして二人を一緒にその腕の中に入れ、彼は笑う。
「二人とも、ありがとうな……ただいま」
「……おかえりなさい、レン」
「その……おかえり」
……どうやら、彼らは彼らでバランスが取れているみたいだな。
まあ、ミーナリアが寛容すぎるという気がしないでもないが。
小さく苦笑しつつもう一組の方へと視線を向ければ、微笑ましそうに彼らを見つめる二人と、どこか羨ましそうな少女が一人。
変わらないな、彼らも。
と―――その時、小さく声が響いた。
「ん……ここ、は……?」
「―――ッ! アルシェ!」
見れば、もぞもぞと身体を動かしてアルシェが起き上がっている所だった。
すぐさま駆け寄り、私はその身体を抱き締める。
「おねえ、ちゃん……? あれ、私、どうして―――」
「もういい……もう、いいんだ。全部終わったんだ、アルシェ。もう何も心配いらない……また、一緒にいられるよ、アルシェ」
「え……?」
目を瞬かせるアルシェを、私はそっと立ち上がらせる。
彼らも私達の姿を見て、嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんな周囲の様子を見て、アルシェもようやくある程度の状況を悟ったのか、その顔に驚愕の表情を浮かべる。
「お姉ちゃん、これって……」
「邪神はもういない。この世界が、理不尽な滅びにさらされる事はもう無い。私達の戦いも……ようやく、終わったんだ」
その言葉に、アルシェは目を見開き―――そして、心から安堵した表情を浮かべた。
この二千年、ずっと不安だっただろう。邪神なんてものになってしまった、己自身の事が。
でも、もうそんな不安は必要ない。私達は、解放されたんだ。
だから、もう―――
「―――アルシェール、エルフィール」
ふと、声がかかる。
並べばよく似ているだろう、双子である私達。
そんな視線の先にいるのは、黄金の輝きを幻視させる一人の少女。
彼女は腕を広げ―――私達に、こう言った。
「―――お帰りなさい、よく頑張ったね」
―――それが、限界だった。
「母、さん……ッ」
「お母さん……!?」
外見だけで言えば、似ても似つかないだろう。
似ているのは、その黄金の瞳ぐらいなものだ。
けれど、その心は、その言葉は―――確かに、あの日のままだった。
恥も外聞も無く涙を流し、私達は彼女の―――ううん、母さんの胸に飛び込んでゆく。
「母さん……ッ、私、ずっとこうして……!」
「どうして、私を一人にしたの……!」
数億だっただろうか、数十億だっただろうか、数百億だっただろうか。
数え切れないほどの時間の中、心を凍らせて、ただただこの無限の牢獄を抜け出す為だけに歩いてきた。
涙が枯れ果てても、人を駒と使う事に罪悪感を覚える暇も無くなっても……唯、たった一つの願いを掴む為に。
私と、アルシェと、母さん……確かに幸せだったあの頃を、一瞬だけでもいいから取り戻したいと。
満たされて、しまった。だから、もう私は僕である事は出来ない。
私達は涙を流す。
神と邪神となり、人の理を超えて生きてきたこの身を、人間に戻そうとするかのように。
抱き締めてくれる母の温もりを、確かに感じながら。
そんな彼女は、私達の頭を撫で―――どこかおかしそうに、声を上げた。
「……お帰りなさい、って言ったでしょう? 返事は、何かな?」
「ッ……ふ、ふふ。ねぇ、お姉ちゃん」
「うん……分かってるよ、アルシェ」
周囲の少年少女達―――私が巻き込んでしまった彼らは、ただ私達の事を優しく見つめている。
赦しては貰えないだろう。けれど、決して私の事を恨んではいないと―――そう、その視線が物語っていた。
だから、私はようやく言える。
ずっとずっと願い続けた、たった一つの言葉を―――
『―――ただいまっ!』
―――そう、だからこれは、罪科の物語だ。私達は、この罪を抱えて生きてゆく―――
―――貴方は幸せ?
誰かが、僕にそう聞いた。
―――勿論そうだ。
だから、僕はそう答える。
―――貴方は満足?
誰かが、私にそう聞いた。
―――勿論ちがう。
だから、私はそう答える。
だって僕が望んだのは、ほんのささやかな幸せだから。
何も知らない、幸せだった私が望んだのは、もっと優しく幸せな未来。
だから、偽りの神はもう要らない。
神様なんてもう要らない。
だってこの世界は、人間が掴んだ世界なのだから。
だからさよなら、僕。
神様は、人間に戻ります。
立ち止まっている暇は無い。さあ、もっと速く、速く!
私はようやく、次の幸せへと手を伸ばす事が出来るのだから!
《Fin》